貴族って何でしょうか
収穫祭は何事もなく開催され、進行し、そして閉幕した。閉幕とはいっても領主たるお父様と私を含むその家族が祭りの場を去っただけで、あとは勝手に住民たちは盛り上がっている。
中心に噴水を据えたこの広場では、大小様々なテーブルが置かれ、更にそのテーブルの上には肉料理が溢れんばかりに載っていた。今では空になった皿が載っているばかりで、ソーセージの一欠片も残っていない。
エールやミードの樽は尽く空になり、その上に座って酒がない酒がないと愚痴る男がそこら中にいた。また残った料理や酒を巡って殴り合いが始まり、それを肴にまた一杯やるという流れができていた。
街の所々には松明が灯され、夕闇を払って祭りを彩っている。衛兵たちも酒を飲みながら巡回し、取っ組み合いの喧嘩を見ても止めようとはせず、むしろ野次を飛ばして面白がっていた。
そんな光景に後ろ髪を引かれながら馬車に乗り込み、私たちは屋敷へと戻った。
私の作ったドラゴンの石像はなかなか好評で、お父様もベル兄様もたくさん褒めてくださった。お母様はあんまり褒めてくれなかった。婦女子たるもの云々ってわけだろう。婦女子の前に腐女子なのはどうしたらいいんだろう。こればっかりは謝るしかない。どうもすいません。
屋敷に帰って、私はさっそく湯浴みをする。お父様が一番風呂なのは常識だが、幸いにして浴室はいくつもあるので関係ない。私は空いている浴室のバスタブに、魔術でお湯をたっぷり溜めて入る。肩まで浸かれば自然とため息が溢れる。はぁー…。極楽極楽。
ゆっくりお風呂に浸かった後は、木苺とミントのジュースを飲む。私の大好物である。魔術で冷やすので、風呂上がりには最高なのだ。
それから帝都で買ってきた香水をつける。ほんのり甘い柑橘系という流行りから少し外れた、落ち着く爽やかな香りで、寝る前は必ずこれと決めているのよね。
それからはベッドに入って寝るだけ。だが、今日は少し違う。
「ローラ、報告を聞きたいわ」
ジュースを作るのも、香水を用意するのも、寝間着に着替えさせるのもローラの仕事だ。そして、今回は魔法学園入学から頼んであった『おつかい』の報告を聞かなければならない。
今日の日中はその『おつかい』のためにローラは姿を消していたのだ。
「……お嬢様、本当に聞きたいのですか?」
「ええ。私は貴族で、責任ある立場なの。庶民の生活は私たち貴族に責任があるのよ」
私がローラに頼んでいたのは他領の調査である。私はカロン伯爵領についての知識はあるものの、他領に関しての知識が不足している。
なので私は学園に入学するときに、密かにローラに調査を命じていたのだ。もちろんいろいろとお金がかかるだろうから、前もってマルクス金貨で200枚もの大金を渡している。こういうときにケチると陸なことにならない。
「ですが」
「ローラ」
ローラの言葉を私は短く制する。
「給料払ってるんだからその分ちゃんと働くのは義務ではなくて?」
マルクス金貨200枚は安くない。周辺領地を回って、宿に泊まって、3食とおやつを食べて、可愛い服を買っても尚残るほどだ。
「……わかりました。包み隠さずお話しましょう」
ローラは観念したように溜息をついた。なんだろう。何をそんなに知られたくないのだろうか。
「まずカロン伯爵領でしたね」
「ええ」
そう。まずは自分の領地を知らなければならない。この数ヶ月の間に他領を回ってきたローラなら、さらに公平な判断ができるだろう。
「カロン伯爵領は、全般的に裕福です。これは間違いありません。お嬢様のおかげで食料は余るほどありますし、作物に対する税は50%で領民も安定。孤児院も以前見られたような骨と皮の生き物っぽい何かは1人たりともいません」
骨と皮の生き物っぽい何か、とは、過去の私の言葉だ。あまりの衝撃に、私はガリガリの子供を見た後、馬車の中でそう言い放ったのだ。ローラはことあるごとにそれを引用して、私への戒めとしてくれる。嫌がらせやからかいではない。たぶん。
「カロン伯爵領の関税は一律20%で、関税による収入はエピクロス金貨で12万7千ほど。他の領地に比べれば、これはかなり少ない部類になります。」
「は?13万弱が少ない?」
12万エピクロスなんてあったら、帝都の雲海地区の小さなギルド会館に一区画もらえるレベルだ。商業地区なら、この屋敷並みの敷地が借りられるじゃないか。
「はい。シェーンブルン公爵領では関税は50%です。その以前に作物に70%の税がかかっていますので、生産された小麦に対して85%の税がかかっていることになります」
「ちょ、ちょっと待って。作物に70%でさらに関税50%?」
関税といっても、現金で支払うことは少ない。市場で売却する前で、荷台の上の小麦の価格はまだ決まっていないのだ。それを見越して現金支払いの場合、商人は損をする。なので現物で納めるほうがよいとされている。小麦であれば、持ち込んだ小麦の半分を納めれば関税50%ということになる。
しかし関税50%とは異常だ。シェーンブルン公爵家は小麦を輸入したくないのだろうか。
「はい。一律関税50%です」
「それはなぜ?シェーンブルン公爵はそんなにお金に困っているわけではないでしょう?」
ついこの前だって、帝都で大規模なパーティを主催しているのだ。休日に開かれたものなので、私たち学生も出席できた。学園内でセドリック派閥を構成している学生たちが、みんなこぞって出席していたのを覚えている。
「えーと、いくつか申し上げたいことはあるのですが……、お嬢様の認識は少し間違っているのではないですか?」
「間違っている?」
「お嬢様はシェーンブルン公爵家は今どのような状況にあるのかご存知ですか?」
「ええ。ある程度はね。当主ヘイリアル様、その妻ミシェーラ様、その長男アーノルド様と次男セドリック様に、長女アリシア様、次女エーデルネ様、リューネリア様。側室はミルヒーナ様とルーテシア様で、ミルヒーナ様にオリビアとアルージュという娘と、ルーテシア様にアンドレアという息子が1人。ヘイリアル様は元老院副議長でもあらせられるわね」
シェーンブルン公爵家は由緒正しき選帝十三公爵家の一家門であり、その権力は絶大だ。屋敷の規模も桁違い。財産の使い方も桁違い。社交界での着飾り方も桁違い。
それにヘイリアル様は皇太子であった故アルディギオン殿下の後ろ盾であり、アルディギオン殿下の兄君マクシミリアン殿下の派閥とは対立する派閥であったのだ。アルディギオン派とマクシミリアン派はそのまま開戦派と穏健派に分かれており、穏健派の中央集権的思想に反発する形での開戦派である。
でもマクシミリアン殿下はあんまり好きじゃないんだよなぁ。なんていうか、見ていて「ああこいつ馬鹿なんだろうなぁ」とわかるくらいの暗愚だし。そう思うのは私が開戦派貴族だからかもしれないけど、中央集権なんてので得をしようとしている穏健派によって操り人形になっているようにしか見えないのだ。
そんな政治的背景に思考を巡らせていると、ローラの困ったような顔が見えた。あれ?
「お嬢様、そういうことではなくてですね……」
ローラは少し気まずそうな様子だ。
「どういうことよ」
「お嬢様、視点を変えてみてください。シェーンブルン公爵家だけではなく、開戦派の貴族の方々は今何をなさっていますか?」
「開戦派……?そりゃエルフと戦争でしょ」
「そうなんです。開戦派の方々は今、軍事費の出費であまりよい経済状況とは言えないのです」
「は?借金しながら戦争してるってこと?どういうことなの?経済状況を改善するために戦争しているのでしょう?」
私がそういうとローラは頷いた。
「ええ。開戦派の思惑は擁立していたアルディギオン殿下を失った基盤回復のため、エルフの地を略奪して利益を得ようとするものです」
「ああ、ということは、あの、えーと戦争が経済を活発化させるってのが嘘ってやつ?」
前世の記憶から引っ張り出した知識で対応する。漫画だかアニメだかで得た知識だ。
しかしローラは更に残念そうな顔をした。
「お嬢様は魔術は優秀なのですが、他が致命的にダメダメですね……」
「はあっ!?」
メイドめ!言わせておけば!
「いいですかお嬢様。戦争は経済を活発化させます。競争がなくては進化もない。これは生命の歴史から得られる真理の1つです」
ローラは自慢げに述べ始めた。ローラは元々学府に通っていたこともある才女だ。実家の都合で卒業までの学費が払えなかっただけで、成績自体は上の方だったらしい。
「経済とはゼロサムゲームです。取り分が決められているのなら、競争相手は蹴落とした方が自分は相対的に有利になりますよね」
「そうね」
「戦争の目的とは、極論競争相手を失墜させることです。武力を準備し、脅しをかけることでもその目的は達せられますが、脅しに屈した軟弱者の未来は仄暗いです」
なるほど。それは理解できる。前世世界で、イギリスにボコボコにされた清が世界中から舐められて、軒並み不平等条約を結ばさせられたこともある。
「次に、その武力を準備するということです。雇用を創出し、需要を増大させ、市場を刺激します」
それも理解できる。武器を買うにはお金が動く。武器屋はエルフ大征伐で嬉しい悲鳴をあげているとも聞いている。
「さらに、戦争に勝てば不平等条約、休戦条約、和平条約などで、領土、関税権、港使用権、鉱山採掘権、漁業権などなど、ありとあらゆるものが手に入ります。相手の提示してくる条件が気に入らなければ、もっと痛い目を見てもらってから、もっと厳しい条件での交渉になるでしょうね」
そうね。たしかにヴェルサイユ条約後のドイツなんて酷いものだったし……。
「ですが、エルフ相手だと話はそう上手くいきません」
「どういうこと?」
「エルフは現金を持っていません」
答えはとてもシンプルなものだった。
「新種のお菓子などの食品利権関係を手にしたアシェット公爵家ならまだしも、領地として得た彼らの地はほとんど未開の山々です。これらは長期的な収穫を見るべきものであるため、経済に即効性のある薬にはなりえません。つまり」
ローラは少し勿体ぶった。主である私をやり込められてご機嫌なのだろう。
しかし、私の不快そうな顔を見て、ローラはつまらなそうにまた語り出す。
「つまり兵士たちにお金を払えないし、食料を確保して食事を取らせることもできないのです」
「だから小麦とかに50%の関税を設けて、食料確保に充ててるわけね」
「半分正解ですね」
私は、今度は「どういうこと?」とは聞かなかった。ローラがそれを望んでいるのだから、素直にそれに乗るのが癪だったのだ。
「自領の保護のためですよ。小麦は軍が持っていって価格が上昇していくなら、穏健派の狙いがどこに来ると思いますか?」
「不当廉売。つまり穏健派の連中が開戦派貴族の経済基盤をぶっ壊そうとしているんでしょう?」
「その通りですお嬢様。おかげさまで200枚あったマルクス金貨もすっからかんです。シェーンブルンなんて黒パン1つがトマス銀貨1枚で、他領に比べてまだ安い方なんですから」
「はぁ!?黒パンがトマス銀1枚!?」
黒パンは一番安いパンで、長期保存するのでカッチカチになっていることが多い。一般流通通貨の中で一番価値の低いヘーゲル銅貨が、だいたい5枚あればお腹いっぱいになるまで買える庶民の味方。もちろん焼きたては柔らかいのだけど、焼き立ての黒パンを買うくらいなら、焼き立てふわふわの白パンを食べたいけどね。
「そりゃそうですよお嬢様。シェーンブルン公爵がエルフ大征伐に動員しているのは10万人超えてますからね。そりゃもう穏健派が手を出さなくても経済基盤なんてガッタガタですよ」
「うちの領民の4分の1じゃない!」
「ああ、領民はお嬢様のいない間にまた増えまして、カロン伯爵領の人口は50万人を越えました。出生人数よりも他領から流れてきている者が多いみたいで、浮浪者が増えたので開拓村を増やしております」
と、ここでローラの爆弾発言だ。
「ちょ、ちょっと待って。うちの領地の繁栄は嬉しいことだけど、他領からってマズくない?」
他領の民を勝手に招き入れているということは、その貴族の所有物を奪っていることになる。十分外交問題だ。
「いえ、シェーンブルン派からの流民は突っぱねて、穏健派の連中から引っこ抜いているので大丈夫です。ご当主様の策にございます」
ふーん。お父様がねぇ。かなりえげつないやり方をするのね。
「ん?ちょっと待って。セドリック様から聞いてたんだけど、アーノルド様って5000の兵を引き連れてるって聞いたんだけど……」
「アーノルド様が率いているのはシェーンブルンの動かせる軍ですからね。今んとこ増やした領地を守るので精一杯らしいですよ」
「ああ、そういうことね」
単純なことだ。シェーンブルン公爵の領地は今や2倍近くまで広がっている。皇帝に献上しなければ今頃3倍にはなっていただろう。
それだけ肥大化した領地を守ろうとすればどこかに綻びは出てくるということなのだろう。それにしても10万人を動員しても領地を守るので精一杯って、どんだけ領地を広げてるんだか。どう考えても補給線の限界はとっくに過ぎてて、今は奇跡的に保っているだけだろう。
「他にも武器税、食料品税、特に小麦税と粉引き小屋使用税が高いのが目を引きますね」
「……はい?」
思わず馬鹿みたいに聞き返してしまった。
「こ、小麦税って何それ」
粉引き小屋使用税は、とんでもない税なのは間違いないが、まあ文字通りの意味なのだろう。小麦粉を作るための小屋で、風車や水車に接続された石臼が小麦を挽くのだ。それの利用料金を取るというわけだろうが、作物に70%もかけている中でさらに税を重ねるのは愚策だ。
「そりゃ小麦にかかる税ですよ」
にべもなかった。
「小麦商人にかける税ですねおかげさまで麦ギルドは頭を抱えているのではないですか?」
「小麦税って何よ。馬鹿じゃないの?」
私がそう吐き捨てると、ローラは逆にきょとんとした顔。
「普通じゃないですか?カロン伯爵領にもありますし」
「えっ!?」
「知らなかったんですか?」
「……知らなかったわ」
「へえ。責任ある貴族様が知りませんでしたか。それはそれは」
「はあ?何その言い方!」
ベッドから立ち上がると同時に、無詠唱で魔力を右手から開放する。氷が伸びて剣の形をとる。それをローラの喉元に向けて威嚇を示す。ここまで腕の一振りだけで終わらせられる魔術師は、少なくとも魔法学園の同級生には1人もいない。エリザお姉様だってまだ無詠唱魔術は習得していないのだ。
ローラはすぐさま両手をあげて降参のポーズをとるが、顔は不敵な笑みを浮かべたままだ。
「言葉が過ぎるわ。反省しなさい」
「そこで謝れと言わないから、私はお嬢様を敬愛しているのですよ」
「はあ?形だけの謝罪なんていらないし、あなたがそれだけ不敬な態度に出るってことは何かしらの理由があるんでしょ」
私がそういうとローラは何だか嬉しそうな顔。何よ、気持ち悪い。
ニヤニヤ笑うローラを不思議に思いながら、私は出した時と同じように腕を振って氷の剣を熱して霧散させる。固有魔力特性という、最近発表された理論で、魔力によって生成された物質は状態変化しないというものだ。だから氷の剣は水にはならず魔力として霧散し、水魔術による濁流は凍りつかずに霧散するのだ。今まで、沸騰しているわけでもないのに消えてしまう魔術氷に対する解答ということだ。
最近あまりいい噂を聞かない、フルール子爵という魔術師の新理論だという。
「ふふふ。ご寛容、痛み入りますお嬢様」
「そんなことはどうでもいいわ。話の続き」
私はどっかりとベッドに座り直す。上品さの欠片もない。
「まあ、そういうわけで、今シェーンブルン公爵領は高額な税とそれによる輸出入封鎖によって飢餓に満ちています。というお話です。シェーンブルン公爵領だけでなく、開戦派貴族の領地はどこも似たようなもので、お嬢様のいう、骨と皮の何かで村々は溢れかえってますよ」
「……なんてことを」
ありえない。ヘイリアル様は底無しの無能なの!?
財政が厳しいからといって民を弾圧して何になるというのか。民から税を取るならそもそもの民が税を納められる状況になければ意味がない。どれだけ税率を上げようと、飢餓で民が減っていくなら税収は増えない。
「まあ、それに比べたらうちはまだマシってところかしら。まあ普通が一番よね」
「……普通、ですか」
ローラの雰囲気が、少し変わった。
「お嬢様、学園はどうですか?」
「は?いきなり何?馬車でも言ったじゃない。退屈極まりないわ」
「周りの方々はいかがですか?同じ貴族御令息御令嬢の方々を見てどう思われますか?」
「どう、って別に何も思わないわよ。くだらないことで喧嘩してまるで子供みたい」
私がそう答えると、ローラは何か満足したように微笑んだ。
「お嬢様も苦労なさっているのですね」
「別に。精神年齢が違いすぎるのよ」
そりゃ中身は34(前世)+15(現世)=49才の日本人だもん。周りとそれだけ精神年齢が離れていたら、話が合うことなんて稀だ。
「苦労ついでに、お嬢様は世事に疎いようですのでお教えしておきます。この世界の税制度は狂っております。小麦税、粉引き税、粉引き小屋使用税、小麦粉税、貨幣使用税、土地税、建物税、小麦粉保管及び管理税、パン窯使用税、販売税に取引税で、あと教会税」
ローラはつらつらと税の名前を挙げていく。粉引き税と粉引き小屋使用税?一緒じゃないの?
「な、何それ……」
「カロン伯爵家が領地にかけてる税金ですよ。うちがパン屋だからパン関係のものだけですけどね。漁師は網使用税と船使用税と、あと漁税に漁許可申請料が二重になってて、それから漁獲高から50%をとって、残った魚を売る時にまた販売税と取引税ですよ」
「……ちょっとどういうことなの!?」
信じられない!じゃあどうやって彼らは生活しているというのだろう!
「どういうことも何も、税金ですよお嬢様。あなたたち貴族が美味しいご飯を食べて豪華なドレスで着飾ってかっこいい貴族の男を狙ってきゃーきゃー言って暮らすための税金です。日雇いのアイエルロなんて小銭かき集めて高い魚を食べてますよ」
「ひ、日雇い人夫は3マルクス銀って……」
「そりゃ3マルクス銀貰いますよ?でもそこから日割りの人頭税と雇用税と労働税と異種族税を差っ引いて……マルクス銅貨で10枚くらいじゃないですか?」
「へ?銅貨?」
「はい、マルクス銅貨ですね。だいたいトマス銀貨1枚で払われるみたいですけど」
わけがわからない。税金がそんなにもの事項に別れて取られていたものなんて知らなかった。じゃあパンをどうやって売っているの?どうやってパンを買っているの?
日雇い人夫がトマス銀貨1枚?じゃあトマス銀貨1枚の値段の黒パンは?いったい誰が買えるのだろう。いったい誰がそれで納得するだろう。
その原因を作っているのは貴族だ。私たちだ。
「どうしてこんなことを私に言うの?」
私たちはこの世界では絶対的権力者だ。やろうと思えば、この場でローラの首をはねて彼女を裁くこともできる。しかもそれは帝国法で合法とされている。
「…………」
私の問いかけに、ローラは答えない。
「どうして!?」
殺されるかもしれなかった。私が少しでもヘソを曲げれば、ローラは殺されていたかもしれない。
人として扱われない。そんな状況になるかもしれなかったのに、ローラはなぜ私にこんなことを伝えようとしたのだろう。
しばらく沈黙が流れ、ローラは重々しく口を開いた。
「それは、お嬢様がお嬢様だからです」
「へ?」
出てきた言葉はトートロジーであった。
「私はお嬢様に賭けてみたくなった。転生者、とはご存知ですか?」
寸前のところで、私は無表情を貫いた。驚愕に目を開くこともなく、口をあんぐりと開けることもない。私は、ポーカーフェイスを維持できた。貴族同士の腹芸によって鍛えられたものだ。
「異世界の知識を持つ者だそうです。その者はその知識でこの世を清めて浄化し、またある者は悪しく汚すのだと」
……この口ぶりは、つまり、私のような転生者が以前にもいたということだろう。
「お嬢様が転生者なら、私たちを救ってくださるのではないかと」
「救う……?転生者というのは救済者ということ?」
「ああ、お嬢様は宗教はお嫌いでしたね。西方守護天使様である、ヤムダタロとはニホーという天上より遣わされた神の御使いだといいます。その者はこの世界の理を教え、天上の知識により大地を祝福したと」
ヤムダタロ……。まさかとは思うが、山田太郎が転訛したものだろうか。ニホーというのも、日本が転訛した可能性も高い。
「お嬢様が神の御使いならば、きっとこの地獄から私たちを救ってくださるのではないかと」
「つまり、……私にどうしてほしいの?」
「いえ、転生者でなければ、特に何も。お嬢様の進言する施政は合理的かつ優秀なものと存じます。今のままでお嬢様は十分に救済者でございます」
「そう……」
「まあ私は税搾取無しで月5マルクス金いただいてますから、今の生活に文句はありませんが、もし妊娠した時にアルハール様から手切れ金をいただけるのかが心配ですので」
「は?」
「…………」
しまったという顔。
「おい、アル兄様がなんだって?」
「……何のことでしょう」
「答えて」
右手から氷の槍が顕現する。魔力の奔流に任せて形作った、禍々しい螺旋を描いた2本の氷の茨が槍の形をとっているにすぎない。
見るからに痛そうなその槍を向けられても、ローラは無表情だ。今度はローラが無表情を貫く番というわけか。
「答えなさい!」
続いて左手から氷の大鎌が顕現する。三枚の刃が爪を広げるようにして鎌の形をとっている。
「頭吹き飛ばすわよ」
「…………」
ローラは無言だ。
「そう。なるほど。そういうことね。頭にきたわ。なんというか、私の信じていたものって何なのかしらね」
大きな音を立てて、私は槍と鎌を手放した。水晶で作られたみたいな武器は、カーペットを濡らさない。溶けていく状態変化が起きれば、その端から魔力へと還元されていく。
「食料改善?それは何?結局私たちが私腹を肥やすためにしたことなの?違うわ!私はみんながお腹空かさないように……いえ、それは成せたのよね、ああ混乱してきたわ……」
「お嬢様が思うことをなさってください」
「わかってるわよ!くそっ!」
「あまり汚い言葉をお使いになられませんよう」
「こんなときにメイドぶりやがって!」
「アル兄様もベル兄様も父様も母様も、この国も貴族も、何もかも!」
「大嫌いだ!!!」




