魔剣とオーク
美しい女エルフに案内されたのは、かなり広い部屋だった。
中央で2つに部屋を区切るように、柵のようなものが連続して置かれていた。
天井にはシャンデリアがあったが、柵で区切られたこちら側に偏って付けられている。
柵の向こうには、首輪を付けた者たちがざっと40人ほど、全裸で立たされていた。
「ここが、旦那様方がお品定めなさる場所です」
女エルフは、病的に白い手を柵の向こう側に向けた。
柵の向こうにももう1つ柵があり、様々な種族の奴隷が男女に分けられていた。
中でも、リョスアルヴが半分くらいを占めていて、目立つ。
その中には、オークの女が1人だけ見られた。
戦争で略奪されてきた者だけでなく、借金などによって連れて来られた者たちもいるのだ。
「あの柵に施された魔法により、向こう側からこちらが見られることも、聞かれることもありません。また柵に触れますとあのシャンデリアから強力な電撃が放たれますので、こちらも同時にご注意ください」
女エルフの指さした。
柵には隠蔽領域術式と誘導術式が、シャンデリアには自動電撃術式がかけられていた。
もちろん高濃度魔素結晶体を精製し、付呪したものである。
魔法の柵を隔てて向こうと、こちらとでは、雲泥の差があった。
こちらには座り心地の良さそうな椅子が何脚も並んでいるのに対し、向こうは絨毯すらない剥き出しの灰色の石の床だ。
最低限の衛生環境はあるのか、糞尿に汚れているということはないが、見ていて寒そうに感じるくらいだった。
実際には魔石を利用した暖房魔法がかけられていて、奴隷たちが裸でも健康を損なうようなことはない。
奴隷商人に限らず、すべての商人はわざわざ商品の価値を下げるようなことはしないのだ。
もちろん、イクトールが考えるような「商品の味見」なども、商品価値を著しく下げるので、奴隷商人は手を出すことはない。
それでも、豊満な肢体を曝け出している女を見れば、イクトールは生唾を飲まざるをえなかった。
視界の中に男が入っているのがイクトールにとってかなり不愉快だったが、それ以上に女神アンジェリカは異種族に対してイクトールが情欲の目を向けているのが不愉快で仕方がなかった。
『これで全員か聞きなさい』
「これで全員?」
「……いえ、あとは体調不良などでこちらにいない者もおります。連れてきましょうか?」
『……オークの子はいますか?』
「オークはあの子だけか?」
イクトールは1人だけの女オークを見た。
緑色の皮膚に、垂れ下がった豚に似た耳、豚に似た鼻、丸い目。
オーク基準で見れば肉付きはよくないが、人間基準で見れば程よく引き締まった身体をしている。
そんな彼女は、跪き、両手を組んで何かに熱心に祈りを捧げているようだった。
「いえ、オークは彼女だけですね。旦那様はあの子をご所望ですか?」
「……ちょっと考えさせてくれないか?」
イクトールは女神アンジェリカの答えを待った。
待っている間に、疑問が生まれた。
どうして彼女は同じ奴隷に対して、そのように振る舞うことができるのだろう、という疑問だった。
もちろん、彼女は良心の呵責を感じていないわけではない。
しかし、彼女も奴隷なのだ。
与えられた仕事を断る権利など、与えられてはいない。
誰でも自分がかわいいのだ。
断れば鞭打たれるのは自分なのだ。
それに、彼女は特別扱いを受けている。
魔法も使え、容姿も良く、奴隷としても高価であった。
さらには仕事に従事している間にもらったチップなどは、そのまま受け取っても良いことになっている。
唯一、奴隷であるという点を除けば、ほとんど普通の労働契約と異なるところはなかった。
だから、仕事と割り切って彼女はこなしていた。
自分に「これは喋る商品なのだ」と言い聞かせて。
イクトールは、同情よりも、この状況をどうすることもできない自分の無力さに腹が立った。
『義憤、ですね』
女神アンジェリカがイクトールの心を読んで言った。
『いい心です。我が高貴なる戦士として相応しく魂が磨かれてきたようですね』
女神アンジェリカは誇らしげだ。
『ただ、それをそこの売女ではなく、向こう側の私に祈りを捧げているか弱き同族に向けないのは、……まあ、今後の課題としましょう』
『……どういうことですか?』
イクトールは女神アンジェリカに心の中で問いかけたが、彼女は無視して自分の言葉を続けた。
神はいつだって自分勝手に宣託だけをよこす。
『さあイクトール。剣を取りなさい。掲げなさい。我が威光を三千世界に示すのです』
剣?とイクトールは疑問を持った。
今は剣など持っていない。
武器は背嚢の中に弩と弓、そしてナイフが入っているきりだ。
弩と弓にいたっては、使う機会に遭遇するとも思っていなかったので、すぐに使えるような状態ではない。
『汚らわしい場所で商いを行う不当な所有者から取り戻したでしょう』
イクトールは錆びた棒に考えが行き着いた。
「グルオン、すまないけどあの錆びた棒を取ってくれないか?」
イクトールは、椅子に座ろうか座らまいか悩みながら、目線をあちこちにやって居心地悪そうにしているグルオンに言った。
「は?今?」
「うん。今らしい」
「らしいってお前……」
グルオンは怪しみながら、イクトールが背負っている背嚢を覗き込んで、錆びた棒を取り出した。
粘土で子供が戯れに作った剣にも見えなくもない。
長さは、イクトールの手から肘ほどもない長さだ。
イクトールがそれを持つと、剣の柄くらいにしかならない長さだ。
よく見れば持ち手は反対なのかもしれない、とイクトールは本能的に思って握った。
長い方が持ち手で、親指の長さほどしかない方が、刃なのではないかと。
そしてその直感は正しかった。
「……旦那様、それは何ですか?」
エルフの女が、イクトールの持つ錆びた棒を、緑の目をぱちくりさせて見た。
ただの錆びた棒にしか見えない、と思っていそうな顔だった。
イクトールもそう思う。
そう思っていた。
しかし女神アンジェリカが言うのだから、何かとんでもなく面倒なことが起こるだろうなと思った。
『さあ、それを掲げなさい。天にいる私に見せつけるように』
イクトールが女神アンジェリカに言われたとおりにすると、何の変哲もない錆びた棒に異変が起きた。
錆が空気に溶けるように消え、真の姿をシャンデリアの下に晒した。
イクトールも、グルオンも、エルフの女も、目の前で起きる奇妙な現象に目を疑うことしかできなかった。
現れたのは、澄んだ青空のような青地に、白の装飾がされた剣の柄だった。
鍔の部分は小さく、しかし優美な曲線を描いている。
それから先が、無い。
柄は、剣として最も重要な刃の部分を持っていなかった。
「そ、それは……!?」
グルオンが驚きに目を見開いて、イクトールの手に収まったものを見た。
一見すると、ただの剣の柄だ。
しかし、見える者が見ればそれは明らかに異次元の存在だということが理解できた。
イクトールとグルオンは魔素を視覚化することができなかったが、エルフの女にだけは、剣の柄が凄まじい勢いで空気中から魔素を吸収していたのが見えた。
ベーティエの街の一角にある、雑貨屋の倉庫に眠っていた錆た棒はは、古代魔法文化が産んだ1つの奇跡だった。
『ああ、やはり美しいですね』
女神アンジェリカはほっと一息つくように言った。
喘ぎ声に似た、情欲をそそる甘美な囁き声だった。
が、イクトールの脳内はそれどころではなく、眼前の魔剣を驚愕の表情で見ていた。
『その剣……、と言っても今は柄に見えますが。それには、刺し貫いた対象の魔素に干渉する、極めて強固で厄介な術式が組み込まれています。4000年ほど前に私たちに歯向かおうとした魔法使いが、100人の同胞の心臓と堕落した魂で生成したものです。強固に封印されていましたが、私の魔法にかかればこんな封印はあってないようなものですね』
過去、神々の力を行使しようとした伝説の魔法使いがいた。
その魔法使いはまず、神々の用いる魔法の力を解明しようとし、発狂した。
共に研究していた100人を越える魔法使いを殺し、その血と心臓と魂を用いて錬成したのが、今、イクトールの手に握られた魔剣だった。
一説には、その魔法使いは神々に対しての抑止力を有することで、神々を使役しようとしたと言われているが、4000年も前のことなので、詳しいことはわかっていなかった。
女神アンジェリカも、その真実を知る一柱だったが、何も語ろうとはしなかった。
「こ、困ります、旦那様……」
淡く光る柄を見て、女エルフが喘ぐように言った。
エルフの目には、柄から伸びる不可視の刃が映っていた。
イクトールの目にも映っていたが、普通は魔素可視化の才能がなければ見ることは敵わなかっただろう。
それに、もっと正確に言うなら、イクトールは真に刃を見ていたが、女エルフはそうではなかった。
女エルフは異常な空気中の魔素の流れを見ているだけであった。
自然の空気中には魔素はあまり存在しないが、この部屋は違う。
空気を管理するために部屋中に健康に被害がなく、違和感を覚えない程度まで薄められた魔素で満ちているのだ。
奴隷であるエルフたちが毎朝魔石に魔素を吹き込んで起動させている、温度及び湿度管理術式である。
その空気中の魔素を、不可視化された刀身に刻まれた術式が吸収し、刀身に行き渡らせる。
行き渡った魔素がさらなる術式を起動させ、さらに空気中から魔素を吸収する。
一定量の魔素を吸収した魔剣は、さらに、もっと、と貪欲に魔素を吸収していく。
その効果は、部屋中に張り巡らされた気温湿度管理術式の魔石を空にするのに十分なものだった。
どんどんと伸びていった不可視の刀身は、イクトールの腕の長さほどにまで伸びた。
それを本当の意味で見ることができるのは、使い手のイクトールだけだった。
「そ、……そのように、剣を抜かれては困ります!」
女エルフが我に返って叫んで、イクトールの腕にしがみついた。
しかし、イケメンのオーク(オーク基準)の腕力に、女のリョスアルヴ1人では到底敵わなかった。
「おい待て!何をしようとしてんだ!まずいって!」
事態を察したグルオンも、エルフの彼女に続いて、慌ててイクトールを取り押さえにかかるが、膂力においてイケメンのオーク(オーク基準)に敵う道理はなかった。
2人がかりで動かそうにも、イクトールは石像のように重く、微動だにしない。
それどころか、イクトールは2人を引き摺りつつ、柵へと進んだ。
なぜそんなことをしようと思ったのか。
イクトールは自分の中にしっかりとした答えは持っていなかった。
でも、何となく、自分の郁人ではないイクトールの部分が、必死に目の前の弱者を救えと叫んでいたのだ。
そして、自分には救うだけの力が、女神アンジェリカによって託されていた。
理由はそれだけだったが、それだけで十分だった。
『さあイクトール、うっすらと刀身が見えますね?軽く振って、柵に当ててみてください』
女神アンジェリカに言われるまま、そして自分の意志を含んで、イクトールは魔剣を振った。
イクトールにしか見えない不可視の刀身は、豆腐を切るような柔らかさで、柵に切り込んだ。
魔剣の不可視の刀身が、柵に纏わりついていた魔素を残らず吸い取り、施された術式を破壊した。
しかし齎された破壊はそれだけである。
物理的、つまり柵の姿はそのままであった。
見るものが見れば、術式の刻まれていた柵が、瞬く間にただの何の変哲もない柵に変化したのが見えただろう。
それが見えたのは、女エルフだけだった。
遮断魔法を帯びたマルクス金貨400枚もする魔法の柵は、ただの柵になった。
その魔素構成が破壊される様を、エルフの女は驚愕に目を見開いて見届けたのだった。
『ええ、その力です。それはイクトール、あなたに自由を与える力です。我が威光を示す力です』
女神アンジェリカは、イクトールの魂に予め施していた術式から自分へと魔力が流れ込むのを感じた。
魔剣の吸収した魔素は、いくらかのロスがあったものの、女神アンジェリカに届けられた。
この考えがあったからこそ、女神アンジェリカは不気味にもイクトールの声を聞き入れたのであった。
そんなとき、イクトールは、感激していた。
魔剣の刀身は間違いなく柵を切っていた。
しかし、物理的な破壊はもたらされなかった。
それどころか、同時に強烈な何かが魔剣を通して自分の身体へと流れていくのを感じた。
そして、直感的にであるが、柵の魔素が残らず消えたように感じたのだった。
その証拠に、今まで見向きもしなかった奴隷たちが、こちらを驚愕の眼差しで見ているのだ。
今まで何もなかった空間に、エルフとキュオーンがしがみついたオークが現れたのだった。
その異種族3人という光景も、奴隷たちを驚かせた要因の一つではあるが。
そんな奴隷の反応を見て、推測は確信に変わる。
これを使えば、と衝動的にイクトールはエルフの女を魔剣で切った。
風が、女エルフの身体を通り抜けた。
「あ」
グルオンが、信じられないものを見る目でイクトールを見た。
惨劇を想像して目をぎゅっと閉じた。
しかし、なかなか血の匂いはしてこなかった。
恐る恐る目を開けると、ぽかんとしているエルフの女がいた。
何かが変わった様子は見られなかった。
しかし、女エルフは変わった様子を明確に強く感じていた。
身体からは、隷属の術式が綺麗さっぱり消えていた。
同時に、彼女の身体から残らず魔素が消え去っていたが、それは小さなことであった。
それより、エルフの女は自分の身に起きたことが信じられなかった。
身体に刻まれる隷属の魔法は、ちょうど刺青のように永遠に消えることはないもので、被術者の体内魔素を吸い上げて常に稼働する、自動術式の一種だ。
高位の魔法使いがとんでもない費用をかけて、効果を上書きすることでのみ、無効化することができる第一種解除困難呪術である。
隷属の魔法は、刻まれた魔法回路に熱を加える単純な術式と、常にその居場所を伝える効果を持つ。
隷属の術式にかかった者は、魔素視覚化の素質を持つ者の目にはうっすらと光って見えるのだ。
しかし、その鬱陶しい淡い光は、すでにない。
エルフの女奴隷の名は、ロザリーであった。
今、この瞬間、ただエルフの女奴隷だったロザリーは、ロザリーであることを取り戻したのだ。
唐突に手に入れた自由に、脳が理解を拒んでいるようだった。
ロザリーはその場にへなへなと座り込んだ。




