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空飛ぶ貴族令嬢

非常にまずいことになった。


私ことリーゼロッテが今頭を抱えているのは、主に領地経営と外交の部分について、そしてそれによる物流への影響だった。


秋頃から活発に活動を始めた各地の盗賊たちの手によって、各地の貿易網が目に見える形で停滞を始めていた。


私のカロン伯爵家には何の影響も……ないと言い切りたいところだが、それも断言するには性急すぎるくらいの、その、何というか微妙な範囲なのだ。


フルール事件と呼ばれる開戦派への中央の挑戦的行為は、各地の貴族たちを緊張させるには十分だった。そのせいで彼らは私兵を領内に集め、領内の街の治安維持を名目に、軍事力強化を狙った。要するに緊急招集だ。


ところが今まで領内を巡回していた衛兵だったり、小さな村を管理していた騎士たちだったりが招集されると、途端に治安は悪化した。街道を守る兵力が激減し、主だった道以外は盗賊の根城となったのだ。それに加えてフルール事件の混乱を見越して、賊たちも狙ったように活動を広げていることも一因だろう。


複雑に入り組んだネットワークのような道路網は、今や幹線道路にアクセスするルートしか安全は確保されていない。いや、それどころかそのルートすら危険とも言われている。


それもそのはず。主要街道のいつでもどこでも衛兵がいるわけでもなく、彼らが巡回しているのをいいことに、盗賊たちはその隙を狙って商隊を襲いだしたのだ。


そこからの影響は早かった。1つの商品が滞ったときに起きるのは、品薄による価格の高騰である。需要・供給曲線に従って、神の見えざる手が価格を動かしたのだ。初めに小麦の値段が倍になり、塩の値段は5倍になった。


カロン伯爵領は塩は一定価格で販売しなければならないというお触れを出しているし、小麦はそれこそ余った小麦を売るほどの豊作だ。なので大した混乱は生まれていないが、混乱が波及しつつあることは確かだった。現に、今月に入ってから密輸業者が39人も捕まり、全員が奴隷として私の果樹園にドナドナされていった。


だが、ついにまずいことが起きた。おそらく混乱の根拠地として、全貴族が疑惑の目を向けているトランフルール伯爵領。


あ、ちなみにトランフルール伯爵領は、宝具エクスリーガの使い手マリアンヌ様のトラン子爵と、事件を起こしたフルール子爵が合併した領地である。


そんなトランフルール伯爵領からベーティエ公爵領に税を運ぶ、ベーティエ公爵の鎖を持つ青い鷲の紋章がついた馬車。それが襲われたのだ。


ベーティエ公爵が抱える黒山羊騎士団の護衛があったにも関わらず、それをあざ笑うかのように金品を強奪せしめたのは、ジェフヴァの(かいな)という馬賊だ。ご丁寧に襲撃した商人の馬車にその名を彫っていることから、名が割れたという珍しい例を持つ。というか自己顕示欲強すぎ。


調査した宮廷魔導師の調書では、襲撃現場には破壊された馬車だけが残っており、黒山羊騎士団も、徴税官も、金品も、さらに一片の魔導反応もなかった。つまり、襲撃に際して魔術は使われていないとのことだった。


しかしそれはありえないことだった。ベーティエ公爵家の抱える黒山羊騎士団は、主戦力がエルフ大陸にあるとしても残った人員が雑魚というわけではない。特に徴税官を守護する騎士は手練が選ばれることが多い。なぜなら徴税官への歓待のおこぼれに与る可能性の高い守護騎士は、騎士団の中でも羨望のポジションであったからだ。


むしろ実力がないから騎士団内の地位争いに勝てなくて、武勲を上げるためにエルフ大陸に行くパターンの方が多い。


つまり、強力な戦闘能力を持っていなければ騎士団内の競争に勝って、徴税官の守護の任にあたることはできない。今回の徴税官守護にあたっていたのは5人。いずれも手練で、納められた税金はエピクロス金貨にして20000枚を数えていた。


それが、まるごと奪われた。それも、ベーティエ領内で起きた強奪であり、黒山羊騎士団の守護があったことも相まって、ベーティエ公爵の顔には今まで塗られたことのない量の泥がたっぷりとコーティングされているわけだ。


歯噛みするベーティエ公爵の顔を思い浮かべるだけで、ここしばらくは楽しい気持ちでいられそうだ。


「たかだか一馬賊にお抱えの騎士団がやられるとは思えませんわね……」


どう考えても何らかの意図があってのこと。それも、黒山羊騎士団の手練を相手に、証拠を残すことなく圧勝できるほどの力を持った者の意図だ。どこの有力貴族かしら……。


いやいや、そもそもベーティエ公爵が圧倒的権力者でしょ。じゃあそれに攻撃できるのも圧倒的権力者……、つまり選帝十三公爵家……。となると、黒幕は穏健派貴族かも……?


「そうですわね。それより魔石のプログラミングは終わりまして?」


私のつぶやきに、まったく興味がなさそうに言ったのは、魔導モーターに電気を流しながらチェックをしているエリザベータ様だ。静電気のせいで髪がふわふわと広がっている。


私とエリザお姉様は、学園内の特別実験棟に1月前から泊まり込みで実験の日々を送っていた。研究室に泊まり込みなんて、大学のゼミ以来だ。それに今回はややこしい数字とにらめっこする机上の数字との格闘ではなく、魔導研究という実験である。


この世界では魔法大学教授や宮廷魔導師たちがやるような範囲のものだ。しかも、異端視されがちな、生活に根ざした魔導技術開発だ。


なぜ異端視されるかというのは、魔道という学問の狭さにある。魔素はこの世界に普遍的に存在する虚数物質である。だがその魔素に干渉するには高度な教育が必要となる。魔素を体内で循環させる方法や、術式の構築要領や、魔術に対する理解そのものなど、様々な過程を越えなければ、魔術の発動には及ばない。


それゆえに、その教育を施せるだけの資金を持たなければ、深遠なる魔道の淵さえも見えないのだ。だから魔術が使えるのは、貴族や一部の豪商に限られる。また騎士や衛兵なら、勤務の時間を縫って、雇用主の機嫌を損ねない範囲でなら、簡単な魔術を学ぶこともできる。


逆に言えば、教育の機会さえあれば魔術を行使することは難しいことではない。さすがに上級魔術などの膨大な魔力を消費する魔術は別だが。


「もちろんですわ、エリザお姉様。このエピクロス金貨5万枚相当の特上魔石……。わたくしの魔導技術の粋を込めましてよ」


私の目の前の机には、木箱に入った人の頭並の大きさの魔石があった。これぞ公爵家の経済力。民衆から吸い上げた富の結晶たる、特上魔石だ。


魔石がどのような原理で精製されるのか、未だにわかっていないが、特定の鉱脈で取れる、魔力を蓄積する力を持った石である。それを魔導技術を持った者が扱えば、魔力が続く限り術式を起動させる装置となる。


ここにある特上魔石には、吸収した魔力を電気エネルギーに変換して蓄積する術式と、特定の術式の魔石が近付くと電気を放出する術式が組まれている。


その特定の術式を組んだ小さな魔石も用意済みだ。こちらはエピクロス金貨で200枚の、親指の爪程度の大きさしかない魔石だ。


「起動式を組んだ魔石も完成しております。あとは組み込むだけですわ」


「いや、あとちょっと、……あとちょっとだけ待って……」


そう言って、エリザお姉様はまた魔導モーターに電気を流す。魔力によって磁力を得たモーターは、その磁極を切り替えながら回転を始める。その回転エネルギーはモーターに繋がれたゴムベルトからギアに接続され、タイヤを回転させる。


「魔石を組み込んでからでもいいじゃないですか。なんで中身をそんなに見たがるんですか」


「だってこんなの見たことないのよ!」


この本体を作ったのは私だ。エリザお姉様といえば私の設計図や魔術を見て、ふんふんと鼻息荒く、乾ききったスポンジが水を吸うように知識を吸収していくだけで、特に何かに役立ったわけではない。完全にスポンサーである。いや、この場合はパトロンと言うべきなのかも?


「それに、まだゴムが届いてないじゃないの!そのタイヤがないとこれは動かないんでしょう!?」


「あー、それはそうなんですが、一応モーターの稼働実験だけでも……って、これ朝話しましたよね?」


「聞いた覚えがありませんわ」


そう。私が頭を抱えている問題が、物流の停滞による影響。


つまり材料が届かないのだ!


だが届かないからといって実験を滞らせるわけにはいかない。時間は有限で、そしていつだって気付いた時には何もかも遅いのだ。


前世の私なんて「いつか私も結婚するんだろうなー」なんて危機感なくぼんやりしていて、気付いたらアラフォー独身ヲタなんてことになっていたわけで。結婚ってそもそも彼氏作らないとできないんだってね!知らなかったそんなの……。


それはさておき、ゴムはエルフ大陸から運んでくるしか方法がない状況である。保有するのはアシェット公爵で、輸送にはアシェット領にある港町エルゲンから帝都に向かうルートが使われる。


エルフ大陸と帝国との海峡には大した脅威はない。数百年前まではマーメイドがいて、ヒトにとっては脅威だったらしいが、毒関連の技術発達によって彼らは駆逐されていった。今は北の方でひっそりと暮しているとかなんとか。


「ドラゴンでも使役できたら手っ取り早いのですけれどね」


ドラゴン。この世界でも伝説上の種族で、高い知性と魔力を有し、すべての生き物を支配していたとされる。


まあそんなものがいたとしても、使役なんて夢のまた夢なんだけどね。魔術師の使う慣用句で、「空でも飛べたらなー」的な意味を持つ。


ちなみに空を飛ぶ術式はあるのだが、魔力を馬鹿みたいに食うので、跳躍の補助くらいにしか使われない。


あれ?でも待って。


空を飛ぶ……?


「それですよエリザベータ様!」





特別実験棟の前にある広場はそのまま「何もない広場」という名の広場だ。何もなく、広々としたその場所は、魔導実験でいろいろ爆発したり爆発したり爆発したりするので、何かあっても何もなくなる場所である。結果的に何もない広場という名がついた。教員も生徒も自重しろ。


そんな物騒な場所で物騒な用意をしているのは、2年生きっての天才で天災の変人2人組。リーゼロッテこと私と、エリザお姉様である。


成績優秀。容姿端麗。家柄問題なし、というかむしろ最高峰と言ってもいい。言うまでもなく帝国最高貴族である選帝十三公爵家の一家門アヴァリオン公爵家の三女。そしてシェーンブルン公爵家と縁深いカロン伯爵家の一人娘。


魔道の成績は2人ともオールA。他は壊滅的であることも同じ。魔道に深く入り込んだ2人は、教員たちからも評判良く、間違いなく宮廷魔導師であるマリネロスの姓を受けるだろうと評される2人になってしまった。どうしてこうなった。


そんな2人が「何もない広場」で何かの実験の準備をしているとなると、教員たちも生徒たちも気が気ではなく、特に生徒たちは魔道書で消火関連の魔術や、障壁系の魔術を復習している。これ、私、怒っていいよね?


私が準備しているのは気球だ。今回の実験は簡単な熱気球。ローラを使いに出して、傘に使われている素材でありったけ布を買ってこさせた。それから魔術で木を加工してバスケットを作って、さらに紐をこしらえた。


素材さえあれば、後は魔術でどうにかなる産業革命要らずの世界。そんな世界だからこそ、物流は未だに馬車レベルなんだよね。馬列車もないし、まだまだ文明レベルが低い。


そんなわけで気球が組み上がって、後は飛ばすだけ。飛ぶだけなら魔術で火を起こせばいいだけだし、簡単だね。


「こんなので簡単に空を飛べますの?」


「次にエリザお姉様は「飛行膜があるのではありませんの?」と言います」


「飛行膜があるのではありませんの?……ハッ!?」


随分とノリがいい。実験大好き、知的好奇心旺盛なエリザお姉様はテンションアゲアゲみたい。


ちなみに飛行膜というのは見た目が完全に人間凧のようなもので、風魔術が得意な魔術師数人で風を起こして飛ばすのだ。戦場での偵察などに使われることもある。


でも遠隔視の付呪をつけた矢を飛ばす方が人数が少なくて済むし、消費魔力も少なくて済む。他の手段がありながらわざわざ人間凧を飛ばすのは、遠隔視の魔術を使いこなせる魔術師が稀有だからだ。魔法学園で習わない系統外魔術なわけだし。


「飛行膜での飛行はいくつか問題があります。魔力消費が激しいこと。着地に事故が起きる可能性が大きいこと。紐で固定されているため、移動できないこと。大きく言えばこの3つです」


「なるほどね。これは魔力消費が低いということなの?」


「ええ。物質を熱すると軽くなる性質を利用して、この袋に熱せられて軽くなった空気を貯めて浮かび上がります。熱するだけで宙に浮きますので、飛ぶための魔力は必要なく、空気を熱するのと機体を操作するだけの魔力で飛べます。突き詰めれば、魔術を用いずとも飛ぶことが可能です」


「……原理はわかったわ」


と、いうことで飛ばしてみることになった。


天気はもちろん晴れ。ところどころにポツポツと雲が見える程度で、風も少ない。絶好の飛行日和だ。飛んだことないから本当はわからないけど、思い立ったが吉日。きっと飛行日和だ。


まずは風魔術で気球の中に風を送り込んで膨らませる。そこから火を起こして気球を安定させる。


火球は安定して空中で燃え続け、気球内の空気を温め続ける。座標固定を手のひらの先に設定しているので、手のひらは翳したままだ。


「おおっ!二重発動だ!」


「すげえ!俺、初めて見た!」


私の魔術を見て、ギャラリーがざわつく。二重発動は異なる魔術を同時に2つ使う技術だ。


私の隣でバスケットに乗ったエリザお姉様は、ブツブツ言いながら私の魔術発動を観察していた。二重発動は滅茶苦茶難しいので、私も初級魔術でしかできない。


まあ、エリザお姉様は二重発動できないから、その技を盗もうとする気持ちはわかる。というか私以外にできる人を見たことがない。魔道書に書いてあった通りに、右半身と左半身で魔力を個別に練って、無詠唱で発動するだけなのだが、そもそも無詠唱ができないと二重発動はできない。


ただの自慢ですわ。ふひひ、さーせん。選帝十三公爵家のご令嬢のエリザお姉様が、悔しそうに私を見ているのがとても気持ちいいです。


「おお……!」


「膨らんだぞ!」


ギャラリーのざわめきが大きくなる。そら風送り込んでるんだから膨らむわよ。問題はここから飛べるかどうかってところ。


私の魔力は多い。突風エアプッシュの消費MPを原作通り2だとすれば、私の最大MPは500以上はあると思う。原作リーゼロッテの最大MPが6ということを考慮すれば、私は随分頑張っているはずだ。


それだけ膨大な魔力を有しているので、ぶっちゃけ風魔術で飛んでいけるわけなんだけど、問題は飛ぶことそのものが目的ではないってこと。私が目的としているのは魔導技術の普遍化であって、私TUEEEEEをしたいわけではないのだ。


だからこそ、こんなクソ目立つところで二重発動なんかをわざわざ使って、何をしているかをアピールして、みんなに知らしめなければならない。空を飛ぶこと自体は難しいことではない。


「浮いた!?」


「浮いたぞ!」


膨らんだ気球が、ほんの少しづつ浮き上がる。バスケットの底から、地面が離れる感覚が伝う。紙1枚分、拳1つ分、頭1つ分とどんどん浮いて地面から離れていく。


ついには完全に浮かび上がり、気球はどんどんと高度を上げていく。


ギャラリーが眼下で何かを言っているけど、何も聞こえないほどには浮かび上がった。


「エリザお姉様。ご気分はいかがですか?」


私は手を上げて火球を保ったまま、エリザお姉様を見やる。エリザお姉様はおっかなびっくりという様子で下を見ている。


「……本当に飛んでる……」


エリザお姉様は自失呆然という様子だ。現実が信じられていない。


気球はどんどん浮かび上がっていって、雲に近づいていく。反して地上は離れていく。


……むむっ、ちょっと流されている。風魔術は得意なので、私のその辺の感覚は鋭敏だ。


「よっ、と」


無詠唱で風を起こし、雲に近づいていく気球を操作する。雲に突っ込むのは危険だ。雷に撃たれて黒焦げにはなりたくない。


眼下には帝都が一望できた。円形に四重になった城壁が見え、その外縁部から伸びた道が魔法学園に向かって伸びている。幾何学的に伸びた道が、帝都がちゃんとした都市計画によって成り立っているのだということが理解できる。


しばらく飛んでいると体内の魔素が半分くらいになってきたので、風魔術を駆使して元の「何もない広場」に戻る。


着地するときは、風魔術でなるべくゆっくりと降りることを気をつける。なんてったって強度確認もしていないバスケットなんだから、エリザお姉様と私とバスケットが一緒にぺっちゃんこという事態もある。


着地は成功した。ギャラリーがぽかーんと口を開けている。


不思議だよね。私以外にも転生者がいるらしいことは知ってるけど、気球っていうものはこの世界にはなかったらしい。


とにかく飛行に成功した私たちは、初飛行についてのレポートを書いて教員に提出することで、出席単位をもぎ取ることに成功した。


あとはこの気球の研究を進めて、非魔導技術によって空を飛ぶ技術が進めば、物流に空路という1つの選択肢ができることになる。

次こそイクトールくんの話。

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