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鳶渡の時  作者: 春日戸
第拾話【幻の藁】
44/44

10-4

 現行世界、及び、自室へと帰還したトキを出迎えたのは、孝治の驚いた表情だった。


「す、すみません。それほど大変なことを推し付けてしまって……」


「ん」


 トキは自分を見た。

 泥に塗れ、グチャグチャな衣服。片手には切り傷があり、血が滲んでいた。腕のほうも、服が破れている箇所があり、過酷な状態であったことを、公言していた。


「まあ、色々あってな。少し話そう」


 トキは、一連の流れを話した。

 その中から生まれてくる可能性を、孝治は胸いっぱいに噛み締めた。


「ありがとう……ございます」


 感激から、涙が止め処なく溢れた。


「本当に、ありがとうございます。これで、咲はもしかしたら、生きているかもしれないんですね」


「確証がないから、断言できんが、ゼロじゃなくなった」


「それだけでも、希望が持てます……ッ!」


 その言葉は、とても重く、トキは受け止めるのに少し迷いが出た。孝治が、何を画策していたのか、その全貌が、シルエットのように見えた。しかし、この出来事により、無くなるだろう。

 希望がある限り、人は生きようとする。


「本当に、本当に、ありがとうございます」


 孝治は、畳の上に額を当て、心の底から感謝した。


「礼には、及ばんよ」



 それから、咲がどうなったかを知るために、孝治は村へ戻ることにした。

 アパートから出た両名。

 トキは、「達者でな」といい、孝治は、深く会釈をして、アパートを後にした。

 トキはその後ろ姿を眺め、咲の心配を胸に秘める。


「……さて、着替えるか」


 トキはやれやれと首下を伸ばしながら、玄関の方を向いた。

 突如。


「――!?」


 災厄の骨頂とも云える様な、強烈且つ心身を貫くような悪寒が、訪れた。


(なんだ、この感じ。鳶渡の時の波のような感覚とは、別物だ)


 まさか。素早く察し、振る返った次のこと。


「なっ……」


 前に居た孝治の足元の地面に、異変が起きた。

 地面の底から、墨があふれ出したように、黒く黒く、ただ黒い気炎が立ち昇った。

 トキは、その光景に対して、微細な反応も、思考も行なえず、絶句した。


 孝治は気付かない。

 自身を中心に異変が起きているのに、平然としていた。


 どす黒い気炎は、化け物が口を開いたように、身を裂いて巨大になる。


「こ……孝治!!!」


 唖然を払い、トキは咆哮した。


「え?」


 孝治は振り向いた。が、顔を合わせたのは1秒もなかった。

 黒の気炎は、孝治を食すが如く、開いた口を閉じ、飲み込むように、地面へと還っていった。


――孝治の姿は、無くなっていた。


 神隠しといえるこの現象は、正に一瞬の出来事であった。


ドッ――


 と、トキは膝から崩れ落ちた。



――鳶渡は、現行世界で死んでしまった者の死を避けることは出来ないが、生きている者に死を与えることは可能である。

 例えば、花房 孝治は、土石流に流されている最中に、妻の咲を視界の端に捉え、叫びながら手を伸ばした。その伸ばした先に、捕まる物。電柱を奇跡的に掴んだとしたら。

 トキがそうなるはずの過去を、キッカケである咲を、孝治が目にする前に、助けたとすると――



「……」


 トキは、そのことを重々承知していた。

 しかし、怠っていた。一瞬の時、良心が圧倒した。

 ただ傍観しているだけの状況が、この上なく許せなかった。

 もしかしたら、二人とも助かって、不完全ではあるものの、幸せを取り戻せるかもしれない。


 かも。


――不明瞭なのは、判っていた。


――トキは、賭けてしまった。


 そして、――犠牲、一人。


 掴むはずだった、孝治の命を繋ぐ藁は、幻となって、消えてしまった。



「トキ?」


 大きな声が聞こえたため、美登理は外へ出ると、どんな困難にぶつかったのかと思える程に、グチャグチャになった衣類に身を包み、くず折れているトキを見つけた。小走り気味に駆け寄って、足をたたむ。


「どうしたの?」


 問い掛けても、対する反応は一切無く、ただ目を見開いて、四肢を震わせて、ボソリボソリと、トキは呟くのだ。


「俺の……せいだ……」


 現実から背を向けたくなるのを必死で抑え付け、トキは言い聞かせる。


「俺の……せいだ……」


 美登理は何の事か、分からない。

 ただ、異常なのは分かる。トキが、強いショックを受けていること。其れに対する自責の念を、纏っていること。


「ねぇ。トキ」


 美登理は、只事ではないと、トキの背に触れて、揺らす。


「トキ。どうしたの!」


 必死に訊くが、トキの耳に美登理の声は届かなかった。

 頭の中は、黒穴に飲まれていく孝治の姿に、支配されていた。



「――俺の、せいだ……」



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