父と子
結局、イクトール一行が集落に入ることができたのは翌日になってからだった。
それも、革の軽装鎧に身を包んだオークたちに囲まれた状態である。
イクトール一行を護衛しているようにも見える彼ら屈強なオークたちは、首長であるブルナーガからは甥にあたり、ブルナーガの兄弟の子であった。
オーク社会では首長の子以外には、基本的に自由はない。
彼らは首長に仕えるよう教育され、そのように生き、そしてそのように死ぬ。
実は他の種族に狂戦士として語られるのは、大抵このオークたちで、首長の突撃命令を忠実に死ぬまでこなす彼らの姿を見て、他の種族は畏怖を強めた。
そんな彼らだが、神に祝福されたイクトールの肉体に比べれば貧相なものだった。食事が首長の子に比べて貧相であることが大きく影響している。だがそれでもまだ人間族やエルフ族に比べれば筋肉ダルマといっても差し支えないものである。
「オークの集落ってのには初めて来たけど、物騒なところだな」
グルオンは幌で覆われた馬車の中で、不満げに鼻を鳴らした。
一晩待ってブルナーガが出した結論は、「中には入れるが、オーク族以外は馬車から降りるな」というものだった。
幌付きの馬車の中で、所在無くぼーっとしているのはグルオンとロザリーの2名だ。グルオンはベーティエの衛兵から奪った片手剣をボロ布でゴシゴシと磨き、ロザリーはまた藁を並べて計算の練習をしている。
「はぁ……。暇ね。言葉も通じないから話し相手にもならないし……」
ロザリーはつまらなそうに膝を抱えて呟いた。
その心の中では、イクトールがカルアと共に首長の家へと入っていったことで、仄かな嫉妬の熱が芽生え始めていたが、ロザリー自身はそれに気付いていなかった。ラコはすでに眼中になかった。
「暇ね、じゃねえよ。10引く2はいくらかって聞いてんだよ」
「もう!今やってるわよ!ええと、じゅう、きゅう、はち……。8よ!」
「指使わずにこれくらいできるようになれよ……」
グルオンが頬まで裂けた狼の口で溜息をついた。
「いいの!数くらい数えられなくても私には魔術があるもの!」
ボッ、と指先に火を灯して、ロザリーは渾身のドヤ顔を披露した。
「おい!変な真似するなよ!」
その直後に魔力を感知したオークの戦士に咎められ、ロザリーはしゅんとなった。
そんな馬鹿なリョスアルヴの少女の様子を見て、グルオンは意地悪く口を閉じて押し殺すように笑った。
「その魔術だって、刻印魔術や付呪魔術なんかは数字を使うだろ」
「に、人間族の魔術と一緒にしないで!エルフの魔術は精霊との契約なのよ!」
「その人間の魔導技術にやられてるのはどこのどの種族だよ」
「うう……!」
しまった!とグルオンが思っても遅かった。ロザリーは目に涙を溜めて下唇を噛みしめた。明るく振る舞ってはいても、ロザリーは故郷を焼かれて奴隷になった少女なのだ。その精神はガラスよりも繊細だ。
だが、だからといって謝るのは癪だった。グルオン自身としては間違ったことは言っていないと思っていた。人間族はその魔導技術と科学技術によって、ヒュムランド連合帝国を形成して栄華を誇っているのは揺るぎない事実だ。彼らが扱う技術はその反映に裏付けされていて、何も馬鹿にできるものではない。
「イクトール、早くしてくれよ……」
グルオンは口の中でもごもごと呟いて、寝ることにした。
*
首長の館は木造の横に長い平屋のようやものだった。
建造物としては、この集落の一般的な建物……イクトールの実家のように頑丈そうな造りではなく、儀式的な装飾のなされた造りだった。
イクトールの父にしてこの集落の首長でもあるブルナーガは、腕組みをして、厳格な雰囲気を放っていた。その発せられる覇気に当てられた側近は、カチカチと鳴る時限爆弾のカウント音を聞いているかのような、青い顔をしていた。
側近たちはブルナーガの弟たちであり、ハーレム闘争に敗れた者たちでもあるのだった。まるでブルナーガが八つ当たりとして、今にも顔面に鉄拳を振り込むのではと心配しているようだった。
ブルナーガの前には、ブルナーガと同等か、それ以上の覇気を放つイクトールが片膝をついて、キッと視線の矢を両眼から真っ直ぐに父へ向けていた。
「イクトール……」
ブルナーガが絞り出した声は、苦しそうにも聞こえるものだった。
「……君は君の運命を生きよ。過去、私はそう言った。今でも昨日の出来事のように覚えているよ」
「…………」
対して、イクトールは無言だった。
当時のイクトールは3歳。今から12年前のことであった。12年の年月はブルナーガから力を奪っていったように見えた。
しかしそれはイクトールから見ての話で、ブルナーガの膂力は未だ一般的なオークより上回っている。イクトールの規格外の筋肉が、父を老いたと錯覚させたのだ。
「結論から言おう。無理だ」
「お父様!?」
カルアが声を上げた。
「無理とはどういうことですか!?イクトールは我らオーク族の奴隷を救い出したのですよ!」
「カルア、君も不勉強だな……」
ブルナーガの厳格な雰囲気から出てきた言葉は、まるで5歳児の子供をあやすような言葉だった。
「奴隷とは、何かしらの理由があってその地位についているのだ。借金、敗戦、誘拐、……様々な理由はあれど、それは人間たちの間では許容されている制度だ。そこに我々が介入していい道理はないんだ」
「しかし!同族が虐げられる姿を見て義憤に駆られたイクトールを、条件付きで保護などと、それは、まるで、まるで人間のようなやり方ではないですか!」
「そうだ」
ブルナーガは言葉の剣で切って捨てた。
「人間はそのやり方を用いて勢力を広げてきた。一族を思えば、彼らのやり方に習ったほうが効率的というものだ」
「お父様……!」
「カルア、もういい」
さらなる抗議の声を、イクトールが遮った。
何か言おうとしたカルアは、イクトールの目を見て黙ることにした。イクトールの目は、覚悟を決めた者の色をしていた。
イクトールは納得していた。
まず、自分が女神の使徒であること。これを信用してもらうことは難しい。第三者が観測可能な女神としての「何か」が圧倒的に不足しているのだ。
女神が目に映る形で顕現でもしないかぎりは、ブルナーガをはじめ、集落のオークたちを納得させることはできないだろう。
次に人間に対して盛大に喧嘩を売ってしまったという点だ。下手をすれば人間たちは軍を率いて、このイクトールの逃げ込んだ集落を襲うだろう。
いや、証拠なんていらないのかもしれない、とイクトールは考えた。
下手人がオークということで、適当なこの集落に攻め込んで誰かオークの首を掲げれば、それで溜飲が下がる者もあるだろうし、また新しい奴隷を得ることもできる。そう考えれば、すでにこの集落に迷惑がかかっているのである。
イクトールが集落に身を寄せなければ、果たしてどうなっていたかは、誰にもわからない。
「では父上、せめて彼女……ラコだけでも保護していただけないでしょうか。私はこの集落を一度出た身なれば、戻れぬのは必定。しかし彼女は別です。行くあてもなく、無力な彼女を見捨てることを、女神アンジェリカ様は良しとするでしょうか」
「アンジェリカ……、か。そんなものは関係ない」
『イクトール、この不埒者を殺しましょう。そうしましょう』
女神アンジェリカが何らかの術式を発動させ、イクトールの頭に激痛が走る。痛みに歯を食いしばって耐えるイクトールの様子は、ブルナーガには怒りを懸命に抑えようとしているように見えた。
「去れイクトール。君はすでに我々に多大なる迷惑をかけているのだ。殺されないだけマシと思うがいい」
「……では、これを詫びとして献上いたします」
そう言ってイクトールが差し出したのは、彼の拳ほどもある革袋だった。床に置けば、中から金属音……金貨が擦れる音が聞こえた。
側近の一人とブルナーガはアイコンタクトをとって、革袋を回収させる。中にはマルクス金貨約300枚が入っていた。
「賄賂のつもりか?」
ブルナーガが威圧するように言う。
「いえ。これは私の気持ちにございます」
「では受け取っておこう。用は済んだな?」
つまり、帰れということだった。




