黒騎士イクトールと奴隷の少女
「使徒イクトール。出立準備整いましてございます」
漆黒の騎士が兜を脱いで跪く。その相手は竪琴の弦のようにきらめく金髪の幼女アンジェリカ。
先日長い休眠状態から目覚め、ようやく政務に精を出し始めたところだ。トランフルール伯爵領は今のところ順調に機能回復を果たしていた。
トランフルール伯爵領を根城としていたジェフヴァの腕という馬賊がマッチポンプであるからして、襲われたのはどれも偽装である。だが、トランフルール伯爵関係以外のものは、すべて本当に強奪している。
特に顕著だったのが、ベーティエ公爵領への税を運ぶ徴税官の馬車を襲撃した件だ。エピクロス金貨20000枚にも及ぶ被害総額は、そのままそっくりアンジェリカの活動資金へと姿を変えた。
公爵の代理たる徴税官に渡った時点で納税とみなされ、税はベーティエ公爵のものとなっていた。トランフルール側からすれば税は支払い済みであり、「盗まれたから同額をもう一回納税してね」なんて寝言は、ベーティエ公爵がいくら選帝十三公爵家だとしても言えないことだった。
痛むのは他人の腹であるなら、探るどころかナイフで抉り出すのがアンジェリカ流だ。
「よろしい。魂の方も十分に回復したようですね」
そんな邪悪の権化ともいえる幼女は、優雅にティーカップから立ち上るお茶の香りを楽しんでいる。イクトールを見る金色の瞳が妖しく光る。
「ええ。ですが問題がありまして……」
「何ですか?我が使徒イクトール」
「この子のことです」
そう言ってイクトールが指差すのは、彼の隣にさも当然かのように跪くアリムだ。
「わたくしはイクトール様の奴隷なればイクトール様に同行するは必定。つきましてはアンジェリカ様に許可いただきたく参りました」
「ふぅん……。よく飼い慣らされてますね」
興味がなさそうにアンジェリカが目だけを下に向けて言う。美幼女がそんな見下した目線を向けただけで、イクトールは少し変な気持ちになった。
事実、アンジェリカはオーク以外の種の生き物に興味はない。あるのは使えるか使えないかという判断基準だけだ。
「いいでしょう。好きにしなさい」
「ありがとうございます!」
許可をもらって、アリムは跪いた状態からさらに頭を垂れる。傍から見れば丸まっているようにしか見えない。
だがそれで困るのはイクトールだ。
「いやいや待ってくださいアンジェリカ様!この子アレですよ、まだ12歳ですよ!」
「何が問題なんですか?我が使徒イクトール。忘れているかもしれませんが、あなた15歳ですよ」
「…………」
すっかり失念していたイクトールであった。口がほんの少し開いて、抜けた顔を晒す。
確かにこの世界のオークとしての成人は迎えたが、それを言い出せばエルフの成人を考慮しなければならない。
「まあエルフの成人は16ですから、イクトールの言うことにも一理あるかもしれません」
アンジェリカの言葉にイクトールは目を輝かせたが、さらに彼女は言葉を繋げる。
「ですがあなたは子犬だからといって飼い犬を1匹家に置いて旅行に行くのですか?それはあなたの所有物です。責任を持ちなさい、我が使徒イクトール」
「……はい」
イクトールは何も反論できなかった。
ただ隣のエルフの少女が喜んでいるのが少し腹立たしかった。
*
イクトールの目論見はほぼ当たることになった。
傷付いた廃棄寸前のエルフたちを救うことにより、恩を買い、そのまま忠誠心とすり替えようという目論見だ。
購入した奴隷たちに騎士団備蓄のポーションを与え、栄養ある食事を取らせ、手厚く看病した。結果的には全員が生き残ることになり、ここまではイクトールの目論見は成功したと言える。
しかし、死にかけていたエルフの少女が少し問題だったのだ。アリムは、ヌーマ族というエルフの中でも大きな部族の長の娘だったらしい。言ってみればエルフの中でも貴族のようなポジションの者だ。
しかも、魂を分け与えたということが作用したのか、アリムはイクトールに異常なくらい懐いた。アンジェリカに謁見する際にとうとう目の前で兜を脱いだのだが、イケメン(オーク基準)のオークを見ても、アリムは一切動じなかった。むしろ素顔を見せてくれたことに感動しているようですらあった。
族長の娘のアリムを死の淵から救った正義の黒騎士。それが救った奴隷エルフたちからの、イクトールの印象だ。
「失礼します」
男のエルフが数人がかりでイクトールの鎧に手をかける。初めはもたもたしていたが、今ではするすると流れるように鎧は外れていく。
恩からか、彼らは従順にイクトールに付き従った。特に1人では着脱できない鎧については、非常に助かることになった。
「ありがとう」
そう言ったイクトールの言葉はエルフ語であった。魂に刻まれた術式が作用して、イクトールの言葉は話し掛ける相手の言霊に共鳴した音をとる。つまりエルフに話しかけるときはエルフ語で、ヒトに話しかけるときは帝国語で、オークに話しかけるときはオーク語で話しているように聞こえるのだ。
奴隷のエルフたちからすれば、彼らの故郷の言葉を「わざわざ覚えて」使ってくれているように思えるのだ。今の感謝の言葉にしてもエルフ語だ。
彼らがイクトールに付き従うのには、恩だけではなく、そう言った情の部分も大きく影響していた。
ちなみに、彼らの首輪はすでに術式が破壊され、アンジェリカによってまた新しい術式に書き換えられて、彼らは自由に魔術を行使できるようになっていた。
これで所有者権限を越えた管理者権限で、奴隷商人たちにエルフたちの居場所を探られることもないし、エルフたちは自衛のために魔術を使うこともできる。
自衛とはいえエルフたちはイクトールの奴隷であるから、万が一にも暴力やそう言った理不尽な目に遭うことはない。
なぜなら奴隷は主人の物だからだ。公園に飼い犬と飼い主がいたとして、その飼い犬を蹴れば飼い主がどういう行動に出るかなんて、考えるまでもない。エクスリーガ騎士団員も、アンジェリカやイクトールに殺されたくはないし、その前に懲罰術式で魂を卸金で削られる思いはしたくない。
「何か不自由している点はあるか?」
だからイクトールのその問いに、エルフたちは揃って首を横に振るのだった。彼らはイクトールの奴隷であるというだけで、庇護下にある。これ以上、望むことは思いつかなかった。
*
何人もの奴隷のエルフを引き連れた、やたらと強いオークの黒騎士。エクスリーガ騎士団特別顧問の座に収まった新たな騎士について、市井に流れている噂はそんな内容だ。
オークは非常に屈強で、残忍で、生まれながらにして戦士である。そういうものが、市井の者たちが思い描くステレオタイプだったので、その噂に目立った点は見られなかった。むしろ、武に優れているからといって、異種族の手を借りなければならなくなったエクスリーガ騎士団に対して、幾分かの風当たりがあっただけだ。
だがそれもフリードリヒが強引に副団長の座に収まったときほどではなかった。フリードリヒと多数の騎士の抜けた穴を埋めようと、必死になってなりふり構っていられなくなっている……。そんな同情的意見も散見されたくらいだ。
皇帝も同情派で、エクスリーガ騎士団にはエピクロス金貨2000枚の特別予算が降りたほどだった。
しかしだからといって、本質的にエクスリーガ騎士団の弱体化は免れない。なぜなら切り札たる宝具エクスリーガは、すでにアンジェリカが保有しているのだ。いくら形だけ似せたものをマリアンヌが持っていても、その効果で燃え盛るハルバードを無数に生み出したり、団員の魔力を肩代わりしたりという芸当はできない。
だからこそ、アンジェリカの抱える手勢は弱い。
イクトールとて一対一の肉弾戦においては負けることはないが、それが捨て身の二体一、三対一となってくると話は違ってくる。
フリードリヒも魔道に深く、魔導師として至高に近い位置にいるが、宮廷の抱える魔導師の数は数百人に登る。彼がその全てを相手取って勝てる見込みはない。
マリアンヌは今やただの武に長けた女伯爵である。戦力として数えるには、指導力以外に目立つものがない。
エクスリーガ騎士団も、宝具エクスリーガのない状態では各貴族の抱える騎士団と戦力としては変わらない。
だからこそ、アンジェリカは自由な手勢としてジェフヴァの腕を作ったのだ。遊撃隊として、そして資金確保のための私掠部隊として。
そしてトランフルール伯爵軍として、領民を登用して常備軍を構成しようと事態を進めているのが現状だ。
それに先駆けて、エクスリーガ騎士団がクルシアンという開拓村に向かう。
団長、マリアンヌ・オールヌス・ド・トランフルール・ド・エクスリーガを筆頭に、主力部隊がベーティエ公爵領の港から船に乗り込み、一路エルフ大陸を目指す。
その傍らには、噂の特別顧問たる黒騎士イクトールの姿があった。




