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香辛料のようにはいかず

「さて、どうしようかな……」


イクトールはぶらぶらと目抜き通りを歩きながら呟いた。


片手にはさっきマルクス銀貨1枚で買った、毒々しい緑色をした、リンゴくらいの大きさのフルーツが握られている。齧ってみると、非常にいい匂いがして、甘くないバナナみたいな味がした。これはこれでありか、とイクトールは異国情緒豊かなフルーツを頬張りながら、目抜き通りの店を眺めた。


前の世界の片側四車線ほどはあろうかという幹線道路を思い出させる広さだ。その馬鹿みたいに広い通り沿いには、4階建から5階建くらいに見えるレンガ造りの建物が、両脇に壁のようにずらっと並んでいる。広い道には馬車がのんびりと通行していて、その間を縫うように歩行者が足早に歩いて行く。


店への呼び込みや会話がイクトールの耳に濁流のように押し寄せてきて、イクトールは少し気分が悪くなってきた。人の群れに酔うというのは初めての感覚ではなかった。イクトールは郁人でひきこもりだったころを思い出した。


気分を紛らわせるためにイクトールは空を見上げた。空は青く、陽は頂点に達そうとしていた。春の陽気がそこら中に溢れていて、ぽかぽかと気持ちがいい。


目線を上に向けてみると、両脇の壁のような建物たちにかかっている看板が目に入った。女神が施した術のおかげで、イクトールは字を勉強していないにも関わらず、掲げられた看板の意味を読み取ることができる。


イクトールはその中から宿屋を探しだそうと視線を走らせた。今は昼前だから、今のうちに宿を見つけておきたかった。それに相場がわからないので、とりあえず今日はいい宿を見ておいて、それから別の宿屋を探すのもいいと考えたのである。


しばらく歩くと、人語で書かれた「宿屋」という看板が見えた。イクトールはとりあえずという気持ちでそこに入ることにした。それから後悔した。


「いらっしゃ……いませ……」


挨拶をしたボーイは、明らかに場違いなものを見る目でイクトールを見た。その瞬間にイクトールはその意味を理解した。


明らかにそこは金持ちが泊まるためのものであり、イクトールのようなものはお断りという感じが漂っていた。すぐに踵を返してイクトールはその宿屋を出た。


「やれやれ田舎者が」という雰囲気が閉じたドアの向こうから漂ってきたが、郁人だったころの惨めな気分を思い出しかけたので、イクトールは考えないようにした。


イクトールはここはダメだと判断した。


明らかに富裕層向けの店が立ち並んでいて、ここで飲み食いをして泊まろうものなら、すぐに財布が空になってしまうだろう。そう思うとイクトールの行動は早く、目抜き通りから立ち去るために路地にさっと足を向けた。


「おーい!イクトール!」


不意に後ろから呼び止められた。今日で2度目だ。その声には聞き覚えがあった。さっき城門前で別れたデックアルヴのナーキスだった。


「よう。行くところは決まってるのか?」


ナーキスがこちらの心を見透かしたかのように言ったので、イクトールは目を丸くした。といっても、イクトールの目は鋭く常に睨みつけているようなものなので、ちょっと大きく開いたくらいだった。


「その様子じゃ決まってないみたいだな。乗りなよ。宿も決まってないんだろ?」


ナーキスがそう言うので、断る理由もなかったイクトールはありがたく馬車に乗せてもらうことにした。


「どうしてわかったんだ?」


「何がだい?」


「まだ行き先が決まってないってこと」


「ああ。通用門のことを知らなかったからな。この街が初めてでどこをどう行けばいいのかも知らないと推理したのさ」


なるほど、とイクトールは感心して、緑色の丸っこい手でポンと膝を叩いた。


「あとお前さん、その背中の物騒なものを布かなんかで巻いときな。衛兵に目ぇ付けられると厄介だぞ」


「それはさっき体験した」


イクトールは言われたとおりに弩に布を巻き付けながら、さっき通用門前で衛兵にやられたことを説明した。


「ああー、それは災難だったな」


「でもいい衛兵もいた。グルオンとかいう名前の、キュオーンの男だった」


「へえ。まあキュオーンは良くも悪くも真面目だからな」


「衛兵にもいろんなやつがいるんだな」


イクトールは腕を組んで、鼻から息を勢い良く吐いた。体格の大きいオークのイクトールがそんな仕草をすると、かなりの迫力があった。


「ま、その辺は我々と変わらないってことだな」


ナーキスはにやりと笑った。


「これからどこに?」


「とりあえずこの狼の毛皮を売りにマルダー商会に、だな」


このとき、イクトールの脳裏に郁人だったころの記憶が蘇った。しかしなにぶん15年以上前の記憶だったので、詳細が曖昧だったが、確か生前に見たアニメでこんなシーンがあったはずだった。


イクトールはその直感を頼りに、ナーキスにさっき寄ってフルーツを買った露天まで移動してもらった。そこでマルクス金貨数枚を支払って、さっきの緑色の変なフルーツを大量に買おうとした。


そこで教えてもらったが、この毒々しい緑色のフルーツはクルンの実というらしかった。前の世界では聞いたことのないものだったので、こちらの世界固有のものなのだろうとイクトールは思った。


「ちょっと待て。一体何のつもりなんだ?」


ナーキスが御者台から降りずに言った。


「狼の毛皮にクルンの香りをつけるんだ」


御者台から肩越しに親指で荷台を示した。ナーキスはイクトールの意図がわからず、首を傾げた。


「……するとどうなるんだ?花でも咲くか?」


ナーキスが笑ったので、イクトールはむっとした。


「これで毛皮にクルンの香りが付着する。あとはこの香りを利用して口八丁手八丁で高値に釣り上げればいい」


「……お前さんが何を考えているのかわからないが、毛皮に香りをつけるのは俺たちの仕事じゃあない。そいつは染め屋か錬金術士か、香水屋の仕事だ」


ナーキスが冷酷な表情で言ったので、イクトールは驚きを隠せなかった。


「し、しかし、これで新鮮さをアピールしてだな……」


「どこで仕入れた悪知恵かしらんが、クルンの実じゃあ意味が無い。ありゃ南国のもんで、この北国の狼の毛皮には合わない。それに狼の毛皮の匂いはかなり臭い。クルンの実の匂いと混ざっても悪臭にしかならないぜ?」


「じゃ、じゃあ、北国の、何か実を……」


すでにイクトールはしどろもどろだった。


悪事を言い訳して怒られるのを何とか回避しようとする子供のようだった。


「北国の実は今の時期は高い。クルンの実だって、本当はマルクス銀貨1枚で買うようなシロモンでもねえ。まあ、今の時期ってのも考慮してトマス銀貨ってところか。夏に買えば、磨り減ったヘーゲル銀貨でも十分だ」


ヘーゲル銀貨という名前を、イクトールは初めて聞いた。


今までマルクス貨幣と、その補助として少し価値の劣るトマス貨幣しか使ってこなかったのだ。


行間を読むに、ヘーゲル貨幣はトマス貨幣よりも価値が劣りそうなものに聞こえた。


「お前さんも、あんまり旅行者をいじめるもんじゃねえぞ」


ナーキスは御者台から見下ろすまま、露天の人間の男に言った。


「はっ、金持ってるやつからもらって何が悪いんだよ!」


露天商の男が悪びれずに、むしろ怒ったように言った。


「……まあ、もっともだな。だがこの話は無しだ。すでに1個売ったんだろ?悪いな」


「おう、とっとと失せろボケナス」


「行こう、イクトール」


ナーキスに促されるまま、イクトールはしょげかえって御者台の彼の隣に乗った。ナーキスが手綱を操ると、馬はポクポクと蹄を鳴らしてマルダー商会へと向かっていった。


「しかし何であんなことをやろうとしたんだ?」


「いや、……以前別の行商人から聞いたんだ」


イクトールは嘘をついた。前世でそういうアニメを見たんです、なんて言っても信じてもらえないだろうし、まずアニメというものから説明しなければならない。


「ふーん。まあ、根無しのアイエルロみたいな無責任行商人なら、それやっても許されるだろうな」


アイエルロという種族について、イクトールは知っていた。キュオーンが犬ならば、アイエルロは猫だ。耳と尻尾を持ち、靭やかな肉体と鋭い爪を持つ獣人。


彼らは自由気ままな種族だと聞いていたが、無責任という装飾語と一緒に使われるような種族だとは思わなかった。


「でも俺みたいな商人がそれをするとマズイんだ。こう見えても10年は行商をやってる。この辺で十分に顔が知られてる」


ナーキスは誇らしげに言った。


「そのお前さんが考えていた口八丁手八丁がどういうもんなのかはわからないが、大方相手さんを騙そうとしたんだろうよ」


イクトールは黙って聞いていた。すでにその体格は180cmもないように見え、頭2つ分くらい差のあったナーキスよりも、ずっと小さく見えた。


「じゃあその騙すのが上手くいったとして、その騙された奴さんはどう思うよ?次に俺と取引したいと思うか?」


「……思わない……だろうな」


「そうだ。この世は信用で成り立ってるんだ。騙されたことを奴さんは恥ずかしくて周りには言わないだろう。でも俺についての悪い噂を流すことができる。俺みたいな行商人と、その街に留まる商人とじゃ、情報力は奴さんに軍配が上がるってわけだ」


「すまない……。考えが足りなかったようだ」


「ああ、次からはそうしてくれ」


それからナーキスはしばらく黙って、馬車の手綱を操るのに集中した。イクトールはいたたまれない気持ちになった。もちろん善意からの行動だったのだが、それが裏目に出てしまうとは思ってもみなかった。


今までの集落での取引は順調だったと思っていたし、事実として金は着実に溜まっていった。今、イクトールの隠し巾着の中にはマルクス金貨で200枚が入っている。それから換金用の宝石がいくつかを持っている。すべてマルクス貨幣で計算するなら、金貨1000枚はくだらないだろう。


しかし、イクトールには急にそのお金が汚らわしく感じた。


ナーキスの年齢は分からないが、自分の年齢は前世も合わせると40以上になる。40歳にもなって、こんな失態をして恥を晒すなんて思ってもみなかった。


イクトールはしょげ返りながら馬車に揺られていた。


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