ランダルベルク辺境伯
大変お待たせいたしました。
ランダルベルク辺境伯。
選帝十三公爵家ダルシアン公爵の家臣団の一家門で、ダルシアン公爵領からリルルーサ侯爵領を挟んで東に位置している。古くはダルシアン公爵家の抱える騎士団長を務めており、それが領土守護を務める家門となったという歴史がある。
言ってみれば武闘派の血筋であり、ランダルベルク辺境伯といえば殺戮卿の名を恣にしたキチガイこと、バルクルス・ロンド・ド・ランダルベルクの逸話は貴族なら知らない者はいないほどだ。領土を接するメギハード公爵家に連なるバーグ、ビフラ、ラーゲの三侯爵家とは並々ならぬ因縁があるのだ。
戦において敵将は捕虜として保釈金を目当てに生け捕りにするのが通常であったが、バルクルスはその不文律を無視し、殺した敵将の首を自らの馬に飾って誇らしげに戦場を縦横無尽に飛び回った。
しかしそのおかげで日の目を見ることができたのが、三侯爵家の現当主であるのだから運命とは不思議なものである。継承権の位が低かったおかげで、バルクルスは彼らに獲物としての価値を見いだせなかった。矢面に立てなかっただけなのだが、自分以外の継承者がいなくなって繰り上がった当主。その継承者たちは揃ってバルクルスの領土拡張を追従する形で承認した。
承認されて動きづらかったのはバルクルスの方だ。彼一人だけで辺境伯軍が運営されているわけではない。何事にも限界点があるように、バルクルスの戦線も三侯爵領の半ばまで切り込んだところで停滞の兆しを見せていた。
領土拡張に異常な興味を示すバルクルスであったが、それに伴うだけの戦略眼を備えていた。追認を受けてバルクルスは休戦条約を敷いて和平交渉のテーブルについた。和平交渉は終始バルクルス有利に進み、停滞していた戦線、河川を基準にして境界線がひかれた。
領土拡張後、バルクルスはダルシアン公爵に謀反を疑われた。なにせ拡大した領土は以前のランダルベルク辺境伯領に比較して2倍近くまで膨らんでおり、もはや第14公爵家を名乗らんとする勢いであったことは間違いない。
それをあっさりとバルクルスは手放した。拡張した領土の半分を公爵家の飛び地として認め、分割してリルルーサ侯爵やギロホン侯爵に譲り、自分は以前より少しだけ広くなったランダルベルク辺境伯領へと戻ったのである。
これに戸惑ったのは周囲の方で、ランダルベルク辺境伯とは和平を結んでいるが他とは結んでいないという切り札を匂わせながらメギハード公爵派の三侯爵が軍備を再建し、ダルシアン公爵派の、言わばランダルベルク辺境伯のオコボレをもらった形の貴族たちはそれを見越した軍備拡張を行った。
その軍備拡張のための武器がランダルベルク辺境伯軍から流れていったことが、バルクルスの知略の深さを物語っていると見る歴史家も一定の数がいる。
しかしバルクルスは子宝に恵まれなかった。子は唯一男児が1人いるだけで、そしてバルクルスの知略を受け継いでいるとは贔屓目にも言えない才覚であったと、当時の乳母の日記から見つかっている。
それからバルクルスが病没して3代を経て、ランダルベルク辺境伯家は当時の貯金を使い果たそうとしていた。
「ふむ……。それはマズイな」
豪奢な執務室でふかふかの椅子に腰掛けながら、カルコス・ロンド・ド・ランダルベルクは顎を指で掻きながら呟いた。彼の座る執務机の向かい側では、家令が読み上げた報告書を机に広げて見せるようにしたところだ。
家令の報告によると、ランダルベルク辺境伯領の今四半期の税収は17パーセント下がり、今尚加速度的に右肩下がりにあるという。その原因は近隣の領地にあった。
三侯爵家。バーグ侯爵、ビフラ侯爵、ラーゲ侯爵。いずれもメギハード公爵の財務大臣、交通大臣、法務大臣であった歴史を持ち、ほぼ同等の権限を持つ貴族だ。
辺境伯と侯爵では権限の大きさが異なる。辺境伯は領地こそ広いものの、侯爵ほどの権限の強さはない。とはいうものの形骸化した不文律である故に、どこの貴族も自分の領地内で好き勝手をしているわけだが、それでも公の行為として堂々とできるかどうかの差は大きかった。
その差が如実に現れたのが今回の件だった。領土境界線付近で軍事演習を繰り返し、三侯爵家は如実に示威行為を見せている。だが家の格で劣るランダルベルク家が抗議するのは貴族の道理に適っていない。
活発化する境界線付近での軍事活動に領民たちは不安を覚え、その近くの村々からランダルベルク城へ「何とかしてくれ」と訴えに何人も訪れている。だが、それでもカルコスは具体的な方策を見つけられないでいた。
「旦那様。これでは相手からの宣戦布告もありえますぞ」
家令の顔には明らかに焦りが見えている。何と言っても三侯爵家の動員数は一家門だけでも10000人は軽く超えてくることが予想されたからだ。対してランダルベルク軍は縮小に縮小を重ね、正規軍と呼べる職業軍人……つまり騎士にあたり、軍の根幹を成す重装騎兵はわずか3000を数えるばかりだ。
この世界の重装騎兵とは、魔導鎧を身に纏い、魔術によって肉体を強化して戦う魔導騎士である。魔導兵らが火炎魔術をはじめとする攻撃魔術を主に戦闘手段として用いて魔術的に圧倒するのに対し、重装騎兵は肉体強化をはじめとする補助魔法を使って物理的に圧倒するのである。
魔導兵の方が基本的には魔術に優れており、非常に強力な魔術師にかかれば戦場そのものを火の海に変えることもできる。しかしそこまで魔道に精通している魔術師は多くなく、また貴重であるため、戦争においては重装騎兵を揃えて集団の力で圧倒するのである。
つまりこの世界において軍を成立させるためには、まず騎士たちに魔術を教えることから始まるため、非常に長い時間をかける必要性があるのだ。ランダルベルク軍はここ数十年の間、軍拡という軍拡をしていない。
むしろ軍に割いていた予算を交友費にあてていた始末である。きらびやかなドレス、華やかな夜会、贅を尽くした食事。そのどれもがバルクルスの生きていた時代では軽視され、時には銅貨一枚の予算すら与えられなかった分野である。
その結果として、今ランダルベルク家は窮地に陥っていた。
「しかしだなぁ。そんな戦争をするほどの金なんてうちにはないだろう?」
「今年の予定しているパーティをすべてキャンセルすれば——」
「馬鹿なことを言うな!」
カルコスは家令の言葉を遮って怒鳴るように言った。
「社交界での貴族同士の繋がりを軽視してどうする!社交界に顔を出さない者に、誰が救援に来てくれるというのだ!」
この言葉に、家令は一理あるかと思った。思ってしまったのである。
そのまま家令は一礼してきらびやかな執務室を出た。しばらくするとカルコスも出て、どこかへと消えた。
執務室はここ数十年ほとんど使われていなかった。埃まみれにならず、害虫で溢れていないのは偏にメイドたちの仕事の成果である。
さらに辺境伯として滑稽なのは、この執務室があるのは、帝都の雲海地区にあるランダルベルク辺境伯の屋敷の一画であることだった。本来の主の居城であるランダルベルク城から、120リューも離れていることもまた滑稽であった。




