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鳶渡の時  作者: 春日戸
第切話【闇の波】
31/44

7-3

ザッパーン


 用を済ませたトキは、「まさかジジイが洋式を取り入れるとは……時代だねぇ」と呟きながら、煙草を取り出した。箱をトントンと叩き、飛び出した1本を口に挟もうとした中、前にいる人影に気付く。


「おう」


 通せん坊をせんとばかりに中央に立つ男は、加室であった。


「旦那もトイレか?」


「いや、そういう訳じゃない」


 加室は含んだ笑みを見せた。何やらいやな雰囲気がトキに流れる。


「ちょっと、話さねぇか?」


 そういって親指で指されたのは縁側であった。トキは火の点いていない煙草を持った手で頭を少し掻くと、「ん」とだけ言い、縁側に腰を下ろした。

 そしてライターを取り出し、火を点しつつ、加室に問い掛ける。


「話ってのは、無料タクシーのことで?」


「あー…まあ、それも訊こうか」


 別の用件があると取れる言葉に、トキは怪しい目をしつつ煙草をふかす。


「あの件は、鳶渡を使わないといけない程、何かあったのか?」


「…まあ、結果的に使っただけであって、大それたモノじゃない」


「そうか。ならいい。正直、過去無しである俺らは改変の変化に気付くが、他は気付かないからな。無料タクシーの件は綺麗さっぱり耳に入らなくなったから、問題がないなら、もう関係ない」


「……じゃあ、旦那が俺に訊きたいことを訊こうか」


 すぐに話を切り終え、移行する。駆け足気味な話題の変化に、加室は空を見上げるという間を空ける。


「トキ。お前、黒穴に入ったんだってな」


 呟くように問われた内容に、トキは少々の固まりを経て、顔を逸らし、「ゲンか……」と舌打った。それから、諦めたかのように息を一つ置く。


「……随分、前の話だけどな」


「どうだったんだ?」


「旦那。今後入る予定があるなら、やめといた方がいい」


「入らねーよ。あんな得体の知れないモノの中になんてな。訊くのは好奇心からだ」


 加室がそう言ってのけると、トキは前を向き、煙を深く吸い込む。そして、煙草の箱を取り出して、1本を加室に突きつけた。


「旦那も一本吸うかい?」


「……煙草くせーと女に嫌われるから、あんま吸わないようにしてんだがな」


「ははっ。無駄な努力ですな」


「うるせぇ」


 加室は1本を摘まんだ。同時に、トキはライターに火を点した。

 お互い、白く靡く煙の糸を天に伸ばしつつ、間を置いた。

 そして、トキがおもむろに感慨深い表情で、話を始めた。


「……この世には多様な色がある。この煙も白と云う色がある。しかし、黒穴の中は、どういうワケか、何も無かった」


 加室は眉を顰める。


「何も無い?」


「まあ、真は分からない。が、俺が見たのは、感じたのは、真っ暗闇を当てもなく落ち続けているということだけだった。あの中は、ただただ黒か、或いは闇で埋め尽くされていた。光が朧も無いあの空間には、恐怖を感じたね」


「本当に何も無かったのか?」


「……そうだな。何かあったとすれば、それは俺自身だった。視覚は機能を失い、自身の輪郭すらなぞれなくなった。次には、耳がおかしくなった。声を出そうにも、何も聞こえなかった。そして、触覚さえも、おかしくなった。まるでミミズが大量に身を這っているような、ざわざわとした感覚が襲ってきた。頭がおかしくなりそうだった」


 闇が身を蝕み、まるで水位が上がってゆき、息が絶え絶えしくせんとばかりだったと、トキは言う。それは、闇の波に飲まれたようだという。そして、簡素な息をした。


「いや…、既に頭は、黒穴に入る時にはおかしくなってたのかもしれない」


 トキは気がふれてたよ。と付け加え、自嘲するように笑みを浮かべた。


「……それでよく、戻ってこれたな」


「ま、全身全霊が危険だと騒ぎ出したからな」


 トキの目は、虚ろなものになっていた。まるで何かを思い返し、悔いるよう。

 ぽっかりと空いた、過去世界に存在する黒い穴。得も知れぬその中に、己から足を踏み入れるとすれば、どのような心中を抱くとするか。勇気か、好奇心か。そんな安いモノではない。悍ましいほどの闇夜に似た、心の穴が無ければならない。

 加室は、恐る恐る口を開き、声を出した。


「……お前。何で入ったんだ?」


 聞いてはいけないような内容に決して思えぬその問い。口にした加室は、頬に一つ、汗を垂らしていた。まるで、龍の逆鱗に触れるかのような、そんな緊張感が漂っていた。トキは眼球だけを動かして、加室を睨むように見てから、嘲笑った。


「そりゃ…求めてるモンが、そこにあるような気がしたから」


 答えに、加室は目を細めた。


「……何も無くて、残念だったか?」


 問われ、トキは煙草を縁側近くの適当な石に擦りつけ、火を消した。


「……残念だった。いや、でも、もしかしたら、俺が怯えなければ、その先に何かあったのかもしれない」


「トキ」


 加室が強く発すると、トキは「ああ」と言う。そして、立ち上がる。


「もう、入らんよ」


 歩いていくその背を見て、加室は鼻から不満の息を出した。ボリボリと髪を無造作に掻き毟り、「トキ」と呼び止める。


「ん?」


 振り返ったトキは、既に普段通りの空気を纏っていた。

 加室は訊く。


「その髪。黒穴に入った恐怖でそんな色になったのか?」


 立ち止まったトキは、ゆっくりと顔を前へ向きなおし、手をパタパタと気だるそうに振るう。


「さーね。どうだか」


 あしらい、廊下を突き進んでいくトキを、加室は止めず、大きな鼻息を漏らした。そして、煙草を一吸いし、煙と共に、言葉を吐いた。


「まだ……想ってんのか」


 空しく煙が宙を舞う。



 トキは、加室の視界から消えて間もなく、前髪を一束摘まんで伸ばし、視界に入れつつ、こう漏らした。


「……ファッション……なんだけどな…」


 うーん…。と悩ましい顔をしつつ、トキは皆の集まる場所へと戻っていった。


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