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15歳の成人


イクトールがこの世界に転生してから、15回目の春を迎えた。


そしてそれは同時に春に生まれたイクトールにとって、15歳の誕生日を迎えることを意味していた。


15歳の誕生日の朝、イクトールは狩りからちょうど帰ってきたころだった。


イクトールが狩りを始めてから、集落の食糧事情は飛躍的に向上した。


イクトールは優秀な狩人だった。


それを支えているのは彼がオーク社会においてイケメンだということであった。


オークの男性の美的基準はどれほど逞しいかである。


それ故に、イケメンであることを約束されているイクトールは筋骨隆々のオークの少年に成長した。


イクトールの振るう斧は甲冑で完全武装した騎士の頭蓋を一撃で砕くだろうし、普通は両手で用いる武器も片手で扱えるほどだった。


さらに述べるべき点は、イクトールが自分専用の非常に強力な弩を使用していることだった。


飛距離が非常に長く、殺傷能力が桁違いに高い専用の弩は、イクトールの家を訪れた力自慢の若い徒歩の行商人が一度だけ触ったが、引くことができなかった。


その弩を使って、イクトールは安全な距離から熊を一撃で仕留めたり、鹿に気づかれる前に殺すことができたのである。


度々獲物を狩ってきては自分で毛皮を剥いで、すべてを自分で行うことで、イクトールだけが独立した自分の経済を確立していた。


普通なら集落の和を乱すとして、首長の目に留まる事態であるが咎められることはなかった。


ブルナーガから丁重に扱われていることと、イクトールが周囲から気持ち悪がられていること。


そして定期的に得た利益の一部を納めているからだった。


「おかえりイクトール!」


イクトールが集落の囲いから入ってきて、彼に最初に声をかけたのはカルアだった。


あまり歓迎されていないイクトールの帰還に声をかけるのは、カルアと兄弟姉妹くらいのものである。


15歳を迎えたカルアは益々美しくなっていた。


オークの女性の美的基準はふくよかであることである。


カルアの胸は本当にスイカくらいあった。


巨乳も貧乳も好きな郁人だったが、アニメみたいな胸を現実のものとして見たのは初めてだった。


今までイクトールはカルアのことを人懐っこい可愛いミニブタ程度にしか思っていなかったのだが、ここ数年は女性として意識するようになっていた。


今までではオークなんてありえないと思っていたが、全然ありなんじゃないかと思い始めていた。


正直、元々人外萌えは郁人の持っていた性癖の1つであるし、大きいことは良いことだとイクトールは思った。


それにイクトールのオークとしての本能が、カルアを優秀な雌だと告げていた。


そんなカルアが自分に惚れているということは、イクトールのかけがえのない喜びの1つだった。


重い獲物を担いで山を超えた甲斐があるというものだ。


「わあー!大きいねえ!」


イクトールが狩ってきたのはイノシシだった。


自分の3倍ほどの大きさの大猪であり、その牙は安々と大木を貫くほどの力強さを感じさせた。


血抜きや内臓の除去などの簡単な処理はすでに済ませている。


「これで俺の誕生日のごちそうは準備できるかな」


「うん、十分だよ。さすがイクトールだねっ!」


垂れた耳をぱたぱたと動かして、精一杯の嬉しいアピールをするカルアを、イクトールは愛おしいと思い始めていた。


それと同時に自分の決断が揺らぎ始めていることも感じていた。


『ハァ、また逡巡ですか』


女神アンジェリカがイクトールの心に語りかけた。


『うるさい。そう簡単に決められることじゃない……』


『人間からするとオークは化け物に見えませんか?』


『十五年も生きてきたんだ。愛着も湧く』


イクトールは悪びれずに言った。


すでにイクトールは郁人であるよりイクトールであることの方が現実的に思えてきていた。


それどころか、郁人であったころの記憶は夢か何かだったのではないかとも思い始めていた。


しかしその考えを説明する「胡蝶の夢」という言葉を知っていることで、郁人であったことが現実であると強く認識できた。


そして自分が、郁人が死んで残された母を想って、悲しい気分になるのがいつものお決まりのパターンだった。


もう50を過ぎた母はその後、どうしたのだろう。


目の前で息子が頭を強く打って死ぬ場面を見たことが、母の心に与えた傷は計り知れない。


母を思い浮かべるときに、郁人の母と、イクトールの母ルルゥが浮かんだ。


そしてその両方の母に申し訳なく思うのであった。


『ハァ、適応能力が高いというものも考えものですね……』


人間族は特に際立った能力を持たない。


それなのに動物と魔獣と、その他知的生命体の溢れるこの世界で生き残ってこれたのは、高い適応能力と繁殖力のおかげだった。


『しかしこればっかりは従ってもらいますよ?忘れているようだから言いますが、私は司祭に預言することもできるのですから』


預言。


これが女神アンジェリカの交渉カードだった。


正確には交渉カードになったというべきである。


郁人は、オークのイクトールとして過ごすうちに、このブルナーガの集落に愛着が湧いてしまったのである。


それをはいそうですかと見逃すほど、女神は優しくなかった。


自身の存在自体がかかっているのだから当然であるが。


彼女はイクトールを預言で脅すという手段を得たのである。


女神アンジェリカは今でこそほとんどの信仰を失ったが、未だに強く信仰心を持っている信者もいる。


その熱心な信者に預言を与えることで、いくらでもブルナーガの集落を滅ぼすことはできる。


そのカードの効果を、アンジェリカは実感していた。


それと同時に、なんと脆いことかと定命の者に対して同情の念を禁じ得なかった。


ブルナーガの集落では、15歳を過ぎると成人として認められる。


そのときに集落を出ていくかどうかを選択することになる。


殆どの場合が集落を出ずにこの集落と運命を共にする道を選ぶ。


しかしイクトールの選択肢は違った。


アンジェリカの信仰を取り戻すために、この集落を出ることを決めていた。


すでにそのことは父であり、首長であるブルナーガには女神アンジェリカのお告げと説明して、説得済みであった。


あとはイクトールの成人を祝う席があり、その翌日には出立することになっている。


それを知っているのはブルナーガと、そして母のルルゥだけだった。


カルアにはまだ伝えていなかった。


伝える気になれなかった。


彼女は首長の正妻の娘であり、その嫁ぎ先も決まっていると聞く。


半分は同じ血が通っていることもある。


彼女がどれだけイクトールのことを好いていても、無理なものは無理だった。


この世界でも多分に漏れず、殆どの場合において近親相姦は悪とされている。


カルアとイクトールは異母兄妹である。


その血の半分はブルナーガのものだ。


そんな2人の間を祝福する者はこの集落にはいないし、この世界のどこにもいなかった。


ただ唯一、カルアだけがその成就を望んでいた。


イクトール自身は、客観的に見たカルアの幸せを、一般的に幸せとされる、優秀な戦士と交わって世継ぎを成すことを願っていた。


イクトールの沈む心情とは裏腹に、彼の誕生日の宴は盛り上がった。


イクトールはベーティエまでの旅程で必要になるであろう保存食以外の、蓄えていた食料の殆どを振るまったからだ。


それに狩ってきた新鮮なイノシシ肉もあり、巨大な鍋で女たちがその料理の腕を振るった。


祭事用の大きな岩のある広場には、巨大なテーブルがいくつも並べられ、その上にごちそうがいくつも並べられた。


パン、干し肉、サラダ、ミートパイ、小豚の丸焼き、イクトールが製法を伝えたホルモン焼き。


そして大量のエール。


パンは今日焼いた純小麦の真っ白なパンで、香ばしい匂いをそこら中に振りまいていた。


干し肉にはたっぷりと塩が効いていて、エールをがぶがぶと飲んだ酔っぱらいオークたちが取り合いの喧嘩を繰り広げた。


サラダは今日山に入って取ってきた新鮮なもので、まだみずみずしい輝きを放っている。


ミートパイは鹿肉を使ったもので、その肉汁を中に蓄えていて、かぶりつく者の口を熱で歓迎した。


小豚の丸焼きはこの日のために行商人に約束をして仕入れてもらい、今日の昼まで元気だったものだ。


今は口から尻までを鉄の棒で貫かれ、陽気に歌う子供たちにくるくると回されている。


その皮は香ばしい色をしていて、耳にはパチパチと皮の油が爆ぜる音が届いて食欲をかきたてた。


ホルモン焼きは食糧事情改善のためにイクトールが工夫を重ねたもので、様々な動物の内臓がその臭い消しのために非常に濃い味付けをされている。


その濃い味付けが功を奏したのか、酒のつまみにぴったりということで焼き上がる端からオークたちの胃袋に収まっていった。


ボタン鍋がもうもうと蒸気を上げ、それに釣られるように宴の熱気も上がっていった。


イクトールはオークの生活がこんなに楽しいと、転生したときには思ってもみなかった。


オークは全員が戦士として、狩人としてのプライドを持ち、組織の和を重んじ、そして家族を思いやれる種族だった。


イクトールが前の世界で持っていた、野蛮で粗悪で薄汚く惨めな生物というイメージとはかけ離れたものだった。


イクトールの奇妙な言動にも一定の理解を示し、けして集落から追い出そうということもなかった。


もしかするとブルナーガの命令でそうしなかったのかもしれないが、頼み事をすれば聞いてくれたし、逆に何かをこちらに頼むときは礼儀を尽くしてくれた。


イクトールはこの集落が大好きだった。


ここを離れると思うと、目頭が熱くなって、鋭く引き絞られたような目から、大粒の涙がポロポロとこぼれた。


兄弟たちはそれを見て、酒が回って泣きが入ったと肩を組んで笑い飛ばした。


そんなやりとりにもまたイクトールは涙腺を刺激されたが、これ以上泣くのはオークの男としてのプライドが許さなかった。


兄弟同様に笑い飛ばし、肩を組み、豪快に酒をあおり、そして歌った。


歌ったのはオークの戦士の別れの歌だった。


戦場で出会い、そして約束されない再会を歌う、オークの戦士の歌だった。


それを兄弟で歌いながら、イクトールは泣いた。


泣いたので調子が外れ、兄弟たちはそれを聞いてまた笑った。



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