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アンジェリカとフリードリヒと商会

「売れ行きが芳しくありませんね」


金髪幼女の姿をとっているアンジェリカは、報告書と会計書の束を繰りながらため息をつく。


エルフ大陸での小さな騒乱を起こしてから、3ヶ月が経ち、彼女の名を冠した商会が各公爵領の領都に支部を構え、そろそろ商いが軌道に乗るか乗らないか……そんな時期だった。


小さな騒乱、とはアンジェリカの言で、彼女が高級な椅子に座って面倒臭そうに資料に目を通すのを、傍らで所在なげに見ているフリードリヒに言わせれば、あれは邪悪なテロリズムであった。しかし、それでも帝国貴族に痛打を浴びせたのが、この銀髪銀眼の青年にとっては痛快でたまらなかった。


ベーティエ公爵家の相続問題は、社交界に顔を出す貴族なら、誰もが知っているような内容だった。無難な長男ブランシュ、代替物の枠を超えない次男アメデオ、論外の三男から六男の庶子、そして天才の七男セルヴィ。


その戦いにアメデオの勝ち目はなかったが、かといってブランシュの勝利が確定していたわけでもなかった。後妻との子であるセルヴィは当主の寵愛――けして性的な意味ではなく――を受けており、口さがない貴族たちはセルヴィが次期当主として扱うような言い方をあちこちで吹聴していた。


そんな兄弟の不仲につけ込むような今回の作戦は、完全にアンジェリカの手のひらの上で踊っただけに終わった。彼女はほしい繋がりをほしいだけ手に入れて、さらにはクルシアンの領土をさらに広げてみせた。


詳しく話を聞くと、その交渉にあたったのはマリアンヌで、領土は思わぬ儲けものだったらしく、アンジェリカは彼女に与える褒美を考えておくと言っていた。


だが、そんな上機嫌なはずのアンジェリカも報告書の束に目を通して「売れ行きが芳しくない」と言った。


「何が気に食いませんでしたか?」


「マスケットの売れ行きですよ。グラスムーンは、まあこんなものといったところですね」


アンジェリカ商会が本格的に動き始めてから、もう半年になる。その手法は下劣極まりないものだった。


各地の行商人に金を貸し、その行商人の金品をジェフヴァの腕に奪わせる。そうすると借金が返せない間抜けな商人の出来上がりだ。


あとは借金という首輪を嵌めて、アンジェリカ商会の手足となって働く奴隷の出来上がりだ。アンジェリカ商会の財布は一切痛まない理想的なやり方だった。


とはいうものの、身分が奴隷になるわけではなく、ちゃんと交渉した上で、労働によって借財を返済するという契約を結んでいる。あくまでも自由意志。それがアンジェリカ商会のやり口だった。


「グラスムーン、もう少し輸入できませんか?」


グラスムーンは、その名の通り月の草……月まで脳みそがぶっ飛ぶ草だ。症状から考えるに、フリードリヒの記憶では阿片に似た作用があるのではと思っている。


もちろん禁制品で、販売しているところを見つかれば、片腕を失うことは間違いない。だが、それも金で買える。麻薬を売っているのであるから、金はいくらでもある。金貨の輝きに目を眩ませる衛兵は、そこら中にいた。見つかっても金貨を握らせるだけで、片腕が買えてしまうのだ。


「無理です」


フリードリヒは素気無く言った。そんな禁制品だからこそ、大規模には輸入できない。トランフルール伯爵軍とエクスリーガ騎士団の輸送ルートに並行させて密輸しているのだが、それでも規模は限られてくる。


「すでにトランフルールのルートで一度見つかっております。1人をスケープゴートにして助かりましたが、今後はより警戒する必要があります」


組織立って行っている以上、組織だと気付かれてはいけない。トランフルール伯爵という組織自体が密輸を行っていると気付かれれば、宮廷が黙っていない。それにこれ以上販路を広げ、さらに火種を撒くのも得策とは言えない。ただでさえ今は非合法の暴力組織を、帝国全土100以上叩き潰して回っている現状だ。


ショバ代をせびる小悪党から、大規模な麻薬売人グループまで、ありとあらゆる非合法組織を潰し、併呑し、時には見せしめに目抜き通りの魔導街灯に裸の首無し死体を飾り付けているのだ。すでに割ける余力がなくなりつつある。やってることはフリードリヒの前世の記憶にあるマフィアのようだ。


「では別のルートを使いましょう。メギハードの港街に目障りな組織があったでしょう。潰しなさい」


いや、マフィアより酷いかもしれない、とフリードリヒは思い直す。なぜなら初めに喧嘩を売ったのはこちらなのだ。


露天を何の許可もなしに出し、時には街の商人を殺して空きを作って出店し、時には奪った商品をそのまま転売しているのだ。恨まれないわけがない。


全体的に被害が出ていないのは、アンジェリカ商会が完全な武装組織であるからだ。潤沢な資金と人員と武器によって、そこらのチンピラや街の用心棒程度では鎧袖一触にすらならない。元々皇帝直属の七天騎士団員だった彼らが戦闘すれば、結果は火を見るより明らかだ。魔術を使える者と使えない者では、戦闘能力では話にならない。


「ノーマード、新しいグラスムーンのルートが必要です。手段は任せますが、2週間以内にルートを確保しなさい」


ノーマードと呼ばれた男は、この部屋のどこにもいない。彼はメギハードの領都支部の支部長を任されている。アンジェリカは展開した通信術式に声を送っているのだ。通信球を持った者へなら、顕現体のままでも超遠距離通信が可能だった。


フリードリヒはノーマードと直接の面識があった。ノーマードは元エクスリーガ騎士団の者で、優秀な男だったが身分が低かった。幹部に取り上げようとしても、出身が平民だったせいでできなかった覚えがある。


(そうか、支部長になってたんだな……)


どこか感慨深い思いで、フリードリヒはアンジェリカの声を聞いていた。


「……いいでしょう。では3週間です。3週間でルートを確保しなさい」


どうやら何らかの交渉があったらしい、とフリードリヒは思った。アンジェリカは従う者には優しい。甘いと言ってもいいくらいだ。敵対者には容赦しないが、それがひっくり返ったように、従属者には慈悲をかけるのだ。


鞭がキツすぎて飴の味がわからなくなっている可能性は否定できないが。


「フリードリヒ、マスケットの量産の状況は?」


「概ね良好です。離散した職人が戻りつつありますので、日に50丁のペースにきました」


「少ない。もっと上げなさい。人が足りないのですか?鉄が足りないのですか?」


「人ですね」


鉄は足りている。ベーティエ公爵領であるアウジラで算出される鉄は、格安でトランフルール名義で購入している。


「鍛冶職人を片っ端から集めてますが、なかなか……。いっそのこと、鍛冶ギルドごと囲い込むのはどうでしょうか」


鍛冶職人……師弟関係で結ばれ、ギルドによって結束する彼らを引っ張り込むのは難しい。職人気質というのだろうか。そんな彼らは、いくら金を積んでも動こうともしなかった。


「仕方がありませんね。それでいきましょう。ベーティエ公爵の名を使えば、引っ張り込めるギルドもあるでしょう。もしくは、ジェフヴァの腕を使って瓦解させるのもいいですね」


「どちらにしますか?」


ジェフヴァの腕の全権を任されているのはフリードリヒだ。今は各地に派遣した支部長に権限を委譲しているが、彼の一声があれば直ちに従うようになっている。従わなければ、死あるのみだ。もはやそこに女神アンジェリカの奇跡的な魔術は存在しない。肥大化したアンジェリカ商会の影が裏切り者を絞め殺す。


「効果の大きい方にしなさい。私には市井のバランス感覚がないので、それは任せます」


「了解いたしました」


心中、フリードリヒは前者にしようと決めた。武力で何もかもを解決しようとするのはあまりスマートではない。それにさすがに不自然さが残る。奴隷にするでもないのなら、あくまでも自主的という形で取り込んだほうが波風立たずに済む。


「マリアンヌ、資金の方は目処がつきそうですので、クルシアンの城塞化計画は引き続き続行。枯れ枝どもを使い潰してでもあと半年で完成させなさい」


マリアンヌは今、エルフ大陸にいる。クルシアンの村はすでに村の規模を越えて街へと姿を変えつつある。


それも、大規模な金が動く街に変貌しつつある。


アンジェリカはマスケットの売れ行きが芳しくないと言ったが、それは顧客がブランシュとアメデオの2人だけだからだ。それでも、マスケット2万丁と大量の弾と火薬を驚くような額で売り付けた。鉄が格安で買えるのはそのおかげでもある。


支払いは具体的な金銭ではなかった。ベーティエ公爵家の長男と次男が売った主なものは、クルシアン付近一帯のバールティ川の関税権だ。ただでさえ上流から木材がひっきりなしに通過するのだ。金は湯水のように湧いてくる。


ブランシュとアメデオにしても財布は痛まない。なぜなら掛けられる関税はクルシアンの箇所だけで、セルマからアウジラは今までどおりなのだ。掛かるのはセルマからスルシルに向かう木材だけで、その引き取り手は公営の製鉄所ではなく、民営の造船所だ。


税が関わってくれば、当然雇用も生じる。雇用が生じれば、人も増える。人が増えれば、需要が高まる。需要が高まれば、物が集まる。


しかも、クルシアンは税が安い。トランフルール伯爵から提示された税はたった2割だ。最初の言葉通り、その利率は変えられていない。他の領地が5割から7割に、さらに二重三重徴税であることを考えれば、たった穀物出来高に2割ぽっきりの税は破格も破格だ。


そんな開拓村であるから使える低減税率という名のダンピングは、そこそこの成功を収めた。一攫千金、とまでは言わないが、今よりもっといい暮らしがしたいという農民たちが、こぞってクルシアンへの移民に動き出したのだ。


その移民を手引するのは全国に散らばったアンジェリカ商会である。時には冒険者ギルドに依頼して、噂の流布を行って需要を高め、移民船を定期便としてベーティエとスルシルを結ぶ。その移民船にしても、スルシルから税の代わりに納めさせたものであるから徹底している。まるで現金そのものを嫌っているかのようだった。


移民船も無料(ただ)ではない。相場としては妥当なマルクス金貨1枚で、ベーティエからグランマルナを結ぶ。エルフ大陸に着いた移民たちは、まずクルシアンまでの旅に備えてグランマルナで物資を買い求めるので、グランマルナにも金が落ちる。


復興に後押しがほしいグランマルナとしても、嬉しい事態であった。


それだけ見れば、文句のつけようのない開拓事業。各地から集めたクルシアンの人口は、3ヶ月前の10倍に膨れ上がっていた。


アンジェリカが計画し、細部を高官に作らせたものによると、彼女はさらに大都市を計画しているようだった。


それだけの大都市を囲む城壁は、エルフの精霊魔術を使う予定だった。3000人もの奴隷を使い、精霊魔術で壁を作る。もちろん魔術は万能ではないし、魔力に限りがあるためにちょっとづつの作業だが、人夫を雇って石材を買って普通に工事するより、圧倒的に安くて早い。


「そうそう。イクトールから報告がありましたよ。そろそろエルフの首長と接触できるそうです。フリードリヒも負けていられませんね」


アンジェリカは微笑みながらそう告げた。物事が概ね思い通りに進んでいて上機嫌なのだ。


「はい。アンジェリカ様のため、そして皇帝打倒のため、粉骨砕身で取り組んでゆきます」


「よしよし。いい子ですね、(かいな)たるフリードリヒ。そんなあなたに朗報ですよ」


「朗報……ですか?」


「あなたの妹、ええと……」


「アンナです!アンナ・カイザル・ド・フルール!」


もしや!とフリードリヒは目を見開いた。


「見つかりましたよ。メギハードの領都で商人に買われていたようです」


その言葉に、フリードリヒはまず安堵を感じた。よかった。生きていた。


しかし次に、アンジェリカが生死を告げていないことに気づいて青くなった。


「今、私は少しムッとしました。朗報と言ったでしょう。そこまで意地悪ではありませんよ」


アンジェリカは眉を寄せて不満を顔全体で表現した。マリアンヌという想い人がいても、相手が邪悪な創世神の1柱だとしても、可愛いものは可愛く見えてしまう自分の目と感性をフリードリヒは呪った。


「ただ申し訳ないのはそのクソロリコン野郎の商人はすでに始末してしまったということです。というか……、いえ、順を追って話しましょう。ええい、時に縛られる肉体とは、やはり面倒ですね」


そう言ってアンジェリカは話し始めた。内容としては「邪魔な商人を冒険者ギルドに片付けてもらったら、その商人が身なりのいい奴隷を連れていたので、貴族の娘が何らかの理由で奴隷に落とされていたら何かの交渉に使えるかも、もし違っても使い道はあるよね、と思って心を開くまで待ってみたら、名乗ったのがアンナ・カイザル・ド・フルールでした」ということだった。


「よかった……。アンナ、生きてた……」


ポロポロと泣くフリードリヒを、アンジェリカは慈愛の眼差しで見つめていた。


「それで、どうします?会います?」


「もちろん会い――」


言いかけて、止まった。


会ってどうする。フリードリヒの脳裏をそんな声が支配した。


アンナが奴隷に落とされたのも、両親が処刑されたのも、すべてフリードリヒ自身が招いた結果だ。それが皇帝によって引き起こされたことだとしても、フリードリヒ自身が身の振り方をもう少し考えていれば、起こらなかった事態だ。


アンナは恨んでないだろうか。そう思うとフリードリヒの喉は音を紡げない。


「会いたい……です。でも、俺には会う資格なんて……」


「資格、ですか」


「はい。アンナの状況は、俺が作り出してしまったようなものです。とてもじゃないですけど、会わせる顔がありません……」


「それってただ単に、妹に会って拒絶されて傷付くのが怖いだけの言い訳ですよね?」


ぐさり、とアンジェリカのド正論がフリードリヒの心に突き刺さった。突き刺さるどころか、大槌で叩き潰すような大打撃に、フリードリヒは窒息したように喉を鳴らす。あまりの衝撃に呼吸すらできていない。


「まあ、妹のアンナの方も、今は会いたくないと言っているので、あなたが会いたいと言っても会わせませんでしたけどね」


アンジェリカはしれっと言った。


「今はノーマードが面倒を見ています。まあ、今後会えるかどうかはフリードリヒの働き次第ですよ。あと幼馴染の……ええと……」


「え、エティルです!エティル・カルダモンテ!」


再びフリードリヒが顔を輝かせる。それを見てアンジェリカは申し訳なさそうな顔をした。


「見つかったわけではありません。ですが、ちゃんと探してますので、見つかり次第、教えましょう。と、いってもエティルが会いたいと言うかどうか次第ですけどね」


そう言って、アンジェリカはまた微笑むのであった。

とりあえず張った伏線回収

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