沈下 (1)
(承前)
沈下
日も過ぎ去った頃に、或る一人の男が公園のベンチに座っていた。彼の肌は荒れていて、しわもよくできていた。彼の髪の毛はぼさぼさで、白髪まじっていた。床屋に何カ月も行ってないことがすぐ見てとれる。いや、そもそもこの男は床屋など行く余裕があるはずもなかろう。明らかに浮浪者のいで立ちをしている、彼の着ている衣服や身だしなみ、ありとあらゆる様子から浮浪者であろうことが窺える。男は汗や体液でまみれた汚い白シャツに、くたびれた灰色の上着を羽織っていた。下は紺色のジーンズに、汚れたスニーカーを履いていた。彼の体毛は手入れがされていなかった。鼻毛、あご髭、手の産毛、足の毛。そして彼は両手に、大量の空き缶が入ったビニール袋を持っていた。持っていたというより、ベンチ下の土においたまま手に離さずにいた。あちこちで捨てられた空き缶、サッポロビールの缶、炭酸飲料、飲みかけのコーヒー缶、つぶれたアルミ缶、その他もろもろ。ビニール袋の中はものすごい匂いがするのだろう……それら様々の飲料が混じり合って、最早それが元々は人々の口に奉仕されていたとはとても思えない程の異物と化して、ビニール袋の内側をべとりと濡らしていた。
男は憔悴しきった顔をしていた、或いは端的に無表情だった。疲れだけがあたりの場を占めてた。疲労、疲弊。そういったものが男を取り巻いている。もう彼は、そのベンチに座ったままこれから先一歩も動かないようにも思われた。それくらい、彼はピッタリとベンチに腰かけたまま動きを止めており、口から呼吸をしているのかどうかも怪しいほどであるのだから。日は暮れかけていた。男はこの公園を初めて見出したようだった。この公園は大道路からは若干離れた場所に位置しており、確かにそれほど人が集まるわけではない――最も、その公園は大きく二つのスペースに区切られていて、男がいない方のスペースはサッカーや野球ができるような広いグラウンドとなっていて、今も子供たち三,四人が、サッカーをしていた。しかし子供たちからしてみれば、公園のベンチに座る浮浪者など別に珍しくも何もなく、全く彼の存在を気にすることなく彼らだけで遊びの空間を形成していた。つまり、浮浪者はその存在をかなりうまく消し去っていたのかもしれない。それは別に、彼が自ら積極的に望んだことではないかもしれないが。
やがてうすら寒い風が吹く夜が訪れた。男はほとんど動かない。眠っているのか? いや、彼の瞳は開かれていた。どこまでも虚ろな顔だった。中心点がなさすぎて逆にこちらが見続けているとその底の無さに思わず吸い込まれていきそうなほどの。頭でも強く打ったのだろうか? そうではない、彼は理性をまだ持っていることが分かる。障害うんぬんの話ではない。男はただ、いまこの場処に存在していることを消去しているだけなのだ。彼の身体はここにあって心はどこか別の世界にあるということでもない。ただ端的に、彼の精神は消去されている。それはおそらく彼自身がそうやったことである。彼自身がもののみごとに、精神のスイッチを消して見せたのだ。我々はそう結論付けることができる。
(つづく)




