1.事変
北の大地の雪原も黒く染まる、闇夜。
敵襲を知らせる鐘が鳴り響くと同時に、イルヴァーツ城内は阿鼻叫喚の渦に包まれた。
「衛兵を全員叩き起こせ!」
「ダメだ、もう城内になだれ込んできた!」
「とにかくヘルン王だけはお守りしろ!」
「それが、昼から行方が――」
メイリは居室のベッドの上で右往左往していた。
それも仕方ない。こういう時に何をするべきか、教わったことなどなかった。
そこに慌ただしく駆け込んできたのは、世話係の老いた執事。
手には使い古された剣を持っている。
「火急の事態ゆえ、このような姿で失礼します!」
「じい! これは一体なんの騒ぎなのですか」
「異民族が、反乱を起こしたものと思われます」
「お、お父様は? お兄様や、お姉様は……」
「混乱のさなかにあり、何もわかりませぬ。今はとにかく、お逃げ下さい!」
「は、はい。では支度を――」
「時間がございませぬ! そのままで!」
手を引かれ、寝間着のまま廊下に出る。
そこには、いつもメイリについている従者たちが待機していた。
「エイダン、マズル、ショーン!」
「姫様!」
「車庫へ向かいましょう。多少の食料などは馬車に備えてあります」
「お急ぎを!」
階段を降り、廊下を抜ける。窓の外の雪が朱い。
放たれた火の手に照らされたか、あるいは血か。
どうしてこうなったのだ。予兆など、まったく感じられなかった。
* * *
「着きました!」
馬屋と繋がっている車庫の重い扉を開けると、冷気が流れ込んできた。
何台もの四輪馬車が綺麗に並んでいる。
白い息を吐き、薄着のメイリは身震いをした。
「馬を連れてきます! 姫様は中に――がっ!」
背後から、ぎらりと光る刃がマズルの胸を貫いていた。
剣の持ち主は異様な黒装束に身を包んでいる。さらにその後ろには、同じ姿の兵士たち。
甲冑を身に着けていないところを見ると、身軽な動きを求められる暗殺者だろう。
「マズル!」
「くそ、もう追手が!」
反乱軍の追手は無感情に刀を構え、メイリに襲いかかる。
と、そこに老執事が立ちはだかった。
「――下郎が!」
ズンと重く振り下ろされた剣は、先頭の敵を頭から両断した。
「貴様らには指一本も触れさせぬわ!」
耳をつんざく怒号に、さしもの暗殺者たちもたじろいだ。
枯れ木のように細身だったはずのその体は、普段の二倍も三倍も大きく見えた。
「起きんか、マズル! 姫様をお守りするのだ!」
胸を突かれて地に伏し、絶命したと思われたマズルの目に、光が宿る。
「う……うおおおおおおお!!」
血を吐きながら体を起こし、剣を抜いて振り回した。
「こいつ、ゾンビか!?」
「おお、お逃げ、下さい! 姫さま!」
背を向けたまま、老執事はメイリに託した。
「首都に! どうか逃げ切り、助けを! ヘルン王はきっと生きています!」
「馬を連れてきました! お乗りください!」
エイダンは手早く馬車に馬をつなぎ、手綱を握る。
ショーンと馬車の中に乗り込み、メイリは窓から顔を出した。
「ふ、二人も――」
呼びかけた瞬間、マズルの体がいくつもの剣で串刺しにされた。
「エイダン、ショーン……姫様を……」
「マズル!」
「国を、お父上を救えるのは姫様だけです。どうか頼みましたぞ」
「じい!」
「ハアァッ!」
かけ声ひとつ、エイダンが鞭を打つと、馬車は勢いよく駆けだした。
* * *
馬車から身を乗り出し、夜を照らして燃え上がる城を見つめる。
それはだんだんと小さくなっていく。
逃げるしかなかった。たくさんのものを置いてきてしまった。
「姫様、窓を閉めて中へ。危険ですし、お体を冷やします」
「…………」
ショーンは言い方を変えた。
「私はエイダンと交代するために、体を温めておく必要があります。どうか窓を」
「……はい」
「お気を強くお持ちください。見たところ、城内から脱出できたのは我々だけです。我々がやらねば」
「はい。わかっています」
メイリ・ヘルン。
北部連邦領「イルヴァーツ王国」、国主ジェームス・ヘルンの第三女。
まだ14という頼りない少女の双肩に、計り知れないほど重い王国の命運がかかっていた。
これは世界を巻き込む争乱と、王を目指す者たち、そして、ひとりの少女の物語。
初めて書いた長編ファンタジーで、初投稿です。
古典的な内容で、特に目新しさはないと思いますが、表現・構成などについてのアドバイス、あるいは感想など頂けると嬉しいです!