表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳶渡の時  作者: 春日戸
第玖話【ヒの鳥】
39/44

9-3

「お人好しめ」


 トキはそう呟き、やれやれと云った面持ちで、現場へ向かった。

 見回りの教員が居ることを教えられていたため、その動きは何とも怪しいものだった。木造のウサギ小屋から10mほど離れた木の陰に隠れ、ひっそりと窺う。その前に、目からの情報よりも早く、音が先に耳を介した。

 その音は、生々しかった。

 肉を刻む音。骨を押し切る音。


ザシュッ――


 パタパタ、ポタポタと寝藁に垂れて鳴る、重みのある水音。


 トキの背筋に悪寒が走る。居た堪れない思いが募り、下唇が僅かに噛まれた。ウサギでよかったと残酷ながらも思ってしまう。こんな沈痛を招く音の中に、悲鳴でも聞こえようものなら、この身を裂いてでも、犯人を止めに行きたくなってしまう。

 トキは木の陰から犯人を視界に入れる。

 暗くてよく見えないが、犯人はウサギ小屋の網を破り、中のウサギを裁縫バサミで切り刻んでいた。


 人と云うのは、ここまで残酷になれるモノなのかと、トキは思った。


 行為としては、人殺し、虐殺よりも軽いモノかもしれない。が、その現場、その現行を見る者の目には、在り得ぬ光景、あまりに劣悪で、あまりに非道な行為に映る。

 遠目から、画面越しに、噂、耳にしただけ。

 そんなモノでは、単なる悲哀や同情という感情しか芽生えない。

 目の前にすれば、必ずと言ってよいほど、憤りが、焦りが、息の詰まるような嘆きが、奥底に眠っている心の中から、飛び出してくるのだ。


 

 トキは青ざめた顔つきで目を細める。まだ夜目が利かぬ状態。ほとんど影のような、シルエットでしか目に映らない。が、ある特徴的なものが、トキの目を強制的に開かせた。


(……おさげ?)


 トキの表情から、信じられないと全面に出た。

 まさか、まさかと、切迫した心から捻り出される。

 その時、スーっと視界が晴れたように、周りのモノが見え始めた。


 トキの考えを全て裏切り、夜目が利きはじめた目が、真実を捉える。


「………っ」


 そこには、不気味な笑みを浮かべ、ウサギを狂喜交じりに刻む、今市 早苗の姿があった。


 ダラリと、トキの全身から力が抜けた。一瞬だけ、宙に浮く感覚に見舞われる。首がうまく据わらない。視界が揺らぐ。心臓部に、熱いようで冷たいような膜が張られる。


 学校で起きた早苗を中心としたイジメは、単なるイジメではなかった。

 言うなれば非難。糾弾を迫るようなものだったのだ。

 イジメを行なっている者が、この事実を知っているのかは甚だ疑問のあることだが、対象としては、何も間違いではなかった。早苗本人が、ウサギ殺害の犯人なのだから。

 間違っていたのは、美登理の方。庇い立てをした、美登理の方。

 友人がイジメを受けているのが許せなかった。そんな人間ではないと信じていた。だが、この現実は、あまりにも、残酷極まりない。


 顔面蒼白になる、トキ。奥歯が欠けるのではないかと思うほど、噛み締められていた。そんな時。


「何をしている!」


 という、大音声が学校の敷地内全土に響き渡った。


「……!!」


 突然の怒号に、トキの全身の毛が逆立つように反応した。

 加速した心臓の鼓動を鎮め、慌てず、そっと木陰から状況を把握する。

 発したのは見回りの教員で、早苗はそれを合図としたように、走っていっていた。

 トキは早苗の後ろ姿を見て、何故、何故、どうしてと、訴えかけるように目を細めた。


「待て!」


 教員は、潜んでいるトキに気付くことなく、早苗の後を追っていった。


 足音が完全に途絶えたのを機に、トキは木陰から身を出し、ウサギ小屋に近づいた。

 前にして、表情は芳しくないものになる。

 ウサギの死体。ざっと3羽。

 一羽は首をハサミで刺され、血を噴出しきり、息絶えていた。一羽は、両足を切断され、出血多量で死していた。一羽は、先程まで卑劣を受けていた身で、両耳を切られ、腹を抉られていて、ひっそりと内臓らしきものが腹部から窺える。


 手足の先が、ピリピリと痺れだす。腹部にずんとした圧迫感が込み上げる。


「何故……こんなことを……」


 あまりに酷い始末。

 何の罪も持たない生き物を、残虐行為を以って殺害するなど、どのような意味があるのか。


「……」


 しかし、それはいくら考えようとも、辿り着けぬ範疇のことであった。

 生き方、思想、そういうものが別個の存在。トキにはない、回路を内包している者。同じ思考に、到達など出来るわけがない。

 直接、本人に尋ねる他ない。


(……この事を、鳥子に告げるべきか…否か……)


 そう思った次に、新たな疑問が浮上する。


(いや、待て。何故だ。何故、早苗は鳶渡を……)


 その疑問は、恐らく最も扱いに困る代物。


 何故、早苗は鳶渡を、――〝受け入れた〝のか。


 鳶渡の説明を一頻り終えているのならば、解るはず。トキに己の姿を見られることを。この程度の予想など、容易に出来るはず。しかし、では何故、己が犯人だと、わざわざ公言するような真似をしたのか。

 損はあるが、得をする部分など見当たらない。

 美登理に勧められたから。――そんなモノ、信じられないと断れば済むこと。

 受け入れた真意を、トキはこう考えた。いや、こう考える他に、何も思いつかなかった。


(俺が鳥子に、この真相を告げないと、〝核心〝していたから……?)


 つまるところ、幾ら見られようとも、その事を誰かに話さなければ、それは闇のまま。

 この闇を作るべき人間は、トキ。

 トキが美登理に事のあらましを告げなければ、事態は何も進展しない。早苗に、損得すら発生しないのである。

 トキは片奥歯を噛み締め、「なるほど…」と卑屈的に呟いた。


 親友である者の残虐行為を、受け入れられる人間など、僅かな数。美登理は、確実を以って、受け入れられない側の人間。

 トキは胸糞悪いと、大きな溜息の中で思った。


「安請け合いしちまったな。もし告げたとして、鳥子は耐えられるか……」


 脳裏に浮かぶ、ベッドの上で、生命維持装置に命を委ねた有様の美登理の姿。


「……」


 トキの目が希薄化する。更に、思い浮かべる。これまでの美登理の事を。


「………………」


 目に、光が宿る。

 トキは目を瞑り、そっと前頭部と後頭部に手を当てた。



――――――――



 帰化したトキの目に、一番に飛び込んできたのは、期待に胸を膨らませた表情をした、美登理であった。


「どうだった!?」


 帰還した者への挨拶もなく、美登理は畳みに正座をし、その両太腿に手を突き、ずいっと前のめりになった体勢で、足早に問い掛けてきた。トキは応えることなく、スッと早苗に視点を移動させる。

 焦眉の急という顔つきをしているかと思っていたが、その表情は何とも涼しげであった。肝が据わっている。とトキは思う。


「ど、どうでした?」


 早苗は顔を変え、怯えた表情を作った。芝居がかった声掛けに、目が細まる。

 トキは何も言うことなく、畳の上に座した。


「……」


 ポケットに手を入れ、煙草を取り出そうとするが、息を一つして、止める事にする。


「……?」


 美登理の眉が顰まる。何故黙ったままなのか、不思議で仕方がなかった。


「ねぇ、誰が犯人だったの?」


「……」


「あ、そっか。誰って言われても名前、分からないもんね」


 美登理はそーだったそーだったと納得したように頭を小刻みに上下させる。早苗の口元の線が、僅かに広がる。そして、平然と口を開く。


「犯人が私たちの学校の人だとしたら、全校生徒の顔写真を見てもらわないといけないね」


「生徒会になら写真つきの名簿とかあるかもねー」


「美登理ちゃん……生徒会に知り合いいるの?」


「うーん…いない!」


 談笑を始めた二人。その間に、決定的な溝があることも知らず、美登理は気を許している。そして、早苗はそれを利用している。


――表面に出ることのない、歪んだ関係。

――少し突けば、酷く壊れやすい関係。

――壊れてしまえば、復元の困難な関係。


 それでも――


「なぁ」


 トキは、見るに耐えることが、出来なかった。

 美登理がキョトンとした顔で。早苗が、頬に一筋の汗を垂らして。振り向く。


「やめねぇか。その、諂った演技はよ」


 真剣身を帯びた声を聞いた早苗の瞳が、凝縮していく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ