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鳶渡の時  作者: 春日戸
第陸話【噺の華】
28/44

6-4

 最短距離を駆け抜け、早々と千代の居る病院へ辿り着いた両名は、個室の扉を引いた。

 トキの目に最初に飛び込んできたのは、ある人物とよく似た雰囲気を纏う、一人の女の子だった。ベッドの上で身体を起こし、ただ漫然と一点を見つめている姿は、風前の灯という言葉が思考の中で先行する。

 トキの目には、重なるように、望む死を迎えた老女が見えていた。悲観に暮れた者――。目が細まる。

 音に気付いた千代は、我に返ったように目を開かせ、すぐに表情を作り変えた。それは誰もが察することの出来る、繕った笑みだった。


「おじーちゃん」


 と明るい声で呼ばれ、ズキン――と、卓臣の胸が痛みを訴えた。

 悲しみを消すことは、出来なくはない。ただ、その方法は千差万別であり、適切な薬を見つけるのは困窮を極めること。

 卓臣がしていることは、千代にとって救いではあったが、良薬ではなかった。それは薄々勘付いていたこと。どんなに楽しませようとも、全てはその場しのぎと云うに等しい些事なこと。

 卓臣は思う。


(やはり…わしでは役不足なのか……)


 子どもにとって、最も傍に居て欲しい者とは誰なのか。多かれ少なかれ、母親が一番を占めるだろう。

 しかし、千代の母親は仕事の疲れやストレスのせいで、愛情が徐々に希薄化している。状態としては、既に卓臣よりも役がない。だが、子は求めてしまう。卓臣の枯れた手に、役は務まらない。


「おじーちゃん。その人、誰なの?」


 千代は頭を倒した。彼女に出来る精一杯の身振りである。


「あ…ああ。無代 トキさんじゃ。え…っと、何と言えばいいのか…」


 回答に困った卓臣は、当事者に救いを求める。トキは頬をポリポリと掻いた。


「ん。まあ、千代の病気を治しにきた、手品師かね」


「え…?」


 千代の目が丸くなった。


「治る…の?」


 疑問に満ちた表情。卓臣は千代と同じようにトキを見る。そして放たれる。


「ああ。治る」


 躊躇なく断言され、聞き入れた者に名状し難い想いが募る。トキは千代の傍まで歩み寄り、丸椅子を引いて腰を下ろした。


「だが、一つ決めてもらわなきゃならんことがある」


 トキの発言に、卓臣は駆け気味に近寄り、「何をですか…?」と問い掛けた。


「……先程も話した通り、鳶渡というのは過去を改変させ、現在に波及させる力だ。俺が千代の過去へ渡り、事故を回避したとすると、千代の身体は健康体になるだろう」


「なら、それで何の問題もないじゃないですか」


「ああ。千代にとってはな」


「……?」


 卓臣に生まれる疑問。何が言いたいのか、察することが出来なかった。

 トキは一つ息を吐く。


「あんたが面白い話を集め出したのは、千代がこの状態になったからだろ」


「……!」


 気付く。そして、脳がくらりと揺れた感覚に見舞われる。


 問題は、無料タクシーを使い、集めた話が、水泡に帰すこと。


 卓臣にとって、もしもそれが特別なことだとすれば、――生き甲斐を一つ、失うことになる。

 トキは病院に向かう中で、鳶渡の説明を終えている。

 卓臣は、千代の身体が治ることが、何を意味するのかを理解した。

 過去が改変され、健康体となった千代に、自分は何をするのか。その自問は、早急に導き出された。


――恐らく何もしないだろう。


 人というものは、そういう生き物である。

 事が起こってからでなければ、腰を上げないのだ。何故なら、どう動けばいいのか、分からないからだ。

 そして、卓臣が導き出した答えは、どういったモノに変貌を遂げたのか。


 千代の笑顔を、わしの声で、身振りで、話で咲かせるのは――

 わしにとって、生き甲斐だった――

 花が咲くほど、嬉しい、嬉しい。そういった感情が芽生え、芽生え――


 人に欠かせない欲の中に、独占欲は確かにある。一個を手中に留めて置きたいその欲は、良くも悪くも、天秤のように傾くものである。

 一個を手放す時、どのような感情に見舞われるのか。

 一個に突き放された時、どのような感情に見舞われるのか。

 一個を留めた結果が、どのようなモノを産み出すのか。


 答えは、全て結果として回答される。そして、それを畏れる者は数知れない。


 卓臣は拳を硬く握り締め、今のままが良いのかもしれないと、思っていた。それは千代を無視した、己の欲を押し通した考えであった。しかし、それでは本末転倒もよいところなのだ。

 何故、卓臣が無料タクシーを走らせ、面白話を集めたのか。

 千代に笑って欲しいからだ。

 千代に、幸せになって欲しいからだ。


 だったら――


「何を、迷うことがあるんじゃろうな」


 いつの間にか、卓臣の拳は開かれていて、千代の頭を撫でていた。その手は震えていて、千代は直に、卓臣の胸中を察する。


「おじーちゃん……」


 卓臣は微かに泣いていた。自分の汚い部分に、途轍もない嫌気が刺していた。妻が死に、その心の穴埋めに、孫を選び、独占しようとした。両親が参っている状況を利用した。だが、救いたかったのは、本心だ。

 卓臣は目尻に溜まった悪行を潰すが如く、親指と人差し指で拭き取り、トキに確言する。


「これからわしは、千代の走り回る姿を見ることを、生き甲斐とする」


 トキは当然のように、口の端を広げた。


「いい答えだな」


 この答えは当然のこと。優しさに満ち満ちている者でなければ、人に笑顔を咲かせようなど、思わぬこと。そのために努力を惜しまぬ者が、幸せを踏みにじることなど、するはずもなし。

 トキは続けて言う。


「……報酬について、どうするか決めなきゃな」


 言葉に、卓臣の眉間にシワが寄る。


「報酬……?」


「不思議かな? 報酬は勿論頂戴する。人生を一つ買うような買い物だ。巨額か、それに見合う同等のモノを差し出してもらう」


「……ッ!」


 放たれた言葉に、卓臣の顔から血の気が引く。考えてみれば、至極当然のこと。誰もタダで厄介ごとなどしようはずもない。善意溢れる医者でさえ、たかが診断に金を取る時代なのだ。治らぬ症状を完治させる力。それに見合う金。想像を逸していた。


「……わ、わしに払えるモノなら何でも払う」


 重圧からか、卓臣の身体は震えていた。途中、千代に「おじーちゃん…そんな……」と止められるが、聞き入れることはしなかった。トキはその姿を見ても眉一つ動かさず、口だけを走らせる。


「何でも……ですか」


 一拍置いて卓臣は、「……ああ」と答える。


「なら、先払いで頂戴したいものがある」


 卓臣は生唾を飲んだ。


「……一体、それは」


 トキの口の端は、悪びれたように持ち上がる。


「金で買えない貴重なもの――」


 そして怯えた顔をする千代に優しい目を当て、求めた。卓臣だけが持つ、貴重なモノ。

 改変されてしまえば、消えてしまうであろうモノ。


「――あんたが今まで聞き語ってきた、話をして欲しい」


 笑顔の種。


「……え」


 卓臣は唖然としていた。

「金で買えない話ってのは幾つもあるからな。この機会を逃す手はないだろ?」


 トキはそう言い、ニッコリとした笑みを千代に向けた。

 千代の凋落しきっていた顔は、パァっと明るいものになった。そして卓臣の方を向く。


「おじーちゃん。私も聞きたい!」


 快活な言葉を機に、卓臣の目に澱みが交じる。微かを払った目尻から、溢れ出る涙に、頭は伏していった。片手で両目を押さえるものの、涙は垂れていく。鼻をすする音、そして震えた声が、病室内にしこたま響く。


「……ああ……ッ!」


 袖で拭えど纏わりつくような涙の下、卓臣は震える唇を噛み締めて、頭を微細に揺らし振るって、力強く、言い放つ。


「存分に……聞かせよう……!」



*   *   *   *



 夕刻が疾うに過ぎた、夜の更けた病室の中で、扉の取っ手に指を掛け、トキは確認する。


「そういえば、代々木さんは麻雀って出来るか?」


 涙で腫れて疲れた目をしている卓臣は、疑問に思いながらも答える。


「ええ……友人と余暇を潰すときによくやってますから……」


 トキはニッと笑みを見せた。


「なら、二日後ぐらいに会いやしょう」


「え?」


 卓臣が頭を傾けると共に、扉が閉まった。

 千代は眠っていた。そして待ち望む。鳶渡により、改変された過去が、現在へ波及する頃を。


蛇足かと思い、本文には書きませんでしたが…

二日後、走り回る千代を眺めている卓臣の前にトキが現れ、麻雀に誘います。そしてその席で、受け継いだ話を卓臣や他2名にしてあげます。

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