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オークと友人



「おい、まさかお前、元からこれが目的だったんじゃないだろうな!」


グルオンが、吠えた。


「ああ、そうだ!」


イクトールが吠え返した。


できればいいな、という思いはあった。


しかし、実行の手段がわからなかった。


女神アンジェリカの与えた力は、想像を可能にするだけのものを持っていた。


種族を守護する神の権能である。


神の権能は、基本的に願いを叶える力であった。


その中でもアンジェリカは、生贄の魂と引き換えに、死と破壊の願いを叶える戦いの女神だった。


その権能が長い年月を経て弱まり、そしてまた長い年月を経て、正しく発揮された瞬間だった。


『ええ、私は優しいですからね。私に救いを願う者には必ず救いをもたらすのですよ』


女神アンジェリカには、絶望から驚愕と希望の入り混じった表情へと変わった、1人の女奴隷オークが見えていた。


女神アンジェリカは、彼女の祈りを聞いていたのだ。



神よ。


女神よ。


我らを守護する女神アンジェリカよ。


我が願いを聞き届け給え。


我らに降りかかる災難を打ち払い給え。


戦士に戦いの場を与え給え。


敵の血を齎し、


屍を踏み越え、


三千世界に蔓延る反逆者に死を与える力を与え給え。


あなたの威光を曇らせる者へ死を与える力を与え給え。



彼女の必死なる願いは、今、使徒イクトールを介して、聞き届けられた。


すべての奴隷は、突如として視界に飛び込んできた、キュオーンを背負ったオークを見ていた。


濃緑色の皮膚。


逞しい四肢。


漲る闘志は身体中から湯気となって立ち昇る。


両眼からは女神の敵を打ち払う殺気となって迸る。


右腕に握られた剣は、あらゆる魔を払う聖剣に見えた。


万能感が強靭なる肉體を隅々まで支配して、イクトールの足を進めさせた。


力強い足取りは、キュオーンを背負っていると感じさせないほどだ。


その姿は、神を飲み干す巨大な狼を殺し、その毛皮を纏う破壊神と錯覚させた。


しかしその狼の毛皮はグルオンである。


彼はイクトールの放つ気迫に押されてゆっくりと彼の背から降りた。


グルオンの目の前に立つのは、命の恩人のはずであった。


しかし、今は秩序の破壊者として魔剣を片手に君臨していた。


どうするべきか、とグルオンは迷った。


迷っていた。


『さあ、十分な魔力を食らったようですから、その刀身は念じれば自由に伸びるはずですよ』


女神アンジェリカがそういうので、イクトールはシャンデリアに魔剣を振った。


イクトールの頭の中では、伸びた刀身が真っ二つにシャンデリアを切り裂く映像が浮かんでいた。


その想像上の刀身は、現実世界の刀身を伴って振るわれ、シャンデリアに施された術式を無に返した。


マルクス金貨にして12000枚する超高級品であり、この奴隷市場で最も高価なものだ。


否、「だった」と言うべきだ。


物理的に壊れはしないものの、自動電撃術式を有していたシャンデリアは、一瞬にしてただの装飾品と化した。


そのころになって、ようやく奴隷の男エルフが部屋にたどり着いた。


彼は空調管理を任されていたエルフで、原因不明の魔素不足が起きていたここへ慌てて飛んできたのだった。


彼の目に飛び込んできたのは、空気中の魔素を喰らい尽くす魔剣を携えた凶戦士であった。


殺気を向けられたことを感じた男エルフは、とっさに術式を展開した。


ほとんど反射的なものであったが、彼はここの支配人に4000マルクス金で買われた高級奴隷であった。


魔法の才覚に優れ、戦場では何人もの敵を焼き尽くした戦士だった。


敗戦により、身分を偽って投降したためにここへ売られたが、処刑されなかっただけマシと思っていたのだった。


そんな彼の、何人もを葬ってきた右手に体内魔素が集中し、思念によって式を組み立てる。


組み立てた式を魔素が駆け巡り、現実世界を侵食した。


右手のひらに、バレーボール大の火球が現れる。


男エルフはそれを押し出すように射出した。


狙いの甘い弾だったが、的は大きい。


それに圧倒的な経験がある。


オークの巨体には十分命中する弾道だった。


だったのだ。


しかし、火球は剣を向けられた途端に掻き消えた。


何が起きたのか、エルフは理解できなかった。


彼の魔法は強力であるし、それに絶対的な自信を持っていた。。


放った火球は、当たればたちどころにオークの皮膚を焼き、延焼し、そのまま火葬となっただろう。


それだけの破壊力を有した火球が、まるで誕生日ケーキの蝋燭に息を吹きかけるようにして掻き消えた。


次に飛んできたのは透明な刀身だった。


吸収される魔素という形で、魔素視覚化能力によって間接的に見える刀剣は、彼の身体を通り抜けた。


瞬間、彼が一瞬にして自分に施した身体強化術式、各種抵抗術式が一つ残らず掻き消え、体内には一片の魔素も残らなかった。


もちろん、永遠に消えないように刻まれた隷属術式も、消え去っていた。


撒き散らされる魔法的破壊の嵐は、すべての奴隷に及んだ。


たちまち、全員の隷属術式が消し飛ぶ。


現れた破壊神の使徒の前で、自由になった元奴隷たちはただ立っていただけだった。


突然のことに頭の理解が追いつかないのだ。


「私はッ!」


イクトールは十分に息を吸い込んで、音として吐き出した。


「我らオークの守護女神にして三千世界を遍く照らすアンジェリカ様の使徒である!」


イケメンのオーク(オーク基準)の叫び声は、聞く者の野生を呼び覚まし、恐怖に震えさせる不思議な力を持っていた。


それはそのまま、彼の讃える女神への畏敬となり、女神アンジェリカは力がほんの少しだけだが、満ちるのを感じていた。


もし彼女がこの世に顕現していれば、その美しい口元を邪悪に引き裂けんばかりに歪めているのが見えただろう。


「アンジェリカ様は我に天啓をお与えになり、力をお与えくださった!我らの遍く敵に死と破壊を齎さんがためである!」


こういう口上は、イクトールは得意であった。


前世で腐るほど物語の類は見てきたので、すらすらと言葉が淀みなく流れていく。


「しかしてアンジェリカ様が与えるのは直接的な死と破壊ではない!死と破壊を与える力である!女神アンジェリカ様がお助けになるのはここまでだ!立ち上がれ!」


「そこまでだ!」


イクトールの演説に割って入る声があった。


青地に白で鷹の描かれたチェーンメイルを着て、同じく鷹の描かれた盾を右手に、左手に剣を装備した人間族の男だった。


衛兵である。


それも1人ではない。


彼らは次々に部屋へと入ってきて、出口を塞ぐようにして並んだ。


ベーティエ侯の紋章である鷹が、チェーンメイルに揺らめいている。


衛兵の種族は3種だった。


人間族が一番多いが、ところどころにキュオーンやデックアルヴの姿も見えた。


『駄犬に燃えカス……。汚らわしい万年発情猿共へ媚び諂い(へつらい)、生を紡ぐ脆弱な下等種族共が、燦然と輝く我が深緑なる軍勢の前に立ち塞がるのですか』


女神アンジェリカが鼻で笑いながら言った。


『どうも死にたいらしいですね。どうします?私は今非常に機嫌がいいので、イクトールの好きにしていいですよ』


そう言われてイクトールは戸惑った。


このまま無視するわけにもいかないし、むしろそれでは女神アンジェリカは許さないだろう。


女神アンジェリカの「好きにしていい」という言葉はすなわち、「私の望むことくらいわかっていますよね?」という高度な質問なのだ。


この世界に転生してから10年以上が経つが、女神アンジェリカの性格を考えるのなら、ここは皆殺し以外考えられなかった。


しかし皆殺しはさすがにマズイ。


ただでさえ、窃盗と器物損壊のダブルコンボに加え、密輸と密売と贈賄のトリプルコンボ、さらにさらに路地裏での殺人3件合わせてオクタプル()コンボだ。


遺跡の件を合わせると、もう立派な大犯罪者だった。


あれ?これってもうあと何人殺そうが関係なくない?と一瞬思ったイクトールだったが、それは頭から振るい落とした。


命に数も質も価値も関係ないのだ。


「武器を捨てて投降しろ!」


「この人数に勝てると思うな!」


「野蛮な豚め!」


次々と浴びせられる罵声の1つに、女神アンジェリカが反応したのを、イクトールは何となく直感的に感じた。


『豚?豚!?豚ぁあああ!?』


女神アンジェリカがイクトールの頭の中で、今までで、こちらに転生してきてから10年より長い期間に聞いた、どんな声より大きな声を出した。


イクトールが思わず耳を塞いだほどだった。


しかし耳を塞いでも心の中に届けられる声は防げなかった。


頭蓋骨が歪まんばかりに塞いでも、イクトールの心の中で騒音が鳴り響く。


除夜の鐘をどれだけ早く突けるかの競争をしている梵鐘に、頭を突っ込んでいる気分だった。


とにかく吐きそうだった。


吐いた。


『殺しなさい!殺しなさい我が使徒イクトール!皆殺しです!その血で私に忠誠を捧げなさい!敵の屍で私を讃える塔を建てるのです!一切逃してはなりません!親も妻も子々孫々に至るまですべて残らず我が庭に送り届けなさい!さあ敵の血で黄泉の河を染め上げるのです!』


「うおおおおおおおおおおお!!!」


イクトールはゲロを撒き散らしながら吠えた。


大きく開かれた口からはとんでもない量の空気が吹き出し、剥き出しの牙が吐瀉物に濡れ、その雫を撒き散らした。


巨大な身体は震え、筋肉は膨張して深緑色のベストを破った。


マルクス銀貨で18枚もする毛織物だったが、今はただの破片となった。


イクトールは威嚇ではなく、ただ単に女神アンジェリカの声がとんでもなくうるさかったので、それを掻き消そうと同じくらい大きな声で吠えただけだった。


しかし、これが十分に効果的だった。


オークのイケメンボイス(オーク基準)を聞いた衛兵たちは、残らず一歩後ずさった。


イクトールの後ろに控える奴隷たちとグルオンも一歩後ずさったが。


『さあイクトール!殺戮の時間です!懲罰の時間です!彼らを私の威光で焼き尽くすのです!我が食卓に奴らの魂を並べるのです!』


「わかりました!わかりましたから少しだけ静かにしてください!」


イクトールは吠えた。


あまりにおかしなセリフだったので、衛兵たちは怪訝に思った。


それと同時に、どうやら今回の下手人は精神異常者であるらしいと見当付けた。


嘔吐したのが、最もその判断を下す材料になったことはまず間違いなかった。


『チッ……、必ず殺しなさい。1人たりとも逃してはなりませんよ……』


女神アンジェリカは舌打ちして、あとは静かになった。


残ったのはドン引きする元奴隷たちと、ドン引きする衛兵たちと、心配そうに見つめるグルオンとロザリーだけだった。


吐瀉物の酸っぱい臭いが漂う静寂の中で、イクトールの荒い息遣いだけが時を刻んでいる。


「お、おい、本当にどうしちまったんだ……?その棒のせいか?」


グルオンはイクトールから2歩ほど下がったところから尋ねた。


グルオンからは、店主から錆びた棒を受け取った前後あたりからおかしいと推理するしかなかった。


彼に魔素可視化の才能はなかったが、明らかに異常な力を持っているとしか思えなかった。


もしそれが呪術を帯びたもので、イクトールの意志が侵食されているのではないかと考えたのだ。


しかし、精神が侵食されていると言うなら、それはイクトールが転生した瞬間からである。


そして錆びた棒によってではなく、女神アンジェリカによってなのである。


「弱者を虐げることは正義か!」


イクトールが怒鳴った。


グルオンは誰に言っているのかと思ったが、すぐに自分に向けての言葉だということに気がついた。


「い、いいや、違う」


グルオンは、ついに狂った、と思った。


しかし、イクトールの目が意志の炎の輝きを放っているのを見て、考えなおした。


精神異常者特有の目の輝きという可能性もあったが、グルオンはどちらかというと自分に都合のいい解釈をした。


とにかく、自分は彼の味方でいようと考えたのだった。


「では敗者からすべてを奪い、その生命すら弄ぶことは正義か!」


次の問がきた。


今度は、(ども)らない。


「いいや、義に欠けることだと思う」


「では俺の行動はどうだ!」


そこで、ついにグルオンは確信した。


イクトールは大丈夫だ、と。


そして同時に彼は、イクトールと共に進むことを決めた。


さらに同時に憧憬と羨望の眼差しで見つめる緑色の瞳が、もう1対あったことに、イクトールもグルオンも気が付かなかった。


「……最高にクールだよチクショウ」


それで、イクトールの心の中で決心がついた。


魔剣によって全能感に満たされても、女神アンジェリカに大声で怒鳴られても、奴隷たちを助けたという事実があっても、イクトールは心の中で自分の行動が正しいかどうかは決めかねていた。


前世の、10年近い無力感との戦いが、彼に自信をもたらさなかった。


それは彼が孤独であったからだ。


集落にいたときは、カルアがいた。


彼女がイクトールを認め、支えてくれていた。


だから、商売にも才能を振るうことができたし、孤独な日々を過ごすこともできた。


ベーティエの街に来て、イクトールは不安を抱えていた。


ナーキスに案内されつつも、イクトールは孤独だった。


所詮商人との付き合いは金の縁である。


情で結ばれたのはグルオンだけだった。


そんな彼が、友と呼べる彼が肯定してくれるなら、イクトールは戦えるのである。



イクトールの魂は、1つ階段を登った。



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