リーゼロッテの領地巡回記
カロン伯爵領西方守護教会リバー孤児院。古びた教会で、ステンドグラスは砂埃に汚れている。その敷地内で、何人もの孤児たちが遊んでいる。男の子の孤児たちは木の棒を片手にちゃんばらごっこに勤しんで、女の子の孤児たちはおままごとを楽しんでいるようだった。
教会の運営する孤児院。その一般的な田舎町の風景で、リバー孤児院は顔をシワだらけにした60歳を過ぎたシスターが切り盛りしている。
そのリバー孤児院の前に豪奢な4頭立て馬車が停まっていた。交差するペンと斧の紋章はカロン伯爵家のものである。それを守護する騎士たちが10人ほど、それぞれ配置についていた。
今日、私ことリーゼロッテは孤児院に視察に来ていた。服装は帝都の商業地区の古着屋で買ったもので、クリーム色のふんわりとしたワンピースにベストを羽織った様は庶民にしか見えない……はずだ。さすがにカロン伯爵領は広すぎるので家の馬車を使っているが。
私が馬車から降りると、シスターがよたよたと急いで駆け寄って、……シスターは腰が悪く走ることができないので早足で、礼拝堂から真っ直ぐに玄関まで出てきた。
「これはこれはリーゼロッテ様。本日はお日柄もよく……」
「そんな他人行儀な挨拶はやめてちょうだい、シスター・スタシア。それよりそんなに急ぐと腰をまた悪くするわよ」
「いえいえリーゼロッテ様。わたくしはまだまだ現役ですので!」
ふんっ、と鼻息を出すシスターに、私はやれやれと苦笑を浮かべるにとどめた。お年寄りはやりたいことをやるのが一番だ。前世のお祖母ちゃんなんかは足を悪くした途端に痴呆症が進んだからね。こっちの世界にも痴呆症があるかどうかはわからないけど。
「子供たちはどう?」
「ええ。リーゼロッテ様がよくしてくださるおかげで、もう元気一杯です」
シスターの言葉を聞いて、私は安堵の溜息をついた。五年前では、考えられないことだ。
私が前世の記憶を取り戻したとき、カロン伯爵領内の状況は酷いものだった。あとで文献を探してみると、それが一般的な領地の状態らしかったが、それでも私は悲惨な状況を見逃すことはできなかった。
私はすぐに、一度着ただけで無駄に大きなクローゼットの奥で眠っているドレスを、出入りの商人に売って当座の資金を作った。まったく、一度着たドレスを着るのは他の貴族からナメられるって、非経済的極まりない話だわ。
その資金でいくらかの教会に援助をして、10歳の私は領内のあちこちを巡察した。その姿勢にお母様は感心しなかったが、お父様は褒めてくださった。そういう生き方をする娘も、珍しいもののいないわけではないらしい。
私には兄が2人いる。上の兄アルハールは帝都や他の貴族の領地をお父様と飛び回っていて、襲爵する気満々である。下の兄ベルハールは去年魔法学園を卒業したばかりで、今年から領軍の経営を任されていて忙しそうにしている。
つまり私には襲爵しようにもその継承権は三番目で、2人の兄も健康であるのだ。そうなると私の生きる道は嫁入りしかないのだが、それを選ばないお嬢様も中にはいるわけで。
例えばメレアグロス公爵家の先代当主エデルフィーヌ様なんかは、私と同じ家族構成であったが、2人の兄のうち、上は流行病で、下は戦で命を落としてしまった。その結果、エデルフィーヌ様は当主の座に着くことになったのだ。
アル兄様もベル兄様もピンピンしていて、……というか2人とも三十路という言葉にはまだ10年弱早いのだ。死ぬ気配なんてこれっぽっちもない。
でも領内のことを知っていれば、結婚できなくても仕事は手に残るもんね。アル兄様にお願いして、領地経営を任せてもらってもいいわけだし。
そんなわけで領地改革に手を付けた私は、遺憾なく前世の記憶を発揮したのだった。
前世の私は地方公務員をしていた。市民の税金でだらだら仕事をしていたわけだけど、地方公務員になる前は民間の会社にいたのだ。大学時代に簿記とフィナンシャルプランナーの資格を取っていた私は地方銀行の経理部に就職していた。でも、入ってみればお茶汲みとコピーの毎日で、職場のお局様も似たようなもの。折角身に着けたスキルも持て余しているばかりだった。そのくせ週休2日で、つまりは一ヶ月に一度2連休があるだけで、要するに私は週休2日制と完全週休2日制の区別がついてなかったわけで……。
とにかく嫌気がさした私は仕事をしながら公務員試験を受けて、あっさり通ったのだった。官舎は安いし、定時上がりできるし、休日は暇だし、お金は貯まるしで、その、ずぶずぶと二次元に課金するには好条件すぎて……。
そんなわけで私はまず領内の税収見直しに着手したのだった。といっても、私に決定権があるわけでもないので、私が纏めた草案を家令のギースに見てもらって、お父様にお伺いを立ててからになった。
複式簿記を見たお父様も家令のギースもかなり驚くと思ったのだが、そうでもなかったのには私が驚いた。この世界にも複式簿記はあるらしく、ギースの反応は「お嬢様に簿記の家庭教師はいましたっけ?」という驚き方だったし、お父様の反応は「おお!ちゃんと勉強しているのだな!」というものだった。
でも、複式簿記はあまり普及していないらしく、かなりの額の誤差と収賄と着服が発覚した。私のせいで……というか私が不正を暴いてしまったせいで、何十人もの官吏が奴隷商人にドナドナされていったのには、少しばかりの罪悪感はあった。まあ彼らの自業自得なんだけどね。
部屋で落ち込んでいると、私より4歳年上で当時14歳のイケメンのベル兄様が来て、褒めてもらった上に頭も撫でてもらって、さらにはギュッとハグしてもらったので私はすぐに元気になった。いやぁ、年上イケメンっていいですなぁ。そのときアル兄様は17歳で、まだ魔法学園にいたので手紙で褒めてもらった。アル兄様もイケメンなのだ。イケメン兄弟最高!
その手紙で知ったのだが、私が調べたおかげで浮いた資金は4000エピクロスになったらしい。エピクロスっていうのは、商取引に使われる大金貨のエピクロス金貨のことで、それが4000枚ということだ。それがどれくらいになるかというと、200人の騎士を雇えるくらいと聞いて、私は飛び上がるほどビックリした。
一年にカロン伯爵領から得られる収入は14万エピクロスになる。その他にもお父様は資金繰りをしているらしく、毎年10万エピクロスほどが収入として上がってくる。合計24万Eの資金のうち、5000人を抱える常備軍の維持費に10万E、私たちの交友費に10万E、領地経営に1万E、生活費に3万Eが使われる。
帳簿を改めて見るといろいろと怪しい箇所があり、お父様に聞いてみても無視される項目があるので、たぶんそこはお父様が資金繰りをしている部分なのだろう。できればそこの効率化もしたいのだが、当時10歳の小娘に何ができるわけでもなかった。
15歳になり、魔法学園入学を控えた私は、帝都から領内に戻って各地を見て回っているのだ。
リバー孤児院の視察も順調に終わった。子供たちは素直で、私と一緒に鬼ごっこやかくれんぼ、シロツメクサに似た植物での冠作りなどをして遊んだ。
「うーん。やっぱり子供はいいわね。無邪気な様子を見てると欲しくなるわね」
馬車に乗り、また別の視察場所に向かう道すがら、私は馬車の中で向かいに座るローラに言った。
「ではオズワルド様との婚約の話を進めておきますね」
「進めるな!」
「ああ西方を照らす守護天使様、リーゼロッテ様が元気なお世継ぎを授かりますよう、どうかお力添えをくださいますよう心からお祈り申し上げます」
「祈るな!」
ひとしきりボケとツッコミの応酬をして、私は頭痛をこらえるように頭に手を当てて、馬車の外の景色を見た。
ローラといると疲れる……。疲れるのだが、仕事はできてしまうので厄介なことこの上ない。今回の視察の段取りも彼女がすべて進めてくれたことだ。首にしようにも彼女の代わりがいない。けして掛け合いが楽しいとかは思っていない……と思う。
「次はソースエリンという村ですね。お嬢様が農業にアドバイスをなされてから税収が3倍になったところです」
「ああ、あそこは土壌が悪くなってたのよ。私が肥溜めを作ったし、ちゃんと利用してくれているということね」
農業改善は前世での学校教育の知識を総動員しつつ、この世界の文献を読み漁った結果、肥溜めを作るという答えに行き着いた。帝都住まいだと帝国大図書館が楽に利用できて便利で助かる。
もし私が平民の帝都民であったなら、一冊の本を借りるだけで一ヶ月は待たされただろう。しかしそこはカロン伯爵家のご令嬢。こういう本を探しているから何日に行くとだけ伝えておけば、自分で探さなくても個室に司書が選んだその系統の本が揃えられている。さらには紅茶までついてくるのだから利用しない手はない。
「お嬢様の魔術も上達なされましたし、学園での生活も安心ですね」
そう、私の魔術は上達した。プリステでは戦闘パートというのがあって、簡単なコマンド式の戦闘がある。ルートによっては負ければ即ゲームオーバーで、しかも育成が足りていなければ、殆どの場合で確実に詰むというものだった。
その中でもリーゼロッテとの戦闘はヌルゲーで、特に近衛騎士と戦わされるオズルートでは際立ってリーゼロッテは弱かった。
入学当時に主人公が覚えている唯一の初級攻撃魔術の突風しか使えず、それも3回撃てば魔力切れという有様だ。
そのころにはどれだけ魔力にステ振りしてないプレイヤーでも、授業パートで障壁や風槌は覚えていたし、共通イベントである程度の魔力にポイントが勝手に入って、回復は必ず入手していた。
魔力ガン振りにしてモンスター討伐での資金繰りを狙うプレイヤーからすれば、リーゼロッテよりスライムのほうがまだ強いと評されるほど。リーゼロッテ最大ダメージ祭りなる、私からすれば恐怖でしかない遊びもあった。レア魔導書から入手する業火や絶対零度と、ランダム入手の闇市魔道具によるブーストで、リーゼロッテ相手にどれだけのダメージ叩き出すかという遊びだ。ちなみにデータ上のリーゼロッテの体力は30で、無強化状態で突風を撃てばちょうど三発で沈む。
そんなリーゼロッテにプレイヤーたちは毎ターン割合ダメージを与える窒息や砂塵、即死判定のある電気系統の感電や落雷、魂を捕らえて魂石に閉じ込める魂縛、究極魔法の融合反応など、思い思いの凶悪魔術をリーゼロッテにかけた。
ちなみに最大ダメージを与えるのは、氷雪系ダメージ2倍の星霜のペンダントを装備して、悪寒で氷雪系に弱くしてから、次ターンの魔術ダメージ2倍の集中を使ってから、絶対零度で8倍ダメージとなる。これがクリティカルすると16倍ダメージになる。
そのあとの審判の「そこまで!」というメッセージに、「いや途中で止めろよ」というツッコミを入れざるをえない。リーゼロッテ、ミンチより酷い状態じゃねえか。
「まあ、死にたくはないからね」
私は自分の手を見つめながら、ローラと私自身に言うように呟いた。
まあ、そんなわけでゲームではからっきしだった私の魔術は、今では魔術で50ガロンの肥溜めをパッと掘れるくらいに成長してた。それに魔術といってもゲームみたいに「サンダーを覚えた!」となるわけではないので、魔術を覚えるのは一苦労である。
ちなみに都合よく穴掘りの魔術があるわけではなく、私が使っているのは鎌鼬と旋風による複合魔術、風刃乱舞だ。賊に襲われても風の刃を飛ばしてグロ展開。物騒なお嬢様もいたもんだと我ながら怖くなる。
重機もなしに大穴を開けられるのは非常に便利だ。あとは薄くなるように調整した石壁で加工すればコンクリートいらずで、肥溜め用の穴が出来上がる。あとは粘土で目地を埋めて、穴の周囲を石牢で囲み、ドアを取り付けて完成だ。
魔力の関係上、調子が良ければ1日に2つ、悪ければ1つ作るのが限度だが、20分ほどで作れる手軽さだ。これを前世でやろうとすれば、重機を使ってもコンクリートの養生に一週間以上かかるのだから、魔術は本当に便利だと思う。
「魔法学園……。死にたくはないわね……」
死にたくないので、馬車での移動中にも魔導書を読んで勉強!勉強!
ちなみにリーゼロッテ編で名前が出ている人たちは、今後も出てきたり出てこなかったりします。




