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救出、魔物、信仰、それぞれの生き方


グルオンを見つけたのは、ダンジョンに潜ってから2時間以上が経ってからだった。


「グルオン!」


「うわっ!?だ、誰だっ!?」


グルオンは見るからに疲弊しきっていた。


目は落ち窪んでいて、生気が感じられなかったし、衛兵として身につけていたチェーンメイルはすでに脱ぎ捨てたようで、見窄らしい大きな布を纏っているだけだった。


その布もあちこちに穴が開いていた。


毛に覆われた全身も、毛が寝ているせいか、今は体積を半分くらいに縮めている。


グルオンはくんくんと鼻を鳴らすと、表情を一変させた。


その表情は砂漠で干からびそうだったときにオアシスを見つけたようだった。


信じられない、という驚愕の色が濃い、喜びの表情だった。


「お、お前、まさかオークの!?」


「ああ、イクトールだ。覚えていてくれて何よりだ」


グルオンには、イクトールがキュオーン族が死ぬときに姿を見せるという神の使いに見えた。


濃い緑色の肌。


鋭く下顎から突き出した牙。


獲物を捉えて離さない刃物のような目。


一撃で何もかもを粉砕するような筋骨隆々な身体。


そのすべてが神自らが設計した石像のように完成したもののように見えた。


勇猛果敢にして義に溢れ、弱きを助け強きをくじく、夢物語の戦士。


グルオンは両目に涙を湛えて、イクトールを見た。


その感動の情を一身に受けるイクトールを見て、女神アンジェリカは自分の使徒を誇らしく思った。


それと同時に自分にほんのちょっとだけ信仰力が戻るのを感じた。


緊張感から開放されたのか、グルオンはその場にへなへなと力なくしゃがみ込んだ。


「だ、大丈夫か!?」


(まさか魔素に侵されて……!?)


とイクトールは焦ったが、事実はそうではなかった。


「すまない、力が、抜けて……」


「そ、そうか、とりあえず水を飲め」


そう言ってイクトールは水を渡した。


それと、ベーティエの街に入るときに、グルオンから返してもらった干し肉などの保存食を渡した。


結局あのとき返してもらった保存食は全部グルオンの腹の中に収まったな、とイクトールはほのかな運命めいたものを感じた。


干し肉を食い、水をがぶがぶやりながら、ふさふさの尻尾を千切れんばかりに振るのが妙に可愛かった。


20分ほど休憩して、徐々にグルオンは体力を回復したらしかった。


「ありがとう。もう大丈夫だ」


グルオンはそう言ったが、実のところは大丈夫ではなかった。


魔素中毒のせいで頭痛はするし、疲労感で足も震えている。


しかし、それでもさっきたった1人で、スライムと魔物化した仲間たちが蠢くダンジョンで、あてもなく出口を探しているよりときに比べれば格段にマシだった。


「グルオン、何か武器は持ってるか?」


「いや何も持ってない。スライムを切ったら溶けた。防具もそのときにダメになった……」


そう言ってグルオンは自分の身体の一部を指さした。


そこだけ毛が剥げていて、飛沫を被ったように見えた。


毛がなければ、きっと高濃度の魔素を受けて肉が溶けていただろう。


「そうか……。でもまあ、スライムを倒すなんて焦らなきゃ簡単だ。俺が手本を見せてやるよ」


イクトールはダンジョンの隅でぼぅ、と光っている赤いコアを持つスライムを指さした。


まだ比較的小さいスライムだった。


「へえ、それは頼もしい……!」


『へえ、まるで自分が対処法を知っていたかのような言い分ですね』


『あ、いや、これは……』


『誰に教えてもらったのですか?その叡智をあなたに授けた慈悲深く美しく三千世界をあまねく照らし、すべての生命を支配するに相応しい崇高なる唯一高潔な女神は誰ですか?』


「……これは我らオークの女神、アンジェリカ様が授けてくれた知恵なんだけどな。まあ見ててくれ」


『そう、それでいいのです。イクトール。従順な子は好きですよ。少々装飾語が足りないように思いますが、許してあげましょう。どうです?優しいでしょう?』


イクトールは不満気ながら、グルオンにスライム投げを見せた。


スライムを潰さないように下から掬い上げて、投げる。


放られた巨大水饅頭は宙を舞い、硬い石の床にぶつかって弾けた。


べちゃっ!と音を立てて弾けたところに残ったのは、ぐしゃぐしゃになった水饅頭の欠片と、赤くぼぅっと光るコアだけだった。


それを見ると、グルオンは目をひん剥いて驚いた。


「そ、そんな簡単な対処法が……」


「知っているのと知らないのでは大きな差だ。それが生き死にの差でもある」


イクトールは得意になって言った。


「……と高貴なる女神アンジェリカ様は申しておられる」


ちゃんと付け足した。


『それでいいのです』


コアはもちろん拾って瓶に入れる。


すでにコアの入った瓶は4つ目が一杯になって、5つ目が半分くらいまで満ちている。


コアが時折もぞもぞと動いているのが、非常に気味が悪く、イクトールはコルクが抜けないように紐でさらに縛っていた。


「お前、それ、もしかして全部コアか……?」


グルオンとイクトールは出口に向けて歩き始めていた。


道は女神アンジェリカが案内してくれるので迷うことはない。


「ああ、そうだけど……。復活したら危険だし、売れるかもしれないから集めてるんだ」


イクトールはコアの詰まった瓶を軽く揺らした。


綺麗だ、と思った。


「う、売れる……か。まあ、売れるっちゃ売れるだろうが……」


「なんだ?マズイのか?」


「高濃度魔素結晶体だろ、それ」


「え?」


『まあ、そういう言い方もしますね』


「へえ。そうなんだ……」


イクトールはダンジョン内を照らす不思議な光に。コアの入った瓶をかざしてみた。


半透明で発光するコアの向こうから、柔らかい不思議な光が揺らめいて綺麗だった。


時折もぞもぞと動くことさえ無視すれば、宝石にも見える。


「魔素結晶は第一級危険物で禁制品の1つだ……。一般人が持ってちゃそれだけで腕を切り落とされるぞ」


「ままままマジで!?」


イクトールは今、グルオンが衛兵だったということを思い出した。


「た、頼む!見逃してくれ!」


「い、命の恩人を売ったりするほど、アイエルロみたいに落ちぶれてねえ!」


グルオンは本気で憤慨したらしく、全身の毛を逆立てて唸って、鋭い牙を見せつけた。


「あ。全然関係ない話になるが、気になってたから聞いていいか?」


イクトールは話を逸らす目的も含んで、言った。


それを感じ取ったのか、グルオンは無言で頷いて続きを促した。


「アイエルロって何でそんなに嫌われてるんだ?」


「なんでって、そりゃお前、泥棒を好きなやつはいねえだろ……。そりゃあよお、全部が全部悪人ってわけでもないだろうが、大半がそうじゃねえか」


「すまない。俺は集落から出てきたばかりでその辺の事情を知らないんだ」


「ああ、そうか……。そういやそうだったな」


グルオンはふさふさの毛で覆われた頭を、手で、もしくは前足で掻いた。


「アイエルロってのは、俗に猫族って言われるやつらでよ。まあ、俺たちが犬族って呼ばれてて、あいつらとは正反対ってわけだ」


グルオンはボリボリと遠慮なくそこら中を掻きながら言った。


しばらくボロ布一枚だったので、一度気になると全身が痒く感じ、掻く度に、魔素にやられて死んだノミがポロポロと落ちていった。


「んで、だ。あいつらときたら俺たちと違ってまずルールを守らねえ。自分第一なんだ。禁制品の麻薬もやるし、仕事にしたって監督官の言うことを聞きやしねえ。時間も守らないし、物をよく盗む」


「なぜそんな犯罪ばかりするんだ?」


「やつらに言わせれば、そのルールは人間族が作ったもので、我々が作ったものではない!……らしい。むしろお前たちキュオーンこそ、なぜ人間族の掟に従うのか、って言われちまったよ」


グルオンは衛兵の仕事のときに捕まえた、こそ泥アイエルロから言われた言葉を思い出していた。


「どうもやつらには所有って考えがないらしい。この世のすべてのものはすべての生命のものだと言うんだ。誰が汗水垂らして稼いだものだってのか知らねえんだ」


『ああ、あの小汚い猫どもは淫売バステトの子供たちですからね。どうせその程度のモラルですよ。この世のすべては私のものだというのに、すべてはすべてのものだとか、自然は自然であるべきとか、訳の分からない妄言を垂れ流す腐れ女でしたよ。同じ女神であるということが気持ち悪いうえに腹立たしい……!』


グルオンも女神アンジェリカも、同じように憎々しげに言った。


アイエルロという種族の人とまともに接したことのないイクトールには、2人の言うことがあまり実感できなかった。


それと同時に興味が湧いた。


怖いもの見たさというものだった。


右も左も分からない世界で好奇心は毒にしかならないのだが、前世のおかげで現実性を感じにくいイクトールは、まだ遠目でしか見たことのない猫族に思いを馳せた。


具体的には猫耳メイドに思いを馳せた。


同時にまだ見ぬ犬族の女性にも思いを馳せた。


具体的には犬耳メイドに思いを馳せた。





先にダンジョンを出たのはグルオンだった。


グルオンはキュオーン(犬族)の持つ獣の身のこなしで、ひらりと素早く身を躍らせると、不可視化された暗闇のゲートの向こうに消えた。


それからちょっとして、グルオンは顔だけをダンジョンの中に突っ込んできた。


「大丈夫だ。外には誰もいない」


「ありがとう」


万が一、外に衛兵がいた場合、突入したことがわかっているグルオンはまだしも、余所者のオークであるイクトールは目立ってしまう。


ただでさえオークの全員は戦争に行っていてベーティエの街にはおらず、遺跡がダンジョン化する直前に街に入った唯一のオークであるイクトールである。


もし仮にダンジョンから無事に出入りするところを目撃されては、何をされるかわかったものではなかった。


拷問され、強力な錬金術で作られた自白剤を使われ、ありとあらゆる秘密を暴かれた上に、磔にして街中で火刑にされるのが関の山だろうとグルオンは考えていた。


しかしそこまで具体的には言わなかった。


イクトールを不必要に怖がらせる必要はないと思っていたし、いざとなれば彼の逃走の手引きくらいは進んでするつもりだった。


しかしそんな心配を他所に、遺跡の入口の前には誰もいなかった。


疲れているとはいえキュオーンの優れた耳と鼻で周囲を探っても、人の気配はしなかった。


「はあー!生き返るなあ!」


イクトールは大きく伸びをして深呼吸した。


遺跡の中に入ったのが朝で、出てきたのは太陽が真上にくるころだった。


空は晴れ晴れと青く、白い雲は薄く上空でたなびいている。


ダンジョン内部に比べれば、通常の空気中の魔素は皆無といっていい。


息苦しさから逃れられたオークとキュオーンは、胸一杯に新鮮な空気を吸い込んで楽しんだ。


「俺は逃げるが、グルオンはどうするんだ?」


イクトールが聞くと、グルオンは困った顔をした。


尻尾も自然と体積が減ったように萎れ、だらんと垂れた。


「兵長殿に報告に上がるしかあるまい……。先遣隊に続き、それを救出する役目を負った俺たち第二次部隊も壊滅だ。どんな罰を受けるかわからんが、とにかく義理は捨てられん」


「そうか……」


イクトールは、できれば逃げようと言いたかった。


しかしグルオンの決意を邪魔することもできなかった。


なので、イクトールは自分の泊まっている宿を教えるにとどめた。


来れば、いつでも助けになるつもりだった。


「すまない。ありがとう」


具体的なことは何も言わなかったが、イクトールの言いたいことは伝わったようだった。


グルオンは衛兵専用の門から入っていった。


イクトールは何食わぬ顔で通用門に並んだ。


カバンの中身のスライムのコアが詰まった瓶が見つかると厄介なので、衛兵が所持品を検めようとしたときに、金貨を握らせて黙らせた。


約1週間の滞在で、イクトールは街での生き方を学んでいた。


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