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鳶渡の時  作者: 春日戸
第壱話【鳥の声】
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1-5

「……!」


 トキが静止した。挟んでいた煙草がバランスを少し崩す。

「驚いたな。その通りだ。しかし、やけに物分りが良いな」

 大概の場合、このような突飛な話を真に受ける、鵜呑みにする者などいない。ほとんどが含んだ笑みを見せるか、バカにしているのかと憤慨する。しかし、美登理は違った。一瞬の内に享受した。


 美登理はスカートのポケットを弄って、チャリッと音のするモノを取り出した。


「ここの屋上はね、内も外も錠を掛けることが出来るの。正し、鍵を使わなくちゃいけない。この学校には屋上の鍵は2つしかない。一本は私がくすねたコレ。もう一本は多分職員室にあるんだろうけど、あんたみたいな不審者が学校に侵入して職員室まで行って鍵を取り、この屋上に入って来られるなんて思わない。絶対にその前にとっ捕まるのがオチ。でもあんたはここにいる。どうやってか、それは未来から来たって話で筋が通るわ」


 美登理の理屈を訊き、トキは汗を一筋垂らしつつ、顔を後ろに逸らし屋上の扉を見る。重厚そうな鉄扉は枠にキチンと納まっていた。完璧に閉じている状態だ。

(つまり…こいつが対象じゃなかったら、俺はアウトだったのか)

 あぶねーっと小声で呟いてから、美登理に視点を当てる。

(……異質なモノに対する享受。こりゃ…相当だな)考え、ボリボリと後頭部を掻く。


「――それで?」


 美登理が気味の悪い笑みで進めた。トキは「ん?」と何に対してなのか分からず、眉を曲げる。


「私はいくらだった?」


 酷く尖鋭な声だった。ピリピリとした空気が通る。

 下手なことは言えない、そんな中だったが、「さあ?」と、トキはあっけらかんとした態度で返答した。ピクリと美登理の目尻が動く。


「さあって、あんた依頼されたって…。いくらかぐらい、アイツなら訊くでしょ」


「まあ、訊いてきたのは事実だが……、いくらでも出すっつってたし、正確な数字は出てないからな」


 美登理にまた、不信の念が宿る。鷲掴んでいる手に力が篭ったのか、フェンスがカリリッと嫌な音を立てた。そして表情が一変する。恨み・憎しみが募り、奥歯が噛み締められ、憤怒の形相へと変化を遂げた。


「金のために家族を見放す男が! そんな気前の良いこと言うわけないじゃない!!」


 大気が揺れたと錯覚を覚えるほどの怒号が放たれた。トキはその様子に何ら変わらぬ素振りで煙草を吸い、「んなこと言われてもな…」と言い、対応に困った顔をする。尻目に、美登理はそのまま続ける。


「アイツはね、お母さんが事故の被害に遭って、死の淵を彷徨っていた時でも、普通に、平然と、会議があるから、手付かずな仕事があるからって…!」


 ガシャンとフェンスが勝手な殴打を喰らう。


「幼い頃だったけど、そんな時でも分かった。アイツは金しか見えてないって。その後も、私を家に一人にして、ずっと仕事仕事。家に帰ってくるのは週に2回あれば多い方。でも、私が寝静まった時間ばかりで、顔なんてほとんど見ない。会わせる顔がないんだ。見せたくないんだ。妻の心配もしてやれない男の顔なんて…。だからって、母親を失った子を見放すなんて、金は好きなように使っていいからって、ずっと一人にするなんて…」


 美登理の表情は、言葉を連ねていくに度に、怒りを過ぎ、悔しいや哀しいといった悲愴な面持ちへと変わっていった。


「あのさー、その話、長くなるか? 御暇したいんだけど」


 トキの耐えられない表情による切り出しに、美登理は耳を疑った。


「は…ぁ?」


 決して途中退場できるような場の空気ではない。人が真剣に思い悩んでいることを話しているのだから、そこは黙って聞き入るのが常識だ。しかも美登理が立っている場所は一歩間違えれば5階から転落する場所。そのような危険地帯に自分から乗り上がっているのだから、やることなど一つしかない。突けば破裂する風船に近い、土壇場の状況の者からの切迫した話。それをトキは軽く流した。動機に直結しているかもしれない話を、半分に折った。


「あ…、あんた、依頼されたん…でしょ?」


 美登理の戸惑った挙動は、信じられないモノを目の当たりにしているようだった。

 トキは気にすることなく、煙草を深く吸い込み、のへーっと弛緩した表情をさせる。


「ん。まあそうだけど…。事故でああなったって話だったんだが、違うっぽいしなー」


 その声や態度は〝面倒くさそう〝と一見できる。


「もっと…こう、説得するとか、説き伏せるとかしないわけ?」


「俺は交渉人じゃねーよ。あと、初対面のヤツにあーだーこーだ言われて曲がるような意志じゃないだろ」


 トキは煙草の先を美登理に向けて言明した。それに対して、美登理はムスッとした表情をする。


「どうしてそう断言するの?」


 問いかけに、トキは煙草を一吸いした。


「……実際に起こっちまったことだ。自分を殺すなんざ、相当な意志が無けりゃ無理・不可能。でも、お前はやってのけた。確固たる意志の元で行動に移しちまった」そこで一旦区切り、トキは両手を小さく上げ、降参のポーズをする。


「お手上げさ。喩え此処で俺がお前を止めたとしても、目を離した隙に……なんてことが起こり得るからな」


 諦めた物言いを耳に入れた美登理は、ギリッと歯を食いしばる。ふぅ…とトキが息を漏らす。


「そんじゃあ一つ、タメになるか判らんが、話をしてやろう」


 美登理はムスっとした表情のまま沈黙を作った。トキは煙草を一吸いし、続ける。


「前に、[サイコロの出目にマイナスはない。振れば必ず前に進めるのだ]って説いたやつがいた。俺は確かに。と納得した。けど、こうも思った」


 ポトリと灰が落ちる。


「叩きつけりゃ壊れることもあるんじゃないか? ハンマーで潰すこともできりゃ、切れ味の良い刃物で真っ二つにだってできるんじゃないか? ってな。でも、これは存外、手荒な扱いをした場合のこと。丁寧に扱えば、老朽して壊れるまでは振り続けられる。前に進める。そりゃ、出目によってまちまちだがな。1や2を引き続けるヤツもいりゃ、5や6を引くヤツもいる。平均の3や4のヤツもまた然り」


 トキはまた煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。それは少し厭れたようにも見える。


「大抵は、1や2を引き続けるヤツが腹を立ててぶん投げて壊しちまう。5や6を引き続け、飽きて壊しちまうヤツもいる。でもな、だからって壊すなんざバカのすることだ。もしかしたらひょんなことで風向きが変わるかもしれない。そんなことも分からず芽を摘むなんて――」


 言い終える前に、チャガンとトキの目の前に鍵が落ちた。トキは首を伸ばすように見て、「八つ当たりか?」と美登理に訊くと「違うわよ」と即答される。


「じゃあなんだよ」


「帰るならどーぞってこと」


 美登理は素っ気なくそう言った。聞いていられないという態度が表に出ている。トキはボリボリと後頭部を掻いた。


「んだよ。人が折角タメになる話をしてるってのに…てか、鍵なんざ必要ねーんだけどな」


 トキは足元の鍵を適当に蹴った。鍵は無造作に回転しながら滑って、美登理の近くで停止した。


「鍵がないと扉は開かないのよ?」


「ん。鳶渡があるからな。俺らの界隈では帰化きかつってんだが…まあ、帰るときはこうして…」


言いながらトキは右手を額に、左手をその対面上の後頭部に当て、説明を続ける。


「目を閉じれば俺が元居た場所に戻れんのさ」


 美登理はあまりにも簡単な方法に胡散臭さを覚える。


「じゃあ、それをして早く帰れば?」


「お前はどーすんだ?」


「さあ? そんなのあんたに関係ないでしょ」


 美登理はそっぽを向いた。トキはううんっと喉を鳴らす。


「あのなぁ、窮地に立っているやつに安定した精神状態は求めてねぇが」


「とっとと帰れっつってんのよ――!!」


 ガシャンッ!と乱暴なまでにフェンスが拳に強打された。怒号と殴打音により、トキは口をペタリと閉じた。


「私のはね、単なる自殺じゃないの。これは復讐なの。アイツを追い詰めてやりたいの。心のどこかでアイツには家族という拠り所があったはず。それを奪ってやる。この身がアイツみたいなのの拠り所なら、壊してやる。これはそういう復讐なのよ。あんたのいうサイコロなんかじゃないわ!!」


 怒声と共に表れた、美登理の実態。これはある種の臥薪嘗胆。トキは真剣な表情を作った。真摯な態度…かと思いきや、ポムッと何とも軽い音が鳴りそうな勢いで手の平に判を押した。


「成る程。そういうことなら応援してやるよ」


 トキの言葉に、美登理は面喰らった顔をした。


「はぁ? 何言ってるの?」


 トキが何を目的として此処に来たのか。それが美登理には分からなくなった。助けに来たと言いつつ、自分の自害を応援するなど矛盾もいいところ。必然的に混迷状態に陥る。

 トキは何食わぬ顔で美登理に応える。


「親父さんは家族に時間を割り振れなかったことを後悔していたからな。もし俺がお前を助けちまったら、一生、その感情には出遭えないだろう。ああいうモンは事が起きてから知るモンだからな」


 それは宮路 博信に事の重大さを理解させるためであり、人が人の死に直面する良い機会、考えを改められる絶好の機会だと、そう言っているようなモノだった。しかしそれは、美登理の死は無駄ではないということ。博信が後悔をしていたということは、美登理にとって復讐が成功しているということになる。トキが未来から来た男と把握しているからこそ、真実に他ならない。


「ほれ、早く落ちろ。じゃなかったか。早く飛べ飛べ」


 トキは手をパチパチと叩いて美登理を煽る。


「バカにしてんの!?」


 憤慨した美登理に、トキは口を尖らせる。


「あれ? 鳥じゃなかったっけか?」


「あんた、本当にお父さんから私を助けてくれと頼まれたの!?」


「そうだけど? いや、別にこの力は100%成功するとは言ってないから、失敗したら失敗したで俺に害はないのさ」


「そんな適当で…」


「良いんだよ。自分から命投げ出そうとするヤツを助ける義理はない。言うが鳥子と俺は初対面。人情なんて線は一本もない。死のうが死なないが俺には関係ないというわけだ」


「金で雇われてるんじゃないの?」


「金なんてどうでもいいんだよ。面倒か面倒じゃないか。それが大事さ」


 つまり、トキにとって美登理を助ける方は面倒の極みであって、美登理を見放すのが楽だということである。


「あ、ちなみにどういう状況でああなったかは分からんが、そっからだと確実には死ねないと思うぞ。飛ぶならもっと高いところの方がいいんじゃないか?」


「……! はっ、なるほどね。そうやって遠まわしに私を飛ばせないようにしようって? 納得して此処から出たら取り押さえる気ね?」


「いや別に。単なる忠告だよ。何なら、こっから退散してやろうか」


「え?」


 想定外だったのか、美登理は目を丸くさせた。

 トキはそんな美登理を余所に、帰化のポーズをする。美登理の脳裏にトキが言っていた説明が流れ、本当に帰る気だということが導き出された。一瞬、止めようかと口が開きかけたが、それをしては先が立たないことを知った美登理は、ぺたりと口を閉じた。そうすることで、怒りや哀しみを背負った空気が、また美登理に流れ出した。それを横目で見たトキは、ふっと鼻から空気を出した。


「最後に一つ、ことばを置いていく」


 トキの真剣な声に、美登理はまじまじと目を交わすように見つめた。


「鳥子――、飛ぶ方向を見誤るなよ」


 その詞は、しっかりと美登理の耳に届いたが、その意味を汲み取ることは、難しく、眉が曲がった。


「は? ……何が言いたいのよ」


 トキはほくそ笑むように片頬を持ち上げた。


「どこに向かって飛ぶつもりか、よく考えろってことさ」


 トキはそう言うと、目を瞑った。美登理の疑問はただただ増すばかりで、一向に晴れやかな気分には陥らない。だが、軽快な雰囲気を伴った声が突いた。


「まっ、来世で縁が有ったら、そん時は宜しく」


 からかうような物言い。その直後、トキの身体全身がゆらりとブレ、七色の光が生み出された。

 そして、形のあった砂が風に流されるが如く、トキの身体が固有の形を失い、粒子となっていった。

 美登理は、七色に光輝く粒子に何の疑問も抱かず、奥歯を噛み締めた。


「何よ……飛ぶ方向って……」


 美登理一人となった空間に、木霊する声。その後に、額とフェンスが接触し、カシャンと虚しい音を奏でた。その時、パサパサという軽い羽音がする。見上げれば、黒と白の頭に灰色の羽をしたシジュウカラという小さな鳥が飛んでいた。シジュウカラは遠くの方へ飛んでいき、一本の街路樹の小さく空いた穴の中に入っていった。

 美登理はただただ、立ち尽くし、その姿を見つめていた。



*   *   *   *



「……」

 トキは帰化により、美登理の病室に帰還していた。


「……!」


 傍には宮路が驚いた表情で立ちすくんでいた。頬に汗を流し、小さく息を呑む音を鳴らし、美登理を見る。何も変わることなく、生命時装置の音だけが無情にも響いていた。拭いがたい逼迫した空気が侵食する。


「美登理は……」


 恐る恐る尋ねると、トキは無言のままで出入り口へ歩いてゆく。

 宮路の心臓が、ドクンッと気味悪く動く。

 トキの背中は言う。


「まあ、結果はもう少ししてから…になりますね。説明と相違していましたから、それほど期待はしないほうが身の為……とだけ言っておきましょう」


 冷たくあしらわれるように吐かれると、宮路の足から力が抜け、ドッと膝から崩れ落ちた。愕然と床に両の手を付き、痛痒に苛まれたような表情が先行する。絶望に伏した宮路の姿は、遠目から見れば、惨めな様であった。

 財を成し、地位を得た者の一人の姿とは、到底思えない、そんな姿だった。


「もしも。ですが、彼女が助かった場合、2千万で結構」


 スライドドアを払い、トキは病室を後にする。


「あ……あ……」


 2千万という低値は、手間の無さ、歯ごたえの無さによるモノだと捉えられる。一層、望みが断たれた宮路には、その背中が途方も無い距離に感じ、引き止めることが出来なかった。


「それでは」

 スライドドアが、可もなく閉まってゆく。

 良い朗報を耳に入れ、欣喜雀躍することが望ましかった願いが、閉じてゆく。


――美登理の様子は、変わらない。


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