イケメンオークと魔剣と女神
遠くから、馬の蹄の音が聞こえる。地面を突き揺るがし、確実な死を届けるための一歩を駆け足で進む。
バチバチと木材が燃えて爆ぜる音が響く。宝具エクスリーガの一撃で、ブルナーガたちが立て篭もっていた館は跡形もなく吹き飛んだ。爆炎に飲まれた木造の建物は、その残骸を虚しくあちこちに散らばらせて木材を燃やしている。
辺りには木が焼ける臭いだけではない、腐臭にも似た生臭い臭気が漂っている。生き物の焼ける臭いだ。
「う……」
カルアは、灼熱の温度を肌に感じて再び意識を取り戻した。
そして、父が自分を庇い、黒く炭化した姿を見た。
「お、おとっ、お父様……っ!!」
辛うじて父だと判断できたのは、彼の身に着けていた物からだった。
すでに息絶えた彼にカルアが抱きつくと、炭化したブルナーガはボロボロと崩れていった。いくら集落の中で絶大な権力を持っていたとしても、死ぬのは呆気ないものであった。
カルアが周囲を見渡すと、石造りの首長の館は完膚なきまでに破壊されていたのが確認できた。一筋の線のように地面が抉られて焼け焦げ、その跡の所々にメラメラと残り火がちらついている。振り下ろされた宝具エクスリーガがその力を思う存分振るった結果だ。
「イクトール……」
あまりに圧倒的で絶望的な状況に、カルアは思わず彼の名を呼んでいた。
イクトールが集落を出てからしばらくして、さっきと同じような攻撃で集落の一部が吹き飛ばされた。その傷をさらに押し広げるように、抉られた一筋の地面の線をなぞって騎士たちが雪崩込んできたのだ。そこから先は、思い出したくない。
一方的な殺戮。
カルアはその破壊の波から最優先で逃がされて、首長の館に逃げ込まされた
武装した異母兄弟たちが、騎士らに必死の抵抗を試みた。
その指揮をとったのは首長であるブルナーガだ。
騎士たちを相手にした戦い方に精通していたようで、彼らの手にした魔法武器──カルアはハルバードという武器を知らなかった──の届かない範囲から馬に矢を射掛けて落馬させた後、隙を突いて囲んで嬲り殺した。
敵が弓矢を用いなかったことが幸いして、局地的には敵を圧倒する場面もあった。
だが、敵の数が知れない。
あと何人殺せば敵は止まるのか。
あとどれだけこちらが殺されれば敵は満足するのか。
それはオークたちの誰にもわからなかった。
圧倒的情報不足に、不安を隠せない者もいた。
敵の攻撃が緩まったので、館に一度集まって立て直しを図ろうとした矢先だった。突如として出現した質量をもつ火柱に、一撃で吹き飛ばされた。
カルアが生きているのは、とっさにブルナーガが庇ったからに他ならない。そうでなければ、カルアの隣で肉と血の焼ける臭いを放っている弟と、区別の付かない肉塊になっていたのは間違いない。
蹄の音が近づいてくる。見れば火の魔法武器を手にした騎士たちが、隊列を組んで突進してくるところだった。
死ぬ。
カルアはそれを確実に意識した。絶望と死の悪魔の冷たい手が、カルアの心臓を撫でるのを感じた。
「イクトール……」
また、愛しい者の名を呼んだ。死する者が行くと言われている楽園で先に待っている、と心で誓う。
だが、その死は訪れなかった。
*
魔剣。
名前も知らないその剣は、実体としてこの世に顕現しているのは柄だけだった。青と金で彩られた装飾は、一目見ただけでそれが高価なものだとわかる。
しかしこの魔剣の本質は希少性にも芸術性にもあるわけではない。その本質は貪欲に魔素だけを吸収し、魔術回路を破壊して飲み込み、魔力を虚無へと導く魔滅の剣だった。
与奪の剣、神殺しの剣、虚無なる剣……。
様々な名で呼ばれたが、この魔剣のありとあらゆる魔術的要素を破壊して吸収するという効果は、自らの名前にも効果を発揮した。有名になればなるほど名前が力を持つようになり、そして名前そのものの持つ魔力を吸収するため、魔剣はすぐに人々の記憶から消滅する。
イクトールは、その魔剣を振った。
不可視の刀身が無音で延びて、隊列を組んだ騎士たちを纏めて貫通する。ただ一振りですべての騎士が装備していた魔術的要素が破壊され、手にしたエクスリーガの分身は消滅し、魔導全身鎧は軽量化と防御の加護を失って持ち主を重力の手のひらが捕らえた。
それだけで、ほとんどの騎士は落馬した。
1人の装備していた魔導全身鎧を売れば、一般的な農民の家族が十年は生活できる金貨を得られただろう。しかし今彼らが身に纏っているのはただの鋼鉄の鎧である。魔術付与もされず、かといって今イクトールの持つ片手斧からの攻撃を防ぐこともできず、そして落馬した持ち主を重力によって地面に縛り付ける枷でしかない。
綺麗な隊列を組んでいたせいで、落馬した騎士を後続の馬が踏み潰す。馬の蹄からその身を守る力すら、エンチャントを失った全身鎧は持っていなかった。
異物を踏み潰した感覚に驚いたのか、馬があちこちで大きく嘶く。踏み潰された騎士たちは呻いたり叫んだりするので精一杯だ。全身鎧の術式が破壊されても落馬しなかった騎士たちも、味方を踏んで驚いた馬に振り落とされた。
「カルア!」
(間に合った……!)
イクトールは一見してその巨漢に見合わない速度でカルアに駆け寄る。
イクトールは大きく愚鈍に見えるが、全身が筋肉で覆われたオークが遅い理由はどこにもなく、むしろ速い以外の理屈も見つからない。その重戦車──この世界には存在しないが──を思わせる巨体が、カルアを背に隠して騎士たちの前に立ち塞がる。
主無き馬たちが、脇に逸れて好き勝手に走り去っていく。残されたのは、エクスリーガの破壊の爪痕の道に微かな呻き声を上げて横たわる無残な騎士たちだった。
「カルア、間に合ってよかった……」
「イクトール……!イクトール!来てくれた!来てくれたのね!」
カルアが感涙を黒真珠の瞳を濡らして溢れさせる。その姿にイクトールは胸を揺さぶられた。巨乳幼馴染が両手を地につけてへたれ込んでいる姿は、ちょうど胸を腕で押し潰して強調するような形になっていたからだ。
『ね?我が使徒はイケメンでしょう?転生するとき、私は何も嘘は言ってないでしょう?こんなにイケメンでさらには可愛い幼馴染までいて、何が不満なんですか?』
女神アンジェリカがイクトールを責めるように言う。前世で死んだ直後に行われた、あのやりとりを言っているのだろう。
女神アンジェリカはそう言うが、イクトールにとってはまだまだ不満が残るのである。転生無双を夢見る側としては、生活に何の不自由もない貴族に生まれて、赤ちゃんのころから魔法訓練に明け暮れて最強の魔法使いになる……というテンプレートは外せなかった。
しかしこのオークの身体は、貧相な剣や弱々しい矢をものともしない代わりに、一切の魔法を使うことのできないものなのだ。これでは錬金術で製鉄してアサルトライフルやスナイパーライフルを作るという夢も叶わないし、とんでもない魔力で再生魔法を使って病気の人たちを救ったりもできないし、前世の技術や発明を使って大規模な金儲けもできない。
女神アンジェリカのおかげで何が売れるもので、相手が嘘をついているかどうかを見抜くことで適正価格で取引ができ、ある程度の貯金をすることもできたが、あんなものは時間が有り余った商人と狩人のペアがいればどれだけでも再現できる。再現できるということはイクトールの代わりになってしまうということだ。それでは、転生した意味などない。
『最高のタイミングですね?我が使徒イクトール』
だが、この瞬間だけは自分が自分であることを誇りに思う。悪魔のような女神がいなければ、カルアを救うことはできなかっただろう。その根源的原因が女神アンジェリカにあるとしても。
『ええ、感謝します。我が女神アンジェリカ様』
よろしい、とばかりに女神アンジェリカは鼻を鳴らして沈黙した。それを受けて、イクトールは叫ぶために息を吸い込む。
「私は、三千世界の支配者たる女神アンジェリカ様の使徒、イクトール!」
イクトールは辺りに響き渡る大音声で叫んだ。
「女神アンジェリカ様の領地、そして我が故郷に何の用だ人間共!」
「だ、黙れ蛮族……!」
一番近くで呻いていた騎士が言った。彼の右腕と右足はあらぬ方向を向いていて、腹部には馬に踏み潰されたであろう凹みができている。
「蛮族?」
イクトールは醜悪な笑みを浮かべながら、その騎士に近付く。その脳裏には朱に交われば赤くなる、という言葉が浮かんでいた。騎士たちの所業に、イクトールの堪忍袋の緒は切れるどころか、もはや跡形もなく消し飛んでいた。
イクトールの脳裏を1つのことが専有していた。今から自分は、女神アンジェリカの使徒として、彼女の代行者となるのだ。血と、恐怖と、殺戮と、支配だ。
「勝手に人の領地に押し入って親兄弟姉妹虐殺して、やり返されたら蛮族?」
イクトールはおもむろに騎士のへし折れた腕を持ち上げる。ひょい、と軽い仕草で、鎧を纏った全重量を持ち上げた。これには周りでひれ伏すように呻いている騎士たちも息を飲む。自分たちの纏っている鎧だけで50kgはあるのだ。そこに自身の重さも合わされば100kgは余裕で超えることになる。
持ち上げられた騎士は、へし折れた腕を乱暴に扱われた上に、全重量の負担が肩にかかって脱臼する痛みに叫ぶ。
「それはいい御身分だな。お前らにとって狩りか何かだったのか?俺らは狩りの獲物だったってわけか?」
イクトールの問いに答えは返ってこなかった。騎士はただ痛みに叫び声をあげるだけだった。折れた骨から肉と筋がブチブチと音を立てて離れていく。その音が騎士の鼓膜を揺らして精神を削っていく。
「答えろよ!」
ぶん、と向こうに投げようと腕を振るう。だが投擲されたのは右腕だけだった。騎士の腕には、合計100kgを超える全重量を振り回すだけの耐久力はなかった。
肘の根本のあたりから千切れた騎士は、地面に落ちて横たわる。引き千切られた腕の部分を押さえて、騎士はさらに大きな声で叫び声をあげた。どれだけ力強く肩口を押さえても、出血は止まらなかった。
本来であればエクスリーガの火柱に魔剣を当てたかったところだが、距離が足りなかったことが、イクトールの胸を責め続けた。もっと速く走っていれば、という思いが胸から吐き気となって胃を刺激する。その自責の念を誤魔化すように、イクトールは騎士たちを玩具のように扱う。
次の獲物に向かって歩き出したとき、上空に気配を感じてイクトールは魔剣を抜いたが、慌ててその手を止める。知った気配だった。
「イクトール!」
上空から降りてきたのはロザリーだった。ふわりと着地して、ロザリーはイクトールに駆け寄る。
「ったく、1人で走り出して!」
ロザリーが白く華奢な指でイクトールの胸をとんとんと突いてなじる。騎兵50を殲滅したのはロザリーだが、イクトールはそれを知らない。
「それは……すまない。だが、今はカルアの傷を手当てしてやってくれ。……回復魔法は使えるよな?」
「バカにするのもいい加減にしなさい!こんな火傷なんて一瞬で完治よ!生命よ、満ちて器をあるべき姿へ!」
腕を大きく振ってカルアに魔術をかける。カルアは自らの肉体に猛烈な魔素が満ちるのを感じ、同時に暖かい慈愛に包まれるのを感じた。身体のあちこちにできていた傷や火傷は、跡形もなく消え去っていた。
死んでさえいなければ、火傷も治るのである。ロザリーはそれでさらに救えなかったラコへの無念と自責を強めた。
「す、すごい……!こんな一瞬で……!あ、ありがとうございます!」
カルアが完治した身体でロザリーに駆け寄って、彼女の両手を包み込んで祈るように感謝を捧げた。
「ま、まあね!ほら?私エルフだし?その辺はね、魔術でね、ちょちょいのちょいなわけでー」
言葉は通じなかったが、カルアが猛烈に感謝していることはわかったので、ロザリーは天狗になった。
「ほら、そこの死にかけてるオークもね、生命よ、満ちて器をあるべき姿へ」
再び腕を振ってロザリーは次々に瀕死に陥っていたオークたちを治療する。
『イクトール、10時の方向、斥候』
それを横目にイクトールは落ちていたオークの手斧を拾って、投げた。
「ぱぎゃ!」
狙いは違わず、鋭くほとんど直線を描いて背の低い斥候の額をかち割る。
『おっと、あの売女騎士、また同じことをするようですね』
因果関係はないが、まるで女神アンジェリカの呟きに呼応するように火柱があがった。その根本には煌びやかな装飾をつけた非実用的な鎧を纏った女騎士がいた。
イクトールがマリアンヌを見たとき、マリアンヌもイクトールを見た。他のオークより一回りも二周りも大きいイクトールを見て、マリアンヌは不敵に笑った。
「あいつが、報告にあったオークか!」
マリアンヌは両腕を上げたまま、傍らの幕僚に問う。その顔は憎しみに満ちていた。仲間であり、同士であり、そして子飼いの精鋭を壊滅させられた恨みである。
「はい。ですが、あのような空飛ぶエルフは報告にはありませんでした。突然彼らが落馬したのと何か関係があるのでしょうか?」
マリアンヌは彼のトンチンカンな物言いに溜め息をつく。
「見てわからないか。あのオークの持ってる剣だ」
その後を受けて、フリードリヒが油断なくオークを見つめながら言った。プールに空いた穴に水が際限なく吸い込まれるように、空間の亀裂に魔素や魔力が吸い込まれていく様子は、魔術師にとって恐怖そのものだ。
「剣……、ですか?」
「そうか。やはり見えないか……」
何でもない、というふうに首を横に振ってマリアンヌは黙る。彼女にはイクトールの持つ禍々しい魔剣の刀身が間接的に見えていた。
どんな手品を使っているかはわからなかったが、破魔の剣や破魔の矢の類だろうとマリアンヌは見当をつけていた。珍しいが、そこまで危険視するものでもない。
その武器の攻略法をマリアンヌは知っていた。
「はあっ!!」
十分に力を込めた巨大な火焔のハルバードを振り下ろす。破魔武器の攻略法は、その魔素破壊を上回る量の魔力でのごり押しが回答の1つだった。
空気を焼き尽くしながら、巨大な火柱がイクトールに迫る。
『この時をずっと待ってました』
その瞬間、マリアンヌはぞっとする声を聞いた。それは死の深遠、さらにその底から無垢な魂を手招きする声だった。いや手招きなどというものではない。すでに生者の魂を手のひらに乗せて、舌なめずりをする声だった。
ふっ、とまるで蝋燭の火が消されるように、巨大な火柱が忽然と消える。
代わりに、虚無の刃が目の前に迫る。
マリアンヌは見誤っていた。イクトールが手にしている魔剣は、破魔などという生温い武器ではなく、次元の狭間に君臨する主のために、魔力を吸い続けて供給する究極の魔導兵器だった。
遙か昔に、この魔剣の原形を創った「堕落の魔導師」は神の力を我がものとするために、神の力を奪う武器を創り上げた。魔術師の持つ魔素管を束ね、同族を生きたまま材料とし、魔術現象や魔物、魔術式、ありとあらゆる魔術的力場から魔素を抽出して所有者へと還元する奇跡の魔道具。
魔術の展開は術者から発生した魔素を一定の力によって魔力へと変換して、意味を持った力の流れを通して魔術へと発現する。この流れを逆転させ、魔術を分解して魔力に戻して魔素へと分解するのが、この魔剣の理屈だ。
魔道を学ぶ者が初めに習う「この世を維持するルールは、魔術によって成り立っている」という魔法理論の大原則がある。これからとある仮説が導き出されることになった。
「神が魔術を行使するのなら、魔術は神に干渉しうる」
それを基礎理論として「堕落の魔導師」は魔剣を創りあげた。
そして神の座に至ろうとする「堕落の魔導師」に魔剣を作らせ、殺し、奪い、そして適合する器を求めていた「とある女神」は、数千年以上にも渡る計画を無事に一段階進めた。