第一章Ⅱ
「誰だっ」
「通りすがりの一般生徒です。ですが、校則違反を笑って見逃す程お人好しでもありませんし、臆病者でもありません」
「こ、……校則違反ってなんのことだ?」
声が震えている。これでは校則違反していると自ら白状しているようなものだ。
それにしても突然現れた声の主は誰だろうか。体の自由が利かないためその姿を見ることさえも出来ない。
「能力の無断使用は校則で禁止されている筈です。……知らないとは言わせませんよ?」
知らなかった。
知らないのはまだ生徒ですらない志波だけだろうが。
「領域の展開と、その二人に干渉した何らかの能力。弁明の余地なしですね」
ゆったりとした足音。
どうやら少女は歩いてこちらに近付いているらしい。
「来るなっ」
男の慌てる声、それと同時に能力の発動を感じ取る。恐らく志波と少女を行動不能にした能力を使用したのだ。
「危ないっ!」
志波は叫ぶ。
が、返ってきたのは落ち着いた返答だった。
「貴方の能力は【音】ですね」
冷静で冷徹な無機質の声。まるで機械のように感情のない声色が紡がれていく。
「支配系統か改変系統ですか。……事象への干渉力から察するに改変系統ですね。領域範囲はおよそ半径五メートル強、音の情報を書き換えて人間に聴き取れないレベルの高周波で三半規管を狂わせているのでしょう。つまり、こうして両手で耳を塞げばどうということはありません」
的確な分析であった。
たった一度見ただけでここまでの分析を行うとは、只者ではない。
領域範囲を確認する為にゆっくりと近付き、志波らが倒された瞬間の推察で相手の能力を推測。そこから実験によって確信した。あまりにも美しく並べられた論理だ。
「どうして俺の能力が【音】だって分かったんだっ」
「貴方がそこの二人を倒したとき、ほんの少しだけ私の耳が痛くなりました。私の耳は普通の人よりほんの少しだけ高い音が聞き取れるんですよ」
若干の気持ち悪さを残しつつも、ようやく少し自由が戻ってきた体で声の主を確認する。
そこには息を呑むほどの美少女がいた。
まず目に付くのはそのあまりにも鮮やかな髪の色だった。
日本では、いや海外でもまずお目にかかれない白銀の髪。輝くような、妖精を思わせる幻想的な色だった。
それが太陽の光を反射して鮮やかに輝いている。
そして瞳。
青空、もしくは透き通った水を連想させるライトブルー。
透明感のある白い肌。
触れれば壊れてしまいそうな華奢な体つき。
女性として未完成な少女はけれども芸術的な美しさ、そして愛らしさを包容してそこに確かに存在していた。
「これは正当防衛、ですよね。……校則によれば、能力の教員の許可もしくは申請書の受理が不可欠ですが、自己防衛もしくは人命救助等の緊急時はこれに限らないとあります」
彼女の言葉に二人の男は身構える。
しかし能力者二人を相手に臆することなく。堂々たる態度で少女は言い放つ。
「天枷天鳥が粛清します」
同時、彼女はスカートのポケットから拳程の大きさの棒を取り出した。
それを男二人組に向け、棒に備えられたボタンを押す。すると棒の先端から泡のような物が生み出される。
「あれは……、シャボン玉?」
そう、シャボン玉だった。
状況に似つかわしくない子供向けの玩具。――けれど、それを扱うのが能力者であれば、事情は大きく異なってくる。
「情報改変、染まるは黒と赤。……爆ぜなさい」
彼女がそう呟いた瞬間、赤色のシャボン玉が弾け。そして気付けば大柄の方の男が後方に勢いよく吹き飛んでいた。
「――――――っ」
男が悲鳴さえもあげられない程に一瞬の出来事。
その刹那の光景を志波たしかに見届けていた。
天鳥と名乗る少女が持っていた棒は二つのシャボン玉を作った。
そして彼女の能力で棒に近いほうが赤色、遠いほうが黒色に染まる。二つのシャボン玉は棒と男を直線上に結ぶように配列され、そして手前の赤いシャボン玉が弾けた瞬間、黒いシャボン玉がまるで銃弾のような速度で男の顎目掛けて放たれたのだ。
そして黒いシャボン玉はあろう事か弾ける前に男の顎を打ち抜いて後方に吹き飛ばした。
なんという常識外れな硬度だろうか。
人を吹き飛ばす程の硬度のシャボン玉。それもあの速度で顎を打ち抜かれれば意識なんて一瞬で吹き飛ぶことだろう。
「――なっ、お前、何をっ」
「教えてあげるとでも思っているのですか?」
続いて棒をもう一人に向ける。
「やめろ、悪かった。謝るか――」
「謝罪も弁明も、然るべき場所でしてください」
放たれる黒いシャボン玉。
もう一人の男も綺麗な弧を描いて吹き飛んでいった。
「助かった、みたいだな……」
一緒に倒れていた少女を見る。
目まぐるしく変わる状況についていけず、放心しているらしい。気持ちはよく分かる。志波も若干混乱しているからだ。
ようやく自由になった体で立ち上がると、美しい銀髪の少女が目の前まで着ていた。
「お怪我はありませんか?」
「ああー、転んだ時に全身しこたま打ったけど、君のおかげでその程度で済んだよ。ありがとう」
「礼には及びません。私が勝手にしたことですから」
あの状況を見つけて助けてしまう程度にはお人好しだが、愛想良い人柄じゃないらしい。志波からしてみれば好印象だが、きっと勘違いされやすい性格なのだろう。
「いや、どういう理由であれ助かったのは事実だから。感謝は受け取って欲しい。俺は水無瀬志波。君は確か、天枷天鳥さんだよね? よろしく」
そう言って志波は右手を差し出す。
友好の握手だ。
「……………………」
微動さえしない。
冷静な眼差しが志波を射抜いている。
微妙な沈黙が流れ、心做し空気が冷たい。
数秒か十数秒か。そろそろ差し出した手が寂しいのだが。
「おい、なんか反応をくれよっ!」
「いえ、すみません。見覚えのない名前だったので、不審者かと思って……」
見覚えのない名前が不審者。
意味不明である。
関連性がないように思えるが。
が、暫く考えると一つの可能性にたどり着く。
いや、しかし、まさか――。
「もしかして、全校生徒の名前を記憶しているのか……?」
「はい。私の知る限り、この学園に水無瀬志波という名前の生徒は存在しない筈です」
それはそうだろう。
何せまだ志波は転入していない。この学園の生徒になるのは明日からだ。
「俺は明日からの転入生だ。だから正確にはまだ学園の生徒じゃない」
「なるほど、だからシャツにジーンズなんてラフな格好なのですね」
対して天鳥の来ているのは制服。紺色を基本とした可愛らしさと、シックな格好良さが共存するかのようなブレザーとミニスカートだ。
同じ格好をしているもう一人の少女もようやく立ち上がって会話に参加する。
「兄さん……、ですか?」
「は?」
首を傾げる。
今日出会ったばかりの少女にいきなり兄かと問われれば当然の事だろう。いや、しかし。
確かに彼女のシュシュには見覚えがある。
「水無瀬志波さん……。ですよね? 私、夕美ですっ。水無瀬夕美っ!」
その一言で全てが繋がった。
間違いなく彼女は妹である。名前は知っている。文面だけだが幾度も言葉を交わしている。けれど、顔を見たことはただの一度もない。
「やっと……。やっと、会えた……。兄さん……」
「え、本当に? 本当に夕美、なのか?」
動揺が勝り何も考えられない。
驚きで全てが上塗りされている。
「えーっと……」
そんな中、天鳥の非常に困惑した声が響いた。
「説明を、お願いしてもいいですか?」
冗談ではない。
説明が欲しいのは志波の方だ。
きっとこの場の誰も状況を理解などしてはいないのだろう。
とりあえず落ち着く時間が欲しい。具体的に言うと五分ほど。
「ちょっと待って、色々あって混乱してる。落ち着く時間をくれ」
いつまでも地面で気絶している男二人を放っておく訳にもいかず。とりあえず天鳥が教員を呼び、教員に事情を話して引き渡した後、先程の公園まで行ってベンチで一休みし、落ち着いたところで改めて自己紹介を始めた。
「えーっと水無瀬志波だ。明日からこの学園に転入する予定で、水無瀬夕美の兄なんだけど。実際に顔を合わせたのは今日が初めてで、完全に偶然だった」
噴水の前に備えられたベンチに座りながら、同じく並んで座っている二人に言う。
「あの、水無瀬夕美です。水無瀬志波の妹です。運悪く校則違反している男の人を見つけてしまって、襲われているところを兄に助けられ、その後天枷さんにも助けられました」
「……天枷天鳥です。偶然居合わせて二人を助ける形になりました。けれど……、兄妹なのに初対面とはいったい……あ、あまりに聞いてはいけないような内容ですか?」
別に問題はない。
が、何を話せば良いか。どこまで話せば良いかは結構頭を使う。
「いいや、話せない訳ではないんだけど。……ややこしいからな、完結に説明すると俺は妹が生まれる前に海外のとある人に預けられていて、昨日までベネズエラにいたんだ。手紙やメールでのやりとりはしていたから、妹の存在は知っていたけど、面識は一度もなくて」
「私も兄さんも、互いに幼い頃の写真とかは見ていましたけど、最近の姿は知らなくて」
「なるほど、把握しました。珍しいことなのでしょうけど、あることなのでしょう。でも確かに若干ややこしいですね」
天鳥はベンチから立ち上がり、志波の前にまで移動する。
「先程は失礼しました。改めて、よろしくお願いします」
天鳥はそう言いながら握手を求める。
「こちらこそよろしく」
志波はそれに笑顔で応じた。
そして。
「よろしくついでに、学園長室に案内してくれないか?」
図々しく案内役を求めた。