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オークと強盗


イクトールとツエルは港の市場に来ていた。


「ねえねえ、あれ美味しそうだよね!」


ツエルが笑顔を振り撒きながら、一点を指さした。


その指の先には甘く香ばしい匂いをあたりに漂わせている屋台があった。


「いらっしゃい!オークの旦那、可愛い子連れてますね!」


屋台のおやじが、景気のいい大きな声で話しかけてきた。


肌は日に焼けていて、威勢のいい海の男という感じがした。


ベーティエは港街でもあるため、そういった雰囲気の人間が多い。


イクトールからはキュオーンやアイエルロ、エルフ、ダークエルフなどの人種の細かな違いがわからないが、ベーティエの街にはそういった体育会系とも呼ぶべき気風を持った者が集まっている。


屋台のおやじは、何か棒状の物を油で揚げているように見えた。


「これは何だ?」


イクトールがそう聞くと、屋台のおやじはにかっと白い歯を覗かせて笑った。


「シュガースティックよ!ベーティエに来たらこれを食べてかないと始まんないよ!」


シュガースティック、と言われてもイクトールにはピンとこなかった。


女神の翻訳魔法が働いていることは確かなので、砂糖の棒、ということしか理解できない。


「イクトールさん、私、これ食べたいなぁ」


ツエルがイクトールの腕を絡めとり、胸を腕に押し付けてねだった。


女性耐性の低いイクトールは、まんまと術中にはまった。


はまっているのがわかっていても、イクトールは嬉しかった。


女性の胸を触った経験なんて、乳児のころに母のものを触ったきりだったし、それも記憶なんてなくて憶測からくるものだ。


胸に触れる機会に恵まれなかった郁人、そしてイクトールは巾着に手を伸ばした。


「じゃあこれ2つで」


「ありがとっ!イクトールさん、好きっ!」


ツエルがさらにぐいぐいと腕をひっぱり、胸を押し当てた。


それだけで、イクトールはこのシュガースティックという理解できないものについて金を出す価値を感じていた。


イクトールは女性に勧められるがまま、壷とか買っちゃう系男子だった。


現に、前世ではラッセンの絵を女性の売り子に買わされていた。


そのときに比べれば、胸に触れるだけマシだとも考えられる。


「あいよ!エピクロス銀で4だ」


おやじがシュガースティックとやらを2本突き出した。


イクトールが見たところ、小麦粉を練ったものを揚げて砂糖をまぶしたもののように見えた。


「エピクロス銀?」


イクトールが聞き返した瞬間、おやじはシュガースティックを持った腕を引っ込めた。


この時点ですでに屋台のおやじの術中にはまったのだが、イクトールはそれに気付く術を持たない。


「マルクス銀でいくらだ?」


「マルクスだと8……、いいや、7におまけしてやるよ!」


イクトールは言われるままマルクス銀貨を支払った。


実際はエピクロス銀貨はマルクス銀貨より価値の劣る貨幣なのだが、イクトールは初めて聞く貨幣だったし、腕に当たる胸の感触に脳の処理を持って行かれていたので、何も感じなかった。


むしろおまけと聞いて、感謝すらした。


情報を持たない物を徹底的に搾取しようという考えが、この港に漂っていた。


もちろん、それを彼らは悪いとは思っていない。


持っている者が持っていない者に分け与えることは至極当然のことであり、むしろ社会のバランサーだという一種の誇りに似た感情さえ持っていた。


それにイクトールの出自も悪かった。


オークの集落は遠く、山道に危険も多い。


必然的に輸送コストはかさんでしまうため、イクトールが集落で取引してきた額は、かなり嵩増しされたものだった。


人間の街に降りて行って取引すれば何倍にもなっただろうが、イクトールはそれを知らない。


金の価値を正確に理解していない田舎者の金持ちオークが迷い込んだ場所は、金に貪欲な商人たちがあちこちに罠を張る狩場だった。


ぶくぶくと肥え太った豚は、一方的に狩られる存在でしかない。


そうしてイクトールは順調に巾着の中身を吐き出していった。


吐き出した額が金貨3枚を数える頃になってくると、そろそろイクトールも財布の口を締めるときが来たと思った。


しかし、その甘い金の匂いに釣られて、厄介なものまで引き寄せていた。


「こっちが近道なんですよ!」


そう言って無邪気に駆け出したツエルを、イクトールは笑顔を浮かべながら追いかけた。


道行く人間やキュオーンやデックアルヴたちが見れば、獲物を目前に涎を垂らす獣の表情にしか見えなかった。


「おう、オークの旦那ぁ。景気がいいね」


ツエルが滑り込んだ路地裏に入ると、ツエルはすでに姿を消していた。


代わりに、オークのイクトールが見てもガラの悪そうな人間族の青年が5人ほどいて、手に手に木の棒やナイフを持っていた。


直感的にイクトールは罠にかかったことに気がついた。


「ちょっとその景気、俺たちにも分けてくんないかなぁ?」


脅すように突き出されたナイフが、薄暗い路地裏に光った。


「ほら、びびってねえでそのデカイ図体から金目の物出しなって」


イクトールの背は高い。


腕力も十分にある。


そして腰には革のカバーがかけられた斧があった。


前世で元ヒキニートでいじめられっ子だったイクトールが選んだ選択肢は――


「……おい?何黙りこんじゃってんの?」


「とっとと金出せっつってんだよコラァ!」


――沈黙だった。


というか完全にびびって細かく震えていた。


図体も戦闘力も段違いにイクトールが勝っているのだが、完全に場数が違った。


おまけに中身は元ヒキニートでいじめられっ子である。


いじめっ子、というかこの場合は強盗だが、そういった類の者に凄まれては、条件反射的に身体がすくんでしまうのであった。


「あ、あのっ、ここは、どうか1つ、穏便に……」


これが精一杯だった。


震える声だった。


そんな調子の声が、余計に彼らを増長させた。


「ああ!?穏便もクソもねえよ!金出せっつってんだから出すか出さねえかだろが!」


「ちょ、もうこいつボコって死体からパクったほうが早くね?」


「おめえそれ正解だわ」


「でも衛兵(ガード)に見つかったらダルくね?」


「大丈夫、大丈夫。こいつから剥いだ金渡せば無視してくれるってマジ」


「じゃあ、そういうことで」


そういうことになった。


大きく木の棒が振りかぶられ、イクトールの脳天目掛けて振り下ろされた。


イクトールの頭部を直撃した木の棒は、鈍い音を立てて、ついでに粉々に砕けた。


「……あれ?」


「こいつやばくね?」


イクトールに与えられたダメージは殆どなかった。


オーク族のほとんどは戦士である。


厳しい自然の中で狩りをするということは、動物たちを命のやりとりをするということである。


イクトールだって例外ではなく、何度も狼に襲われるということもあった。


狡猾で完全に組織だった行動をとり、執拗に且つ的確に獲物を追い詰める牙と爪を持つ狩人である狼と、そのへんの路地裏の不良程度では攻撃力に差がありすぎた。


頭を殴られた衝撃で、イクトールの中の、郁人でない部分。


つまり戦士オークである部分が、咆哮した。


ぶん、と振られた丸太のような右腕が、棒を振るった青年の腹部を完全に捉えた。


ぶん殴られた青年は数m吹っ飛んで、路地裏の民家の壁に強く全身を打ち付けた。


全員が呆気にとられている間に、左腕が裏拳の形で振るわれ、ナイフを持った青年の頭を捉えた。


イクトールは手の甲に、何かが砕けるようなものを感じ取った。


オーク族の全力の裏拳を頭に食らった青年はその場で昏倒し、血を吹き出して倒れた。


致命傷だが、頭に血が登ったイクトールはそんなことに気をかけてはいない。


人間族の不良の彼は、ここで息を引き取った。


泡食った彼らは2つに別れた。


すぐさま負けを認めて敗走する者。


そして錯乱してオークの凶戦士に向かっていく者。


前者は2人、後者は1人だった。


結果的に、1人が内蔵破裂の重体、2人が頭蓋骨骨折で死ぬことになった。


その後、血塗れで横たわる2体の死体と時折うめき声を上げて口から血を吐く人間を見て、イクトールは慌てて逃げ出した。


ツエルはその後、いくら探しても見つからなかったし、宿屋の主人に聞いても行方は分からなかった。


衛兵たちはこの事件を調査したが、別に報酬が特別出るわけでもないので適当に不良たちの抗争の結果として処理した。


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