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鳶渡の時  作者: 春日戸
第陸話【噺の華】
26/44

6-2

 トキは平日にも関わらず、町をぶらついていた。鳶渡を飯の種にしているために、依頼が無ければ時間は空く。金もそこそこ持っているので、有閑な毎日を流すことが多い。その中にポツンと現れた好奇心を呼び覚ます種。


(思い立ったが吉日っていうしな。探してみるか)


 目的は【無料タクシー】。

 しかし、情報はそれだけ。町とはいっても人の足で歩くとなれば、広大なもの。行き当たりばったりで遭遇できる確率は雀の涙。とはいえ、家に篭っていても可能性は皆無のまま動かない。外に出ることにより、初めて可能性は動き出す

(人に訊いて回るか……いや、当てずっぽうじゃ一日が終わりかねないな。詳しそうな人に連絡してみるか)


 沈思を終え、おもむろにポケットから携帯を取り出す。発信の相手は、加室。


『お、トキか。珍しいな。どうした?』


「旦那に少し尋ねたいんだが、無料タクシーって知ってるか?」


『ああ。知ってる。先日、タクシー会社の者から警告をしてくれと言われたからな。無料で走られちゃ堪ったものじゃないからな』


「それで、その運転手とは接触できたのか?」


『いや、まだだ。出没地点は分かってるが、こっちも忙しい身でな』


「そりゃ都合が良い。その案件、俺に遣してくれないか?」


『……何かあるのか?』


「どんなモンがやってるのか見てみたいんだよ」


『ただの興味本位かよ……猫の手も借りたいわけじゃないが、軽いものだし、遣るよ』


「さすが話が分かる」


『……あの時の借りだと思えば安いもんだからな』


「シズクに謝罪させたの、旦那だろ?」


『お前は妙なところで鋭いなぁ…っと、切るぞ。メールで場所を送る』


「ああ、悪いね」


 トキはパチンと携帯を閉じ、喫茶店を見つける。



*   *   *   *



 陽だまりに輝くある病院の個室に、年老いた声で優しく絵本でも読み聞かせているかのように、話を語る老人がいた。彼の名は代々木 卓臣よよぎたくおみ。齢、72を刻む、痩身長躯の男だ。

 傍らには、10歳ほどの年端の小さな女の子が、ベッドの上で笑顔を咲かせていた。


「そして上司は言いました。お前らのせいで俺の髪が減っていくんだよ! そしてデスクに拳を振り下ろしました。さて、どうなったでしょう」


「ええ。いきなり問題になるのー?」


「千代には少し難しいかな?」


 千代と呼ばれた少女はしかめっ面をし、


「待ってね、おじーちゃん。んー……あ。実はカツラで取れちゃった! ……とか?」


 と答えを出した。


「おお。正解。振り下ろした衝撃でカツラが宙にポーンと舞ったらしい」


 卓臣はシワを寄せて笑った。

 千代の口の線はゆらゆらと揺れ、頭が小刻みに動き出した。


「ぷっふふ…髪が減っていくって…もう…無いのに?」


 笑いを堪えながら問い掛けると、卓臣もまた、同じように堪えたような笑みを浮かべた。

 病室に笑い声が響いた。その中に割って入る扉の開く音。


「何だか賑やかね」


 顔を出したのは疲れた眼をした女性だった。

 千代はあっとする。


「お母さん…」


 そう呟くと、申し訳なさそうに目を伏せた。それを見て、卓臣は哀しい眼となった。


「お祖父ちゃん。いつも面倒みてもらってごめんね」


 女が会釈をすると、卓臣は参った顔をしながら手を横に振った。


「いや、いいんじゃよ。佳奈美らも大変じゃろうに。わしは…ほれ、ばあさんも逝ってしまって、今は千代と話をするのが楽しくてしょうがないんじゃよ」


「そう? なら、よかった」


 女は忙しなく手荷物の中身を冷蔵庫に入れて、扉の前に立った。


「もうしばらく、千代のこと。お願いね」


 儚げな表情。千代はそれを見て、泣き出しそうな顔になった。


「ごめん…なさい…」


 そして謝った。だが、女は顔を見ずに背を向けて「千代のせいじゃないわ」とだけ告げ、病室を後にした。

 陰鬱な空気が流れ、卓臣の拳が、ギュッと締まった。


――――――


ギュッ

 卓臣は紺色のスーツを身に纏い、白い手袋をはめた。

 瞳に宿るのは、意志という名の覚悟。

 彼は持ち前の乗用車の外装と内装を変え、一台のタクシーに作り替えていた。職の無かった時期に取得していた免許を活用し、一般乗用旅客自動車運送事業経営許可を取得。晴れて個人タクシーを動かせる身に。そしてそれを下に、無料タクシーを走らせた。

 この経緯。卓臣を突き動かす原動力となったのは、初孫の千代。


 彼女は、母親の実家の家、つまり卓臣の家に遊びに行き、川原で走り回っている中、足を滑らせ転倒。その時、岩が首の後ろ、延髄に激突。それにより脊髄を損傷させてしまう。結果的に、頭、首以外の部位。胴体全ての機能が完全麻痺。自身の力では起き上がることも、歩くことも、食べ物や飲み物も、排泄も、一人で出来ぬ身体になってしまった。

 入院費、医療費という負担が加速し、元々父親が働き、母親が専業主婦をしていた家庭は崩壊。共働きを余儀なくされる。それ故に、両親の見舞いは月に2、3度という頻度の少ないものとなった。


 代わりとして、卓臣が動いた。その理由、背景として、千代がただベッドで伏しているだけというのが耐えられなかったというのは一つとしてある。千代が自分のせいで両親との間に蟠り、溝ができ、苦難な生活を強いてしまったという意識を、払拭させたいというのも一つとしてある。

 だが、その二つを超えるモノ。何としてでも卓臣が千代から奪いたくないモノ、消えて終わぬよう、何としてでも繋ぎ止めておきたいモノがあった。


 それは笑顔。


 消えてしまえば、千代は人としての生きる意味を、見失うだろう。自分が足の枷になるのを、放っておけなくなるだろう。その一線を断つことは、死を意味する。

 卓臣はタクシーの運転席に乗車し、ハンドルを握る。


 彼がこの無料タクシーを走らせたのは、苦肉の策であった。自分の持ちえる面白い話を全て使い切ってしまい、千代の笑顔を保てなくなったのだ。

 そのため、人からタクシーの乗車代金を面白い話と等価交換することにした。

 結果的にそれは生きた。

 人によって、多種多様の経験がある。その中に面白い話の種など捨てるほどに存在する。実話だろうがフィクションだろうが童話だろうが、カテゴリに見境を置かず、卓臣は訊き入れる。


 今日もまた、無料タクシーは走る。走行の範囲は限定されるが、時間はバラバラだ。決まりは無い。その方が良いのだ。時間帯を決めてしまえば、その時間の属しか集まらない。満遍なく、十人十色の話を搾取する。


 昼過ぎの日を浴びながら、卓臣はタクシーを走らせた。だが、1時間が経ってもタクシーを拾おうとする者を見つけるに至らなかった。歳も歳だけあってか、それだけ走れば目が疲れる。

 適当な場所の縁石に車をつけ、ハザードランプを点ける。


「ふぅ…」


 卓臣は目頭を人差し指と親指の腹で押し、眉を顰めさせた。

 すると、コンコンっと窓が叩かれた。


「……?」


 音のするほうを見てみると、助手席の窓から、茶か金か、どちらにも見える明るい髪に、黒い瞳の三白眼が特徴的な若い男が、中を覗いていた。

 卓臣は手元の装置で助手席の窓を開いた。

 若い男は言う。


「ちと、乗せてもらってもいいかな」

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