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イクトールの日常と


ウラグが応援に駆けつけてから一ヶ月が過ぎたある日の昼下がり。もうカルアとウラグだけでは獲物をバラすのも限界が来ていた。イクトールの弓は必中必殺で、鹿のような臆病な生き物もオークの膂力から放たれる矢からは逃れることはできなかった。


この世界の鹿は角は魔素を感知する器官であり、生物から漏れ出る僅かな魔素を感じ取って、先んじて逃げることができる。だが魔素を体の外部に放出することができないオーク族にとって、それは関係のないことだった。


哀れにも逆さに吊り下げられた牡鹿は立派な角を持っていた。野生の鹿の角は錬金術師が魔素を込めて薬にすれば、魔素回復の妙薬となるため、高額で取り引きされている。飼育された鹿の角ではこの効能が得られないということから、宮廷魔導師の間でも研究科目となっている。


血抜きをして内臓を抜き取り、角を切って皮を剥いで、骨から肉を剥がす。解体作業は十分に重労働だ。イクトールの狩ってくる量と、カルアとウラグの作業量には2倍以上の差があり、イクトールはしばしば狩りを中断して解体作業を手伝った。


内蔵は丁寧に洗って、塩で揉んでおくことも忘れない。もつ焼きも、貴重な蛋白源である。


作業が一段落して女2人が大きな丸太を椅子にして休憩している間に、イクトールは鉄の大鍋を持ってきて鍋の準備をする。


鍋に川の水を注いで、ジャガイモに似た芋をざく切りに、ゴボウに似た黒い根菜をささがきに、人参に似た黄色い根菜を輪切りにしてドバドバと鍋に入れる。塩壷から数匙入れて、火にかけながらある程度撹拌する。狩りの片手間で拾い集めた薪は大量にあるので、惜しげもなく使って燃やして煮込んでいく。


ある程度煮立たせて、次に白菜に似た葉菜を入れてしんなりしてくると鹿肉を入れる。鹿肉はさっきまで生きていたので新鮮そのものだ。ここまでくると鍋はいよいよ強烈に腹の虫を刺激してくる。


前世のかなり進んだ料理の知識と、最も料理経験のあるイクトールの手腕は、鮮やかに女2人の目の前で振るわれて心と胃袋を鷲掴みにしていくのだが、イクトール本人はそのことに一切気づいていない。


「いただきます」


「「いただきまーす!」」


木の器を手に手に持って、木のおたまで鉄の鍋からモミジ鍋の具を移して、木のスプーンで口に運ぶ。労働の後の疲れた身体に、貴重な塩分と上質なタンパク質が染み渡る。


「うーん!美味しい!」


「本当にお兄様は何でもできますのね」


2人が口々に褒めるのを、イクトールは面映く思った。


「素材がいいからね」


照れ隠しのため短く言って、椀を掻き込んで誤魔化す。


旧フルール領ではイクトールが前世で見たような作物が栽培されていた。フリードリヒが集めたもので、その中でも生産性が高く、保存の効く食物が多い。


(あいつは味方から悪く批判されていたけど、ちゃんと結果は出してるんだよなぁ……)


イクトールは、柔らかいがしっかりとした弾力のあるしなやかな鹿肉を、強靭な奥歯で噛み潰しながら、自分とは異なる転生者を思い出した。銀髪に気取った表情は冷酷な印象があったが、きちんとした信念を持った人物だというのが、イクトールのフリードリヒに対する印象だ。


自分の故郷を焼き払ったという点では、フリードリヒをはじめとして、エクスリーガ騎士団のやつらに対する恨みの炎を消すことはできないが、しばらくするとその火勢も落ち着いてきていた。オークの戦士としての教育のおかげか、それとも転生者としての現実乖離からか、イクトールの心はそのことをすでに済んだこととして処理していた。


それよりもイクトールはフリードリヒの成し遂げたことに関心を寄せていた。フリードリヒは作物に関して、前世のものに近いものを集めて農作物として育てているし、前世の農業技術を導入して生産力を上げていた。


それは決して悪いことではなかった。招いた結果が悪かっただけで、彼の行為そのものは批判されるものではなかったように思える。


むしろその行為を避難しなければならない世界の方がおかしいのではないか、とイクトールは感じていた。


『イクトール!』


ほくほくとしたジャガイモを旨味の出た汁で流し込んでいると、脳裏に懐かしい声が響いた。


「はい!何でしょうか!」


斜め上の中空を見据え、イクトールが突然立ち上がって大きな声を出した。その様子をカルアは木のスプーンを咥えたまま、ウラグは大きなジャガイモの欠片を口に入れようとした瞬間のまま固まって、女2人は驚きの表情で見ていた。


『まずは労働ご苦労。あなたの狩る獲物は順調に隠し資産となっていますよ』


ひっきりなしにイクトールが送る解体された獲物……時には人手が足りずに血抜きなどの最低限の処理をされただけの獲物は、旧フルール城に運ばれていた。そこで毛皮はコート、襟巻き、手袋などの衣類に加工され、肉は燻製にされ、角や骨は武器や防具やアクセサリーとなった。


それをフルール子爵と交流のあった商人を通して売り捌いて資金を蓄えていた。原材料費はかからず、加工はフリードリヒの集めた職人によるものだ。


職人たちはフリードリヒに協力的であったという理由で捕らえられ、身柄をマリアンヌに騎士団の所有物として渡されたのだ。マリアンヌも騎士団もアンジェリカの支配下にあり、アンジェリカは嬉々として彼らを迎え入れた。


面接と称して一人一人呼び出して丁寧に隷属紋をかけていき、アンジェリカは使い潰せる駒をさらに手に入れたのだった。


職人たちとしても、身分が奴隷になっただけで、罪人として炭鉱で死ぬまでこき使われるなどの命の心配があるようなことにはならなかったため、反抗は少なかった。元より皇帝に弓を引いた大罪人の協力者、という殺されてもおかしくない状況においては、奴隷になることはまだマシなものだ。


そういった人間心理すらも組み込んで、アンジェリカは職人たちを取り込んでいく方策を進めていた。どういうわけかはわからないが、アンジェリカは金属細工師を積極的に取り込んでいっていた。


傀儡であるマリアンヌとエクスリーガ騎士団の名と力によって、フルール子爵関係者ということで逮捕、拘禁し、その身柄を確保する。そうしてから奴隷に落とす。


表向きはエクスリーガ騎士団お抱えの細工師ということだが、彼らは知らないうちにアンジェリカの手のひらの内に誘い込まれ、そして彼女の計画に加担している。


『イクトールには次の任務をあげましょう。使いを出しました。そちらには夕方頃には着くとおもいますよ』


アンジェリカはそう告げた。


次の任務。それが何を意味するのかはイクトールにはわからなかった。だが、イクトールは無意識に自分の拳を握り締めていることに気が付いた。


(やっとだ……!)


イクトールは罪の意識に苛まれていた。奴隷を助けたということで自分の故郷を、自分の家族を殺してしまったということ。その事実がイクトールの心を蝕んでいた。


少なくともアンジェリカはオーク族のことを想って行動している。彼女は他種族をゴミのように扱うが、オーク族だけは可愛い子供たちのように愛でるのだ。顕現したアンジェリカが、オークたちに平伏して崇められると、彼女はたちまち笑顔になって彼らに直々に回復魔術を施し始めた。


その様子から、イクトールはアンジェリカを別の視点から信仰し始めていた。神と眷族は、一種の共生関係を築いているのだ。信仰が無くなれば神は死ぬ。だから神は眷族を大切にする。その関係がある限り、絶対的にアンジェリカはオーク族の味方であるのだ。


そうであるなら、アンジェリカの計画は少なくともオーク族にとっては有益なものであることには疑いようはない。ならばアンジェリカに加担することは贖罪たりうるのではないか。


そういう考えも、もしかしたらアンジェリカはお見通しなのかもしれない。だが騙されてみる賭けに出るだけの価値はあるとイクトールは考えていた。


『任務の詳細はこちらに来てから伝えます。あとこれは一方的な通信であり、あなたの声も姿もわかりませんが、地面に頭を擦り付けて平伏していることを信じていますよ、我が使徒イクトール』

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