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オークの集落での生活と幼馴染

オークであるイクトールの日常は、郁人であったころより格段に健康的である。


朝、日の出とともに母に起こされて1日が始まる。


イクトールは忙しなく朝の支度をする母を、床に敷かれた麻布の上から、朦朧とした寝起きのぼーっとした目で眺めるのである。


イクトールの住んでいる家は簡素な建物である。


簡素とは言っても、ダンボールハウスと居住性を比べれば広さくらいしか勝っている点がない。


壁は石を積み上げたもので、その上に木と藁をかぶせたものである。


床は木板が敷かれているだけマシであるが、所々腐りかけている。


そんなあばら屋と表現するに相応しい住処で目を覚ましたイクトールは、ズボンを穿いたきりである。


上半身には緑色の皮膚しかない。


そのズボンも安いゴワゴワした麻のもので、洗濯は2週間前の雨の日にしたきりだ。


イクトールはこれ以外の衣服を持っていない。


ついでに述べるなら、オークの子供は靴を履かない。


朝食として森で取れた樹の実をほんの少し食べると、次に鍛錬の時間がやってくる。


イクトールの父はこの一族の族長であり、その業務は忙しいため、族長の弟が鍛錬の教官を務める。


木の棒を用いて、年の近いもの同士でやたらめったらに打ち合う。


そこに作法やルールは存在しない。


弱いものはボコボコにやられ、強いものも先に集中的にボコボコにやられる。


いくら腕っ節が強くても6、7人から殴りかかられてはひとたまりもない。


イクトールの兄弟は、イクトール自身を除いて22人いた。


ほとんどが異母兄弟だ。


オークは1人の族長を中心にしてハーレムを構成するのであるからして、兄弟が多いのは当然であった。


姉妹はちょうど20人。


合わせて43人が、イクトールの兄弟姉妹だった。


さて、棒による殴り合いが終わるのは、全員が体力尽きたときか、昼食の準備ができたときだ。


昼食は一般的に山で取れた生き物と山菜を煮込んだスープだった。


イクトールにとって、味は寄せ鍋に似ている気がしたが、塩が足りないと思った。


塩は高級品である。


塩が100gもあれば、大抵のオークは人殺しを引き受けてくれるくらいに高級品だった。


10kgあれば戦争の理由になった。


また、昼食は小さな戦争であった。


オークの食事は男女別れて行う。


なぜならば食事の奪い合いで殴り合いの喧嘩が始まるからだ。


当然、最も腕っ節が強く、棒での殴り合いで最も体力を消費していない者が、最も多く食べる。


次に多く食べるのは昼食の勝者の同母兄弟である。


オークは2番目に血の繋がりを尊ぶ。


1番尊ぶものは腕っ節である。


勝ったものが正義の世界である。


イクトールの同母の兄、アレクトールはそこそこ強く、いつも食事を分けてくれたのでイクトールはアレクトールが好きだった。


イクトールの同母兄弟は、兄アレクトール、妹ガルシア、もう1人の妹ウラグの4人兄弟だった。


昼食が終われば、各自の家に戻って寝る。


食後に歯を磨く習慣を持っているのはイクトールだけだった。


歯を磨くと言っても、先を噛んでぐしゃぐしゃにした木の枝で擦るだけだったが。


すでに朝の鍛錬という名の殴り合いで疲れているので、硬い麻布を敷いただけの寝床でも十分に寝ることができる。


それから陽が傾きだせば、兄のアレクトールと一緒に山菜を摘みに山に出て行く。


妹のガルシアとウラグは家で母の仕事の手伝いである。


オークは10歳を過ぎれば弓を持たせてもらえることになっている。


アレクトールは11歳で、もう10歳を過ぎているので、弓と少しの矢を持って出る。


イクトールは抱えきれない大きさのカゴを背負って出る。


そして空が赤くなるまで山で作業をして、集落に戻る。


戻れば採ってきた獲物と山菜で作られたスープをまた食べる。


そして寝る。


もちろんイクトールは寝る前の歯磨きも忘れない。


せめてもの文化的行動として始めた歯磨きだったが、すでにそれは習慣になっていた。


そもそもオークが虫歯になるのかもイクトールにはわからないが、少なくともイクトールは23人の兄弟の中で1番口臭がマシである。


マシなだけで、けしていい匂いとは言えなかったが。


そうして、イクトールの1日は終わる。


陽が昇れば、また同じことの繰り返しである。


「ねえ、イクトール!行商人さんがくるよ!」


そんな代わり映えしない毎日にも、イクトールの心待ちにしているときがあった。


行商人である。


彼ら行商人は様々な集落を訪れては品物を落とし、また吸い上げていく。


イクトールが驚いたのは、このオークたちの間に貨幣という概念が存在していないことだった。


しかし人間族である行商人には、その概念があるようで、イクトールは行商人を「文明の風」と心の中で呼んでいた。


苔の生えた生け垣から、ひょっこり顔を出すようにして、行商人の知らせを教えてくれたのは。イクトールと同じ年に生まれたカルアだった。


彼女は、……オーク族の未成年は非常にその性別が見分けづらいが一応女性である彼女は、イクトールによく懐いていた。


すでに牙がちょっと顔を覗かせているイクトールとは違い、全体的に丸みを帯びた彼女は、オークでいうところの美人であった。


つぶらな黒い目は黒真珠のようで、常に水分を帯びているようにうるうるとしている。


緑色の皮膚は他のオークのそれと比べて、薄い新緑の萌芽を思わせる淡い色だ。


他の有象無象のオークがかつらを載せたような髪をしているのに対し、カルアの髪は金髪でいつも清潔に保たれていて、ふわふわと風に揺れている。


全体的に清潔感あふれる彼女は、いつもイクトールに構ってばかりいた。


その原因は彼女が4歳のころにある。


彼女は族長の正妻の娘であった。


そのころ高熱を出し、生死の境をさまよったことがあるのだ。


村全体が慌ただしく神に祈りを捧げる中、イクトールがふらりと山に入ってある草を持ってきた。


イクトールが言うには「行商人から教えてもらった」というその草は煎じて飲んでみると、たちまちにその効果を表し、カルアの高熱は収まった。


種明かしをしてしまえば、族長の正妻の娘が高熱ということで好機と見た女神が、その超人的な知恵で彼女の熱を冷ます薬草をイクトールに教えたというものである。


しかしそれを知らないものからすれば彼、イクトールが行商人からの情報を元にカルアの熱を下げたようにしか見えなかった。


族長ブルナーガは3歳の儀式の頃から、息子イクトールを特別視しており、その直感は間違っていなかったとも評された。


そういう色々な偶然が、そして文字通り神の思惑があって、イクトールはブルナーガの集落でアンタッチャブルな存在になっていた。


曰く、悪魔の知識を持つもの。


曰く、稀代の天才呪術師。


曰く、将来有望な薬師。


その呼ばれ方は様々だったが、ブルナーガの側室のオークたちはイクトールに触れもしなければ離れもしない、微妙な距離感を保つようになっていた。


その雰囲気が子どもたちにも徐々に伝わったようで、8歳になったころにはイクトールは次第に兄弟たちから一定の距離を置かれるようになっていた。


カルアはその中でも特別な1人で、イクトールに命の恩人以上の感情を持っているのは、イクトールにすら明白な事実であった。


しかし悲しいかな、イクトールの中身は人間、万道郁人であり、そしてカルアはどこをどう見てもオーク以上でも以下でもなかった。


「ねえイクトール!今日は何をしていたの?」


無邪気な笑顔をイクトールに見せつつ、カルアは媚びるような目線を向けた。


オーク族はその集落ごとにもよるが、だいたい15歳になると成人を迎える。


お互いに8歳のオークである彼と彼女にとって、その立ち居振る舞いは年齢以上のものがあった。


カルアはすでに女の、多少汚い表現を用いるならメスの艶やかな片鱗を見せていたし、イクトールはそのもっと年上の、老獪の空気すら時折滲ませていた。


イクトールにとってオークの集落は地獄であった。


郁人であったころは一日に数回自慰を繰り返していただけに、性欲が溜まって溜まってどうしようもなかった。


しかしながら周囲は人外、オークだらけであり、さらにいうと生殖能力が未発達だったためにその発散も不可能であった。


その分、ストレス解消に筋トレなんかに取り組んだのだが、その効果はメキメキと現れた。


女神と精神を繋げることができる。


つまりそれは女神の有する、定命の者の器では消して受け止めきれない膨大な魔力と、常時繋がっているということであった。


女神アンジェリカの魔力は少ないのだが、それは神のレベルで考えた話であり、アンジェリカがその気になれば神の意志で自分の念じた場所に雷を落とすくらいなら、呼吸に等しい児戯である。


それゆえに漏れ出てくるだけの女神の魔力でも、イクトールの成長促進には十分であったし、再生能力の強化にも十分すぎるほどだった。


その結果、8歳のイクトールは「発育不良の大人のオーク」ほどに見えるまでには成長した。


その腕力や膂力はすでに大人の大部分を凌駕している。


筋肉ダルマという表現が最も相応しい、筋骨隆々の美オークに成長していた。


そんな美男美女(オーク視点)のイクトールとカルアは、行商人の到来を今か今かとウキウキしながら、集落の中央の巨大な岩の前で待っていた。

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