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工作員と奴隷とオーク

イクトールの話

グランマルナの近くにある森。近くといっても都市区画から2リューは離れているので、移動は港に木材を降ろした空の荷馬車に乗ることになった。


木材運搬用の荷馬車は4頭立てで、奴隷運搬用のものを流用しているようだった。奴隷商館で借りた物とよく似ている。


しばらく進んでいくと、森が見えてきた。鬱蒼という表現が一番しっくりくる暗い森だ。エルフが住んでいるという森は、もっと木漏れ日溢れるキラキラしたものをイクトールは想像していたが、それとは大きく異なるものだった。


「こ、ここでエルフたちが木を切り出しているんです……」


森の淵では、男のエルフたちが木を切っていた。その表情は暗く、まるで葬式のようだ。


だがエルフにとっては葬式どころか、自分の家族を処刑する処刑人の気分だった。


自らの育てた森を自らの手で破壊させる、という悪趣味極まりない行為によって、従事しているエルフたちの精神はボロボロであった。目に生気はなく胡乱で、何かをぶつぶつと呟く様子は、重篤な麻薬中毒患者のそれに近い。


木を切り出す作業そのものは、ダイナミックなものだった。2人のエルフが、綱引きのように巨大ノコギリの左右を持って、交互に引く。途中まで切って、今度は切り口の少し上からまた刃を入れていく。


そうして「く」の字みたいに切り出せば、そのまま木は自重でそこで折れて、メキメキバキバキと音を立てて倒れていき、最後には地響きを轟かせて地面に横たわった。


木が倒れる度に、エルフたちは何かに懺悔していた。まるで倒れ伏す木に祈るように、胸の前で手を組んでいる。


「な、なんてことを……!」


アリムは目の前の光景が信じられない、というように手を口に当ててわなわなと震えている。


彼女の感情が魂を通じてイクトールに流れ込む。イクトールの心にも怒りがふつふつと沸いてきた。思わず腰の剣に手が伸びる。


「ひぃ!」


無理矢理道案内にした衛兵が顔を青くする。


「彼らは奴隷か?首輪が見えんが……」


木を切っているエルフの首には何もない。ただ簡素な服を着て、労役に従事しているだけに見える。


「えーと、一応奴隷なんですが、首輪の在庫がなく、そこでですね、頭首とか側近とか女子供とかを捕らえて人質にしておりまして……」


「なるほど、逆らえば殺すと」


「さ、さようで……」


しかし、それは嘘だ。


捕らえられた者たちとは、アリムたちのことだからだ。人質にしていると言い、その裏で奴隷として売り払って利益を得る。そこに人の心は無いが、最も得るものの多い手段だ。


「なかなか悪辣な商売をするじゃないか」


「い、いえいえいえ!何をおっしゃいますやら!」


イクトールの言葉に、衛兵はそれしか言わなかった。それは言わずとしてその罪を語ったようなものであった。


だが、イクトールはそこで衛兵に当たり散らすような真似はしない。必ず、この手引をしている者がいるはずだった。おそらくグランマルナを治めているベーティエ公か、その側近か。


とにかくここで下っ端を殺しても何の意味もない。その旨、イクトールは本土トランフルール領で警備主任となったグルオンを思い浮かべながら、ぶつぶつと呟いた。


そうすると、イクトールの魂に刻まれた翻訳の術式がキュオーン語に変換して、イクトールの口から狼の唸り声のような言葉が紡がれる。それをその場で理解できるのは、同じく翻訳ができるアリムだけだった。


「ええ。わかっております。彼らを助けるためにも、今は耐えるときです……」


そこからアリムはフゴフゴと豚が鳴くようなオーク語で返す。


「衛兵。彼らは誰の持ち物だ?やはりベーティエ公か?」


「いえいえ!まさか選帝十三侯爵家の方がこのような奴隷な……ど……」


そこまで言って、衛兵はイクトールの連れている奴隷を見た。意図したものではなかったが、今の発言は完全に当てこすりである。


だがイクトールは無視する。アリムの心から流れてくる怒りがそうさせた。


「では誰の物だ。私はその者と話がしたい」


「は、はいっ!それはですね、ベーティエ公爵様の次男であらせられるアメデオ様がこの地を任せられておりますれば、彼らの所有権もアメデオ様にありましょう」


「ふん。覚えておこう。もう戻ってもいいぞ」


それだけ聞けば十分、といったようにイクトールは言い捨てて、衛兵に街へ戻るように指示した。


木材の伐採を強制させられているエルフたち。それを見るイクトールの奴隷であるエルフたちは、何を思っていたのか、イクトールにはわからなかった。





今にも降り出しそうな夜。月は雨雲に隠れて、異国の港を闇で包み隠している。街に灯される松明の数は少なく、未開拓の地の暗闇は妖しく誘う様でもあった。


イクトールは闇夜に溶けるような黒い甲冑を鳴らして、夜のグランマルナの街を歩く。目指す場所と目的はアンジェリカから聞いていた。


トランフルールから放たれた走狗。それは商人に偽装した従騎士たちだった。それも、平民出身の従騎士たちで、向上心の強い者たちが選ばれた。


つまり、悪魔……否、女神に魂を売っても、地位と権力と金を欲した者たちだった。


「天高く主は在りて我々を」


「照らすばかりで何するものぞ」


(やっとだ……)


3人目でようやく目当ての人物に会うことができた。


夜の暗がりでは、男の特徴はわからなかった。符丁が合って、初めて彼は手元の明かりをつけたのだ。見れば、アンジェリカが写真の魔術で見せたとおりの顔をしていた。


目がギラギラと野心的に輝いている。昼に見れば、それは利益に燃える若い商人に見えるだろう。


符丁を言って、「は?」という反応をされたときには心が折れそうになった。ギャグが滑ったみたいでクッソ恥ずかしかった。


「情報は」


内心、かなりほっとしながら、イクトールはあくまでも事務的な言い方に努めた。


その事務的な言い方が気に入ったのか、商人の格好をした男はニヤニヤと笑いながら話し始めた。


「エルフの人質はもうほとんどいない。ただ、美人のやつを選んで少しは残しているようで、兵たちの慰め物になってる」


「エルフの心を砕き、兵たちの不満を抑える。一石二鳥というやつだな」


「それと、エルフ……いや、リョスアルヴはこのグランマルナには5000もいない。精々2000から3000ってところだろ」


「どこへ連れて行かれたかは把握できたか?」


「あちこちへ。殆どはアメデオ様に連れて行かれたと聞いてるが、それ以外は資金確保のために奴隷として本土に送られた。アメデオ様はここから南に50リューは進んだところにある、アウジラという街にいるらしい」


50リューという距離は、およそ200キロほどになり、それはエクスリーガ騎士団が駐屯中のクルシアンの村にかなり近いものだった。


「らしいというのは?」


「どうもあちこちに移動しているらしい。まあ、長男のブランシュ様に暗殺されることを恐れているのだろう」


「暗殺?なぜ兄が弟を殺そうとするんだ?そのままであれば順当にブランシュとやらが家督を継げるんじゃないのか?」


「いや、それがどうも微妙らしい。というか次男に家督を譲れないから、こっちの領地を与えようと考えてた当主んところは、どこもそんな感じだな」


……なるほど。だんだん見えてきた。


「弟の領地も自分のものにしちまえってことか」


「そういうことだ。ラミス伯の四男は殺されたし、バリン侯の三男は毒を盛られて意識不明。どこもかしこも陰謀に満ち溢れてやがる。だからってことかどうかははっきりしねえが、最近ではエルフ大陸奥深くまで侵攻する軍は少ないな」


「待て。毒って確か専用の感知術式があっただろ」


この国ではある時期を境に、毒による暗殺が相次いだ。故に、それに対抗するための術式が開発されたのだ。


その暗殺用の毒は、元々エルフ大陸との海峡を塞いでいた水棲の知的生命体を駆逐するためであったのは、この国の貴族にとって最大の皮肉であったろう。


そんな経緯があって、毒を検知する術式はかなりの発展を遂げていたのである。 


「それが引っかからなかったそうだ。理由はわからんが、まあ警戒しといた方がいいかもな」


「他に情報はあるか?」


「あと本土で妙な馬賊が出て荒らし回ってるらしい。おかげで流通が滞っていやがる。大体腕の立つやつはエルフ大陸に来てるし、たぶんこれは有力な騎士団を動かさない限りこれは終息しそうにもない。ついでに言うとどこの貴族も内乱を警戒して騎士団を動かさない。つまり、……そういうこった」


「それはこちらで把握してある。心配することはない」


「……アンジェリカ様ってのはつくづく恐ろしいお方だよ。味方に回ってよかった」


商人は大きな溜息をついた。


「いい心掛けだ。アンジェリカ様は服従者にはお優しい。頭を低くしておくことだ」


「はいはい。精々利用し、利用されてやりますとも。まあ、今は飢えなくて済む分、前よりはいい暮らしをしてるよ」


「お前の苦労話に興味はない」


「つれないね」


「計画は実行する。明日の便で届く樽を使え。名義はヴィルトシュヴァイン(いのしし)商会だ」


「了解。しかし、魔術を使わない爆裂魔術なんて未だに信じられねえよ」


「信じなくとも爆発する。お前は言われたことを言われた通りにやっていればいい。そうすれば、いずれアンジェリカ様は然るべき褒美を取らせるだろう」


褒美、という言葉を聞いた瞬間、商人の姿をした従騎士は、にやりと笑った。


だが、彼を俗物とイクトールが吐き捨てることはない。彼には彼の理想があり、それを手に入れるために必死で足掻いているのだ。イクトールは、それを笑ったり貶したりするような人格ではなかった。


「イクトール様」


暗がりに少女の声が聞こえた。その音色は松明の明かりが一本もない細い路地で聞くものではなかった。昼間、広場で遊ぶ子供から発せられるような響きを持って、それはどこまでも違和感だらけであった。


アリムの後ろには、彼女の盾たるムドヘルが幽鬼のように立っていた。


「首尾は?」


「上々ですわ」


それだけ聞くと、イクトールは満足そうに頷いた。


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