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鳶渡の時  作者: 春日戸
第陸話【噺の華】
25/44

6-1

 雨の降り注ぐ夜空。最寄り駅が数キロという場所にある会社。ロクに金にもならない残業をした始末が、この天気予報の大はずれっぷり。


「タクシー…通らないかな」


 会社の前の道路を見ながら、男は膝を折ってカバンに肘を置いた。


プップー


「ん?」


 顔を伏せたと同時に、クラクションの音が響いた。男が前を向くと、そこにはタクシーが一台止まっていた。

 助手席のウィンドウが開いて、奥から歳の取った声が通る。


「傘、持ってないんですか。どうです、乗りますか?」


 進められ、男は「乗ります!」と清清しく言った。乗り込む前に、キロ単位の値段を見てみる。


「…?」


 初乗り共に無料と書かれていた。怪しさが男の中で募る。


「無料?」


「ええ。無料です」


「代わりに命を! とか言います?」


「そんな物騒なことは言いません。ただ、代わりに話をしてもらいたいですね」


 老人の言葉に、男の眉が顰まる。


「話?」



「ええ。愉快な話がいいですね――」



*   *   *   *



 その日の深夜の美登理のアパートは、珍しく賑わっていた。

 104号室にだけ灯りが点いていて、ガヤガヤと小うるさい音の発生地を示していた。

 中を覗けば、四人の男がコタツを四方に囲っていた。床にはビールの缶やチューハイの缶がゴロゴロと。灰皿は埋もれるほどに煙草が突き刺さっている。天板には緑色をしたシーツと、一摘み出きる大きさの麻雀牌がズラリと。それと中央に赤や黒の斑点のついた細長い白い点棒。彼らは麻雀を楽しんでいた。


「じゃ、リーチといきますかね」


 トキは1000点棒を指先で摘まんで卓上に投げた。

 それを見て、他3人が息を呑む。

 現在トップは牧元という骨格の細い中年の男。次点にトキ。3位に比村という爪楊枝を噛んでいる中肉中背の男。下位に衣川という中年太りの象徴形の男がいる。

 3人はトキの河をじっくりと見つめ、慎重に手牌から安牌を河に放っていく。しかし、トキが牌を掴むと、強打し、卓上に快音を鳴らした。


「ツモ! メンタンピン一発ツモで4000・2000ですな」


 カーッ!と3人が嘆く。


「オーラスで逆転されっかー」


 牧元は悔しそうに手牌を倒した。


「まさか引けるとは思ってなかった」


 トキは謙遜しながらも、ちゃっかりと点棒を貪った。


 ジャラジャラと勝負は再開され、場は進む。

 南1局目となった時、順位はトキ、牧元、比村、衣川と、前回と似たようなものとなっていた。


「うーん、負けが込んできた……」


 最下位の衣川は自分の持ち点(13000点)を見つめ、溜息を吐く。


「誰かおっちゃを元気付ける面白い話してぇな」


 悪い流れを無理やり変えるべく、衣川は話を振る。爪楊枝を噛んでいる男、比村は思い至ったのか、口を開いた。


「そ~言えば、面白いかはさて置き、珍妙な話なら先日聞いたな~」


 首位にいるトキは上機嫌に「ほぉ、聞かせてやれ聞かせてやれ」と促した。


「なんでも、無料タクシーってのがこの町のどっかに走ってるらしいんよ」


「無料? そりゃ景気がいいねー」

 と衣川が笑いながら言った。


「タクシー会社のイベントか何かか?」

 と牧元が言った。


「にしても無料はちょいとやりすぎじゃないか?」

 とトキが言った。


 比村はさらに補足を加える。


「そりゃ会社ぐるみで無料は無茶やわ。今のタクシー会社は危機に呈しているからね~。……個人タクシーらしいよ」


 話に興味が湧き出したトキは、「しかし無料ってのは何かしろの裏があるのか?」と深いところを尋ねる。


「そういうことやわ。何でも、無料にする代わりに『面白い話』をして欲しい…だとよ」


 比村は眉を吊り上げ、「暢気なもんだよ」と感想を一つ加えた。


「なっはっは。なんだそりゃ。話のネタ集めにけったいなモン走らせてんのかい」


 牧元は大口を開いて笑い飛ばした。

 トキは天板に頬杖を付き、「世の中には変わったことするモンが居るんだなぁ」と関心を深めた。

 衣川は、「おっちゃの専属ドライバーになればええのに」と一言。

 皆が笑った。そして口を揃えて、


「あんた面白い話、持ってないだろ」


 と蛮声を浴びせた。

 衣川は泣いた。そりゃもうシュンとした。そして打牌を比村に放銃された。顔に影が降りた。もう、持ち点は後1000点。諧謔を弄した男の末路はぶっ飛びしかないのか。


カチャリ


 そんな中、ひっそりと開く玄関扉。皆が一斉に視点を移動させる。深夜の時間帯のせいか、妙な怖々しさに包み込まれる。

 そこから姿を現す者。超が付くほど不機嫌な顔をした、大家、美登理であった。


「あんたたち、こんな夜更けに大声で何してんのよ!!」


 騒音を優に超える美登理の大音声。4人は「うわぁ……」と嘆いた。

 美登理はズカズカと上がり込みながら、


「ていうか何なのよこの部屋! 生活用品が何一つないじゃない!」


 と、辺りを睨み回る。

 トキは煙草に火を点して答える。


「ここは麻雀用の部屋だよ。俺が借りてる」


「はぁ? あんたの部屋は105号室でしょ」


「いや、鳥子。まさか部屋の管理表とか見てないのか?」


「まだ一度も」


 えっへんと美登理は威張って腰に手を当てた。それを見た4人は「おいおい…」と口を揃えた。


「……俺は105号室と、その両隣を借りてんだよ」


 トントンと灰皿に灰を落としつつ、話を補完する。


「106号室も?」


「ああ。理由は察しろ」


 理由は言うまでもなく、鳶渡が関わっている。


「ふーん」

 と、美登理は意を察し、簡素な相槌を打った。


「いや~しかし何とも可愛らしい大家だね~」


 比村は美登理をまじまじと見つめ、頬を染めて下卑た笑い方をする。全面同意の牧元はうんうんと頷きながら、「確かにな。古谷のババアとは大違い。正に月とすっぽん。すっぽんと云ってもトイレ(ラバーカップ)の方だがな」と元大家、古谷に対し、罵声を浴びせた。


「良かったなー鳥子。ほらほら、サービスしなきゃだ。脱げ脱げ!」

 と、酒によって陶酔しているトキは、下品に物事を言ってしまった。


 その時の美登理の眼は印象的で、まるで生ゴミを見ているような、何の感情も伴っていない、恐ろしく沈んだものであった。

 トキはしまった。と一瞬にして酒の気が抜ける。

 美登理の表情は先ほどとは真逆の明るいものとなった。生き生きとしたそれは、激昂の彼方を一周した者が啓ける顔。


「いっぺん、死んでみる?」


 衣川は無言のままトキへの手向けとして、胸の前で十字を切った。



「さー…って、仕切りなおしますか…」


 頭頂部から湯気を上げるたん瘤の痛みに耐えながら、トキは麻雀を再開させた。他3人は気の毒そうな顔をしながら牌を混ぜる。が、玄関扉が豪快に開いた。


「うるさいつってんのよ! 私は明日も学校があるんだから!」


 美登理はトキたちに剣突を食らわせ、バンッと扉を閉めた。


「……またにしますか」


 トキはゆっくりとそう言い、3人は「それがいい」と同調した。

 くしゃくしゃと灰皿に煙草を押し付けながら、トキは「そんじゃ、次は三日後にしやしょうか」と話を進める。そうすると衣川は思い出すように、「あー…その日はおっちゃ、用事があるなー」と答えた。


「きーやん(衣川の愛称)。また娘と会うんかい。ホント、未練がましいなー」


 と比村が言った。

 衣川は腕を組んで、口をへの字に曲げる。


「未練がましいやろうと、自分の娘ゆうんは大切なんや」


 そう断言され、比村は頭を掻き、トキは口の端を持ち上げる。


「いいことじゃねぇか。生き甲斐があるってことは、それだけで力が溢れるからな」


「しっかし。面子が足りないぞ。どうするんだよ?」


 牧元が言うと、トキはうーんと眉を寄せた。


「ん。シズク……でも呼ぶかな」


 比村と牧元は顔を青ざめさせた。


「あの、鬼の娘か…」



 4人は104号室を後にして、各々の部屋へと戻っていった。

 トキは自室の中で煙草に火を点し、「無料タクシー…ねぇ」と呟いた。


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