7-1
この話は登場人物が増えますが、大半は覚えなくて良いので軽く流してください。
日差しの照りが、普段よりもクッキリとし始めた6月の半ば。燦々と降り注ぐ朝日を浴びた美登理のアパートの前に、軽自動車が一台、止まっていた。中に人が居るようで、エンジンの稼動音が鳴っている。
その音に負けじと割って入る、扉を叩く音。トキが美登理の部屋の扉をノックしていた。
「おーい、鳥子。居るかー?」
呼びかけると、奥からドタドタと忙しない足音が鳴る。そしてガチャリとドアノブが回転し、ボサボサにうねり巻く寝癖の髪と、薄手の黄色のパジャマを纏った美登理が、眠たい目をこすりつつ、現れた。
「……何よ」
不機嫌と取れるドスの利いた声。トキは気まずそうに頬を掻いた。
「いや…やっぱ……やめとくかな」
後退り気味にトキは距離を置く。面倒ごとを言えば、怒り狂って何をしでかすか分からぬ暴君が美登理なのだ。痛い目に、既に2度遭っている経験が物語る。
「用件をどーぞ!」
内容が不明確な言葉が気に食わなかったのか、美登理は強く促す。トキは「あー…なんだ…」と先に置く。
「これから鳶人が集まる会合に行くんだが、着いてくるか?」
放たれた内容に、美登理の眉が曲がる。
「…私が行っていいものなの?」
疑問に、トキは考えた素振りすらせずに、「まあ、いいんじゃねーかな」と軽々答えた。
「何で誘ってくれたの…?」
「ん。鳶渡についてを知りたいんじゃなかったのか?」
美登理は微かに頬を染めつつ、口を尖らせた。
「まぁ、そうだけど」
「じゃ、決まりだな。早く支度しろ。シズクが待ってる」
トキは顔を軽自動車に向ける。そうすると、ウィンドウが降りて、シズクがニッコリとした笑みを浮かべて会釈をした。そう、美登理には見えた。が、近づけば額に薄っすらと不満の血管が浮いているのが確認できる。
「お待たせしましたー」
美登理は身支度を終え、自動車の後部座席に搭乗し、扉を閉めて詰まったような音を鳴らした。運転席にはシズクが。助手席にはトキがシートを幾らかばかりか仰け反らせていた。
「じゃ、行くか」
運転する立場にいないトキがそう促し、車は発進した。
美登理は後部座席でも運転席側に座っていて、頭を少し傾けて、前の者たちに加わるように話を始めた。
「どれくらい掛かるんですか?」
「そうね。おおよそ3時間とみてもらえるかしら」
「遠いんだよなー」
美登理は呆れた様に言ったトキと視線を合わせて質問を繰り出す。
「ねぇねぇ、どれくらいの人が集まるの? 前に言ってた御三家とか?」
「ああ。それとは別の者も来るな。人数は鳶人だけだと、10人ぐらいだな。以外も合わせると…分からん」
鳶人の御三家とその所属以外の鳶人が一同に会する場所。美登理は頬に汗を垂らした。
「……今更だけどさ、本当に私が行ってもいいの?」
「ん。会合と堅く言っちまったが、単なる顔繋ぎ程度の集まりみたいなもんなんだよ」
緊張しなくてもよいという意味合い。美登理はうーんと小首を捻った。そう言われても、初対面の者たちに囲まれるのは肩身が狭いというものだ。少し億劫な気持ちが出る。が、誘われたことが、ある種、認められているという考えに繋がり、美登理としては嬉しい限りでもあった。
「それより、トキが誰かを誘うなんて珍しいわね」
褪めた目で前を見据えるシズクの唐突な切り出しに、美登理は「それよりって…」と小さくぼやく。トキは欠伸でもしそうな顔で、「ま、知りたいというのなら知る方が良いと思ってな」と答えた。
対して、シズクは眼球を目の端にやり、薄っすらと美登理を視界に入れる。
「ショックが、大きいと思うわよ」
ボソリとシズクが言い、ボソリとトキが、「耐えれるさ」と返す。
やがて、3名を乗せた車は古めかしい家々の連なる村の中へと入って行き、雄大な山と隣接した一軒の大きな民家に辿り着いた。
下車したシズクは肩を撫で、トキは背筋を伸ばし、美登理は物珍しそうにあちらこちらに視線を動かす。
表札を見た美登理は、「無代……」と呟いて、トキの顔を見る。
「おう。ここで行なわれる」
「入りましょう」
シズクは先に進んでいき、戸を引いた。
玄関の前には一人の女性が立っていた。着物にエプロン姿の彼女は、無代家の侍女である。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
深々と頭を下げ、侍女はトキたちをある部屋へ案内した。
そこは薄暗く、16畳ほどの部屋であった。床は木造で、道場のような恰好をしていた。
中にはお膳が1畳区切りに置かれていて、その数は11膳。2膳は一番奥の間に置かれていて、他の全ては、学校の教室の机のように、3区切りの列を作って前を向いていた。その列の最前列には既に人がいた。
美登理は宴会とは思えない、集会染みた整えられ方に違和感を覚える。
「ここでするの?」
「おう。先客が来てるようだな」
トキは答え、慣れたように奥へと進んでいく。
「お、トキか」
既に席を陣取っていたゲンがそう言うと、横にいる二人も振り向いた。スーツ姿の一人は加室。そして白い着物に身を包んだ、長い黒髪の一人は。
「よっ。ゲンに旦那に、沁玖」
从代 沁玖。57歳。
「あらー! トキ君。お久しぶりねー」
快活な声。性格は極めて明るい。しかし、少し歳のいった風貌と、腰にまで届く黒髪、そして白い着物が相俟って、雰囲気は幽霊に近い。
加室は何も言わずに手を小さく上げた。
「相変わらず元気だなぁ。……ババアは来てないのか?」
トキが沁玖に問うと、困った顔をされる。
「お義母さんは風邪を拗らせちゃってねー。……水玖が私の代わりに面倒を見てくれているのよ」
沁玖は少しばかりか目を細めた。トキは「そうか」と一言。すると、後ろの居たシズクと美登理が近寄ってきた。
「こんにちは。皆さん」
シズクは礼儀正しく一礼した。美登理もそれを見よう見真似し、同じように頭を下げた。
「お? シズクちゃんの横に居るのは誰だ?」
と、ゲンが問う。美登理は「えっと…」と回答に困る。助け舟を出したのはトキであった。
「鳶渡の事を知りたいというから、連れて来た」
ゲンは「ほー」っとまじまじと美登理を見つめる。加室はさらに深みに足を入れてくる。
「トキとはどういう関係なんだ?」
「ん。知り合い程度かな」
シズクの頬が持ち上がる。
「そうでなければ今頃、加室さんにその両手に手錠を掛けてもらっているわね」
そう放つと、加室は大体のことを察する。
トキは話を逸らすために辺りを闇雲に見渡す。
「他はまだ着てないのか」
ゲンは指先をちょいちょいと動かす。
「いや、着てるぞ。後ろに」
「ん?」
促され、振り向く。
「!?」
そのすぐ先には、ニンマリとした笑顔をした若い青年の顔面があった。トキはすぐさま一歩前に進み、あからさまなほどに距離を置く。
そうして全体像を視界に入れる。清潔そうな顔に、茶髪でウェーブ掛かったセミロングの髪。上品な白のスーツを身に纏っていている姿は、道場のようなこの場所では、派手に映る。
「信濃……居るなら居るって言え」
「すみません。あまりに気付いてくれなかったもので」
「だからって顔を近づかせんな!」
トキの肌には薄っすらと鳥肌が立っていた。
「それよりも、こちらの美少女はどなたで?」
信濃が話を振ると、美登理は頬を染めた。
「え…美少女…」
満更でもない様子。シズクはそっと美登理に、「この人、誰でも喰う人だから気をつけなさい」と耳打ちする。シズクにとってあまり好ましくない美登理ではあるが、ここは女性同士の絆が優先された。
一方、信濃はジッと美登理のことを見つめ、なにやら沈思していた。そして。
「まさか、この娘は……!?」
何かに気付き、驚いたようにトキを見つめる。場が場なだけに、美登理という存在は特別視されるのは当然のこと。鳶人の会合の場に居て、トキの傍にいる。この事から勘繰られる答え。しかし、手を横に振られる。
「違うぞ」
「あ…違うんですか。じゃあ僕が貰ってもいいですか?」
「は? 貰う? 何が言いたいんだお前は」
トキは気持ち悪そうな顔を濃くさせる。
「あれ?」
信濃は混乱しながら思い出すように上を向いた。
二人の間に何かしらの勘違いがあったようだが、それは次に現れた老人によって忘れ去れることになった。
「着ておったか、トキ」
入り口の方から歳の取った声が入り、トキは信濃を避けてその者を見る。枯れ木のような老人、無代 カンゴが侍女に支えられながら歩いてきていた。
「おう。ジジイは変わらず元気そうだな」
トキはよろよろと歩くカンゴにそう答えた。シズクと信濃は深く頭を下げ、後を追う様に美登理も下げる。カンゴは奥の膳の前に座し、やれやれと息を付く。その対面上に位置する、加室とゲンと沁玖も深く頭を下げた。よいよい、とカンゴは苦い顔をしてから、シズクの方を向く。
「シズクや。鉦代の者はまだなのかの」
「はい。あと半刻(30分)ほど掛かるかと」
「そうか。ならば先に済ませて置いて良いじゃろう」
トキはそれを聞き、「なら、座るか」と言い、わざわざ後ろ端の膳の前に行き、腰を下ろした。シズクはその横、丁度真後ろ中央に座り、美登理は膳のないトキの横に付いた。
信濃はそれを見ながら、
「いいですねートキさん。両手に花。いや、美女と美少女ですから、両手に宝石と云っても過言でない」
とニンマリとした笑顔。
「何言ってんだお前。さっさと座れ」
トキはめんどくさそうに一蹴した。