7-4
トキが戻ると、最初に目に付いたのは、浮かない顔をしている美登理であった。それから、その奥を見て、一人、新たに加わっていることを確認した。
仰々しい中、美登理と同じようなラフな服装に身を包む女性。セミロングの茶色掛かった髪を、後ろで束ねた者は、トキがよく知る人物であった。その者は、シズクの横で、親しそうに会話をしている。
「ノギクが居るってことは……」
呟いたトキは、入り口の引き戸辺りを注視する。捉えたのは、ぴょっこりと飛び出た、短いサイドテールの黒髪の先端であった。
「……」
トキはニンマリと顔を弛緩させた。そして歩み進む。
中に入ると、直ぐにノギクが気付いた。
「トキ。久しぶりね」
ノギクの声は、心地の良い温和なもの。まるで優しくなでるかのようで、こそばくなるほど。トキは、「よっ。着てたのか」と言い、自席へは戻らず、手前の美登理の横で胡坐を組んだ。
「さっき着いたばかり」
ノギクはチラリとトキから一瞬だけ目を逸らす。澄ませば、トトトっと軽い足音が聞こえる。
数合も立たぬうちに、トキに変化が起きた。
「だーーれだ!」
突然、目の前が何かに覆われ、真っ暗になったのだ。
「うおっ!」
驚きの声を上げたトキは、ひんやりとした目を隠すモノにそっと触れる。
「おー? このちっさな手は知ってるぞー」
「えへへー。だれでしょー」
幼い声の後に、小躍りするような、バタバタとした足音が鳴る。
「んー? ツ・バ・キ。かなー!?」
表情の綻びが極限にまで達しているトキの声は、通常の其れとは別物で、変質者染みた声となっていた。
「正かいー!」
ツバキと呼ばれた少女は、トキの目から手を離し、肩に手を回して抱きついた。
左肩に顎を乗せられたトキは、横目でツバキを視界に入れ、頭を撫でた。
「ツバキも着てたのかー」
「うん!」
仲良さげにしている二人を見て、美登理は「仲良しですね」とノギクに言った。
「そうねー。ツバキはトキのこと、何故か大好きなのよねー」
「ツバキは今、何歳になったんだっけかな」
「えっとねー」
トキが問うと、ツバキは両手を使って数を数え出した。
「ごーろくー……」
そして思い出すように目を上に上げて、パァっと明るい笑顔をしてトキの腕に抱きついた。
「十六さいー!」
朗らかな光景を見ていた美登理に、衝撃が走る。
(なっ…あの子…私とタメ…!?)
鳶人という通常の秤が通じない者たちが集まっているために、美登理の思考は妙な方向へと進んでいっていた。
トキはというと、目をパチクリと丸くしていた。
「十六って……」
ツッコミを入れようかどうかで悩んでいるトキを見て、ノギクは乾いて笑っていた。しかし、事態は思わぬほうへと転がった。
「…結婚できる年じゃねーか!」
カッと目を光らせたトキは、がっしりとツバキの両手を握り締めた。少女に溌剌と求婚を迫る姿は、傍目から見ずとも、かなりヤバ目に映る。
興奮しているトキを見て、シズクは蔑んだ顔で、「……ロリコン」と呟いていた。
「えへへー」
ツバキは変わらぬ笑顔を見せた。あまり意味深に捉える気概はなく、冗談か、または何かの真似事をしていると窺える。トキも往々にそれを理解しているため、次には「もう6歳か。でかくなったな」と叔父のように接し始めた。
美登理はそんな二人のやり取りを見て、息を一つ吐き、ノギクに問い掛ける。
「あの、ツバキちゃんも、鳶人なんですか?」
ノギクはチラリと美登理を見てから、ツバキの方を見据え、微笑みを絶やさずに、「違うわよ」と答えた。
聞き入れた美登理は目を見開いてから、声をくぐもらせた。
「……あ、違うん……ですか」
しまった…と胸の内に落ちる。美登理は、トキやシズクたちの時と同様に、人の心の穴へと、ズカズカと入り込んでしまったのだ。鳶人であるノギクと、鳶人で無い娘のツバキ。この関係性は、ノギクにとって、悍ましいほどの恐怖と畏怖を抱えた問題である。
実の娘に、自分の存在。つまり、母親の存在を、忘れ去られてしまうのだ。
己の死から連想する、途方も無い考えではある。しかし、考えを煮ていくだけで、総毛立つような、得もしがたい恐れが産まれる。美登理の問いは、刺激か彷彿か、どちらにせよ、ノギクの心中を酷く掻き立ててしまうのだ。
「おばちゃん(侍女)のところにいってくるー!」
ツバキは元気良く手を振る。トキはヒラヒラと手をはためかせた。
その光景を見てから、ノギクは俯いている美登理を見て、こう話を進めた。
「あなたは、初めて見る顔だから、知らないのかもしれないけど。此処に居る人たちの多くは、血の繋がっていない、赤の他人同士なのよ」
美登理の顔が上がる。
「え…」
「鳶渡…という力は、血がどうとか、家系がどうとかなんて柵等無く、まるでくじで選ばれたかのように、『持ってしまう』力なの」
「で、でも…こんなに…家族みたいに人が…」
「ええ。正に奇跡のような巡り会わせで、私たちは結集したの」
そう言ったノギクだったが、容喙が挟まれる。それは目の前に居るトキからだった。
「奇跡と言えば聞こえは良いが、俺たちは不幸を辿っただけに過ぎんだろう」
不幸を辿る。美登理はその言葉を反芻し、おもむろにシズクを視界に捉えた。そうして、言葉の意味を知る。此処にいる者たちには、共通して、暗い過去がある。
「本当ならば、誰も好き好んで此処に居たいとは、思ってないだろう」
トキの本心に、ノギクは息を吐く。
「そうね。でも、此処で生まれた命もあるじゃない」
そうして微笑んだ口元、目元は、作られたものではなかった。
「……そうだな。それは素晴らしいことだ」
トキは大腿に手を突いて立ち上がった。
「だが、俺には耐えられん」
そして、一本吸ってくるよ。と付け加え、美登理たちの場所から退散した。同様に、ノギクも立ち上がり、「私も、倫子さん(侍女)に挨拶しにいってくるわ」と言い、歩いていった。
美登理は二人を見送った後、ふいに額縁を見た。何も見えないことは分かっている。やり場に困っている訳でも、再確認をしたかった訳でもない。ただ、それを見ることで、何かが変わる気がしたのだ。
そうしていると、沁玖が美登理の前で腰折った。
沁玖は頭を一つ下げる。美登理も追うように下げた。
「美登理…ちゃんだったわね。貴女は、この鳶渡の理、どう思う?」
唐突な質問。何故こんなことを尋ねてきたのか、迷いが生じた。美登理は息を詰まらせ、肩をすくめ、俯いて「分かりません」と答えた。
沁玖は薄っすらと笑みを浮かべた。
「じゃあ、この理は必要だと思う?」
「……必要…なのかもしれません」
「そう。この理は、恐らく必要なものなの。だから、みんな受け入れている。でもね。私は一度だけ受け入れたくなくなったことがあるの」
美登理は顔を上げた。沁玖は快活な笑顔でそこに居た。
「それは、娘の水玖が産まれた時だったわ。私はね、水玖を受け取ると、真っ先に額に触れたわ。確認したの。この子が、過去無しかどうかを……」
結果は、沁玖の居た堪れない表情が、物語った。
子に忘れられてしまう親の心情。
美登理には想像を逸するものである。しかし、悲しい、とても悲しいことだということは、概ね理解できる。
出来れば、沁玖は娘に鳶渡の力を持っていて欲しかったのだろう。産まれた時から既に、超えられぬ壁。親と子の間にある、異端と普通の壁。初めから対等でない存在同士。出来れば、同じで在りたかったのだろう。
この差は、美登理とトキも、その例に漏れない。
美登理は思い出す。トキがそのことに耐えられないと言った事を。
「……あの」
「何?」
「トキは…どうして耐えられないっていったんでしょう」
「トキ君の過去は知らないけど、居るのかもしれないわね。自分を忘れて欲しくない人が」
美登理は、トキが出て行った方を見つめた。