奴隷を購入するオーク
頭からすっぽりと全身を覆う特大の黒い甲冑。それをさらに覆うマントは、中の装備者が蒸し焼きにならないように、日の光から守るためのものだ。
イクトールが身に纏うそれは、圧迫感はさることながら、圧倒的な殺意を辺りに撒き散らしていた。それは、その甲冑に施された術式が原因だった。
アンジェリカ自らが手をかけて作った特製の甲冑は、様々な異次元レベルの術式が付与されていた。
魔素吸収術式。魔素蓄積術式。魔力転換術式。筋力強化術式。対物防御術式。対魔防御術式。軽量化術式。加速術式。障壁術式。対音防御術式。術式破壊術式。疲労回復術式。などなど。
唯一欠点とされるのが、着脱が面倒なことで、これには従者が3人がかりでなければ着ることができなかった。脱ぐときが2人で済むという事実は、何の慰めにもならない。
そのため、イクトールは初めて奴隷を持つことになった。
「なるべくなら、関係のない奴隷がいいですね。奴隷を有しているということは、それだけ地位の高い者、裕福な者と見られます。威圧のためにも、何人か侍らしておいたほうが有益でしょう」
そう言うアンジェリカは、ニヤニヤしていた。
「それに、あなたにも褒美を与えなくてはいけませんからね。欲しかったんでしょう?ヒトの奴隷が」
そういうわけで、イクトールはエピクロス金貨を2000枚ほど抱えて、メギハード公爵領の首都メギハードに来ていた。
トランフルール伯爵領から北に進むと、ゴルド子爵領。そこからさらに北北東に進むと、メギハード公爵領となる。
開戦派貴族の中でも特に成長目覚ましいメギハード公爵は、その保有する奴隷の数も桁違いであった。最もエルフ大陸で得た領地の多い貴族なれば、捕らえたエルフも最も多い。
そのほとんどを奴隷として、労役に従事させている。メギハード公爵系の奴隷は、首輪タイプの奴隷であった。首輪タイプは、ただ単純に封魔の術式が編まれた首輪を付けられた奴隷である。好きに魔術を使うことができなくなるだけではなく、奴隷から魔素を吸収し、首輪が絶えず奴隷商人に位置情報を送るようにできている。
これによって、奴隷の反乱と逃亡を防いでいるのだ。奴隷が逃亡したのなら、奴隷商人の元に行き、所定の術式を作動させれば、地図に奴隷の位置が映し出され、今どこにいるかがわかるようになっている。
だがそれ故にかなり高度な術式で、組むのが面倒で、特殊な素材が必要で、しかも胸糞悪い仕事だからほとんどの魔術師が受けないという理由で、その術式に使われる地図は価格がべらぼうに高く、それ故に奴隷商人の数が限られている。
宮廷魔導師レベルの付呪ができるなら、わざわざ奴隷商人の片棒を担がなくても、かなりの収入が期待できる。そもそもそんなレベルの魔術師なら先に宮廷が目をつけて召し抱える。
そんなわけで奴隷商人の数は限られていて、各公爵がそれぞれ「裏で」抱き込んでいる奴隷商人以外は数えるほどしかいない。
それ故にわざわざメギハード公爵の奴隷商館まで来たのであった。
ベーティエ公爵の方にいかなかったのは、もちろん、イクトールが破壊し尽くしたからだ。
イクトールはオークだとわからないように甲冑に身を包み、さらにはエクスリーガ騎士団の団員を何人も連れて入門した。
顔がわからないように仮面を被り、肌を露出しないように長袖長ズボンに手袋を装備していた。あとはエクスリーガ騎士団の団員が、ちょっとした芝居をうった。
「いやいや、うちの旦那が顔を見せないのは何もやましいことがあるからじゃねえんだ。実はな、旦那は戦でとある貴族の坊っちゃんを庇って大火傷を負っちまったんだよ。それを隠すためにこうしてるってわけさ。一度落ち着いちまった火傷は治癒魔術でも治んねえだろ?」
顔を見せろという衛兵に対して、突然ベラベラと話し始めた1人に、イクトールは驚いた。だが、懲罰術式が発動していないということは、不利になるようなことではない。
「でもなぁ、その貴族の坊っちゃんってのが厄介で、庇ってもらったのが気に食わなかったらしいんだ。だから、あんまり根掘り葉掘りは聞かねえ方があんたのためってもんだ。衛兵の職を失いたかねえだろ?」
脅しは十分に効いたようだった。衛兵は「そ、そうか……。それは、どうもすまないことを聞いた……」としおらしく言って一行を通した。
(元よりトランフルール伯爵の通行証があるのだから、すんなり通してくれればいいのに……)
とイクトールは思った。
それから宿屋に馬と馬車を預け、イクトールは鎧に着替え、一行は奴隷商館に向かう。奴隷商館の場所はわかりやすい。大体正門以外の目抜き通りにある。繁盛するし、それなりに需要があるし、顧客は金持ちばかりだが、それでもヒトがヒトを従えるということを嫌悪する者が絶無なわけではない。
奴隷商館に、イクトールは他の者を商館前で待機させ、入門のときに芝居をうった団員だけを連れて入った。
「どうですか旦那様。こちらの者などよろしいのではないでしょうか」
そう言って怯えるような笑みを浮かべて接客するのは、同じく首輪をした女エルフだった。誰だって全身を黒い鎧で覆い隠した2メートル近くの巨体を見れば、そんな接客にもなる。おまけにその男は何人もの騎士を従えているのだ。
イクトールはそれを見ていると、ロザリーを思い出した。
ロザリーは、アンジェリカに魔術を叩き込まれている。偶発的に生まれた魔人の成り損ないを、優秀な兵力として使おうということらしい。
(アンジェリカ様は人心掌握術に長けている。フリードリヒの心を皇帝への憎悪に仕向け、マリアンヌをフリードリヒという存在で縛り付け、ロザリーをヒトへの復讐心で操作している)
イクトールは、甲冑の奥から奴隷を眺めながら思案する。
メギハードの奴隷商館は急造のもので、新しく綺麗な白い石材でできている。絨毯も柔らかく清潔で、儲かっていることを匂わせる。
そんな中でも、色々と施設内の設備が追いついていない。単純な鉄格子の向こうに、藁が集まった寝床らしき何かがあり、その隣に排便するための水が常に流れる溝がある。見てくれは完全に粗末な刑務所だ。
(……だが、それでは組織としての精強性に欠ける。アンジェリカ様という核を利用して各自が行動しているに過ぎない状況は、一度形勢不利になれば連鎖的に破綻する。アンジェリカ様への帰順意識……、あるいはそれに近い何かがあればまた違うのだろうが……)
イクトールは奴隷を見て回ったが、ピンとくるものはなかった。
「旦那の御眼鏡に適う奴はいましたか?」
芝居をうった団員、ジョルジュという軽薄そうな男がイクトールに尋ねる。彼も一応帯剣しており、騎士か従騎士であることは誰が見てもわかるが、そうは思えないほど言動が軽い。言い換えるならチャラい。
「いや、いない」
イクトールは腕組みをして憮然と言った。全身鎧の巨漢がそういう仕草をすると、周囲への威圧感がとんでもなかった。
「もっと見窄らしいものがいいな。私のように火傷の傷があるものや、大怪我をしたやつはいないのか?」
くぐもった威圧的な声で自虐的なことを言うイクトールに、さすがにその場の全員が複雑な表情を隠せなかった。
「すいません、少々お待ちください……」
そう言って奴隷エルフ店員は引っ込んでいく。それから裕福そうな服に身を包んだ恰幅のいい男を連れて戻ってきた。
「名のある騎士様とお見受けいたします。ようこそ当商館にいらっしゃいました」
「欲しいのは見窄らしい奴隷。大火傷、部位欠損、皮膚病やただの大怪我でもいい。とにかく商品にならなそうな奴が見たい」
イクトールは挨拶を遮るように言った。「御託はええから商品見せんかいゴルァ!」ということだ。
「かしこまりました。そう仰るのでしたらこちらへどうぞ……」
そう言って太った奴隷商人はイクトールとジョルジュを奥へと案内した。
案内されたのは、従業員用スペースらしきところを通り過ぎて、裏の搬入口から伸びる通路から横に折れたところだった。
そこから階段が降りていて、地下へと続いていた。
「こちらには騎士様の仰るような商品にならない者たちがおります。運搬中に自害しようとした者、酷い怪我を負っていて弱った者、色んな者がおります。どうぞごゆっくり……」
太った奴隷商人が言うように、そこは最悪の掃き溜めだった。
暗い地下で死を待つだけのエルフたち。地上で見られたようなヒトの奴隷はいない。ヒトの奴隷は借金が理由の奴隷であり、このエルフたちのようにそこまで理不尽な理由で連れてこられたものではなかった。
だが、ここにいるエルフたちは違う。ただの侵略戦争の被害者だ。住処を奪われ、焼き出され、そして身柄まで拘束されて尊厳すら奪われた者たちだ。
治癒魔術の使い手は稀有だ。そしてこの世界の医術は魔術の存在に邪魔されて進んでいない。
故に彼らは治療も受けられずに死んでいく。ポーションは存在するが、それも治癒力を高めるためのもので、飲めばあっという間に傷が治るようなものではない。
包帯でグルグル巻きにして、ポーションを飲んで安静にしておくというのが一般的な貧乏騎士の怪我の治し方であるからして、死にかけの奴隷が受けられる治療なんて存在しない。
だから、ここでイクトールが見限れば、彼女らは死ぬしかない。
「お気に召す者はおりましたか?」
「全部だ」
「はい?」
「23人……いや、このほとんど死んでるやつも含めて24人全てだ」
鎧に付呪された気配探知術式によって把握している数だ。数え間違いはない。
そんなトリックは知らず、奴隷商人とジョルジュは素直に驚いている。
「これで足りるか?」
そう言ってイクトールは徐ろに腰に下げていた膨らんだ革袋を渡す。中にはエピクロス金貨が500枚入っている。マルクス金貨にして約5000枚にあたるとんでもない大金だ。
そうとは知らず、無防備に袋の口を広げた奴隷商人は、金貨の輝きに目を焼かれるような錯覚に陥った。
「ひ、……え、ええ。もちろんですとも。足ります!足りますとも!ええ!」
渡した革袋とイクトールの顔……といってもそこには漆黒の兜があるだけだが、その両者をジョルジュが交互に見る。卓球のラリーを顔で追っているようだ。
「だ、旦那、こんなに使ってよろしいので……!?」
「ジョルジュ。表のやつらと馬車を呼んでこい。あと辻馬車もいくつか拾ってこい。こいつらを運ぶ」
「は、はい!直ちに!」
「いえいえ!私どもが!私どもの馬車をお使いください!奴隷を運ぶための荷馬車ですので、辻馬車を拾うより格段によろしいかと!」
太った奴隷商人は手揉みしながら恭しく金貨の袋をポケットに入れ、腹の肉を揺らしながら商館を駆け巡って、従業員をありったけ呼び集めた。
すぐに慌てた様子の美人なエルフがナッツの盛り合わせとチーズと赤ワインを運んできて、美人なヒトが生ハムとプチサラダの皿を運んできた。
「俺はいらん。お前が食え」
イクトールはジョルジュにそう言い、死にかけのエルフの少女の側にしゃがみこんだ。
「いいんですか!」
「2度は言わん」
ジョルジュは歓喜して運ばれてきた食べ物に舌鼓を打った。
(……辛うじて生きている、といったところか。ギリギリ死んでいないという方がしっくりくるな)
臭いがした。死臭だ。甘いような、酸っぱいような、そんな臭いだ。
「生きてるか?」
「…………」
言ってみてイクトールは、意味のない質問だったと思った。死んでいるなら返事ができないからだ。
それでも、少女の指は僅かに動いた。糞尿をその股から垂れ流し、皮からは骨が浮いて見える。そんな餓死の淵にいようと、彼女は生きていた。
「生きたいか?」
続いてイクトールは確認をとった。死にたいのなら、そのまま死なせてやるつもりだった。終わりの見えない苦しみから逃れる唯一の手段。それが死だ。
無為に生きることは辛い。それはイクトールが、いや、郁人がよく知っていた。ただ生きて、飯を食い、糞をして、寝る。誰からも必要とされない生活。それは苦痛に他ならなかった。
きっと、女神アンジェリカもそうなのだろう。信仰を失うということは、必要とされなくなるということだ。それはきっと恐ろしいことだろう。
そう考えると、今、そこに倒れて死にかけている少女が、いろんなものに重なって見えた。それは郁人であり、アンジェリカであり、そしてすべての「必要とされないもの」だった。
「……い……」
何を言ったのかは聞き取れなかった。だが、それで十分だった。彼女の手が、握り締められていたからだ。
「女神の従順な下僕たる使徒イクトールが願い奉る。我が希う声に応え給え」
イクトールは彼女に手のひらを翳し、間の空間を撫でるようにゆらゆらと手を動かす。
「女神」という単語を聞いて心臓が縮み上がったジョルジュが、赤ワインのグラスとチーズで両手を塞いで、何事かと覗き込む。
「ふるべゆらゆらとふるべ」
手を振る度に、鎧同士が擦れて音を立てる。
イクトールは魔術を使えない。だから、この鎧に施された特上の魔術式を使う。空気中の魔素を取り込んで、鎧に施された魔術式を駆け巡って魔力に変換する。
アンジェリカが自信を持って最高傑作と言い切る鎧は、手の形で発動する術式を組み替えるようになっている。じゃんけんでいうパーは治癒魔術。それは傷を治すだけに留まらず、魔術の精神汚染から精神を元に戻す働きもある。
「!?」
イクトールの身体から、大切な何かが抜ける感覚があった。
同時に、イクトールの魂が階位を登る。
ベーティエの奴隷商館で感じたものと同じだ。どうも奴隷商館に縁があるような気がする。
「今のは……」
イクトールは、自分の鎧に包まれた手を見る。それは見た目からは何の変哲もない金属である。施された術式の詳細はわからないが、術者……女神の使徒たるイクトールに害の及ぶものではないはずだ。
黒い装甲は何も語らない。ただ、かけがえない何かが欠けたような気がしていた。
「旦那、歌唱魔法も使えたんですか……」
「……歌唱魔法?」
「ええ。セイレーンやマーメイドたちが使う魔術でさぁ。数百年前なんかは奴ら海にゴロゴロいまして、何隻も船がやられちまって」
「今は?」
「今は影も形も。粗方毒で追い散らしましたよ」
酷いことをするものだ。海産物とかそれなりにダメージを受けただろうに。
「旦那、そこの運のいいエルフちゃんも助けたことですしちょっとは飲みましょうや!」
「……そうするか」
身体がダルい。重く、何かに伸し掛かられているような感覚だ。何かが抜けていった感覚が関係していそうだった。
(たぶん、アンジェリカ様の性格とこの世界の法則から考えて、相手の減った生命力を俺の生命力から補填したって感じかな……)
『大正解!さすがですよ我が使徒イクトール!』
(あ、アンジェリカ様!?)
『あなたの魂がごっそり減ったおかげで通信状態が非常に不安定化してしまいましたので、顕現体は非常休眠モードです』
つまりお昼寝中ということだ。
『まったく、何をしているかと思えば死に損ないの売女に神聖な私の使徒が魂を分けてやっているなんて……』
(すいません……。まさかこんな対価が必要だったなんて……)
『むしろ、何も支払わずに何もかも回復……なんて、ちょっと甘過ぎる考えだとは思いませんか?』
(はい……)
『まあいいでしょう。あなたも何か考えがあってのことでしょう?魂の階位も1つ上がっているようですし、よしとしましょう。あまり暴れないようにして帰って来なさい、我が使徒イクトール』
まるでお母さんだな、とイクトールは思ったが念話にはしなかった。
ようやくイクトールくんが奴隷ゲット




