ダークエルフの行商人
イクトールは集落を出てから5日が経った。
集落から伸びていた、荷馬車がやっと1台通れるくらいの古い道を歩くだけなのでいくらか気が楽だ。
途中、鹿を見つけて仕留めて鍋を食ったし、保存食にもまだ余裕があり、旅路は順調だった。
いつもの狩りと感覚は変わらない。
ただ1つ違うことは帰ることはできないということだった。
山から降りてきて、古い道をしばらく進むと、ようやく街道が見えてきた。
石が敷かれて整備された道路には行商の荷馬車や徒歩の旅人、巡礼者の格好をした者がぽつぽつと見えた。
「やっと着いた……」
現代人の郁人としての感覚ではそう感じたので、つい口を突いてそんな言葉が漏れでた。
イクトールとしては何とも感じないし、むしろ予想より早く着いたとも感じている。
さっそくイクトールは街道に合流して、周囲を観察しながら歩いた。
できれば乗合馬車が見つかればいいし、荷に余裕があるなら荷馬車の荷台にでも載せてもらうのもいい。
しかし荷に余裕を持たせている馬車などあるわけないし、乗合馬車はすべて満員だった。
イクトールの歩いている道は主要幹線道路ということになる。
そこを余裕を持って通行している人など、1人たりとも存在しないのだ。
それに春を迎えているので、生き物として最も活発になる時期であることも影響しているのだろう。
しばらく歩いて、ようやく荷台の空いている荷馬車を見つけ、行商人と交渉が成った。
しばらく荷馬車で眠り、行商人と会話を楽しみ、持っている食料を分けあった。
「へえ、じゃあ女神様のために旅をしてるってことか」
髭を蓄えた肌の黒い行商人が言った。
彼はナーキスと名乗っていた。
イクトールと会話を続けながらも、巧みに手綱を操っている。
ナーキスは耳が長く、目は狩人のように鋭かった。
聞けばデックアルヴという種族という。
デックアルヴはダークエルフとも呼ばれる種族で、初めて目にする種族だった。
肌は炭のように黒く、瞳が赤い。
耳がエルフ特有の尖った耳をしていて、時折ぴくぴくと動いている。
イクトールの郁人の部分が、エルフという単語に強く反応した。
エルフ耳という現物を見たことで、イクトールのテンションは自然と上がっていった。
「ええ。巡礼の旅みたいなものでして」
「するとアレか。ベーティエには遺跡目当てか?」
「遺跡……?」
ベーティエに遺跡があるとは、イクトールは初耳だった。
アンジェリカは魔力を極力節約しようとして、イクトールに話しかけることも、イクトールの問いに答えることも少なくなっていた。
もしかすると信仰力の弱まり方が、すでに危険な領域になっているのではないかと思った。
アンジェリカが死ぬということは自分が死ぬとういうことだ。
アンジェリカ曰く、このイクトールの肉体に郁人の魂が定着しているのはアンジェリカが魔法を用いて行っていることであり、アンジェリカが消滅すれば、おそらく魔法の効力は消えて、郁人の魂は消滅するだろうということだった。
だろう、とアンジェリカが明言を避けたのは、実際に神が消滅したのを確認したことがないからだ。
古い神々同士の戦いでは死ぬこともあったが、その死は神によって神に与えられた死だ。
信仰力の消滅という形で、生き物によって超越者に与えられる死ではない。
前者の場合、神による影響によって状態が変化する。
しかし後者の場合は定命の者による信仰心衰退が原因だ。
それが原因で消滅に至った神の前例はない。
(パイオニアと言えばよく聞こえるが、ただの馬鹿だよな……)
『聞こえてますよ』
「うおっ!?」
完全に油断していたイクトールは、女神アンジェリカに声をかけられて、素っ頓狂な声を上げた。
「どうしたオークの兄ちゃん」
「あ、いや、羽虫が顔に……」
イクトールはとっさに言い訳をした。
その言い訳が面白かったのか、ナーキスは笑った。
『いくら私を愚弄しようが構いません。定命の者に何を言われようとも何も感じません』
『……ベーティエに遺跡があるなんて聞いてない』
『ええ。言ってませんから』
女神アンジェリカはしれっと言った。
『それに、私の魔力にはあと200年ほどの余裕があります。ただ私もあなたばかりに気を配っているわけではないだけですよ』
それと、と女神アンジェリカは続けた。
『私は少し別の用事が出来ました。そちらに集中するので、今後あなたが話しかけてきても私は対応できません。本当に切羽詰まっているかどうかは分かりますので、そのときは対応しましょう』
『……ベーティエに着いてから何をすればいい?』
『まずは遺跡の調査をしなさい。遺跡の深部は魔素によってモンスターの巣になっていますので、死なないように気をつけてくださいね』
そう言って女神アンジェリカは二度と返事をしなかった。
(ずいぶんと勝手な神様だ……)
イクトールは溜息をついた。
「お、疲れたか?遠慮せずに寝てくれ。代金はもらってるんだからな」
ナーキスはにこやかに腰巾着を叩いた。
「そうさせてもらうよ」
イクトールがナーキスに渡した額はマルクス銀貨10枚と、行きずりの馬車に払う分には破格のものだった。
イクトールは判断基準が金というわかりやすいものである商人が好きだった。