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オークとエルフと


驚愕。


それ以外の言葉はなかった。


部屋は水を打ったように静寂に満ちていた。


そこにいた者は、人は魔法を使わなくとも宙を舞うことができることを知った。


焦って1人だけで突っ込んできた衛兵が、イクトールのカウンターの一撃だけで、部屋の向こうの壁まで飛んでいったのである。


衛兵たちは宙を舞う同僚を、ぽかんと口を開けて目で追うことしかできなかった。


一撃でぶっ飛ばした衛兵の持っていた剣を、イクトールは拾い上げた。


魔剣を左手に持ち替えて、抜身の両刃剣を右手に持った。


鋼鉄製の両刃剣は、十分な硬度を持っていた。


「ひ、怯むな貴様ら!かかれ!オークといえども1人だぞ!」


隊長らしき人間族の男が、剣を掲げて叫んだ。


しかし、隊員たちはこれに従わず、逆にじりじりとオークの凶戦士から逃げそうとしていた。


意識は、ピクリとも動かなくなって横たわっている、哀れな宙を舞った同僚に向けられている。


凶戦士に対し、背中を向けないだけマシである。


「これは戦闘ではない」


静寂の中に、イクトールの低い唸り声のような帝国公用語が響いた。


オークのイケボ(オーク基準)は、文化に浴した生物を野生の恐怖に覚ますに十分だった。


「尊き我らオークの守護女神アンジェリカ様に貴様らの心臓を捧げる儀式である」


ゆらり、とイクトールは剣を構えた。


両刃剣が怪しく光る。


「貴様らの屍で女神アンジェリカ様を称える塔を作ろう!高ければ高いだけいいぞ!」


イクトールが一歩踏み込むのと、衛兵たちが剣と盾を捨てて逃げ出すのとはほぼ同時だった。


我先にと部屋の出口に殺到し、一瞬詰まり、そして一気になだれ出た。


残されたのは大型トラックにはねられたような無残な姿になって、壁の近くに転がっている衛兵の死体だけだった。


ふう、と一息ついて、イクトールは両刃剣をグルオンに渡した。


元衛兵であるグルオンのほうが使い慣れていると考えたからだ。


「あーあ、この前まではあっち側だったんだけどなあ」


グルオンが笑いながら剣の調子を確かめながら2、3度素振りをした。


「おい、立てるか?……ええと」


イクトールはぺたんと座り込んでいる女エルフに手を差し伸べて、自分が彼女の名を知らないことに気がついた。


「あ、ろ、ロザリー、です」


ロザリーはイクトールに名乗った。


それから遠慮がちに彼の手を掴んで立ち上がった。


「あの、旦那様のお名前は……」


『我が使徒イクトール!!!!』


ロザリーの頭に、大音声がなだれ込んで、ぎゅっと肩をすくませた。


彼女の疑問には偶然にも女神アンジェリカが答えた形になった。


魔法の才能に溢れた彼女は、自分の魔素が空になったせいで空気中から魔素を吸収しようとしていた。


その働きが、偶然にもイクトールに触れた瞬間に女神アンジェリカとの回路を繋いでいた。


『……よくも我が生贄を逃しましたね。何か弁解することはありますか?』


女神アンジェリカの美しい声は、その声色に怒りを抑えつつも、破壊や破滅という雰囲気に満ちていた。


魔法の才能に溢れるロザリーだからこそわかる、魔力そのものが放つ不思議な響きだった。


『ありません。女神アンジェリカ様』


『あなたはいつもそうですね。私が力を与えても道を示しても教え諭しても一向に何かを返そうともしない』


『申し訳ありません』


『まあ、今回も許してあげましょう。優しいでしょう?女神としての器の大きさというところですね』


女神アンジェリカは実のところ上機嫌であった。


イクトールが奴隷たちの前で女神アンジェリカの名を何度も出したため、解放された奴隷たちは彼女に感謝の念を捧げていたからだ。


想いは量ではなく質である。


何となくの多数の信仰よりも、命を賭した1人の狂信者である。


そう女神アンジェリカは考えていた。


彼女の本質は、死と破壊である。


そして死と生は表裏一体であり、また破壊と再生も表裏一体である。


彼女は死をもって生を彩り、破壊をもって再生を促し、混沌をもってして秩序を形造り、また闇をもって輝きをなす神であった。


相反するものはそれと同一である。


つまり反面教師とも表現されるような、人の振り見て我が振り直せと表現されるような、そんな神の本質だった。


それが彼女の混沌たる秩序であった。


しかし女神アンジェリカのその行動原理が、他人には、つまりイクトールには無秩序でわがままなように見えた。


「い、今の声は……!?」


ロザリーは、心に流れ込んできた混沌たる破壊を司る女神アンジェリカの声に、怯えたようにイクトールを見た。


「声……?」


イクトールは聞いた。


彼はロザリーに女神アンジェリカの声が聞こえているとは考えなかった。


『……おや、回路がそこの売女にも繋がっていたようですね。汚らわしい。魔素と他者に縋ることでしか生きていけない軟弱な種族……』


女神アンジェリカがぶつぶつと呟いた。


「え!?アンジェリカ様の声が聞こえたって!?」


ロザリーはイケメンのオーク(オーク基準)に両肩を掴まれて、心の底から怯えた。


今にも頭からぱっくりと食べられるかもしれない、という想像が脳裏のスクリーンに映し出された。


それが奴隷という身分から救ってくれた相手であっても、仕方のない事だった。


「え、は、はい!はっきりと……。でも今はもう何も……」


怯えながらも、答えたロザリーは褒められるべきであった。


同時に彼女は、なぜ自分にも女神アンジェリカの声が聞こえたのかを瞬時に考えた。


魔素は熱に似た性質を持つ。


魔素はより薄い場所へと移動する性質を持っているのだ。


その知識はあったが、空になった体内に魔素が流れ込む際に神との回路が繋がるとは考えなかった。


なぜなら神の操る魔法は理解と常識の外にあったからだ。


また神を観測するということは同時に神に干渉することである。


魔剣をもってしてそれを成そうとした魔法使いが伝説じみた実力を持っていたことを考慮すれば、凡才に比べて才能が少しある程度のロザリーが思い当たらないことは、むしろ常識的なことだった。


「さあ、逃げるぞ!これからが本番だ!」


イクトールは意気込んで魔剣を握り締めた。





「どうする。完全に囲まれてるぜ」


グルオンが言った。


奴隷市場の入り口から少しだけ頭を出して偵察してきた結果だった。


今、イクトールたちは元奴隷たちを集めて、奴隷市場の出口付近に集結していた。


元奴隷たちは、リョスアルヴ、人間、そしてオークだった。


病気で寝込んでいた奴隷も、置いていくわけにはいかなかったので連れてきている。


病人は3人いて、その誰もがエルフだった。


「兵力はどんなものだった?」


イクトールが尋ねると、グルオンはまずそうな顔をした。


「マスケットと、たぶん魔銃が出てきてた」


「マスケットはわかるが、……魔獣?ケルベロスとか?」


たぶんという言葉が引っかかったが、イクトールはそう受け取った。


「そっちの魔獣じゃねえ。正式名称、魔素利用法術式銃だ」


そう言われもピンとこなかったが、名前からしてエンチャントを受けた銃ということらしいということは理解した。


そしてその理解は概ね正しかった。


魔素利用法術式銃は、イクトールが売った高濃度魔素結晶体を生成したのち、正しい手順で儀式を行ってマスケット銃に付呪を行ったものであった。


鉛弾の代わりに、純粋魔素を撃ち出す携行兵器であった。


非常に強力で、マスケット銃と違って連発が可能という優れものだったが、マスケット銃が一丁10マルクス金であるのに比較して、一丁作るのに900マルクス金もするのが難点だった。


しかし、今回出し惜しみはなかった。


それ以上の金がかかった奴隷たちが反乱を起こしたのである。


それも、ふらりとやってきた1人のオークによってである。


ちなみに、ロザリーが売られた値段は、魔法に優れた才能を持った美人ということで1800マルクス金であり、彼女の同僚もほとんどそんなものだった。


彼女の同僚は全部で28人いて、そのすべてが隷属術式を破壊されて自由への反乱に加わっていた。


この時点で単純計算で1800×28で、50400マルクス金の損失である。


それに対して、今回用いられた魔銃は37丁であった。


900×37で、33300マルクス金であるからして、金額的な意味では反乱軍に劣るほどであった。


しかし包囲陣を敷いていることと、地の利と数の利がこちらにあることを計算に入れれば十分に勝てる計算であった。


「おかしい……」


ロザリーが自分の手を見ながら呟いた。


「どうした?」


「さっきからまったく魔力が戻らないんです……」


心配そうに見つめるイクトールに、ロザリーは焦りながら答えた。


今まで魔力が空になることはあったが、空になったままというのは初めてだった。


他のエルフたちも同様で、皆一様に自分の手を見て首を傾げていた。


他の元奴隷たちは魔法の才覚に恵まれていなかったようで、まったく影響はなさそうだったが。


『ああ、空気中の魔素をこの魔剣が吸っていますからね。売女の魔力はどうやっても戻らないでしょう』


女神アンジェリカが、至極当然といった感じで答えた。


むしろ「そんなことも知らないのかこの愚図は」といった雰囲気が含まれていた。


『ど、どうすれば彼女の魔力を戻せるんですか?』


『……そうですね。今、魔剣には吸収した魔素……つまり魔力が詰まっています。それを彼女に流し込んでみましょう』


女神アンジェリカの提案に、イクトールは従った。


「じゃあ、これから魔力をこの魔剣から流しこむから」


「そ、その魔剣から……ですか?」


ロザリーはイクトールの手にする魔剣を見た。


普通に見れば、綺麗な青と白によって装飾された柄である。


しかし、魔素可視化の能力をもった者から見れば、空気中の魔素を根こそぎ吸い取るかのような、物騒な物にしか見えない。


奴隷市場を取り囲んでいる衛兵や、野次馬も、魔素可視化の能力をもった者は、明らかにヤバイ何かを感じていた。


奴隷市場の扉に向けて、何かが息を吸い込むように魔素を際限なく吸い込んでいるのである。


それを感じられる者は、同時に恐怖を感じていた。


なので、魔剣を見てロザリーが怯えるのは仕方のない事である。


「大丈夫。俺を信じてくれ」


イクトールは真剣な表情で言った。


イケメンのオーク(オーク基準)の真剣な表情は、見る者に死を考えさせるのに十分なものだった。


「は、はい……」


ロザリーは怯えながらも頷いた。


「じゃあ、……いくよ?」


「はい……」


イクトールは魔剣を構えた。


『心臓を狙いなさい。エルフの心臓は胸の中央にあります』


女神アンジェリカの言うとおりに、イクトールはロザリーの豊満な胸と胸の間に突き刺した。


性的に興奮しなかったと言えば、嘘になる。


なぜなら、不可視の刀身に突き刺された瞬間から、ロザリーは明らかな嬌声を上げていたからだった。


「あっ……、はあっ……!あふ……、んんっ……!」


ロザリーは赤い絨毯の上に立って、華奢な足をがくがくと震わせた。


目をぎゅっと閉じ、何かに耐えているようだった。


口は緩く開いて、浅く絶え絶えに呼吸している。


目の前で起きた現象に驚いて、イクトールはぽかんとロザリーが悶える様を見ていた。


「ん……はふっ!はあんっ!ふ……ああっ!」


「お、おい!」


グルオンに声をかけられ、我に返ったイクトールは、慌てて魔剣をロザリーから引き抜いた。


引き抜くとは言っても、実体を持たない刀身なので、するりと何の抵抗感も無く抜けた。


魔剣を抜かれた瞬間、ロザリーは糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。


イクトールは慌てて彼女の肩を両手で包むように支えた。


床にへたり込みながら、ロザリーは華奢な肩を上下させて息をしている。


顔は赤く上気しており、艶かしくその身を小刻みに震わせている。


その度に豊満な双丘が揺れ動き、イクトールの目線を奪った。


しかし、スライムみたいだなあ、と呑気に思っただけで、イクトールの息子は反応しなかった。


『……万年発情猿と一緒にしないでいただきたいですね』


イクトールの心を読んだのか、女神アンジェリカが心に語りかけた。


『性欲まみれの人間族とは違って、ちゃんと年に1度の発情期があるのです』


女神アンジェリカは酷く傷ついたかのように言った。


その声色の中には、異種族に対して人間だった頃の心が反応したことについての、どうしようもないやるせなさが含まれていた。


「……エロいな」


グルオンがぼそっとイクトールに耳打ちした。


「キュオーンでもエロいって感じるのか?」


純粋な疑問だった。


街を歩いているときにも、グルオンは今の子は尻尾がどうの、毛並みがどうの、足のかかとがどうのと言っていたので、はたしてエルフが性欲の対象に入るのかと疑問に思ったのだった。


「……今まで俺の中じゃ毛の生えてないやつはナシだったが、……ありゃアリだわ。ちょっと性癖の幅が広がった気がする」


グルオンの表情は毛に覆われていてわかりづらかったが、真剣そうな雰囲気を放っていた。


「惜しむらくはハイヒールじゃないことだな」


「ハイヒールか……。ちょっとSMはなぁ……」


「ばっ、馬鹿、ちげえよ!ほら、こう、キュオーンとかアイエルロとかって、こう、足がこうなってるだろ!」


グルオンは自分の片足を上げ、それを指さして熱弁した。


見れば、犬の足と同じように人間で言う爪先立ちの状態になっている。


「ああ、なるほど」


とイクトールはグルオンの言いたいことを理解した。


ハイヒールによって爪先立ちになった状態は、つまり彼らの足の状態に似ているのであった。


グルオンは、そこがいいんだよ!と言いたかったのである。


「わかったけど、わからん」


「オークにはわかんないかなぁ」


「たぶん、エルフにもわからんと思う」


「じゃあ豚鼻ってのはどうよ」


「あのー…、私のこと忘れてません?」


座り込んだままのロザリーが口を挟んだので、グルオンとイクトールは跳び跳ねんばかりに驚いた。


「……さ、さあ、どうするよ」


グルオンが急に真面目な表情で言った。


くだらない話をしている最中も真面目な表情だったのだが、さらにもまして真面目そうな表情であった。


「状況は非常にまずいな……」


イクトールも顎に手を当てて、真面目な表情であった。


「もうっ!ふざけてる場合じゃないんですよっ!」


2人に対して頬を膨らませて怒った。


座ったまま両手をぶんぶんと振って抗議するロザリーは可愛かった。


ぷんぷん!といったオノマトペが浮かぶようであった。


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