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ランダルベルク辺境伯領侵攻戦

カルコス・ロンド・ド・ランダルベルク辺境伯は、7日間の強行軍を終え、ランダルベルク領へと戻ってきた。その道中は過酷なもので、カルコスにとって初めての苦行であった。


もっぱら夜遅くまで夜会で遊び、昼まで惰眠を貪る生活を送っていた身にとって、夜を徹しての行軍は、馬車の中とはいえ辛かった。


骨がギシギシと軋むような錯覚を感じながら、カルコスは騎士鎧を着込んで戦の準備をする。敵はすでに東部の川を越えて、城のすぐそこまで迫っていた。


「私は、バーグ侯爵家将軍、ユートリア・サンドラ・ド・バーグの使者、カリウス・サルマンである!此度は、バーグ侯爵家の奪われた領地を取り戻しに来た!尋常に勝負されよ!」


城の前まで来て拡声魔法まで使って怒鳴るのは、敵の使者だ。カルコスは、相手の口上を聞きながら、ある程度の陣容を部下からの報告で把握していた。


「よかろう!では正々堂々と雌雄を決しようではないか!時は明日の正午!場所は東の平原だ!」


カルコスが意気揚々と言い、それが部下から相手に伝えられた。


古くからの伝統的な戦の始まりだ。


兵を用意し、陣を整え、正々堂々と勝負する。


「くっ、勝てるのか……?」


カルコスは不安だった。もちろん、初めての戦という点だけではない。生きていれば初めての出来事に遭遇することは多々ある。不意の訪問客。未知の商品。名前しか知らない貴族との茶会。


だが、今回は違う。敗色濃厚の戦いに身を投じなければならないのだ。敗者の扱いは往々にして異なる。大抵は丁重に扱われる。


なぜなら、帝国貴族は全員が同じく皇帝から領地経営を任された者だからだ。会社で言えば同僚のようなもの。それを利益がぶつかったからといって殺してしまうのは、それは皇帝の利益の損失に繋がる。


ランダルベルク辺境伯の名を帝国に轟かせたバルクルスも、帝国貴族を殺したという点で謀反を疑われたのだ。結果的に追求を逃れられたが、本来であればご法度である。


翻って今回の戦場を見る。ランダルベルク辺境伯軍は徴用した農民に槍を持たせただけの、急増の槍兵が1万に少し届かないほど。それから騎士たちの重装騎兵が1000と少し。


そこに友軍としてフーモ子爵の3男率いる槍兵が500。マラク子爵の4男率いる槍兵が300。ザフトン男爵からは次男率いる弓兵100と槍兵100。合わせて槍兵900と弓兵100が加わる。


1万900の槍兵と100の弓兵という組み合わせは、歪すぎて笑うしかない。諸兵科連合という言葉を知っている者なら、もはや頭を抱えるくらいしかやることはない。


ちなみに全部で3000人いるランダルベルク辺境伯の騎士で、戦場には1000ほどが数えられる。残りの重装騎兵2000は予備兵力……とされているが、実状としては各小領地から離れられないというもの。


小分けして騎士に管理されているランダルベルク辺境伯領において、戦によって副次的に発生する傭兵や野盗に対する防衛力を割かなければいけないのだ。


対してバーグ侯爵軍は見たこともない槍を携えた槍兵が1000に、見慣れた槍を携えた槍兵が8000に、弓兵3000、さらに重装騎兵が3000と、ランダルベルク辺境伯軍に比べれば大兵力であった。


バーグ侯爵はさらにエルフ大陸にも派兵しているのだから、総兵力は計り知れない。その中でも国内に残った兵力。余り物と見るか。秘蔵の戦力と見るか。


とにかくもカルコスにとっては打ち倒すべき敵である。宣言した時間になれば戦端が開かれる。カルコスにとって今やるべきことは、未だにモタモタと陣を整えない徴兵した農民どものケツを蹴り上げることだった。


「早く陣を作らせよ。時間がないぞ」


「はっ」


領主のその一言で、軍事顧問役として雇い入れているヤーハン子爵の次男ガルバ・ナシータ・ド・ヤーハンに下達される。ガルバは直ちに直近の騎士に命令を伝達し、また直近の騎士は農民兵を指揮している騎士に命令を伝える。


伝言ゲームがもたらしたのは暴力であった。


「帰りてえよぉ」


「見ろよ、向こうの兵隊の方が多いでねえか」


「こりゃ無理だで。どうにかして逃げねえと……」


そんな弱音を吐く農民兵に、騎士が鉄拳制裁を加える。鋼鉄の鎧を身に纏い、身体強化魔術を施した騎士の拳が、臆病風に吹かれた農民兵の顎を砕いた。


治癒ポーションを買うこともできない農民は、もはや今後の人生で硬いものは食べられないだろう。そこまでの未来に知恵が回らないからこそ、彼はここで騎士に鉄拳制裁を食らったのだが……。


「黙れ農奴風情が!早く隊列を組め!敵と戦う前に殺されたいか!」


騎士の一人が剣を抜く。本気で振れば、岩をも両断する騎士の剣だ。


「ひぃ!」


「わ、わかった!わかりましただ!」


「退け!早ぐ隊列さ組め!」


数人を見せしめにして、ようやくランダルベルク辺境伯軍は陣を整え終えた。全盛期のバルクルスでは、考えられないくらいの酷い練度であった。


陣を組み終えたという報告がカルコスまで上がり、彼は開戦の合図を送らせた。


「全軍前進!」


「お待ちくだされカルコス様」


勢い良く命令した鼻面で留められ、カルコスはむっとした。止めたのは軍事顧問のガルバであった。


「こちらの練度は低く、打って出れば確実に手痛い反撃を食らうでしょう。ここは敵を引き付けるのが良策かと……」


「……そうであるな。では、全軍待機。敵を迎撃せよ」


カルコスの初手は待機であった。それも当然といえば当然。自分が宣言した戦場であるからして、自分の戦いやすい場であるのだからこちらから動く必要はない。


またガルバの言うとおり、この劣悪な練度で前進を行えば、敵までたどり着く前に崩壊してしまう。


対してバーグ侯爵の手は前進であった。これも前進しか手がなかったからであるが、その練度は素晴らしかった。各兵科が規律正しく行進して、いつもなら羊の点々としている平原を進む。


しばらく距離を詰めると、重装騎兵がスピードを上げた。


陣に一当てして崩し、それから本隊が敵陣を両断する。それが目的だ。


「槍衾を作れ!」


騎士が叫び、農民兵たちが反応する。槍を敵に向けるだけ。それでも重心が遠い長槍では、構えるだけでも一苦労だ。


長槍を構えたところで、バーグ侯爵軍の弓兵が足を止め、弓を引いて矢を放つ。弓がその弾性を解き放つ音が離れたこちらまで聞こえ、風を切る矢の音が唸る。


「防御!矢が降るぞ!」


騎士が叫び、防御を命じる。農民兵たちには弓に対して防御するための簡単な木の板が与えられていた。それを頭上に掲げることで、矢の飛来を防ぐのだ。


だが、騎士の命令に、農民兵たちはなかなか反応しない。視界には馬を駆る敵重装騎兵しか見えていないのだ。極度の緊張で聴覚は麻痺し、脳が命の危機に備えて五感を勝手に制御しているのだ。


上空から降り注ぐ、文字通り矢の雨。死をもたらす天の贈り物は、十分に訓練されていない農民兵を射る。防御は間に合わなかった。


「ぎゃああ!?」


「痛え!痛えよ!」


阿鼻叫喚。矢を受けた農民兵は、頭に矢を受けない限り、死にはしない。だが、槍衾は確実に乱れる。


そこに重装騎兵が突っ込む。


怒涛。人馬一体にして、魔術強化を受けた暴力。十分な加速と重量で、農民兵の稚拙な防御陣を轢き潰す。


馬の嘶きが、哀れな農民たちの声の中に響く。騎士の馬上槍で、剣で、あるいは馬の蹄鉄で殺される。中には攻撃魔術によって焼き殺されたり、斬り殺されたり、溺死させられたり……。


戦士であり、魔術師の末席でもある騎士たちは、敵陣に怒涛の集団となって突っ込んでいき、そのままの勢いで味方の陣地へと戻っていった。

指揮官として農民たちを率いていた騎士たちは、その暴力の濁流に抵抗しようと試みたが、全く届きはしなかった。


平和なランダルベルク辺境伯領で民を管理して日々を過ごした肩書騎士と、エルフ大陸に進出し、予備兵力として用意されていた本物の騎士。どちらが強いかなど、たった今作られた死体の山を見ずとも答えられる。


死の雪崩の後には、奇妙な静寂があった。


先程までの悲鳴と怒号と馬の嘶きは無く、傷に呻く農民兵の今際の声しか聞こえない。


「ひい!」


「し、死ぬ!死んでしまう!」


「助けてくれ!」


そう言って被害を受けた部分の農民兵が、後退しようとする。


しかしそれを許す者はいなかった。まだ正方形に敷いた防御陣の上辺だけが被害を受けただけだ。まだ無傷の兵が残っている。


「全軍、陣を立て直せ!次が来るぞ!」


敵の、見たこともない槍を持った槍兵は、すぐそこまで迫って来ていた。今では断続的に矢の雨が降り、心もとない木の板で傘としている。


100だけを数える味方の弓兵も射返してはいるが、まさに焼け石に水。敵も馬鹿ではないので、木の板で防がれる。


その木の板にしても、造りがランダルベルク辺境伯軍のものより手の込んでいることがわかる。表面に掘られた青い模様は火除けの魔法陣で、平民の少ない魔力でも発動できる簡単なものだ。


「構え!」


敵の槍兵集団の長らしき騎士が怒鳴り、笛が吹かれた。それに呼応して、槍兵が槍衾を作る。


「……なんだあれは」


その様子を離れたところから、望遠魔術の施された魔道具で見ていたカルコスは、訝しげに言った。やけに、敵の槍が短い。というより、槍の刃が存在しないのだ。見たところ、ただの鉄の棒に見える。


それに、なぜ離れたところに槍衾を作るのかも理解し難かった。こちらに突撃するだけの騎兵能力はない。歩兵で突っ込むにしても練度が足りないことは一目瞭然だ。


それなのになぜ敵はあんなところで槍衾を作ったのか。それでは、穂先は届かないのに。


「撃て!」


槍兵長ではない。「火槍」長という位にいる騎士が、命令を下す。構えた時とは違う音色で笛が吹かれる。


槍の穂先は、届いた。


「な、何が起きた!?」


破裂音が炸裂し、敵の槍から白い煙が舞った。それとは対照的に、こちらの槍兵には血煙が舞った。


事態を把握できるものが、ランダルベルク辺境伯軍に一人も現れない内に、次の笛が吹かれた。


槍衾が少しだけ身を捩るように動き、白い煙を上げていない槍が頭を覗かせる。


また、笛の音色に反応して破裂音が鳴る。


破裂音が鳴れば、彼我の陣に白と赤の煙が舞う。白がバーグ侯爵軍で、赤がランダルベルク辺境伯軍だ。白は火薬の煙の色で、赤は命が漏れ出した血の色だ。


「と、突撃!突撃せよ!」


軍事顧問ガルバの命令によって、全軍が慌ただしく蠕動する。練度が低く、足並みが乱れる。


しかしそんなことはどうでもいい。このままでは何もすることなく全滅する。それだけは理解できていた。


農民兵の足は遅い。なぜなら目の前には味方の死体が広がっているのだ。それを踏み越えて行けというのは、戦乱を生業としていない徴兵された農民には酷なことだった。


そうしているうちに、また破裂音が鳴る。


破裂音が鳴れば、死体が増える。


前には味方の死体。後ろからは早く進めと味方が急かす。後ろの農民兵は、地獄が見えていないのだ。


とうとう、ランダルベルク辺境伯軍は潰走を始めた。


理解できない攻撃は、伝承の魔物と同じだ。魔界に程近い領域に潜む、理外の獣。モンスターと呼ばれる化け物の攻撃と何ら変わらない。結果は死だ。


もうこうなっては農民兵たちが逃げるのを、騎士たちは止められない。いくら魔術で強化した腕力といえども、腕は2本しかないのだ。


「……負けたか」


カルコスは呟いた。自分はどうなるのだろうか。その考えだけが頭の中で渦巻いていた。

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