とある宮廷魔導師の話
赤い絨毯が敷かれた大理石の床は、皇帝の謁見の間である。そこで皇帝に媚を売るためにたくさんの人が日夜押し寄せて頭を垂れ、贈呈品の目録を置いていく。
メルタリア・レアレト・ド・マリネロスは王宮に勤めながら、そんな謁見の間には縁のない生活を送っていた。
女性宮廷魔導師に対して与えられるマリネロスという騎士の姓がつくことになったのは、魔法大学を卒業して召し抱えられた19のときだった。最低限宮廷内で活動ができ、尚且つ俸給の支払いに特別な手続きがないようにとの配慮のための爵位であり、マリネロスを名乗る騎士の数は20を超える。
ほとんど仕立屋や鍛冶屋のように、マリネロスというのも仕事名みたいなものだ。一般的なマリネロスは1日の大半を魔術研究と付呪に使う。謁見の間に入るようなことは滅多にない例外中の例外だ。
メルタリアの1日は、午前は担当魔術研究目標である「精製術式による魔力と自然発生による魔力の性質差」に取り掛かり、午後からは宮廷魔導師の1チームである「純粋魔素精製」の研究に加わる。近頃はずっとこのパターンで、この前ようやく精製術式による純粋魔力の精製術式が簡略化できたことで、来年の俸給が1割増されることになっていた。
その成功が評価されたのか、それとも研究テーマが今回の要件に合致したからなのか、例外中の例外にメルタリアは出くわした。
帝都で仕事がしたいという商人がお目通り品として……つまり袖の下として持ってきた品が、高濃度魔素結晶だったからだ。それも珍しい柔らかいタイプの魔素結晶体であった。
その確認のために呼ばれたメルタリアは、まず控え室に呼ばれた。控え室は石造りの簡素なもので、中には衛兵が2人と木のテーブルが1つ。テーブルの上には瓶が置いてある。
瓶詰めにされた高濃度魔素結晶。怪しくぼんやりと光るように見える特徴は、高濃度魔素結晶だと自己主張している。だがそれだけでそうと決めつけるのは性急すぎる。魔術による偽物かもしれないし、そういう特徴を表すように瓶に魔術が施されている可能性もある。
間違えれば首が飛ぶことにもなりかねないという事実に、メルタリアは緊張しながら観察する。
「どうですか?門外漢からすれば全くわからないのですが……」
片方の衛兵が心配そうに声をかけた。
「……珍しいタイプですね」
外から見た限りでは、その結晶は瓶の形に従うように満ちている。つまり液体のような性質を持っているようにも見えるのだ。
「これを持ち込んだ商人は何と?」
「ダークエルフの行商人から買ったそうです」
「その行商人は?」
「ベーティエ公爵の治める街の商人から買ったと聞いたと言っておりました」
「その商人の仕入先は?」
「さすがにそこまでは……」
衛兵が言葉を濁らせる。メルタリアはそれを見て鼻を鳴らす。
「申し訳ありません!」
衛兵が慌てて姿勢を正すのを、メルタリアは片手で制する。メルタリアは騎士と言えども爵位持ちで、かつ宮廷魔導師という帝国の魔導技術の功労者でもあるため、一衛兵とは権力に大きな差があった。メルタリアが本気で衛兵相手に怒れば、その場で殺害することも許可されているほどだ。もし本当に殺せば自分の宮廷魔導師としての立場も危ういが……。
「私の他には誰か鑑定した人はいませんか?」
「クリメント伯爵とヴァーミリオン伯爵の御二方ですが、断言はしかねるとのことです」
「……なるほど」
クリメント伯爵もヴァーミリオン伯爵も宮廷魔導師としてはトップクラスに位置している貴族だ。
宮廷魔導師は上級貴族出身者の「予算確保のための宮廷魔導師」と、下級貴族や平民出身の「研究のための宮廷魔導師」の2つに分かれている。その中でもクリメント伯爵とヴァーミリオン伯爵はそのどちらにも属するレアケースだ。2人とも政治力に優れ、肩書だけの魔道研究狂いのアヴァリオン公爵の実質的な代行者であり、また優れた魔導師である。
メンフィス・ミスラ・ド・クリメントはブルゴン辺境伯家の五男に生まれ、5歳のころには火を扱い、7歳で火の上級魔術を行使し、10歳で水魔術と土魔術を上級まで使いこなし、12歳にして四元素魔術を上級まで自在に操ったと言われる天才魔導師である。
エルフ征伐の際、彼の治癒魔術理論によって作られた衛生兵という専門の治癒魔術師の一団が、エルフの大部隊の奇襲を受けた第四皇子の命を救ったことで空席であったクリメント伯爵家の地位を受け、以後はその当主となっている。
今は「雷魔術」の開発研究をする傍ら、次々に魔導技術を発展させて帝国軍の戦力強化に貢献している。
ティゲルド・フリーデン・ド・ヴァーミリオン伯爵も同じくしてごく若い頃に才能を開花させた天才魔導師で、経歴の大半が空白であり、青春時代を各地の遺跡探索に費やしたと言われている。
彼は遺跡の技術を再編して新たな魔導技術の開発を進めており、彼が開発した新型の魔導銃は小型にも関わらず50メートル向こうの的も簡単に狙い撃つのだという。
かく言うメルタリアもヴァーミリオン伯爵の開発した銃を持っている。名を「砂漠の鷲」というらしい。
そんな天才的な2人がこの魔素結晶が何なのかわからないなんてことがあるわけない。彼らにわからないのならメルタリアにだってわかるわけない。メルタリアは少なくともそう考えていた。
だがメルタリアをここで宮廷内に認めさせることで、何か彼らが益を得ようとしていると考えれば理屈は簡単だ。
(まったく……)
メルタリアは口の中に文句をしまいこんで、観察に本腰を入れることにした。もし彼らが何かを企んでいるにしても、自分を価値ある存在だと思わせることは悪いことではない。これは逆に取り入るチャンスなのである。
「こちらは開けても大丈夫ですか?」
「はい。問題ないかと」
早速蓋を開けると、魔素が漏れ出してきたのでメルタリアは驚いた。普通魔素結晶は魔素が固体化したもので、このように空気中に漏れ出すようなものではない。
(一体何なのこれは……?魔素結晶なのは間違いはなさそうだけど……)
「真実よ、我が問に答え、全てを暴け」
疑問を解消するために魔力を練って呪文を紡ぐ。解析魔術は宮廷魔導師にとって基礎中の基礎となる。使いこなしたその魔術を、メルタリアは呼吸をするように扱う。
その呼吸に反応して呪文を紡いだ口に高濃度魔素結晶が、自らの意志でメルタリアの口に飛び込んだ。
*
衛兵2人の証言により、商人は死刑。クリメント伯爵とヴァーミリオン伯爵の両名は、魔術痕跡が見つからなかったことと衛兵の証言により、何のお咎めもなかった。メルタリアの遺体は騎士の共同墓地に丁重に埋葬されることとなった。
その後、しばらくしてから騎士の共同墓地が何者かの墓荒らしに遭ったという小さな記事が、帝都の新聞に載った。
*
メルタリアを突き動かしたのは言いようもない衝動であった。自分は何かを忘れていて、その何かをしなくてはいけなかった。それと同時に彼女の意識には感謝の念があった。複雑な気持ちだった。
何者かに自分は救われたのだ。一度死亡し、その後何らかの手段によって蘇生された。その際に記憶に欠落ができて、今は精神的に不安定な状態にあるのだ。
この感情はそう説明すれば納得がいく筋道だった。
気が付けば自分の墓から這い出していたメルタリアは、まず衣服をどうにかしなくてはならなかった。土葬された自分は、装飾のあまりされていない小綺麗な白いローブを着ていた。一般的な魔術師の死装束だ。
魔術師は死ぬと復活を祈願して、魔術師としての装備を整えて埋葬される。身長ほどの杖、白い魔術師のローブ、そしていくらかの銀貨。死んだ魔術師かどうかを区別するために白いローブを着せるのが決まり事だった。そのせいで白いローブを生きた魔術師が着ることは忌避させる。
宮廷内のごたごたに巻き込まれた自分は、おそらく死ぬことになっていたのだろう。それをクリメントかヴァーミリオンのどちらかの、もしくは両方の伯爵の手によって生かされたのだ。
どこのごたごたに巻き込まれたのか。メルタリアには想像がつかなかった。今、宮廷内では様々な思惑が錯綜しているからだ。
中央集権化を目論むマクシミリアン殿下を擁立する穏健派と、地方分権化を狙うアルディギオン殿下を擁立していた開戦派。アルディギオン殿下が亡くなった今、開戦派貴族の力が弱まるかと思われた。
だが彼らはエルフ大征伐という弔い合戦にて、エルフ大陸に領土を拡張して、さらに勢力を伸ばすこととなったのだ。
穏健派貴族も手をこまねいているだけではなく、着々と派閥の貴族を宮廷高官ポストに着けたり、ギルドに投資することで物流を支配しようとしたりと、着実に開戦派貴族の力を削いでいる。
またその国内の動揺を見て、地方領主同士の小競り合いが発生しており、物流は滞りがちになっている。
さらに双方の貴族たちが関税を上げるものだから、結果的に物価が上昇して民は飢えている。
最悪のループが発生している中で、どの問題からどこの貴族が対立して、どういう理由で宮廷魔導師に波及してきて、メルタリアが殺されたのかはわからなかった。
だが、自分が殺されたのにはきっとわけがあるはずだ。なぜなら、自分には恩がある。なにがそう決定づけているのかはわからないが、とあるオークが助けてくれたのだ。混濁した意識の中で、緑色の皮膚の巨体が、自分を助けるのを確認したのだ。
メルタリアは心の奥から自分を突き動かす衝動に、そういうふうな説明をつけた。自分を助けてくれた者の姿を思い出すたびに、オークの姿がちらつくのはきっと意識が混濁しているからだ。
東に行かなければならない。本能がそう告げている。意識が混濁している。ここはどこだ。
まずは服だ。服がない。ふらふらと歩いていると、墓場を管理する者が寝泊まりする小屋が見えてきた。頭が痛い。服が必要だ。それに、旅の金銭も必要になる。
私は、手に杖を持っていた。
小屋をノックする。頭が痛い。
小屋から年老いた男が出てきた。男はカンテラを手に、寝ぼけ眼で私の顔を照らした。
みるみるうちに男の顔は青褪めて、なにかわけのわからない言葉を発して私の頭をカンテラで殴りつけた。だが不思議なことに痛みは感じなかった。鉄でできたカンテラは、私の感覚が正しければ、私の頭にめり込んでいるはずだ。しかし血の一滴も出なければ、痛みすら感じないのである。これはどういうことだ。
「顔が!顔が溶けてる!」
男はそう言うが、彼の顔は醜いものの、溶けているとまで表現するほどの醜悪さではない。
では私の顔が?
手で自分の顔を触ると、ぺたり、と音がした。
血か?やはりカンテラで血が出ているのか。
だが、自分の手には赤い血はついていなかった。代わりに水色のゼリーのようなもので覆われていた。
いや、覆われているのではない。私の手、そのものが水色のゼリーのようなのだ。なぜ?
「近寄るな!化物め!」
男はテーブルの上にあった鎌を手に、私に斬りかかってきた。鎌はあっけなく私を切り裂いて、中程まで食い込んで止まった。まるで骨など無いような切れ味は、片手の鎌とは思えないほどだった。
切り口から、水色の液体が吹き出す。それが吹きかかった男は、あっという間に溶けて爛れてしまった。骨まで溶かす強力な液体。それが私を満たしている。切り口はすぐに塞がった。
殺し方は知っていた。
騒がしく泣き喚く男に、氷の矢を放つ。あれ?私は今、詠唱したっけ?
放たれた氷の矢は男の顔に突き刺さり、息の根を止めた。
服は……、すでに私の体液によってボロボロだ。着替えがあるはずだ。それをもらおう。
さすがにこの身体ではまずい。衛兵に見つかっては問題になる。私は身体の形を整えて、皮膚の色を調節する。顔も、生前のままだ。よし。
私は男の家から服を奪い、まずベーティエ公爵領を目指す。私はそこから来たのだから。
閑話。
察しのいい方は、何かに気付くはずです。




