オークと剣術
「イクトール様!イクトール様!」
殺風景な城内に、少女の声が響き渡る。その声は美しい風鈴のような音色でも、甘ったるい砂糖菓子のような音色でもない。歳相応の可愛らしい少女の声だ。
「イクトール様?イクトール様ぁ!」
草色に染めたTシャツ、クリーム色のズボン、そして首に輝く銀色の輪は誰が見ても奴隷のそれだ。
四肢は奴隷商館にいたときのように、骨と皮だけという状態から、本来の肉付きへと戻っていた。むしろ、彼女の故郷のエルフの里で過ごしていた時よりも、幾分か血色は良くなっていた。
ヌーマ・アリム・マニエというのが、彼女の名だった。エルフの名は、族・名・姓となるので、アリムというのが彼女を表す名になる。
アリムは、殺風景なフルール城を歩き回る。その城内には敬愛する巨大なオークがいるはずだからだ。アリムの把握している限りでは、午前をエクスリーガ騎士団員との会議に費やし、午後を軍事教練の教官として費やすことになっていた。
イクトールという身長2メートルを越えたイケメン(オーク基準)のオークが、アンジェリカの隷属紋が入っていない者も多数いるはずのフルール領内で自由に歩き回れるのも、武に長けたオーク傭兵団からの軍事指導者として招いた……ということに表向きはなっているからだ。そして書面上そうなっているのだから、そこに多少の事実が伴わなければ、火のあるところに大きな煙が立ち込めることになる。
だから、午前である現在は、イクトールはエクスリーガ騎士団員たちと一緒に会議をしているはずだった。だが、アリムにはその肝心の会議室がどこにあるのかわからない。
以前に述べた通り、フルール城は実務的な城である。実際に戦闘に際して役立つような造りをしている。つまり会議室や城主の執務室など、そういった重要な施設は隔離され、それぞれが離れた位置にある。もちろんリスク管理のためだ。
アリムはこの城に来てから、まだ一週間も経っていない。迷ってしまうのは当然だ。
「うう……。イクトール様、私を置いてどこに行ってしまわれたのかしら……」
アリムはイクトールの奴隷である。メギハード公爵領の奴隷商館で死にかけていたところを買われたのだ。
その時の意識はほとんどなかったが、ぼんやりと暖かい何かがアリムの中に入ってきたのだけを覚えていた。
後から同じように買われたエルフたちに聞いたところ、イクトールという、全身を黒い甲冑で隠すようにした巨大な騎士が、何らかの魔術によってアリムを助けたのだという。
そのイクトールの姿を、アリムは見たことがない。黒い全身を包む装甲。その姿しか見たことがないのだ。
「あ!イクトール様!」
しばらく歩いてへとへとになりそうなころ。アリムはようやく漆黒の鎧に身を包んだイクトールを見つけた。イクトールは午前の会議を早めに切り上げ、練兵所で騎士たちを相手に剣の稽古をしていた。何人もの騎士たちが漆黒の騎士イクトールと、軽装の赤い騎士を囲んで見物している。赤い騎士はエクスリーガ騎士団の幹部だ。
アリムは城の3階の窓から、それを見ることができた。
「はあああああ!」
騎士がイクトールに斬り掛かる。その剣は刃が潰してあるとはいえ、当たれば十分に鈍器として役立つ攻撃力を有している。全身を鎧で防護しているイクトールであるからこそ、騎士は両手で剣を握り、全力で斬り掛かることができる。
全力の斬撃は、イクトールの右腕の一振りで弾かれる。左腕は完全に遊んでいる。同じ刃の潰れた剣であるはずなのに、イクトールの振るう剣は鋭さを感じさせる。振る度に、空気が裂ける。
イクトールは、アンジェリカに教えてもらった「オークの戦い方」を練習していた。
「だあっ!」
騎士がまた斬り掛かる。その斬撃を刃の潰れた剣が迎える。その瞬間、イクトールの口から呼吸に乗せて余剰魔素が漏れる。
ついに、騎士の持つ剣が斬れた。
「!?」
ひゅん、と風を切る音がして、赤い騎士の首元に刃が疾走る。ほんの少しでも動けば皮が切れるほどの距離で、剣はピタッと止まって首を狙う。
「一本」
漆黒の騎士が小さく言う。アリムの元にはその声は聞こえないが、憧れの、愛しの騎士様がとんでもなく格好いいことだけを感じた。
「イクトール様ー!」
思わず窓から叫んで声援を飛ばしてしまう。奴隷になる前はそれなりの地位にいたエルフ族のお嬢様なのだが、今は一介の奴隷だ。主人に尻尾を振ることは何の問題もない、とアリムは自己正当化する。
城の窓は一般的にただの穴だ。フルール城のそれも例に漏れず、アリムはそこから細い体を乗り出して大きく手を振る。
その姿を認めた騎士の1人が漆黒の騎士に何かを言うが、イクトールはちょっとアリムの方を見やっただけであった。
「次」
イクトールはアリムには微塵も興味を示さないかのように、次の騎士の挑戦者を要求した。
だが、潰れた剣で剣を斬るような化け物に挑みたいという無謀な者はもういなかった。
イクトールが練習していたのはアンジェリカから教えてもらった技だ。
魔術の使えないオーク族が、虚数物質である魔素を利用し、望む現象を引き出すことは困難を極める。そこでオークたちはその歴史の中で、その身に魔素を宿して戦う術を編み出していた。現代では失われた戦闘術である「魔素武装」は、アンジェリカ直伝のイクトールの切り札と化していた。
オーク族は魔素を体内に有しているし、魔力を生み出すこともできる。だが、その力を外に向けることができないのだ。物理的に魔素孔を持たないため、練り上げた魔力を外に出すことができない。
そこで彼らが用いるのが、普段筋力強化に無意識に使っている魔力だ。自己の存在認識を己の肉体から剣まで拡張する。それにより剣すらも強化するのことが可能となる。効果としては単純な硬化などに留まるが、単純なほど単純なパワーとして扱うことができる。
燃える剣だろうと、逆巻く槍だろうと、単純な硬い物を破壊することは難しい。むしろ魔素伝導率の低い金属に対して、魔術的なアプローチは悪手だ。だからこそ、魔素伝導率の低い鉄や鋼が、戦場において活躍のだが。
(地味だ……)
イクトールは手に収まる剣を見て嘆息する。
やはり魔術の派手さに、憧れは隠せない。手から自在に火炎を出し、氷を作り出し、地形を刳り、暴風で吹き飛ばす。そんな夢物語の具現こそ魔術だ。
魔素伝導率の低い剣に、魔素を纏わせることで、虚数物質が齎す意志の具現化で、魔術そのものを引き裂く。アンジェリカの説明はイクトールにとってちんぷんかんぷんだった。
「いやぁ、旦那はお強い。刃は潰れてるはずなんすけどねえ」
剣を斬られた赤い騎士はジョルジュだった。イクトールは知らなかったが、彼はエクスリーガ騎士団の軽騎兵隊の副隊長で、騎士団幹部であった。
軽薄な物腰とは裏腹に、その剣筋は確かで、また真っ直ぐだった。イクトールは、この男はきっと演技で軽薄さを装っているのだろう……と考えていた。
「魔素武装、という。女神アンジェリカ様より授かったオーク族の武の技だ」
「強化魔術みたいなもんすかね。剣まで及ぼしてるのは初めて見ましたが」
即座に種を割ってみせたジョルジュに、イクトールは危機感を覚えると同時に、有能さを見出す。
「しっかし、こっちも全身強化してるはずなんすけど、旦那にゃ全く歯が立たねえっすわ。ジョージやマイケルが一方的にやられちまうわけだ」
「……こっちも何十人と殺された。お互い様だ」
聞いたことのない名だった。だが、恐らくブルナーガの集落を襲ったエクスリーガ騎士団の誰かなのだろう。そのうち、誰をイクトールが殺したのか、誰に誰が殺されたのかなんて、もう宝具エクスリーガの火炎に飲み込まれてしまった。
騎士団員は、よくそう言ってイクトールを詰る。懲罰術式に引っかからないギリギリまで、口頭で攻撃するのだ。
(比較的従順なジョルジュでさえ、これだ。意識的に言ってるのか、無意識的に言っているのか……。無意識なら、尚更質が悪いな。エクスリーガ騎士団員たちはアンジェリカ様の戦力として見積もるのはやめておいたほうがいいのかもしれない……)
言葉を交わしながら、イクトールは思案する。彼らの使いどころを見極めるのは、前線に出てこれないアンジェリカに代わって、イクトール自身が行うことだ。
「あ、いや、終わったことを蒸し返すわけじゃねえんすよ。こっちだって全力だったのに一方的な試合だったのがちょーっとプライドが許せなかったもんで……」
切り捨てる。そんな思考がイクトールの気配から漏れ出したのか、ジョルジュが慌てて訂正する。
表面上だけでも忠誠を誓っているなら、今はそれでいい。そう結論付けて、イクトールは思考を切り替える。
窓から手を振り続けているアリムというリョスアルヴの少女。その少女に目線をもう一度向けて、イクトールは城へと歩き出す。




