オークと検問
再度軽く紹介と、世界観を少しだけ。
馬車は4人を載せて山道を進む。
御者は、ふさふさした毛で全身を包んだ二足歩行する狼のような種族であるキュオーンの青年、グルオンだ。彼が鬱陶しそうに時折ボリボリと首筋を掻いているのは、山道でノミにやられたせいだけではなかった。
ベーティエ公爵領とバリン侯爵領の境界上にある山は、自然豊かな風景で一行を迎えた。だが4人の雰囲気は旅に向けた和気藹々としたものではなく、むしろ刺々しい空気を有していた。
幌付き馬車の荷台で膝を抱えてぼんやりとしているのは、透き通るような肌に尖った耳のエルフ族の少女、ロザリー。氏族・名前・苗字となるエルフの名は、ザンメリア・ロザリン・ハヌークであるが、そちらを名乗る必要はないと割り切って名をロザリーとしている。
ロザリーはぼんやりとした顔で流れていく風景を見ていた。
その隣に馬車の骨組みに背中を預けて難しい顔をしているのは、緑の皮膚と全身を満遍なく覆う脂肪を身に纏い、ショートヘアほどの金の髪を人差し指でくるくると弄るオーク族の女性、ラコ・バルムンク。奴隷の身にあったところを超強引な、というか殺人、器物損壊、脅迫、傷害と罪をいくつも犯しながらイクトールに助けられた経緯がある。
ラコはイクトールの方を頻りに気にしているようで、ちらちらと見ては溜息ばかりついていた。
馬車の隅で積まれた藁で藁座布団を編んで、暗い雰囲気を放っている巨大な緑色の怪物が、オーク族の少年イクトール。21世紀の日本から転生し、オーク族の女神アンジェリカに祝福された使徒であり、つい2時間前に故郷の父から追い出された哀れなオークでもある。
「あ、あの!イクトールさん!」
ラコがたまらず声をかける。藁を編む手を止めて、イクトールが少しだけ頭を動かして話を聞く素振りを見せたが、ラコ自身は声をかけたものの、何をどう言えばいいかわからなかった。
「えー、と。その、大丈夫ですか?」
「……ああ。大丈夫だ」
全然大丈夫そうではない。
「ラコこそ大丈夫か?」
「へ?何がですか?」
きょとん、とした顔でラコはイクトールの顔を見返した。
「いや、本来ならあそこを拠点にしてラコの親族を探せたらと思ってたんだけど……」
「まあ!そんなことまで!何から何まで申し訳ありません……」
深々とお辞儀をするラコに、イクトールは戸惑いを隠せなかった。
「いやいや、お礼なんて言わないでほしい……。結局、やろうと思っただけで、達成できていないわけだし……」
「でも、少なくともイクトールさんは私を助けてくださいましたわ!」
嬉しそうに言うラコとは反対に、イクトールは落ち込んでいた。彼の心はここにはなくて、ブルナーガの集落にいるカルアに向けられていた。
大金を置いてきたことで、彼の中ではブルナーガとの縁は切れたと思っていた。ベーティエの街で起こした騒動のせいで迷惑をかけている件について、申し訳ない思いはあるものの、助けてくれない父親に対して親愛の情を感じることはなかった。毒食らわば皿まで、という言葉を思い出しつつ、すでに迷惑がかかっているなら助けてくれたって大した損はないじゃないかという自分勝手な思いもあった。
父ブルナーガはハーレムの頂点であり、母ルルゥが側室の1人ということもあって、イクトールとの繋がりは希薄であった。だからと言うべきか、イクトールはブルナーガに対して、あまりいい感情は持っていなかった。
むしろ気にかかっていたのは幼馴染であるカルアだ。最後までブルナーガに抗議していた彼女は、衛兵代わりの従兄弟たちに連行されて首長の館を出て行った。おそらく控え室か何かに、自分が出ていくまで閉じ込められていたのだろうとイクトールは考えていた。
「しかし次は、ええと何だっけ?」
気まずい空気に耐えかねて、グルオンが行き先を尋ねた。イクトールとラコがどのような会話をしていたのか、オーク語で交わされた内容を把握はしていないが、微妙な空気であることは察知できる。
「オーク族の信仰の都市、ハルドレオ。そこに行けと女神アンジェリカ様は道を示している」
イクトールは呟くように答えた。
「だが領の境界線には警備兵がわんさかいるぜ?バリン侯爵はベーティエ公爵の系列だし、もう向こうに伝わってるんじゃないのか」
グルオンが馬を操りながら言う。巧みな手綱さばきで、山道ながらもスムーズに馬車は進んでいる。元々がブルナーガの集落から伸びる行商人たちが利用していた道だ。馬車の運用が想定された道になっている。
「だとしても山林に分け入ってまで衛兵を広げることはできないだろ。このまま山伝いに行けばタリス子爵とエリア子爵の境界まで出る……らしい。女神アンジェリカ様はそうとしか言わなかった」
ブルナーガに追い出された後、すぐに女神アンジェリカに助けを求めたのは情けないところであるが、女神アンジェリカはすぐに答えをくれた。曰く、ハルドレオには最初から向かうつもりだったらしい。
「あー…、そのままメギハード公爵の支配圏まで逃げるってわけか……。そう言われると行けそうな気がしてきたな」
「ね、ねえ、どういうこと?」
イクトールとグルオンの会話が、ロザリーにはさっぱりわからなかった。
「俺にもわからん。メギハード公爵ってのが誰なのかも、そもそもベーティエ公爵が誰なのかもわからん」
「……お前、知らずに公爵に喧嘩売ったのかよ」
グルオンが呆れたように天を仰いで、手で目を覆った。
「ベーティエ公爵はヒュムランド諸侯連合帝国の選帝十三公爵家の1つで、貴族の中でも穏健派と呼ばれる派閥に属してる大貴族だよ」
「…………?」
「イクトール、わかった?」
「いやさっぱり……」
「何?何の話ですか?」
イクトールに理解できないのだから翻訳のしようもなかったので、ラコはオーク語で尋ねた。
「お前らほんと田舎者だな!」
グルオンが呆れながらも丁寧に説明した。
今自分たちがいるのは、ヒュムランド諸侯連合帝国、通称帝国と呼ばれる連合国家である。帝国にはいくつもの貴族がいて、それぞれの領地を統轄している。その中でも帝国成立のころから、皇帝に従っていた者たちは公爵の地位を与えられ、皇帝を皇族の中から選ぶ権利を与えられた。これが選帝十三公爵家である。
選帝十三公爵家はそれぞれ、ベーティエ、メギハード、ダルシアン、シェーンブルン、アヴァリオン、サンマルティア、アシェット、メレアグロス、ペリアス、デカリオ、ルタリア、レヴソキス、イースリテの13家門。彼らはそれぞれの公爵領を持ち、それぞれの家臣を持っていた。皇帝は彼らの家臣に爵位を与えた。こうして、強固な貴族による政治が行われ、ヒュムランドは世界に確固たる力を持つようになった。
だが、帝国成立からかなりの時が経った今、利害関係上対立する貴族たちが存在し、各地では戦が散発的に行われていた。対立といっても大小様々であるが、その最たるものが穏健派と開戦派だった。
皇太子アルディギオンがリョスアルヴたちの主張する領土と接する皇帝直轄領を視察した際、何者が射た魔術の矢が皇太子を殺したことに端を発する「エルフ大征伐」と呼ばれるエルフ大陸への大規模侵攻は、貴族を2つに分けた。即ち、エルフ討伐に積極的な貴族と、消極的な貴族だ。
開戦派は皇太子の敵を名目に領土拡大を企図した。対して穏健派は未だ動乱の中にあるヒュムランド内での地位をさらに確固たるものとすることを企図した。
穏健派にとってみれば、開戦派は勝手に国力を消費して開拓を行うマヌケで、開戦派からすれば、穏健派は戦場から離れて宮廷内や市場でコソコソ暗躍する卑怯者であった。そのことから穏健派と開戦派はすこぶる仲が悪かった。
「へー…、貴族様ってそんなにいるんだ……」
ロザリーは口をぽかんと開けている。仕事柄、貴族を目にすることが多かったが、そういう経緯があって貴族が貴族であるということは初めて知った様子である。
「えーと、つまり仲間割れしている間なら、逃走も容易なのでは?ということですか?」
ラコの言葉をイクトールが翻訳すると、グルオンが満足そうに頷いた。
「というか、お前は本当に女神様の声が聞こえるんだな。正直疑ってたわ。ははは」
「何だ。信じてなかったのか」
「いや、使徒って話だけ信じてなかっただけで、他のことは全部信じてたぜ。お人好しで田舎者の、根は優しいデカブツは信じろっておふくろから……、おいおいちょっと待て」
軽口を中断して、グルオンが馬車を止めた。何事かと覗き込んでみると、そこには馬に跨った2人の騎士がいた。
2人の騎士はプレートメイルに身を包み、腰には剣を下げ、片方の手で馬の手綱を掴み、もう片方の手には燃え盛るハルバードを有していた。
燃え盛るハルバードは火炎そのものがハルバードの形を成しているようで、絶えず輪郭から火の粉が飛び散っている。持ち主である騎士には危害が及ばないのか、彼らは普通のハルバードを扱うより軽々と扱っているようだった。
「まずい……。エクスリーガ騎士団だ……」
グルオンが頭の上にある犬耳をへたらせ、なるべく口を動かさないようにして言った。尻尾は体に巻きつけるようにくっつけている。
「エクスリーガ騎士団?」
「おいおい、公爵家っつっても穏健派だぜ。なんで七天騎士団が出てくるんだよ……!」
「待て待て。いろいろわからない単語が出てきてるぞ」
『これはまずいですね……』
女神アンジェリカの声がイクトールの脳内に響いた。
『まずいってどういうことですか?』
『彼らは皇帝直属騎士団の七天騎士団の1つ、エクスリーガ騎士団。炎の宝具エクスリーガの使い手を頂点にした騎士団です』
女神アンジェリカが解説しながらイクトールに状況を説明する。
『まずいですよ。ブルナーガの集落を探して、エクスリーガ騎士団が動いています。急いできたせいで人数は少ないですが……』
「あー、ご苦労さまでーす。どうしたんですか?」
イクトールが女神アンジェリカから話を聞いている間、グルオンは騎士たちと話をしていた。
「検問だ」
騎士たちは馬から降りて、一行の馬車に近付いた。
「検問?こんなところで?一体何があったんですか?」
「……ある犯罪者を探している。そこから動くなよ」
ごおっ!と空気が燃える音が、騎士が火炎のハルバードを振るう度に伝わる。その熱量は馬車をあっという間に燃え上がらせるほどのものを感じさせた。
「……オークが2人とエルフにキュオーン」
幌付きの馬車を覗き込んで、騎士の1人が言う。
「これは決まりだな」
「ああ、こんな組み合わせは間違いなぎょぷっ!?」
馬車の中から飛び出すと同時の一撃。イクトールの規格外の膂力から放たれた手斧の一撃は、騎士の頭を兜ごと真っ二つに裂いた。鮮血と脳髄が塾したトマトのように飛び散って、新品同然の馬車を汚して、イクトールの緑色の皮膚に返り血を飛ばす。
「こいつ!」
火炎のハルバードを振りかざして、残った騎士が襲いかかる。それをイクトールは腰に下げた魔剣を抜いて迎えた。不可視の刀身で魔術を破壊して吸収する魔剣は、ハルバードの形の火炎を掃除機で吸い込むように一瞬で消し去った。
驚愕する騎士が空振りしたところに、手斧の一撃を横腹に加える。両断するつもりで放った斬撃は、奇妙な手応えを残してプレートメイルに防がれた。
腰の剣を抜きつつ騎士は間合いを取ったが、イクトールはそれを追撃しなかった。騎士の胴を引き裂こうとした手斧は刃が潰れていた。
(魔術か……)
「イクトール!」
グルオンが隣に立って、片手剣を構えた。もう一本の予備をイクトールに渡して、グルオンは左手に片手剣を構えているのは、衛兵の頃に右に盾を持っていた名残だ。
片手剣を受け取ったイクトールは、魔剣を左手に、片手剣を右手に構える。
「はっ!防御術式さえ張れば、貴様の攻撃など効かぬわ!」
騎士が悠長に解説しながら、素早く無詠唱で魔術を放つ。下から上へと振ってまた下ろして中段に構えた剣には、炎が纏われていた。
それを無感動にイクトールは間合いに踏み込んで魔剣を振って、騎士を剣とプレートメイルごと貫く。物理的に違う次元にある刀身が、騎士の体内の魔素と、装備品の付呪を破壊して無に還す。突如として霧散した自分の魔術に、何が起きたか理解できない騎士は、一瞬だけ反応が遅れる。剣の間合いで一瞬の遅れは死に直結する。
正確に首を狙って放たれた横薙ぎの一撃は、騎士の首を宙に放り出した。
「……俺、剣持ってきただけだった」
どさり、と騎士の首が地面に落ちて、緊張の糸が切れたグルオンが呟く。
「いや、それがなけりゃ手詰まりだったさ。助かった」
『いいですよ我が使徒イクトール!龍の睾丸を崇めるクズどもを一刀両断!気分がいいです!新鮮な魂で乾杯といきましょう!うふふふふふ!』
「2人とも怪我はないか?」
女神アンジェリカの声を無視して、イクトールはロザリーとラコの無事を確認する。
「だ、大丈夫です」
「今の何なの?敵だったの?」
それぞれオーク語と帝国公用語で返してくる。ラコは少し怯えているようで、ロザリーはまだ何が起きたのかわかっていないようだった。
「敵だよ。俺たちを探しているようだった」
「無事なら手伝ってくれ。こいつの魔導鎧は生きてるみたいだ。サイズは合わねえかもしれねえが、イクトールの斧も防ぐ効果があるぞ」
グルオンが頭上から真っ二つにした騎士の死体を漁りながら言った。その言葉に従って、ロザリーとラコは血塗れの全身鎧を騎士から脱がせにかかる。
旅には金がつきものだ。もし使い物にならなくても、売ればそこそこの資金にはなるだろう。彼らの装備品には騎士団の刻印がされているので、それを潰すか、また怪しい店に売るしかないだろう。
『アンジェリカ様。少しよろしいですか?』
イクトールは血塗れになった自分の体と片手剣をボロ布で拭きながら、女神アンジェリカにお伺いを立てた。
『何ですか?我が使徒イクトール』
『この山に、エクスリーガ騎士団は何人いますか?』
『少し待ってくださいね。ええと、……やはりこれはまずいですね』
『何がまずいんですか!』
要領を得ない女神アンジェリカの言葉に、イクトールは苛立ちを隠せなかった。
『正確な人数はわかりませんが、500人程度のエクスリーガ騎士団の騎士がブルナーガの集落を探しています。そのうちの半分弱がこの山を包囲しようとしています』
イクトールは自分の足元が崩れるような錯覚に陥った。
『少なくてよかったですね。どういう事情かはわかりませんが、かなり急いできたようですね。……このノイズさえどうにかできれば、もっと詳しくわかるのですが』
『女神アンジェリカ様、ノイズとはどういうことですか?』
『おそらく、使徒でしょう』
『使徒……?』
まさか、という想いがイクトールの脳裏を過ぎった。自分が特別であるという考えは捨てたはずだったが、まだ抜けきっていないようだった。
『私以外の何者かによる転生者ですよ』




