戦乱の黒姫と嗤う銀の商人
「ザイル、馬。ツィーバ、護衛。ジゼル、商会に連絡」
アリスは屋敷を我が物顔で闊歩しながら、慌ただしくしている使用人たちに指示を出す。社交界での振る舞いとは全く異なる雰囲気を身に纏い、大股で屋敷の廊下を早足で歩く様子は深窓の令嬢とは真逆である。
「あ、アリス様、一体何が起こったのですか……!?」
個室に入り、ドレスを脱いでメイドに投げつけるとそんな言葉が返ってきた。
「バーグ侯爵が攻めてきた。クソ親父は今頃馬車で強行軍だ。……コルセットなんて考えた奴は死ぬべきだな」
「アリス様?アリス様でいらっしゃいますよね……」
次々とアリスが身に纏った物を放り投げて寄越す様を見て、メイドは疑問を口にした。彼女は比較的新しく入ってきたメイドで、アリスの本性がこっちだということを知らなかった。
彼女が見たことがあるのは、月明かりのように柔らかい光を帯びるような微笑を浮かべ、春の麗らかな陽射しを撹拌するそよ風のように優雅な気風を漂わせる、貴族の娘であるアリスだ。けして今のような、敵が攻めてきたと知って好戦的な笑みを口を歪ませて歓迎し、戦場のごとき混乱の只中で整斉として着替えをするような女性ではなかった。
アリスは仕事をしないメイドを冷ややかな目で見るだけだった。この場合の仕事とは、アリスの望む服を着せることで、自らの疑問を解決しようとすることでも、自らの勝手な想像を本人に当て嵌めて確認することでもない。
ただでさえ中身の入っていない顔だけ男との不愉快なやりとりと、人の不幸で豪華な飯と酒を食らう制度化された強盗集団に、精一杯の笑みを向けて媚を売る作業から解放されたばかりだ。アリスは気の長い方ではない。
アリスのすらりとした四肢は日々のトレーニングによるもので、貴族の社交界で美しくあるための努力の成果である。下着以外を身に着けないその艶やかな脚線美の途中に括りつけられた革製のホルスターが、アリスという女性を力強く語っているようだった。その中に収められたリボルバー拳銃に手が伸びそうになって、アリスは気持ちを抑えるために深呼吸をした。
「服を着せろ。例のやつだ」
「例のやつ……とは、その、緊急事態のときの……」
「そうだ。それだ」
「あ、あの、付呪をされ」
銃声が響いた。アリスは自分の魂から湧き上がった衝動を抑えきれずにリボルバーを抜き、撃鉄を起こしながら銃口をメイドの足元に向け、引き金を引いていた。流れるような早撃ちに、哀れな使用人はしばらく何が起きたのか理解できず、自分の左足から数センチ左の所に穿たれた弾痕を見た。
「服を着せろ」
恐怖で泣きながら服を用意して、啜り泣いて「鬱陶しい!」と銃底で殴られたので、静かにボロボロと涙を零すメイドがアリスに指示された服を着せていく。
一目見ただけでは特別だとはわからないような、白シャツに黒の乗馬ズボン。その上に「常闇の衣」と名付けられたコートを重ねる。強力な付呪を受けた魔導具であり、各種魔術耐性に物理防御術式に加え、持ち主の腹に穴が空いても忽ち塞いでしまうほどの効果は、もはや呪いと呼んで差し支えないだろう。メイドがアリスに着せようと手に持っただけで、止めどなく溢れていた涙がさらなる意味不明の恐怖でピタリと止まるほどだった。
くるりと姿見の前で回って確認する様子は、身嗜みに気を遣う年頃の貴族の娘というふうであるが、その身に纏っているのはこの屋敷が丸ごと買えてしまうほどの魔導具の数々である。
首から下げられた金のペンダントの中心にある宝石は蓄魔力石で、貝の魔物が真珠のようにその身に宿すものだ。それを込めた魔力が霧散しないようにカッティングを施し、開放のパスを設定して完成する。魔導士の中でもかなり高位の者にしか作製できない魔導具は、ランダルベルク辺境伯の名をとある商会に貸した代金だ。
常闇の衣もそのとある商会から貰ったもので、貴族の社交界へ紹介したときの代金だ。
髪を纏めた銀のバレッタには、吸魔石と呼ばれる漆黒の宝石が鎮座している。ある亀の魔物の甲羅の頂点に精製される魔石で、空気中の魔素を常に吸い取り続ける力がある。
ブレスレット、イヤリング、指輪、靴、シャツ、ズボンの何れも魔導具であり、魔道の心得のない兵士らが相手なら、百人相手でも一方的に屠殺できるレベルの魔導兵装である。
中でも極めつけは革のホルスターに下げられたリボルバー拳銃であろう。とある商会から贈られたもので、魔力を必要としない対魔術攻撃ができるものだ。普段ドレスを着ているときは脚に付けているが、今は腰に下げられている。
「お似合いでございます、アリス様」
廊下への扉が音もなくいつの間にか開けられており、そこに一人の男が立っていた。漆黒の髪に怜悧な銀の瞳の男だ。
返事は銃声の方が早かった。
「レディの部屋にノックもなしに入ってくんじゃねえ」
しかし男は銃弾を手のひらで受け止めた。傷は一つもなく、彼の手のひらには鉛弾が一つあるだけだった。対魔術弾といえども、仕組みとしては魔を受け付けない鉛を撃ち出す銃自体が対魔術の力を持つだけである。つまり言ってしまえば鉛弾の高い対魔術攻撃力を、さらに上回る防御魔術を用いることができれば銃弾を防ぐことは容易い。
「無礼を謝罪しましょう。ですが急ぎの用事なのでしょう?」
「そこまで急ぎということでもない。クソ親父が死ぬまでは参加しないつもりだからな」
アリスはうんざりしたように溜息をついた。
「ですがそれではランダルベルク城が落ちませんか?」
「それはさせないし、そうなることもない」
アリスは確信を持っていた。ランダルベルク軍は貧弱であるが、その領土と人口は並の辺境伯以上を誇る。徴兵すれば……というより領地を預かっている部下たちはそうしているだろうが……10000ほどの兵は集められるだろう。
少なく見積もっても総兵力1万のランダルベルク軍は、それに加えて地の利も有することになる。ならばこそ、領地と領民を見捨てるような、城に篭もるという選択肢はない。
むしろそうして貰わなければアリスが困る。
「ちょうど収穫期も近づいてきているし、稲を守るためにも能無しは東の平原に陣を構えるだろうよ」
「そうなりますか」
「そうさせるんだよ。ここ数年間を無闇にぼーっとしてきたわけじゃねえ。今日まで私がどれだけ策を巡らせたと思ってる。闇で派手に蠢くお前らを見つけ出して接触できる程度には巡らせたつもりだ。そこでだ。無能な当主とバルクルスの再来を予感させる次期当主。お前が部下ならどちらに着く?」
「手土産を持ってアリス様の下へ馳せ参じるでしょうね」
男の返答を聞くと、アリスは「そういうことだ」と満足そうに頷きながら近付いて、彼の肩を叩いた。
「アレは準備できてんだろうな?」
男の肩を叩いて横を通り過ぎて廊下に出たアリスは、彼を伴って歩きを早めた。アリスはわくわくして仕方がない様子で、腕を大きく振って歩く。
「ええ。フルール製マスケット銃、1万丁。例の農家にしっかりと。火薬と弾もサービスさせていただきました」
「ありがとよ。フリードリヒ・カイザル・ド・フルール男爵」
アリスにその名を呼ばれた瞬間、銃をいきなり撃ち込まれても動揺しなかった男が、初めて動揺したように見えた。だがそれも一瞬のことで、すぐにフリードリヒはいつもどおりの商人としての笑みを貼り付け直した。
「お久しぶりですね、アリス様」
「お前の魔法大学卒業パーティ以来じゃないか?」
「リルルーサ候の卒業パーティが初めてでしたから、卒業パーティには何かと縁がありますね」
「親からの卒業パーティ……ってか?」
「ええ。アリス・ロンド・ド・ランダルベルク辺境伯の誕生日パーティでもありますしね」
アリスは非転生者です。
ただ、権力と暴力と支配力に並々ならぬ欲望があるだけの貴族の令嬢です。
実力行使版テオファノみたいなもんです。




