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鳶渡の時  作者: 春日戸
第玖話【ヒの鳥】
40/44

9-4

「諂った演技ってどういうこと?」


 美登理は、少し低い声でそう問うた。単純に意味が解らないというわけでなく、その真意が読めなかった。


「そのままの意味だ」


 トキの確言に、眉宇が逆弧を描く。


「……え?」


 顔は早苗の方を、無意識的に向いた。まだ、何も言われていないのと同じ状態であるにも関わらず、心臓の鼓動がいつもより精密に捉えられた。期待ではなく、不安から込み上げる音。


「早苗……?」


 震えた声が、蒸し暑い室内に、ひと際響いた。


――反論してよ。何か言ってよ。

――首を振るだけでもいいから。否定を。

――私じゃないと。私はやってないって。


――言ってよ!


 そんな願いを余所に、早苗の口元が、不気味に伸びていく。


「まさか、そうくるとは…思いませんでした」


 悪びれた声。つり上がった眉。希薄から、濃い暗闇を足したような瞳。


「……っ!」


 美登理の願いは、呆気もなく、断たれた。


「早苗……」


 唖然とした美登理は、バッとトキの方を向く。


「嘘…嘘だよね。私を驚かそうとして、…だから、嘘だよね!?」


 捻り出した様な笑みの下、詰め寄られたトキの心臓は、ズキンズキンと悲鳴を上げた。まるで、悪いモノが念仏を唱えられ、苦しんでいるような、そんな、罪悪感を乗せていた。


「……」


 トキは胡坐を組んだまま、精悍な態度を保つ。

 これを崩せば、お互いに亀裂が走りそうで、何としてでもと、耐え忍んだ。


「鳥子。ウサギを殺したのは、早苗だ」


 ここで。

 ここで、おどけてみせてくれれば、どんなに美登理は救われたか。

 だが、しかし、救われたとしても、それは、張りぼての様な関係が続いていくのと同じこと。

 いずれ崩壊しかねない、導火線に火の点いた毎日が待っているだけである。

 トキは、そんな酷を美登理の荷に詰めたくなかった。


――何故なら、


〝信用たる人物って?〝

〝あんたのこと〝


 信用されているから――。


 告げるべきか、告げぬべきか。

 信頼されている者が、嘘を固めてどうする。

 結論は、容易く出た。


 美登理は、頭でどれほど否定的に言葉を捉えようとしても、出来ずにいた。当たり前だ。トキが、その眼で収めてきた、『真実』なのだから。

 真実に対して、嘘はあまりに効力を持たない。

 張り巡らされた早苗を想う気持ちが、ガラスを叩きつけたかのように、崩れていった。同様に、美登理の身体から、力が消え――欠けた。

 美登理は、残りカスのような力で、己を動かした。


「なんでよ……なんでこんな事を……ッ!」


 悲しみを纏った目と声。対して、早苗は薄く笑う。


「復讐」


 端的な一言。

 理解を得ようつもりなど微塵も無い。そんな心中が、投影されていた。


「……」


 混乱に満ちた美登理の代わりに、トキが問う。


「どういう事だ。ウサギが何かしたっていうのか?」


「あはは。ウサギは単なる道具ですよ」


「…道具?」


「ウサギを殺したのは、付加価値を得たかったからです」


「……」


「分かりませんか。イジメですよ。イジメ」


 トキの眉が曲がる。目的がまるで見えてこない。


「イジメを誘発して、何がしたいんだ」


「私を中心にイジメが起これば、率先垂範に庇おうとする人がいますよね」


 あくどく細まった糸目に、美登理が映る。が、そこまで導かれても、何も見えてこない。


「……分からんな」


 半透明にさえ見えない心中。肯綮を中てることが、まるで出来ない。

 沈黙に陥った場。ピリピリと空気に静電気のようなものが走っている錯覚が起こる。

 早苗は、諦めた息を一つ吐くと、本心を披瀝し始めた。


「最初に言っておきます。私がしている、しようとしていた事は、途轍もなく、自分勝手で自己中心的なものです」


「……そこまで分かっていながら、何故、実行に移すんだ」


「そうしなければ、抑え切れなかったからです」


 トキは、思った。こいつもまた、驕り昂ぶった思想の持ち主なのか…と。

 軽蔑感のある視線を浴びながら、早苗は冷めた口調で話し始めた。


「私の家庭は、貧乏で、先々、今よりもっと安いアパートに移り住むことになりました。お金が無い。というだけで、私が積み上げて来た学校生活が一変するんです」


 引越しによる、転校。新たな学校で、一から自分を築き上げなければならない不安は、尋常ではない。


「私は、親友であった美登理ちゃんに、この事を相談するかどうか、少し迷った時期がありました。でも、私の口からは到底言えるような内容ではありませんでした。出来ることなら、美登理ちゃんが気付いてくれて、話を振ってきてくれることを、期待していました」


「身勝手だな」


「臆病なんですよ。人を頼ることに」


「とんだ自尊心だ……。つまるところ、美登理が何も気付かなかったことに腹を立てたということだろう」


「……不満の原因はそうですね」


「復讐というのは、鳥子に対して……か?」


「……」


 無言の答。

 それから、早苗は細々と、語り始めた。


 手口、方法は、あまりに簡単で、あまりに〝えげつ〝なものであった。

 第一に早苗が行なったのは、曖昧な犯人像を誰かに目撃させること。さらに、疑いが自分に向くように、情報操作を行い、イジメを誘発。

 教室内に強烈な空気を作り出し、伴うように現れる、一触即発ともいえる美登理を作り出した。

 その後、お互いが親友同士ということを公言するかのように、行動を共にし、他者に植え付ける。土台はこれで完成。

 後は、髪を切り、もう一度、ウサギを殺害し、同じように後ろ姿を目撃させるだけ。


――美登理のような、後ろ姿を。


 早苗は引越しと云う名目の下、雲隠れ。

 イジメの対象として向かっていた皆の目は、美登理に向かうことになる。


 実行されていれば、美登理は避けることが出来なかったであろう。

 何故なら、謹慎処分を受けた身だから。

 屋上の鍵を盗み出し、煙草を吸っていたという容疑。確かに、その事件の後、美登理を見る他者の目は変わった。悪しき者。不良。法律を守らない不適合者。そこに、さらに、ウサギを殺害したという疑い。有耶無耶なはずの出来事が、凝固し、皆の考えが確固たるものへと様変わりする。


「酷いもんだ」


 訊き終えた感想は、それ以外に見当たらなかった。


「手前の始末を、得手勝手に押し付けるなんざ、人道的じゃないな」


 トキは睨むように早苗を見る。スッと顔が逸れ、『自分でも分かっている』と、暗に告げられる。

 一方で、美登理は。


「鳥子……」


 静かに立ち上がり、震える口元を、腕を使い隠して、靴も履かずに裸足のまま、トキの部屋から走り去っていった。

 足音が途絶えると、扉が勢いよく閉じられ、室内に爆音が響いた。



 悲しみに暮れた果てに、烈火のような怒りが、美登理を襲っているのだろう。と、トキは思い耽る中、煙草を取り出し、煙を宙に舞わした。


「……謝らないのか?」


 トキは、煙に尋ねた。

 そうすると、ポツリと、「……今更」と舌打たれた。


「…ま、そうだな。今更かもしれんな。未遂だが、鳥子を陥れようとしたのは事実で、鳥子の気持ちを踏みにじり、裏切ったのも事実だ」


 早苗は、顔を背けたまま、目を閉じた。


「お前が関係を断ちたいと思っているのなら、謝罪する義理はないだろう。到底、もう、顔も会わさない、薄い関係になっちまうんだからな」


「そのつもりで行動していたのだから、いちいち言う必要はないんじゃないですか?」


「お前は。だろ。鳥子はそうじゃねぇかもしれんだろ」


 不満げに煙草が口から噴出され、すぐに勢いを失い立ち昇る。対して、早苗の逸れた顔は、元に戻り、力のある目が、トキを捉えた。


「私は、人の関係というのは握手のようなものだと思っています。握る力が強いほど、お互いが信頼していること。でも、一人がその力を完全に解けば、関係は途絶えるんですよ」


 眉間に、シワが集まる。


「だから、私が力を解いた瞬間、美登理ちゃんとの関係は終わっているんです」


「そいつは乱暴な考えだな」


「え?」


「握手だってんなら、片方が力を抜いたとしても、片方が思いっきり握っている限り、抜けることはできんだろ」


 揚げ足を取られた早苗は、踵を返すように、溜息を一つした。


「もう、美登理ちゃんの方も、手を離していますよ」


 自嘲するような笑み。もうこれで、この話の全ては終焉を迎えたと、言っているようなものだった。


――が、ある音が、トキの部屋に迫ってきた。


 それは、ペタペタと、裸足で地面を踏むような音であった。

 数合も経たぬ内に、玄関扉は開き、重たそうなアタッシュケースを両手でしっかりと握り締めている、美登理が入ってきた。

 影が降り立ち、シルエットでしかその姿は捉えられないが、トキは、ある既視感に襲われた。

 美登理は、戻ってきたことに驚きを隠せず、静止し、固唾を飲む早苗に向かって、走り出した。部屋自体が広くないため、距離としては僅か4m強。

 近づく最中に、美登理はアタッシュケースの重量を利用し、グンッと身体を右に捻る。まるでハンマー投げの要領で、「まさか」と、トキは頬に汗を垂らして次の行動をいち早く察する。

 畳の部屋へとその足を踏み入れた美登理の影は消え、表情が明るみになった。

 トキはその表情を一言で表す言葉を知っていた。――怒髪天を衝く。

 容赦を欠片も見せないような、美登理の憤怒の表情。


「ひっ!」


 驚愕で硬直を見せる早苗に、風切り音をすら発生させるほどの回転を駆使したアタッシュケースの一撃が、側頭部を貫いた。


ズガァアン!


 まさに、ティーバッティングように、早苗の頭と云うボールが、打ち抜かれた。

 あまりの衝撃と慣性の法則によって、早苗は横に放り出されるように倒れた。


「ハァ…ハァ…」


 息を上げる美登理は、アタッシュケースを捨てるように手放し、早苗の近くに落とした。鍵は掛かっておらず、先程の衝撃と相俟ってか、アタッシュケースは落ちるや否や、パカリと開き、中身を露にする。敷き詰められていたのは、3千万円という大金であった。

 アタッシュケースの重量は2500グラム。3千万円はおおよそ3000グラム。合わせて55000グラム、即ち5.5キロの重さによる殴打。トキは片頬を嫌に持ち上げ、横たわる早苗を労わるように見つめた。只では済まぬ、制裁とも云える一撃。

 それを放った美登理は、全身に力を込めており、震えていた。しばらく経つと、両手を肩まで上げ、鬱憤を払拭するように、思い切り振り下ろした。そして、腰に片手を当て、精悍な態度で物言う。


「その金は、同情や憐れみからのものじゃないわ。我ながら、惚れるくらいにアンタの頭をぶっ叩たいたからね。バカにならないほどの治療費が発生するだろうし、慰謝料だって求められて当然よね。だから、諸々一切、今払うわ」


 そう放っている間に、憤怒の形相は形を失い、徐々に弱弱しく、それでいて、強烈な意思を宿したものへと変わっていった。


「――だから、……だから! もう二度と、私の前に、悪人のアンタを連れてこないで!!」


 美登理は、何者の返事も待たずに振り返り、無言のまま、玄関へと歩いていき、立ち止まる。が、それも5秒も経たぬ内に身体は動き出し、去っていった。


 トキは、突風のような美登理の背を見送った後、立ち上がり、早苗の安否を確認するかのように、覗き込んだ。

 激痛でのた打ち回ってもいないため、気絶しているかと思われたが、意外にも、早苗の顔は冷静なものであった。しかし、それはどこか、ぽっかりと穴が空いているような、放心状態に近しかった。


「……大丈夫か?」


「…………」


 問い掛けに応えることもなく、無言のまま倒れている早苗であった。が、ポロポロと、涙を流し始めた。

 傷みから、痛みから、後悔から、情けなさから、止め処なく、涙は分泌され、流れていく。

 トキは頭を掻いた。


「…これでもう、お前と鳥子は対等じゃなくなったな」


「初めから、対等じゃ……っ」


 吐き捨てながら、早苗は身体を起こした。衝撃のせいか、少し頭がふらつく。


「……金のことか」


 トキは、丸テーブルに置いてある灰皿に煙草を押し当てる。


 圧倒的なまでの、資産の差。早苗には、それが光と影のような、覆らない差に見えているのだろう。だが、美登理は、違う。


「じゃあ、訊くが。鳥子は金のことについて、話題に挙げたりしていたか? この鳶渡にだって、相応の金額は発生するんだが、その話は聞いたか? ……もう一度訊く。鳥子は、金のことを話題に挙げたことがあるか?」


 釘を刺すような鋭い問いに、早苗は眉を尖らせ反論しようとした。が、


「…………っ」


 その術を、記憶から抜き取り、列挙することが、出来なかった。

 そう、美登理と早苗の日常の中に、金の話題など、一切、挙がらなかったのだ。だからこそ、美登理は気付くことも、感じることも出来なかった。当たり前のこと。無から有は生まれない。

 トキは、戸惑う早苗を見て、僅かに口の線を伸ばした。


「ま、ないだろうな。あいつは、金なんかよりも、人の繋がりを大事にする奴だからな。…そのせいで、自殺まで考えようとするのは、ちと、やり過ぎだが……」


 トキはそう告げるが、へたり込んでいる早苗には、もう、何も聞こえていないに等しかった。悔悟の感情が、脳内を埋め尽くしていた。

 拳を握る早苗。トキは、そっと詞を落とした。


「早苗。お前は今、全てを砕かれ、消し炭みたいな姿で地の底にいる。だから、這い上がって来い。鳥子が積んだ、3千万を踏み台にしてな」


「……」


 聞こえたかどうかは、知る由もない。しかし、届いてはいるだろう。

 トキは天井を漠然と見上げて、背を伸ばす。


「さて、いっちょ、胸を貸しにいってくっかな」


 張り切るように言うと、ゆっくりと玄関へ歩いていき、突っ掛けを履く。そして、背を向けたまま、手のひらを肩に置き、出て行く側だが、早苗を見送るかのように、こう落とした。


「今度は、善人の早苗を、連れてこいよ」


 玄関が開き、光が差し込む。逆光の中、トキは最後に、囁くように言い残した。


「――鳥子は、待ってるぞ」



 美登理と早苗の間に架かる橋。ほんの少しの緩みは出たが、尚、しっかりと繋がっている。

 そこからさらに、緩めていくか、握り返すか。

 早苗自身が、これから見極めていかなくてはならない。


 美登理は、ただ、強く握り締めるだけ――


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