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奴隷市場とオーク

数日後、イクトールとグルオンは、決まって宿屋の食堂でとんでもない量の朝食を胃に詰め込んでいた。


エピクロス金貨300枚はもあれば、土地を買って小さな農場を経営するのに十分な量の金である。


それだけの金が降って湧いたように手に入ったので、その使い方は荒かった。


一番高いものを頼もう!とイクトールが言い出して、グルオンが少々申し訳ない気持ちになりながらも、その相伴に預かるという形の食事が何度も行われた。


この時代では珍しい、3食オヤツ付きに、さらに小腹がすいたときにはろくに値段も見ずに露天商から食い物を買うという豪遊っぷりだった。


元衛兵のグルオンが連れている見かけないオーク、ということでかなり目立っていたが、大の大人の首を簡単に片手でへし折りそうなイクトールを見て、突っかかる者は誰もいなかった。


そういうわけで、イクトールの金遣いは荒く、その日の朝食も、宿屋の食堂のテーブルにとんでもない量の料理が並んでいるのであった。


その日は、パリパリの皮と甘い香りの漂う子豚の丸焼きに、大量の蜂蜜酒とエールが並んでいた。


豚の丸焼きはこれだけでマルクス銀貨12枚もする高級料理だ。


すでにこのメインディッシュが置かれるまでにミートパイ、サラダ、ウナギの蒲焼を食べていた。


特にイクトールが驚いたのはウナギの蒲焼で、まさか異世界に来て日本の料理が食べられるとは思ってもみなかったのでついつい大量に注文したのであった。


厳密に言うとウナギの蒲焼は古代ローマでも食べられていた、かなり歴史の古い料理である。


ウナギの料理であればイギリスにもウナギのゼリー寄せなどがあり、ウナギは古来より親しまれてきた食材の1つである。


その例に漏れず、この異世界にもウナギ料理はあった。


しかしあまり安い食べ物ではなく、イクトールが2匹分も食べた蒲焼は合計マルクス銀貨で8枚もする料理だった。


しかし、マルクス銀貨に換算して5000枚ほどのあぶく銭を手に入れたイクトールにとっては、痛くも痒くもなかった。


豚の丸焼きをナイフで大きく切り分けて、パリパリの皮をグルオンと我先にと取り合っているときだった。


「あ、イクトール様……ですよね?」


まだ小学校に通っているくらいの歳の人間の子供が、イクトールを見上げていた。


「……そうだが」


イクトールは不機嫌に返した。


そちらに気を取られている隙に、グルオンに豚の後ろ足が取られたからだった。


「あ、あのッ、馬の用意が整いましたので……」


イケメンのオーク(オーク基準)に睨まれて、使いの小僧は縮み上がった。


イクトールの目は鋭く、肉食獣のような冷酷さが刻まれている。


それだけではなく、単純に背丈も大きく、圧迫感のある身体付きをしているのだ。


口の端から出た太い牙は、もし噛み付けば大きな穴を開けることができるだろう。


オークは、その容姿だけでも戦場の敵を震え上がらせることができる種族なのだ。


その自覚が少ないイクトールは、よくその容姿で他人を怖がらせるのだった。


「ああ、悪い悪い。こいつ顔は怖いけど根はいいやつなんだ。怖がらないでやってくれ」


グルオンが裂けた犬の口で、子豚の足を横に咥えて言った。


それから椅子を引いて、小僧に座るように促した。


「まあお前も食っていけよ」


「おい、俺の……、いや、いいけどさ」





朝飯を食ってから、イクトールとグルオンは2人で連れ立って歩いていた。


もう馬と馬車は城壁の外に用意されているらしかった。


小僧は他の仕事があるらしく、同席した朝食を急いで胃に詰め込むと慌てて仕事に飛び出していってしまっていた。


残された2人は、イクトールの要望で奴隷商を見に行くことになっていた。


厳密に言えばイクトールの要望ではなく、女神アンジェリカの要望だったのだが。


昨日のうちに、唸るような金貨で奴隷商人への渡りをつけて、奴隷市場への入場証を手に入れていた。


なぜ女神アンジェリカが奴隷市場に行きたいと言い出したのかはわからなかったが、そう言うのなら何かあるのだろうとイクトールは思った。


奴隷市場はイクトールの思ったより、堂々と建っていた。


頑丈なレンガ造りの建物で、機能美に溢れた四角い形であった。


「ここが奴隷市場か……」


『さあ中に入ってください!』


女神アンジェリカが頭の中で大声を出したが、イクトールは無視した。


「なあ、昨日も聞いたが、どうして奴隷市場になんか興味があるんだ?」


「え……、ああ、単純に見てみたかったんだよ。オーク族には奴隷って文化はなかったから」


女神アンジェリカのことは、グルオンには伝えていなかった。


言っても信じてもらえるかはわからなかったし、何よりグルオンの同僚の命を奪った張本人の使徒だということを伝えなければならないことを、イクトールは避けたかった。


『さあ!入ってください!我が聖剣を!我が軍を!さあ!』


女神アンジェリカの言うことはさっぱりわからなかったが、とにかく入ることにした。


守衛に証明書を見せて、中に入ると、そこはイクトールが想像していた奴隷市場とはまったく違っていた。


整然と並んだ燭台には惜しげも無く蝋燭が燃えていて、赤い絨毯を淡く照らしていた。


また、ステンドグラス壁の高いところから嵌めこまれていて、奴隷市場はまったく暗くなかった。


むしろ、この街の中のどこよりも明るい印象を受けた。


さらにどこよりも清潔であった。


床は大理石と赤い絨毯で、街中のように泥と糞尿と雨水がごっちゃになっているようなことは一切ない。


「失礼します、旦那様」


黒いウェイターの格好をしたエルフ族の男だ。


その装飾品はどれも高価なように見える。


エルフ族、つまりリョスアルヴの彼は、白い肌、冷たい目、華奢な四肢といった種族的特徴を有していた。


それに何より、耳が尖っていた。


ダークエルフ、つまりデックアルヴのナーキスなども、耳は尖っていたが、白いエルフを近くで見るのは、イクトールにとって初めてだった。


エルフの彼は空中の虫でも払うかのように、さっと腕を振った。


それは魔法であり、イクトールとグルオンの身に付いた汚れを一瞬で払ってしまった。


「あ、ありがとう」


イクトールが言ったお礼の言葉に、エルフ族の男はかなり驚いたような顔をしたが、一瞬で元の無表情に戻った。


「そちらのお荷物を、お預かりいたしましょうか?」


エルフはイクトールの背負っている背嚢を手で示した。


「いらない」


イクトールはエルフの申し出を短く断った。


オーク族がぶっきらぼうに断ると、やはり怖かった。


そのフォローというわけではないが、イクトールはエルフの男にヘーゲル金貨をチップとして渡した。


イクトールはナーキスから貨幣についていろいろ学んで、ヘーゲル金貨は最も価値の低い金貨だと聞いていた。


もちろん、それでも金貨は金貨で、他の銀貨より価値は上である。


「すげえ……。まるで貴族様扱いだぜ……」


グルオンが感嘆の声を漏らした。


奴隷を扱う者は、誰もが金持ちである。


奴隷を買うということは、その後の管理もしっかりとしなくてはならないことになる。


そもそも奴隷を従事させるだけの仕事を有しているということは、同時にそれだけ繁盛しているということでもある。


例えば大規模農場経営者や鉱山経営者が、奴隷市場の主な顧客だ。


奴隷が従事するのは、農業のように固定して仕事を続けさせなければならない仕事や、鉱山のように過酷で誰もやりたがらない仕事が主である。


そして先程のウェイターのエルフのように、魔法の才能を買われて仕事に従事させられる者も少なくはなかった。


イクトールが想像するような性的な奴隷は、本当に金が余って余って仕方がなく、家に金貨を置く場所がなくなってしまうような、そんな飛び抜けた極小数の大金持ちが道楽で買うくらいだった。


というか、そんな金持ちなら、わざわざ奴隷を買わずとも言い寄ってくる女は掃いて捨てるほどいるわけだから、奴隷を買うということは非効率的であり、非生産的な行動にあたる。


だから、趣味で奴隷を買って、その命を手のひらで弄ぶような趣味を持った金持ちが、唯一そういう目的で奴隷を所有していた。


「お飲み物は、いかがですか?」


今度は別の、女のリョスアルヴ(エルフ)だった。


胸元が大きく開いた、黒い扇情的な装いで、それは白い肌を引き立てていた。


見る者を吸い込むような大きな瞳は、イクトールの肌と同じ緑色だ。


飲み物が入ったグラスが乗った銀の盆を、両手で大事そうに携えている。


「……え?あ、俺?いや、いいよ俺は。イクトールは?」


「あー…、じゃあ、もらおうかな」


イクトールは細いシャンパングラスを取って、代わりにチップとしてポケットからヘーゲル金貨を選び出して銀の盆に置いた。


「なんか落ち着かねえや……」


グルオンが毛をもさもさと掻いて言った。


すでにさっきの魔法でノミや抜け毛はすべて掃除されたはずであるが、グルオンはむず痒さを感じていた。


グルオンはこういった高級そうなところには、まったく縁がなかった。


「まあ、結構見られてるしな」


周囲の者たちは、全員が高そうな立派な服装を身に纏った人間族だった。


それに対してこちらはオークとキュオーンである。


おまけに服装も高級とは言えないものだった。


イクトールは、リネンの肌着シャツの上に、自分の深い緑色の肌より少し薄めに染められた毛織物のベスト、そしてゆったりとしたこちらも綿のズボンであった。


グルオンも似たような服装で、2人とも場違いな格好であった。


奴隷商人から綺麗な格好をして行けと言われたので、これでもわざわざ新しく買ったものだ。


2人合わせてマルクス金貨5枚もした新品の衣装だったが、それでも周囲からは浮いて見えた。


周囲の者たちは、金の刺繍が豪勢にあしらわれていて、その上宝石を使った装飾品がいくつも首や指に光っている。


それに比べれば、イクトールとグルオンは何の宝飾品も身につけておらず、サイズもぴったりというわけにはいかない。


明らかに場違いであったが、それでもその場に留まることを許されていたのは、偏に金の力だった。


この場にいるものは当然金持ちであるという共通認識が、平民に変装する変わった趣味の金持ちオークへと、イクトールとグルオンを見せていた。


そもそもオークという種族自体にあまり感心がないので、オークの伝統的衣装なのだろうとまで思っている者もいた。


そういうわけで、イクトールとグルオンは奴隷市場において若干の注目を浴びつつも、ぼーっとあたりを観察する余裕は与えられていたのだった。


『アンジェリカ様、これからどうするんですか?』


イクトールは女神アンジェリカに心の中で呼びかけた。


『そうですね。まず奴隷たちのところに行きましょうか。そこの売女に端金(はしたがね)を渡して道案内を頼みなさい』


と、女神アンジェリカが極めて尊大に言い放ったので、イクトールはそのとおりにした。


「あー、お嬢さん」


黒いドレスの女エルフに声をかけると、彼女は何か自分が粗相をしたのかと小さく飛び上がって驚いた。


「あ、いや、商品(・・)のところに案内してほしいのだが」


「はい。かしこまりました旦那様」


ドレスの女リョスアルヴは、ぺこりと頭を下げた。


そのときに、胸元が強調される形になり、イクトールは興奮を覚えた。


リョスアルヴ特有の透き通るような病的に白い肌が、扇情的な黒いドレスと相まって、イクトールの視線を胸元に誘導する。


エルフのメイド、という蠱惑的な響きが、イクトールの脳を占有した。


『高貴なる私の使徒が、そのような売女に欲情するのは見ていて腹立たしいのですが』


女神アンジェリカは不機嫌そうに言った。


「こちらです、旦那様」


黒いドレスのエルフは、イクトールとグルオンを先導して歩いた。


もちろん、イクトールとグルオンはそれに続く。


エルフの女は明るい陽の当たる廊下を歩いていく。


ふかふかの赤い絨毯の感触が心地よい廊下には、一片の闇すら許さないように蝋燭が並んでいる。


壁は頑丈なレンガで構成されている。


奴隷が閉じ込められているとすれば、壁を破って脱走することは不可能だろう。


「……()()()()()()()?」


しばらく歩いていると、黒いドレスのエルフが、小声で独白した。


廊下の壁に反響して、普通に聞こえたので、もしかしたら聞こえるように言ったのかとイクトールは思った。


「オークの奴隷商人っていうのはやっぱり珍しいのか?」


なので、イクトールは独り言に返事をした。


すると、今度こそエルフの女は飛び上がった。


それから空中で綺麗に土下座の姿勢をとって着地した。


美しい空中でのアクロバットだった。


もし土下座がオリンピック種目であればメダル確実の演技だった。


「もももももうしわけありません旦那様!お許し下さい!ま、まさか旦那様のような高貴な方が下賎なるアルヴ語まで教養を広げていらっしゃるとは思ってもみませんでして……!」


女エルフは頭をふかふかの絨毯に埋める勢いで土下座をした。


命乞いをするかのような慌てようだ。


謝られているイクトールはというと、異世界でも土下座が存在するのだなぁ、と呑気なことを考えていた。


グルオンはこんな場面が誰かに見られやしないだろうかとアワアワと周囲を見渡していた。


周囲に人の気配はなかった。


「あ、別に気にしてないし、あの、こちらこそごめん。単純に好奇心の問題で……」


土下座されることに慣れていないイクトールは、どうしたものかと頭を掻きながら言った。


「お許しいただけるのですか!?」


女エルフの表情がぱっと晴れる。


「許すも何も、その、土下座やめてくれないかな?」


イクトールがそういうと、女エルフは素早く立ち上がった。


命が助かった、というような安堵の表情であった。


『何を言ってるんですか。こんな汚らわしい売女は地面に這いつくばらせておけばいいのです。さあ、我が使徒の足を舐めて、高貴なる私に服従を誓いなさい!』


「あのっ、すいませんでした。私、オークの旦那様を見るのは初めてでして……」


『初めて?はあ?そう言っていれば男受けするとでも思ってるんですか?高潔なる戦士の一族に売女が口を利く権利があるとでも?』


「あ、いや、気にしないで。こっちに来てから言われ慣れてるし……」


『下賎な劣等種族は地面に頭を擦り付け、我が威光に平伏して泣き喚くのがお似合いです。むしろあなた方を滅ぼす、高貴なる私の軍勢の先頭に立つ我が使徒を知らぬと言う事実が、この世界の理から外れているのですよ』


「エルフの姉ちゃん。いいから早く案内しちまってくれよ……。俺はこういうの苦手なんだよ……」


『強者に怯えることもできない愚昧なる忌々しい虫は、せいぜい我が使徒の道案内でもしているのです。我が剣があなたの首を撥ねないように頭を低くしていなさい』


『あの……、アンジェリカ様?大変申し訳ありませんが、聞き惚れてこちらのことに手が回らなくなりますので、もう少しその美声を抑えてはいただけませんか?』


『……まあ、いいでしょう。我が使徒イクトールの頼みとあらば、聞き入れることもやぶさかではありません』


『ありがとうございます』


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