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鳶渡の時  作者: 春日戸
第陸話【噺の華】
27/44

6-3

「どっこらせ」


 タクシーの後部座席に臀部を付いたトキは、気分の良い笑顔をした。卓臣は顔を横にしてチラリと窺う。


(闊達そうな若者……。良い話を持っているかもしれない)


 邂逅を通じて話を訊く卓臣は、経験則から人物の第一印象を下に、その者の性格を中々に当てることが出来る。転じて、期待が膨らむ。


「何処まで行きましょうか」


「話には聞いている。面白い話をすれば無料で運んでくれるらしいね。とりあえずそこら辺を廻ってもらおうかな」


「目的地が不明なのは、ご遠慮願いたいですね…」


「ん。なら○○町に一条ケーキという美味いケーキ屋があるから、そこまで頼もうかな」


「……分かりました」


 卓臣は渋々ながらも了解した。トキはそれを見て、考えを構築する。そして、おもむろにポケットに手を入れ、煙草の箱を取り出す。


「ちと、煙草吸ってもいいかな」


「あ…。あまり衣服に臭いをつけたくないので、控えてもらえると有り難いですね」


「ん。ならやめとくよ」


 あっさりと聞き入れられ、卓臣に不信感が宿る。誠実な男。とは少し思い難い。何らかの裏があるのか、それとも単に郷に入っては郷に従う人間なのか。深いところは分からない。


 一方で、トキの考えは進む。元々、この無料タクシーの実態を暴きたいがために動いたのだ。

 独自の見解として、想定していたのは二つ。


 本当に珍妙なことをしているだけの、変わり者か。

 侃々な意志を持ってしての、何らかの目的のための布石か――の二つであった。


 そして、たった二言三言のやり取りで、考えの中の前者は消え去った。


(何を目的としてるのか……)


 ジッとトキが見つめる中で、卓臣は求む。


「お客さん。話に聞いているのでしたら、物が早いです。早速、愉快な話をしてください」


「ああ、そうだな。少しいいかな?」


「何でしょう?」


「俺は仕事柄、悲惨な話の方が多いんだが、そっちじゃダメかな」


 物は試しとばかりにトキは提案を出すが、卓臣は迷いを塵も産まずに断りを入れる。


「お断りします。愉快な話を、してください」


「どうしてそんな話ばかり求めるんだ? 色んな種類の話の方が――」


「お客さん。私は面白い話を求めているのです。このタクシーはそういうタクシーなのです。それ以外、求めていないのです」


 頑な。トキは脳内にその印象を強く植えつけた。そして、何故ここまで面白い話にこだわるのか。考えはドンドンと形を成していく。


「……そうか。面白ければどんな話でもいいのか?」


「ええ。実話でも、フィクションでも、童話でも、ファンタジーでも構いませんよ」


「少しカルト的な話になるが、それでもいいかな」


「…どのようなモノですか?」


 問いに、トキの口の端が意味ありげに持ち上がる。


「鳶渡――という力を使った話でね。人の過去を改変し、現在を変える力なんだが」


「構いませんよ。タイムスリップ物ですね」


「なら、早速話をしよう。これは俺の実体験の話だが、名前を変えたい奴がいてな」


「実体験…って、まるで本当にそんな力が在るような言い方ですね」


「在るんだよ、これがね」


 卓臣は自信満々にいう客に、居た堪れない顔をした。トキはそれに気付き、こいつ、アレな人とか思いやがったな。と勘繰りを入れた。

 卓臣は呆れた息を小さく吐いた。


「お客さん、あまり人をからかうのはよくないですよ」


 忠告に、トキは喉を小さく唸らした。


「そりゃそうだが、……本当にそんな力が存在したら、あんたはどうする?」


 振りに、卓臣は千代の顔を思い出した。そして数拍を経て、口が動く。


「もしもそれが得られるのでしたら、欲しいですね。喉から手が出るほどに。……ですが、それは私に限ったことでなく、皆が思うことでしょう」


 もの悲しさを隠し、平然と応えた卓臣に、トキはシコリを見た。


「まあ、そりゃそうだな」


 そうして、ふいに顔を逸らし、外を眺めた。


 些かな時間が流れ、卓臣が言う。


「あの、お客さん」


「ん?」


「面白い話をして欲しいのですが」


 困った顔をされ、トキは思い出すように言う。


「ああ、そうだったな。でも、あんたは鳶渡のことを信じないんだろ?」


「証拠があるのでしたら信用しますが…」


 当然ともいえる回答に、トキは頭を掻いた。


「これ。と言って出せるもんじゃないな」


「でしたら、別の話を」


 何の根拠も証明するものも無いのであれば、信用を得ることは出来ない。トキは重い溜息を吐いた。そして小さく、「仕方がない」と呟き、さらに口を動かす。


「……お孫さんはどんな話が好きなんだ?」


「え?」


 前を見なければならない卓臣だが、この時ばかりは驚き、後ろを振り向いた。


「おい、前向いてくれ」


 トキは焦って指示を出し、卓臣は動揺を隠せないまま向き直す。


「……なぜ私に孫が居ると?」


「勝手な偏見と憶測だが、執拗に面白い話を求め、オカルト的、つまり怖い話を避け、そして煙草を嫌う。全体的に子どもに対する配慮だ。あんたの歳を考えると、孫が妥当なところだろ?」


「……」


 言い当てられたことで、卓臣は二の句を告げることが出来なかった。トキは続ける。


「しかし、何故あんたがこんな事をしているのかが分からない。少し考えれば、タクシー会社から疎まれることなど明白なのに、無料タクシーを実行した理由が分からない」


 トキは強行突破に出ていた。分からないまま話を進め、卓臣の一存に任せるという、他力本願。現状では何とも卓臣の概念を変えることは難しく、この方法を取るしかなかったともいえる。

 卓臣はハンドルを強く握る。


「お客さんが初めてです。此処まで深く入り込んできたのは。皆、何故こんな事をしているのかと問うのですが、それは単なる興味本位にしか過ぎません。お客さんは、少し違うようですね」


「その違いが証拠にならんかな」


 トキは明るい顔をした。卓臣の眉は顰まる。


「証拠?」


「鳶渡のだよ」


「まだ…そんなことを……」


 反応に、トキは背もたれに背を預けた。それは残念そうに見え、失望したようにも見える。


「検討違いだったか…」


 肩が上下するほどのため息と共に吐かれた言葉に、卓臣は疑問を抱く。

 小首を向けられ、トキは胸の内を曝す。


「いや、てっきり、重体か、後遺症のある者のために努力しているのかと思っていたんだ。だが…あんたにとって、これは単なる余暇を持て余した結果に過ぎんのだな」


 何ら繕わずに発したトキの落胆染みた言葉により、卓臣の手に、妙な力が入った。それは怒りとは別のもの。軽度の焦燥感。


「勝手に、落胆しないで下さい。私は、孫のために、孫の笑顔を守るために、やっているんです」


 バックミラーに映る、覚悟を抱いた目には、力強さが溢れていた。尊敬の念すら生まれる卓臣の心意気。しかし、トキは棘のある言葉を敢えて選出し、追撃を加える。


「守りたい者を救うことはしないのか?」


「…救えるのなら、救いたいですよ。でもね。無理なんです。そう……無理なんですよ」


 憔悴したくぐもった声が、か細くか細く。


「このタクシーの本質に沿わないが、訊かせてくれないか。あんたの話を」


「……孫の千代は……一生、背負っていかなければならないのです。千代は…脊髄を酷く損傷し、胴体全てが不随となったのです」


 重度の脊髄損傷は、不治の病と同じく、完治することはない。人体の電気信号を司る神経の代わりとなるものが無いからだ。

 そのため、千代は一生、人の手を煩わして生きていかなくてはならない。拒むことの出来ぬ、生きるための一方通行が、ただただ続いているのだ。

 それがどれほどの絶望なのか、想像を逸する。

 幼い子どもに背負いきれるものなのか。――答えは解らない。しかし結果は、時が経てば自ずと転がり落ちてくる。


 トキの活眼に狂いは無かった。途轍もない真剣な眼差しが交差する車内に、「頼ってくれ」と囁き声が響く。「え?」と卓臣は聞き返した。

 トキは渇望する。


「俺に、鳶渡に頼ってくれ。その子を救いたい気持ちがあるのなら、一握りの信用すら無くとも、頼ってみてくれ」


 切実な願い。卓臣に疑問が生まれる。


――何故、この者は、赤の他人である自分に、こうまで親身になるのか。何故、救いたがるのか。


 それはいくら推測しようにも、卓臣の前に解は現れない。

 何故なら、トキは償いたかったから。

 死してしまった、[唐櫃 由]の代わりとして、誰かを救いたかったのだ。

 それは身勝手極まりない事。トキは十二分に理解をしている。が、こうでもしない限り、終始顔を覗かす、暗雲低迷な心を吹き払うことが、出来ないのだ。

 もちろん、これは偽善行為に過ぎない。しかし、それこそ安寧を求める上で、欠かせないものなのである。


 卓臣はハンドルを切って、曲がり角を曲がる。それは指定した場所に行くには、不必要な道筋である。

 トキは瞼と眉を上げると、穏当な顔つきになった。


「いいのか……?」


 最終確認。卓臣は諦めたようにほくそ笑み、くぐもった声で答える。


「信じてはいませんが、騙されてみます。あなたがそうまで仰る、鳶渡に、騙されてみます」


 自ら詐欺の被害を助長するような、半ば自嘲した言葉に、トキは二・三笑った。


「腰、抜かすなよ」


「やってみろですよ」


 両名に不適な笑みが、生まれた。


「鳶渡について、詳しい説明をしよう――」


 無料タクシーは、千代の病院へと、場所を定めた。


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