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鳶渡の時  作者: 春日戸
第切話【闇の波】
30/44

7-2

 欠席者もいるため、膳に空きが出来ているので、シズクとトキは横に一つズレ、美登理を膳の前に座らせることにした。そうして今現在居る者たちが位置についたの衒って、カンゴは喉を一度だけ唸らせた。

 そして、膳の上にあった酒を猪口ほどの大きさの杯に注ぎ、まるで神前に幣帛するかの如く、高々と持ち上げた。美登理は追うようにそれを見て、天井近くの壁に掛かっている額縁の列を視界に捉えた。黒を基調としたそれは遺影を飾っているのではないかと推測される。しかし、美登理の目に映ったのは、白。ただ単純に何も映っていない額縁だけのものであった。

 疑問に眉が曲がる中、カンゴの声がひと際通った。


「耳にたこが出来るほどに、口をすっぱくして何度も告げる」


 初めて聞く話に、美登理は疑問を据え置き、耳を傾ける。


「過去無しに限らず、人というのは生と死の後ろを歩かなければならない。決して、おのが先頭に立ってはいかん。人は善悪共々、欲の塊に過ぎん。そんな賎しい者が生と死を追い越すとどうなるか。我が消えうせ、過ちが生じる。そのこと、誰よりも知る者。それが我らで在らん事を祈る」


 カンゴは酒を飲んだ。すると、皆が一同に頭を下げた。後を追うように下げた美登理は、すぐに面を上げたが、皆はまだ、下げたままであった。前に居るカンゴも、いつの間にか頭を下げていて、その光景は異様ではなく、称えるに相応しい、黙祷を捧げる姿に等しかった。時はすぐに過ぎ、各々の頭が戻ってゆく。

 それぞれ、思い思い。顔から現れる心中は、まるで淀んだ雲のよう。しかし、それもまた、時が過ぎると消え失せる。


「では、配るとするかの」


 カンゴは先程とは打って変わって、シワを寄せて笑みを零した。

 侍女は言葉を機に、それぞれの膳の上に、小皿を一つ置いてゆく。美登理はトキの前に置かれた小皿の上に乗っているものを確認する。それはまるで、白い糸くずを小さく丸めたような、何とも怪しいものであった。


「それは何?」


「これは霞魂かすみだまと云うもんだ」


 トキは霞魂を指先で摘まみ、口の中に放り込んだ。え!と美登理の顔が歪む。


「それって、食べ物なの…?」


「ああ。食ってみるか?」


「え?」


 トキは美登理が答える間もなく片手を挙げ、侍女にもう一つ。と頼む。そうして置かれた霞魂。美登理は指先で摘まんで感触を確かめる。


「あ、柔らかい」


 まるで綿のような感触に、美登理はクニクニと僅かな力で圧を掛ける。


「あんま力入れると潰れちまうから、早く食えよ」


「味ってどんな感じ?」


「んー…何だろうな」


 考えると、前に居る信濃が話しに混ざる。


「食べたことのある味に近いのですが、上手く譬えられませんね」


 信濃はそう言いつつ、霞魂を一つ、二つと口の中に放り込んでゆく。


「無味に近いが、味がちょいとあるからな。ま、食ってみろ」


 トキに促され、美登理は躊躇を一度置いて、口の中に放り込んだ。すると、それはすぐに蒸発したかのように口の中で霧散した。


「ん!?」


 食べ物とは思えない、妙な食感。そして、ほのかに味覚に流れる味。


「あ、これ。オブラートの味みたい」


 頭の電球が点灯した美登理がそう言うと、信濃は「あー。近いですねー」と感心しながら頷いた。


「ていうか、これ、何なの?」


 美登理はトキに問う。


「霞魂。文字通り、霞を凝縮して造ったもんだ」


 説明に、頭にハテナが浮かぶ。


「霞?」


「聞いたことくらいはあると思うが、山に住む仙人は霞を食って生きているという話があるだろ? あんな感じだ」


「う、うーん」


 あまり聞きなれぬ話に同意は無かったが、トキは踏まえて話を進行させる。


「ま、話を進めるが、霞ってのは粒子に近くてな。鳶人が鳶渡を使うとき、肉体を粒子化させなきゃならんのだが、その負荷ってのが尋常じゃない。この霞魂は、云うなりゃ負荷を軽減させる代物。摂取する理由は足りぬ粒子を補う…みたいなもんだな」


「ふーん…負荷ねー。それってもしかして、遡る時間が大きいほど大きくなるもの?」


 すぐに浮かんだのは代償という文字であった。トキは感心する。


「ほお。中々聡いな。その通りだ。鳶渡の力とは坂に例える事が出来てな。現在は坂の最下点。過去は緩い勾配ながらもどんどん積み上げられていっている。鳶渡はその坂を上る力。そして、上れば上るほど肉体に掛かる負荷が大きくなると同じく、鳶渡も遡る時間が大きいほど負荷は増大していく。そんで、個々に限界点ってのがある。俺は7年半。この信濃は11年と馬鹿みたいな長さだ」


 トキが信濃に話を振ると、照れながら「ははは。それだけが取り得ですからね」と言った。美登理は最高年数なんてあるんだ。と感想を述べてから、思い立った質問をする。


「霞魂を摂らないで鳶渡を使ったらどうなるの?」


「短い時間でさえも、大激痛に曝される。長きを渡れば、最悪、死ぬことだってある。……人間が粒子になるなんざ、異常なことだしな」


 答えた直後、トキは虚しそうな表情をした。気まずい雰囲気を作り出してしまった美登理は、話を逸らす種を探そうと頭を回転させ、先程、目に付いた額縁を見つける。


「あ、そういえば、気になったんだけど、あの額縁って何で何も無いのに飾ってるの?」


 壁に掛けられている額縁を指差し、美登理は精一杯に話を逸らす。が、トキの反応。顔色は先刻よりも虚しく、儚いものになった。


「何も無い…か」


 呟くと、周りにいた信濃や、シズクさえも、目を伏せる反応を示した。トキは続ける。


「鳥子よ。3枚の紙の話は覚えているよな?」


「え? …うん」


「俺たち過去無しと云われる者は、過去の紙がない、現在の紙だけで出来ている存在だ。なら、そんな者が死したら、どうなる」


「死んだら…? って…え?」


 内容や質問の意味さえも分からない美登理は、ただ回答を待つ立場に追いやれた。


「人と云うのは死すると、故人と呼ばれる。姿無き思い出だけの存在ではあるが、人として成り立つものとなる。何故なら、死することの意は、現在の紙が無くなることの意だから。過去の紙は、生き続けているんだ。だから人は、死した者を思い出せる」


 そこまで言われて、美登理は気付いた。そして、驚愕した表情が、徐々に広がっていく。


「じゃあ…過去無しは……死んだら…」


 トキは、おもむろに口の端を広げた。しかし、物悲しい目は、変わらず残っている。


「ああ。全てが消える。写真というモノに収められていようとも、何も残らない。それがこの世の理だ」


 そして、シズクが付け加える。


「でもね。過去無し同士にだけは、何故か、見えるのよ。思い出せるのよ。だから、あの遺影に映っている人の姿も、ハッキリと見えるの」


 額縁に向かっていった眼差しを、美登理は追う様に見る。しかし、何も映っていない。誰かがその中に収められているなど、思いもしないほどに。

 鳶渡を使える『異端者』と、世界の多くを占める『ただの人』。その違いが美登理の中で、ハッキリと分かれた。常々、思っていたことの疑問も、これにより払拭された。

 何故、鳶渡という力を、この人たちは大っぴらにしているのだろう。

 使い方を間違えれば、何にだって応用が出来る力。知れば必ず、求める者たちが溢れるはずなのだ。しかし、そういったものは彼らの背景からは見て取れない。それは何故か。知った者が居たとしても、鳶人が死ねば、忘れ去られてしまうからだ。

 つまり、鳶渡は最悪。全ての者の記憶から、消えてしまう恐れがあるのだ。


――美登理も、例外ではない。


(トキがもしも死んじゃったら、私は…忘れちゃうんだ……)


 突然の話。妙な心音が轟く度に、暗き想いが蔓延った。不安とも言え、畏れとも言える。一番見合っているモノは、喪失感。顔が強張っている美登理を見て、トキは微笑みを浮かべた。


「深く考えることじゃない。いずれ、皆、消えちまうんだ。今はそれまで、精一杯、生きることに足掻けばいいのさ」


 いずれ、人は死ぬ。それは絶対の理。誰も曲げぬことの出来ない、この世界の在り方。


「……」


 それは皆々、分かっている事。しかし、最も認めたくない事である。だから、足掻こうとする。命を延ばそうとする。


 美登理は、足掻かず、落とそうとしてしまった者。

 会わせる顔がない。そんな気持ちが浮かぶ。

 元々、自分が死に、宮路 博信がそのことで後悔するのを目的としていた自殺未遂。もしも、自分が過去無しであったならば。博信は、娘の死を気にも留めずに、ただただ、日常を流していたのかもしれない。

 死は、人に影響を与えるものだと思っていた考えが、改められた。美登理は、もう一度だけ、何も映っていない額縁を見つめた。


 トキはその姿を見て、軽い息を吐いた。


「見えないことを残念と思うなよ」


 そう思うことは、過去無しを愚弄する行為そのものである。美登理は力強く頷く。


「…うん」


 普通でないことは、特別と云うことでは決してない。

 トキはクシャリと美登理の頭を乱暴に撫でて、厠へと足を運んでいった。

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