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魔剣の使い方



「あ、そういえば大丈夫か?」


「ふーんだ。どうせ『そういえば』のことですよ私のことは」


ロザリーは白い頬を膨らませて、座り込んだまま赤い絨毯をぐじぐじといじった。


どうやら拗ねたようであった。


困ったようにイクトールとグルオンが顔を見合わせていると、ロザリーは溜息をついた。


「大丈夫ですよ。どうしてかはわかりませんけど、魔力は満タンです。それどころか何だかいつも以上に元気いっぱいです」


ロザリーが立ち上がって、膝をパンパンと払った。


「ああ、それはこの魔剣の力なんだ。どうも魔力を吸うだけじゃなくて、分け与えることもできるらしいんだ」


『ああ、死ななかったんですね。その売女』


女神アンジェリカが、道端でどこかで見たことのある犬を見つけたかのように言った。


「……へ?」


イクトールが思わず間の抜けた声を出したので、グルオンとロザリーの注目を浴びた。


『膨大な魔素を注入して魔物化させて、その混乱の隙に逃げようかと思ったのですが、これは計画変更ですね……。さて、どうしましょう』


『ちょ、ちょっと!ちょっと待ってくださいアンジェリカ様!今、何とおっしゃいましたか!?』


『計画変更と言ったのです。あなたも無い知恵を絞って考えなさい』


女神アンジェリカはしらを切るつもりのようだった。


けして本人、いや本神はそんなつもりはなかったのだが、イクトールはそう受け取った。


女神アンジェリカにとって自分の守護種族ではないリョスアルヴなどそのへんの雑草と同価値であり、彼女にとって異種族を利用するということは戦場で石を拾って投げることと同じであった。


「どうしたんですか?顔色が悪いですよ……?」


ロザリーは、イクトールの顔を見て心配した。


緑色の顔に顔色もクソもあるのだろうか、とイクトールは思ったが、ロザリーは様々な種族の奴隷商人や傭兵相手に商売をしていたことを思い出した。


そして、1つ重大なことをイクトールは思い出したのだった。


「何でもない。大丈夫だ」


だが、それを聞くのはここを突破してからだ。


「で、マジでどうする。敵の兵力はとんでもないぞ」


グルオンが声に真剣さを滲ませて言った。


「衛兵って何人くらいいるもんなんだ?」


「たぶん、100人以上はいると思う。正確な人数は兵長殿しか知らん」


「まともにぶつかるのは不可能ですね……」


ロザリーが眉をハの字に曲げた。


明らかに不安そうだ。


もう奴隷から解放された喜びの火は消えかかっている。


『は?何を言っているんですかこの売女は。我が使徒たるイクトールが万年発情猿共に遅れを取るとでも?』


「そうだな。いくらこっちに魔剣があるからって言っても、敵地ど真ん中で勝てるとは思えない」


イクトールは女神アンジェリカを無視した。


「どうすんだよ。こっちは元奴隷たち連れてんだぜ?このまま包囲網を突破するなんて無理だ」


「じゃあ見捨てろっていうのか?」


「そうは言ってない。言ってないが、……現実的じゃない」


グルオンは顔を歪めながら、牙の間から声を絞り出した。


グルオンの気持ちもわかる。


勝算も何も、完全に出たとこ勝負で、考えなしに魔剣によって奴隷たちを解放したのはイクトールであった。


グルオンは完全に巻き込まれた被害者だ。


どうしようかと迷っていたときだった。


突如、怒鳴り声が外から上がった。


ぎょっとして、3人は顔を見合わせた。


突入隊が結成され、今にも突入してくるのでは、と考えたからだ。


この状況で、それ以外のことは起こりえない。


『何をしているのですか、我が使徒イクトール。あと1人分は魔物化させれるだけの魔素は溜まっているんですから、もう一度そこの売女に注入するのです。良質な魔物ができあがりますから、それで敵を撹乱するのです。さあ』


女神アンジェリカの促しをイクトールは聞き流した。


聞き流して、1つの答えにたどり着いた。


「ちょっと待ってろ!」


そう言って、イクトールは出入口の付近まで駆け寄った。


木製の扉には、何発かのマスケット銃による鉛弾が撃ち込まれており、穴だらけであった。


それゆえに、イクトールは扉に姿を隠したまま、敵の姿を見ることができた。


ささくれ立った穴から見えたのは、隊列を組んで突進する衛兵隊だった。


おそらくあれが突入隊だろう。


それに向けて、イクトールは冷静に魔剣を伸ばした。


不可視の刀身は、瞬時に隊列の先頭を走る人間族の男に突き刺さり、ありったけの魔素を注入した。


突如流れ込んでくる大量の魔素に、人間族の男の身体は耐え切れなかった。


膝をつくと、先頭を走っていた衛兵は隊列を大きく乱す原因になった。


蹴り飛ばすわけにもいかなかったが、勢いづいたものは止められない。


数人の味方に踏みつけられた後、隊列はバラバラになって止まった。


魔剣が刺した人間が魔物化するのに、そう時間はかからなかった。


「があああああ!!」


獣じみた声を上げて、一体の魔物がベーティエの街中に出現した。


あっという間に筋組織が膨張し、チェーンメイルに痛々しいほどに食い込む。


イクトールがダンジョン化した遺跡の中で殴り殺した魔物とそっくりだった。


皮膚に毛は生えておらず、奇妙につるつるしている。


口は歪に開かれて、口内の不揃いな牙を見せている。


また、腕は長くなり、だらんと垂れて地面に引き摺っている。


剣と盾はすでに取り落としており、またそれを拾おうとする素振りは見せなかった。


「うわっ!?」


「なんだこの魔物は!?」


「今あいつが魔物に変化したのか!?」


「どうなっていやがる!?」


衛兵たちは混乱した。


今まで自分の隣にいた同僚が突然魔物になれば、誰だろうと例外なく驚くだろう。


次に自分がああならないという保障はないのだから。


「があああああ!!」


唸り声か叫び声か判別しない声を上げながら、魔物化した衛兵はまず一番近いところにいた衛兵に襲いかかった。


半分パニック状態であったところに伸びてきた猿のように長い右手は、衛兵の首をがっちり掴んだ。


それから握力によって首の骨が砕かれるまで、たいした時間は必要なかった。


絶命したことを確認もせずに、猿の魔物は衛兵の首を掴んで振り回し、武器として扱った。


衛兵の死体で衛兵を打つが、盾に弾かれた。


盾で守って一息ついていたところへ、魔物は武器にしていた死体を放り捨てた。


人形のように放物線を描いて飛んだ死体は、野次馬の上に降って怪我人を出した。


その宙を舞っている間にも、魔物は行動を続けていた。


盾で防いで視界が遮られているのをいいことに、その盾を掴んで振り回した。


魔物化した人間の両腕の筋肉によって生み出された遠心力と、盾を掴む衛兵の握力は1秒も拮抗しなかった。


あっという間に彼は宙を舞い、露天の屋台に頭から突っ込んだ。


店主のデックアルヴが抗議の声を上げ、この損害請求をどこに出したものかと考えたが、その計算は複数の発砲音に邪魔された。


2桁もの衛兵がマスケット銃を構えて魔物に向けて発砲したのだが、当たったのは3、4発だけだった。


当たった鉛弾も、厚くなった皮膚と筋肉に阻まれて、致命傷には至っていない。


皮膚に穿たれた穴からは黒っぽい赤色をした血が、だらだらとゆっくり流れるだけであった。


「撃て!撃てえええ!」


次弾装填まで、先詰め式のマスケットでは時間がかかりすぎる。


いくら隊長が叫ぼうとも、炸薬を詰め、鉛弾を詰め、標準を合わせて点火しなければ、マスケット銃が火を噴くことはない。


隊長の声に答えたのは、銃声ではなく、軽い風切り音だった。


矢ではない。


それは純粋魔素を固形化して撃ち出したものだった。


魔弾。


魔銃から撃ち出されたそれは、魔法の発動音以外は立てること無く飛翔し、魔物に襲い掛かる。


しかし、魔物も脳なしではない。


一度マスケットに撃たれた場所から逃げないわけはなく、手負いの魔物は一目散に武器を持たない群衆目掛けて突進した。


魔弾は石畳を砕いただけだった。


「こ、こっちに来る!」


「逃げろ!」


「どけ!邪魔だ!」


阿鼻叫喚の地獄に陥ったのは、もちろん野次馬たちである。


運悪く猿の魔物が向かってくる場所に陣取っていた野次馬たちは、我先にと逃げ出そうとした。


しかし、あまりに人が多すぎた。


逃げようにも野次馬に阻まれて逃げることができなかったのだ。


「がああああああ!」


「ひいいいいい!」


魔物の叫び声に呼応するように、襲い掛かられた野次馬たちは目を瞑った。


そして、彼らそれぞれの神に祈りを捧げた。


襲い掛かられて生き残った者は、神に感謝した。


襲い掛かられて死んだ者は、神に恨み事を言うことはできなかった。


長く強靭な腕の一振りで、鋭い爪が唸り声を上げて襲いかかり、2人が内蔵を腹から飛び散らせて死んで、1人が骨を折る重傷を負った。


それだけではなく、逃げようと押し合いになった野次馬の間で喧嘩が起こった。


死ぬかもしれなかったのに道を開けなかったという真剣な言い分と、そんなもの知るかという消極的な言い分とがぶつかり、ついに殴り合いに発展した。


混乱が起きた。


『なるほど。やりますね。さすが我が使徒イクトール』


女神アンジェリカは、至極楽しそうに言った。


群衆が愚かな殴り合いを繰り広げ、住宅へと逃げ込んだ手負いの魔物が起こす混沌を、女神アンジェリカは楽しんでいた。


イクトールは、女神アンジェリカをそういう神なのだと割り切っていたので、もう何も言わなかった。


「混乱を起こせた」


イクトールは、グルオンとロザリーのいる場所に戻って、報告した。


「本当ですか!?すごい!」


ロザリーが心底嬉しそうに言った。


小さくぴょこぴょこと跳ねるので、その度に胸がたゆんたゆんと揺れて、イクトールとグルオンの目線を集めた。


「今のうちに裏口から彼らを逃がそう。ロザリー、何か知覚を狂わせる魔法は使える?」


「し、蜃気楼の魔法の初歩なら……」


「よし。じゃあできるだけのことをして、彼らをここから逃がそう。俺がこれから正面から出て注意をさらに引きつける」


イクトールは、奴隷市場の倉庫にあったウォーハンマーの柄を、力を込めて握り締めた。


両手で持つように設計された柄の長いウォーハンマーは鋼鉄製で、強度は申し分ない。


オークの膂力をもってすれば、容易に鋼の鎧でも粉砕できるだろうと思われた。


これを倉庫から見つけて運んでくるのに、元奴隷のエルフ数人がかりだったのだが、イクトールはそれをひょいと片手で持ち上げてしまった。


さすがに、「うん、結構重いな」と言ったものの、その扱いは重さをまったく感じさせない動きだった。


感触を確かめるように、2、3度振ってみるに、ぶんぶんと鎚が風を鈍く切る。


「グルオンはどうする?」


「どうするもこうするも、もう戻れないだろ。精々大暴れするとするよ」


「悪いな」


「本当にその点に関しては反省していただきたい」


グルオンは考えなしの行動にでたイクトールを非難した。


正しくいうなら、イクトールの意志ではなく多分に女神アンジェリカの思惑が強かったのだが。


「じゃあ、いくぞ!」


そう言って、イクトールが最初に奴隷市場の華美な扉から躍り出た。


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