わすれても、なやんで、すすんで、わすれても、
『消えたカラアゲの行方』の前書きに書いたものです
脳は忘れるように出来てるって言うけど、忘れすぎるのはかなしい
不安になる
でも思い出せたときの幸せというのは、形容し難い
でも幸せだからこそ、幸せをなくしたときが怖くて
よくわからなくなって
あれ、幸せってなんだろう?
いま、幸せなのかな
こうやって悩むことが出来るのも幸せなのかな
願いがあると幸せなのかな
願いが叶うと幸せなのかな
自分で穢いと思っている願いでも幸せなのかな
忘れたくない思い出があることが幸せなのかな
忘れたくない人がいるのが幸せなのかな
家族がいるのが幸せなのかな
友達がいると幸せなのかな
友達ってなんだろう
なんだろう
なんだろう
幸せなのかな
なんだろう
幸せってなんだろう
わたしって幸せなのかな
ご飯があって、
夜に眠れて、
朝に目覚めて、
ベランダのお花とお花にとまった虫を眺められて、
こうやって悩んでて、
たまに死にたいっておもったりして、
でも生きてて、
それなりに実感があって、
わたしは幸せだっておもってて、
おもってて、
ああ、そっかぁ…
幸せってなんだろう
っていう疑問には答えられないけど
幸せっていう言葉を何となく使いたくなったり
私は幸せじゃないって言い切れなかったり
私は幸せだって思うことを許せなかったり
私は幸せだって認めたくなかったり
そんなときは、きっと、
幸せなんじゃないかな
わたしは、それで、そういうことで、
いいんじゃないかな
そうやって悩むことを、
悩んだことを忘れる度に
また悩んで、
また新しいコタエを見つけ出して
また進んで
また忘れて
また悩んで
わたしは、そうやって生きてる




