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鳶渡の時  作者: 春日戸
第弐話【光の道】
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2-1

カーン…カンカン


 鉄筋の音が響く工場地帯。そこに新たに加わるドリルや電動丸の子の音。一等古ぼけたアパートに視点を当てると、そこは外装工事に取り掛かっている最中であった。


 リフォームを行っているアパートを、訝し気な表情で見つめる一人がいた。その者は、黒いスーツに黒のシュルダーバックを身につけている女性だった。身体の線は細く、顔の造形は怜悧さと美に富んでおり、大和撫子のような綺麗な黒髪は、スーツに合わせたのか後ろに束ねられていた。

 傍目から見れば美しいOLに見えるが、場所が場所だけあってか、その輝きは浮いていた。


 女は辺りを右見左見し、105号室へと歩いてゆく。玄関前にたどり着くと、慣れたように腕を振るう。

コンコン


コンコンコン


「はいよ、勝手にはいってくん」


 借主が返事をする前に、ガチャリと扉が無作法に開いた。女が足を踏み入れると、借主は驚くことなくこう言った。


「おう、シズクか」


 トキは美女の名称を言うと赴ろに立ち上がり、窓を開けた。煙が吸い寄せられるように外へと駆けて行く。

 シズクと呼ばれた美女は、立ちながら腰を曲げて靴の踵を押し、脱ぐと、床に足をついた。

「こんにちは。上がらせてもらうわよ」


「あいよ」


 トキは座布団を対面上に放り投げた。シズクは進められるがままに膝を折りたたみ、正座をした。


「宮路 美登理さんの件、うまく遂行したようね」


「お前なぁ…ああいうモンは俺に回すなと言ってるだろ。もっと上手いやつにやらせてくれ。信濃しなのとか口先上手だろ」


「一刻を争う容態なのだから、悠長に信濃さんのような遠くに居る人を呼べないわ。一番の近場のあなたを選んだ私の力量を褒めてほしいわ」


 シズクの言い分に、トキは返す言葉を見つけられなかった。萎縮したのを隠すように、煙草に火をつけ煙に巻く。シズクは煙を嫌がる素振りを見せず、数拍置いてから口を開いた。


「外で見かけたのだけど、改装しているのね、このアパート」


 トキは嫌味な顔をする。


「ココの大家が変わったんだよ。誰だと思う?」


 シズクは眼球を右斜めに移動させ考えるが、すぐに諦めた。


「……分からないわ」


くだんの美登理だ」


 答えに、シズクの目尻がピクリと反応した。


「助けた上にこんな側にまでご足労するなんて、相当巧くやったのね」


「おいおい…、俺はあいつにそこまで干渉してねーよ。ただ少し、手を引いてやっただけさ」


 トキの言葉の意は、美登理が些細なキッカケを振り子の重石とし、自力で持ち直したということ。しかし、第三者に近いシズクからすれば、その捉え方は異なるものとなる。


「あら、エスコートがお得意なのね」


 離れぬ概念にトキは参った顔をする。


「ちげーって…俺が他人に深く関わること苦手なの、知ってるだろ」


「可愛い子なら別なんじゃないの? トキも男性だし、その辺りの欲というか、性には流石に勝てないのじゃないかしら」


 片目を瞑ってもう一方の猜疑心満々の目で『この変態』という念を送るシズク。


「俺が鳥子に欲情してるってか? 冗談いうなよ」


「鳥子? 美登理さんのことかしら。もうあだ名で呼び合う仲なのね?」


 正座の体勢のまま前傾姿勢となり詰め寄ってくるシズクに対し、トキは頬に汗を垂らし、とってつけたような咳払いをする。


「あいつが自分のことを鳥だなんだと云うから付けただけだよ。ああ、そういえば手渡された金があっから、渡しておく」


 トキはそそくさと立ち上がって押入れの前に行く。シズクは前傾姿勢で強張った身体の力を抜き、すっと礼儀の良い正座へ戻した。そしてトキから視線を切る。


「話を逸らすの下手ね」


 シズクの冷たく醒めたような頬の持ち上がりを見たトキは、ガクンと頭を下げて「もう止してくれ」と切々に吐きながら襖を引いた。


 襖の中は布団や掃除機などの生活用品が納められていて、浮いたように札束がゴロゴロと無造作に置かれていた。トキはその大金の中から五百万円を手にし、シズクの前に五束を一つずつ横に並べ、鎮座させた。


「取り分。これでいいだろ」


 シズクはその大金を見ても顔色一つ変えず、「ええ」とだけ言い、手持ちのショルダーバックの中に一束ずつ丁寧に納めていく。


「この機に渡しておくわ」


 シズクは五百万を納め終えると、バックの中から黒い手帳を取り出し、中の1枚を破り、トキに突き出した。


「なんだ、これ」


 トキは口をへの字に曲げて、指で煙草を挟むように受け取った。


「次の依頼よ」


 紙切れの中身は、部屋番号とそこまでの道筋、それと氏名だけが記載されている、何とも大雑把なものだった。シズクは「依頼人は宮路 美登理が入院していた病院に居るわ」と付け足した。

トキは「よくこんな早くに次から次に見つけてくるな」と感嘆しつつ、呆れ顔を見せた。


「つーか、あの病院だったら俺んところまで来るのが礼儀じゃないか?」


「私はトキのことを、〝入院患者を呼び立てる外道〝とは思っていないから」


 明言されたトキは、返す言葉を見つけられず、困ったように頭を掻いた。シズクは微笑し、さらに続けた。


「依頼人の事柄は直接本人に会って尋ねてね」


 トキは「ん」と喉を鳴らした。


「いつも思うが、何でそこまで訊いてこないんだ?」


「私の口からじゃ、伝わらないことがあるからよ」


 人との情報伝達に置いて、重要視されるのは約五点。言葉・その強弱・視線(目の動き)・身振り(身体の動き)・そして全体の印象(雰囲気)である。人づてではこれらの内、言葉しか伝えられないため、妙な食い違い・誤解が生じる可能性が飛躍する。

 鳶渡は命に関わる事案が多々ある。

 シズクは足らぬ情報を伝えることが、如何に愚鈍な行為かを心得ている。

 合算し、導き出される答えは、鳶人が依頼主から直接尋ねる――という事になる。

 トキもそれらを心得てはいるが、質問の本質は『大筋はどういったモノか』であった。誤解を招いたのはトキの言葉足らずが原因。そのため、訂正することなく「そうか」と完結させる策へと移行させた。あまりずばずばと釘を刺されるのは好ましくないようだ。


 少々の沈黙が生まれ、トキは煙草を吹かせる。シズクはそれをジッと見つめていた。視線に気づいたトキは、「煙草、吸うか?」とシズクに進めた。

 シズクはほんのりと薄紅色に頬を染め、


「あなたが今吸っているのなら貰うわ。丸まる一本は要らないから」


 と答えた。


「ん。半分でいいのか」


 トキはそう言って、箱から新しい一本を取り出し、指で半分に千切った。人が吸っているモノを吸わせるなど、あまり気分の良いものではないだろう――という紳士的な配慮だ。

「ほれ」

 得意げな顔をしてシズクに突き出す。

 シズクは厭れた顔をすると、目を瞑り、「……やっぱり要らないわ。気分じゃないから」と首を横に振った。

 断られたトキは眉を上げると手を引っ込め、「…んだよ。最近煙草はたけーんだぞ」とぼやきながら箱の上に半分の煙草を置いた。

 はぁ…とシズクはトキに分からぬようにため息を付くと、静かに立ち上がった。


「用事があるから、御暇するわ」


「ん。ああ、またな」


 トキが返事をすると、シズクは玄関へ歩いていった。

 そして靴を履く最中に振り向き、紙切れと共に手を小振りしているトキを見て、こう言い残した。


「私の観点で申し訳ないけど、その顎鬚、似合ってないわよ」


 見送っていたトキはピタリと静止し、そっと顎鬚に触れ、「似合って…ないのか…」と悩ましく呟いた。その様子を見終えると、シズクは前を向きなおし、笑みを隠して玄関を開いた。


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