密売するオーク
イクトールとグルオンの、オークとキュオーンという2人組は、薄暗く汚い路地裏を歩いていた。
汚いといってもゴミが散らばっているというレベルではない。
下水設備が整っていないために、糞尿がそこらへんに垂れ流されていた。
その上、浮浪者が酒の匂いを漂わせながら道端に倒れている。
そうでなければ麻薬中毒者が頭を月までぶっ飛ばして、壁にもたれかかりながら薄ら笑いを浮かべてよだれを垂らしている。
また道端にも関わらず性交に励んでいる者もいた。
『高貴なる私の使徒がこんな薄汚いところを通らねばならないとは……。これだから人間族は嫌いなんです……』
と女神アンジェリカがぶつぶつと文句を、イクトールの頭の中で言った。
イクトールは、確かに女神アンジェリカでなくとも文句が言いたくなるだろうと思った。
現にグルオンはげっそりした表情で、布を鼻に覆い被せている。
それでも匂いは防げないので、尻尾をしゅんと垂らして、人間で言えば眉にあたるだろう部分をハの字に下げていた。
「なあ、これはやっぱ割りに合わないぜ……」
グルオンは不満そうな抗議の声を上げた。
「じゃあ昼飯も晩飯も奢ってやるよ」
「絶対だぞ!高いもん頼んでも文句言うなよ!?」
「わかってるよ。逃げもしねえし、何なら明日の飯も奢ってやってもいい」
それから、ぐっとイクトールは声を潜めた。
「それを補って余りあるほど高価なんだろ?」
「ああ。なんてったって禁制品だからな」
イクトールが提案したのは、スライムのコアの販路への案内だった。
このままスライムのコアを所持していても利益はないどころか、危険だけが残る。
ただでさえ現在唯一この街にいるオークであり、街に入るときに衛兵に賄賂を渡しているのだ。
何かあったときに疑われるのは自分であるし、賄賂を渡した衛兵から怪しまれて今後もたかられ続けないとも限らない。
それを未然に防ぐためにも、とっとと売っぱらってしまいたかった。
今もスライムのコアが詰まった瓶は、布でぐるぐる巻きにした上で背嚢の中に入っている。
スライムのコアを始めとする高濃度魔素結晶体は禁制品ではあるものの、その希少価値からあまり取り扱われないという性質だった。
禁制品になった経緯が特殊で、高濃度魔素結晶体は武器や防具、その他様々な道具に魔法をかける目的で使われる。
しかしその有用性から、領主や国王から許可を得た宮廷魔導師や道具屋しか扱うことは許されていない。
つまり高濃度魔素結晶体が禁制品となっているのは、強力な武器が一般人に出回る事態を避けるという意味での禁制品であった。
「問題はそれを買い取るだけの金を持ってるか、だ」
グルオンは不安そうに言った。
「ちょ、ちょっと待て。そんなに高いのか?」
「ああ。職業柄、その辺のゴロツキより詳しい自信があるぜ」
クビになったけど、という言葉をグルオンは飲み込んだ。
「あの瓶1つでマルクス金貨100は堅い」
「100も!?」
思わずイクトールは大声を出した。
グルオンが見たのは一番小さな瓶で、一番大きな瓶はその2倍の大きさがあったからだ。
一番サイズの小さい瓶に詰められたものが100とすれば、単純計算で合計600から700ぐらいになりそうだった。
すでに一財産築いているイクトールだったが、それが一気に倍になる計算だ。
「馬鹿!声がでかい!」
「おっと」
イクトールは慌てて口を塞いだ。
金、もしくは金目の物を持っていることはできるだけ隠すべきことだということは、すでに学んだことであった。
女神アンジェリカは殺せ殺せと急かすが、イクトールとしてはこの世界の異物である自分が、不用意に人を殺すことはなるべく避けたかった。
「まあ、金がなけりゃ物々交換って手もある」
グルオンは耳を動かして周囲を警戒しながら言った。
目線は抜け目なく左右に動いている。
逆に怪しいとは思われないだろうか、とイクトールは心配になった。
グルオンに案内された場所は、薄暗い裏路地にあまり似つかわしくない大きな店だった。
看板は建っておらず、窓もほとんどないレンガ造りの建物は異様な雰囲気を放っている。
「さ、入ろうぜ」
グルオンに促されて、イクトールはその看板の無い店の中に入った。
その中は綺麗なもので、カウンターが1つあるだけだった。
中のほとんどはカウンターの向こうであり、カーテンで仕切られていて見ることはできなかった。
カウンターの向こうには人間がいて、入店した2人を怪しそうな目で見ていた。
彼がここの店主であった。
そしてグルオンに気付いたようで、ぎょっとした目をした。
グルオンが衛兵だったころに、直接ではないが厄介事に巻き込まれたことがあるからだった。
「ああ、そうじゃない。今日は商売としてきたんだ」
「商売ぃ?衛兵のあんたが?ついにこっちに手を染める気になったのかい?」
「いや、まあ、そんなところだ」
グルオンは衛兵をクビになったことは黙っておいた方がいいと考えて、言わなかった。
「で、何のようだ?」
「今日は売りに来た」
「何を?」
「見てくれりゃわかる。今日はてめえの店の金庫まで空っぽにする気で来たんだからな」
それを聞くと、店主は目を商人のそれに切り替えて輝かせた。
グルオンに目線で促されて、イクトールは背嚢を下ろして、中から布の塊にしか見えない瓶を取り出した。
「何だそりゃ……。つーか、オークって今街にいたんだな。全員エルフんとこ行ってると思ってたよ」
店主はイクトールを怪しんで見た。
「俺は、まあ、この街のもんじゃない」
そう言いながら、イクトールはいくつもの布の塊をカウンターに並べた。
その数、5本。
「じゃあ密売人か?まあ、何でもいいが……。そりゃなんだ?麻薬は今は値崩れ起こしてるからな。期待すんなよ」
「いや、それじゃない」
グルオンが否定した。
麻薬の多くは特定の木から作られ、それが生える場所は土中に魔素が一定量含まれるところに限られている。
その場所こそが今、ヒュムランドが侵攻しているエルフの土地であった。
この侵略戦争は、ヒュムランドとしては麻薬の精製を断つ目的も含まれていたのである。
しかし皮肉なことにこれを好機と見た商人たちが、こぞって麻薬を帰還船に積み込み、ヒュムランドのあちこちに密輸入したのである。
「驚け。高濃度魔素結晶体だ」
グルオンがそう言うと同時に、イクトールは布を取り払った。
透明な瓶に詰まった真っ赤な粒が、淡い光を放つ。
その光は怪しい利益という魔力で、店主を魅了した。
店主自身、高濃度魔素結晶体を扱ったことは、両手で数えるくらいしかなかった。
それでも、淡い赤の魔力光と、特有の脈動は間違えようもなかった。
それに肌を近づければ、瓶越しでも明確に魔力の温かさを感じる。
商人としての経験が、間違いなく本物だと告げていた。
「う、嘘だろ、お前……」
急に酸欠にでもなったかのように、店主は息を荒らげて、蚊の鳴くような声で言った。
「どうだ、この量。現金で払えるか?」
グルオンが自分のことのように自信満々に言った。
「お、お前、この量全部買える店がベーティエにあるかボケ!」
「そうですか……」
イクトールはがっかりした表情で、片付けようと一番大きい瓶を掴んだ。
その手を、店主が上から掴んだ。
表情は必死である。
「ちょ、ちょっと待て。今は、その、現金がないが、後払いってのでどうだ?」
「えー…、それはちょっと……」
「ああ、待て待て!じゃあ交換だ!物々交換でどうだ!?」
かかった!とイクトールとグルオンは思った。
ここまですべて打ち合わせ通り。シナリオ通り。
元々現金での取引は半分できれば御の字だという計算だった。
「じゃあ……、馬は用意できるか?それと馬車も」
「馬に馬車?……ああ、足が欲しいってわけか」
さすがに商人である店主は即座に頭を素早く回転させた。
こういった商品を扱う者が要求するものは、店主も心得ていた。
名の知れた豪商から盗んだものを売って、足と路銀を手に入れたいという者は数知れない。
「そこまでいいものでなくてもいい。ただ、馬車は幌付きのものを頼む」
「……アテは、ある。でもそっちが後払いを承認してくれるかどうかだな」
「最悪、何日かかる?」
グルオンが聞いた。
「こいつを売るツテはある。ただ仲介に時間がかかるんだ」
店主は言い訳がましく主張した。
「だから、後払いでもいいから、それが何日だってんだよ?」
グルオンが急かす。
「あー、足が用意できるのは早くて3日だろうな。最悪1週間かかる」
それを聞いてイクトールはグルオンを見た。
グルオンは頷いた。
少し長くなりそうだったが、概ね想定の範囲内だった。
1週間以上かかりそうなら、グルオンだけ街から出て、後で合流するという方法も取れる。
2人は、馬車でもって別の街に移動する計画を練っていた。
なるべくなら現金を用意して、馬と馬車を買うことができればよかったのだが、それよりコアを処理できる方法を選んだのだった。
「じゃあ、それでいこう。具体的な商談に入っても?」
イクトールが挑戦的に言った。
オーク族基準でイケメンのイクトールが凄むと、人間族の商人といえども命の危機を感じざるをえなかった。
「ああ、かまわない。でも値段は勘弁してくれよ?あんた、この街のもんじゃないから知らないかもしれんが、今は戦争に買ってるから何もかも比較的安くなってんだよ」
それは事実だった。
戦争で様々な物を略奪してきたおかげで、市場には物が溢れかえっているのだ。
それはイクトールも承知していることなので、先を促した。
「全部エピクロス金で300だ」
エピクロス金貨は主に換金に使われる金貨で、マルクス系統の貨幣より少し高く、金貨以外は流通していない。
「ふざけんな!どう考えても1000はくだらねえだろ!」
グルオンは牙を剥き出しにして吠えた。
しかし店主も負けじと熱くなる。
「高濃度魔素結晶体の精製にいくら手数料がかかると思ってやがる!こういうもんを扱ってくれる野良魔法使いなんか滅多に見つからねえんだよ!」
「それでも300は少なすぎる!」
店主が弁解し、グルオンが憤慨した。
「手数料だ!怪しまれずに馬と馬車用意する手数料込みでだ!当然、馬代と馬車代込みだからな!」
「ぐ……。それを言われると……」
「それに、悪いが300以上は手持ちがない。まあ、何か店で欲しいものがあったらもらってくれ」
「どうする?っつっても選択肢はなさそうだが……」
そういうことになった。
店主が見せてくれたものは、どれも違法なものか、役に立たなそうな古いものばかりだった。
「これなんかどうだ?一度だけ魔法から防御する水晶だ。まあ、古いものだから、術式が生きているかわかんねえが……」
『いりません。私の魔法も拒絶する気ですか?』
イクトールは首を横に振った。
「じゃあ、これだ!出処は聞かねえでほしいんだが、エンチャント付きのナイフだ。」
『そんなリーチの短いものでどうやって戦うんですか?いりません』
イクトールは首を横に振った。
「ええい!じゃあこれだ!古代遺跡から見つかった宝剣……だと思うんだが……」
と言って店主が出したのは錆びた棒に見えた。
赤錆に包まれたそれは、おおまかに剣の形をしていた。
しかし錆が大きすぎて、まるで粘土で子供が作ったような、不格好な棒にしか見えなかった。
それをイクトールが見た瞬間、強烈な頭痛が襲った。
『それです。それにしなさい』
女神アンジェリカの天罰魔法であった。
彼女はイクトールに行動を強制させたいときに、この魔法を好んで使うようになっていた。
このことがあって、イクトールは女神アンジェリカの魔力回復を手伝いたくないのである。
『早く!イクトール!早く!それをその汚らわしい猿から奪い取りなさい!我が使徒イクトール!』
「お、おい、どうした。大丈夫か……?」
イクトールが痛みに耐えかねて思わずうずくまったので、グルオンが心配してその肩を揺すった。
「そ、それに、する……!それじゃなきゃ、だめだ……!」
ようやく絞り出したが、グルオンも店主も怪訝な顔をするだけだった。
急に頭を抱えてうずくまったオークを見て、いったい何が起きているのかと怪しんでいた。
『殺せ!殺して奪い取りなさい!我が使徒イクトール!それがあなたの使命です!薄汚い異教徒の血でその剣を磨き、私に忠誠を示しなさい!早く!』
その間も、頭の中で騒音と化した女神アンジェリカの声が響く。
「頼む、それを……!早く……!」
店主は戸惑いながらも、オーク族の渾身の目線に射抜かれ、大人しく錆びた棒をイクトールの手に渡した。
錆びた棒がイクトールの手に触れた瞬間、頭痛は跡形もなく収まった。
「……ふぅ」
豚鼻から荒く息を吹き出して、イクトールは安堵した。
「ど、どうしたんだ、オークの旦那は……?」
店主に尋ねられて、グルオンは困った顔で肩を竦めるだけだった。
「い、いや、持病なんだ。頭痛がよく起きるんだ……」
イクトールは当たり障りのない言い訳をした。
しかし店主とグルオンは納得していないようだった。
「おい、もしかしてダンジョンの後遺症か?」
「大丈夫だ。ごめん、心配かけたな」
グルオンがこっそり耳打ちをしてきたので、イクトールは無用な心配をかけてしまったと少し後悔して答えた。
「そんなもんでいいのか?俺も少しは魔法が使えるんだが、何の反応もないただの錆びた棒だぞ?古いことだけは確かだが……」
「面白そうじゃないか。古代の遺跡から出てきたのは確かなんだろ?」
「あ、ああ……。オーク族って変わってんだな」
店主はさらに怪訝な目を向けてきたが、それ以上は追求しなかった。
イクトールは、女神アンジェリカがなぜこの錆びた棒に執着するのかわからなかったが、何も言わずに従っておくことにした。
きっと女神アンジェリカが言うのだから、何か秘められたものがあるのだろうと考えたからだった。
『あら。愚かな下衆の魂にしては優秀ですね』
女神アンジェリカがイクトールの心を読んで言った。
『ですが、今は怪しまれます。ふふっ、あとで見せてあげますよ』
イクトールは、女神アンジェリカが楽しそうなので嫌な予感しかしなかった。




