5-2
「なあ、鳥子よ。これは…どっちなんだ?」
トキは両膝を折ったしゃがんだ体勢で、地面に落ちている物を指差した。美登理は「何が?」と覗き込む。そこには半分の消しゴムが落ちていた。
「燃やしていいのか? 燃やしちゃダメなのか?」
質問に、回答者はため息を漏らした。
「ホント、地域のこと何も知らないのねー。ここの自治体のパンフレットに書いてたわよ。ゴムや革は高温で燃やせばダイオキシンの発生がほとんどないから、燃やせるゴミに分別してくれって」
事前の調べを終えている美登理の鼻は高かった。
「博識だな」
トキはあまり気に留めず、それだけを言うと消しゴムを拾い上げ、美登理のゴミ袋に放り投げた。
カサリと音が鳴ると同時に、ピリリリリという高音の電子音が鳴った。
「お。やっと来たかな」
美登理はそう呟くと、ポケットの中から携帯を取り出した。
「友達でも来るのか?」
トキは訊きながら立ち上がった。
「まー、今はそんな感じの人」
曖昧な答えをした美登理に、トキは小首を傾げた。
美登理の通話中を気遣い、トキは黙ったまま辺りを見渡してゴミを探す。当然、視線は地面に向かっていた。前を粗方見終えて、後ろを向く。すると、視線の中に人の足が見えた。白のスニーカーを履いていて、鳥子か?と過ぎるが、綿の黒ズボンは長く、候補から除外された。徐々に視点を上げていき、その全貌を捉えたトキは、呆然とした。
「……!」
携帯を耳に押し当て、立っている人物。
不釣合いな白のTシャツに、程好く茶の交じった髪。剛健な気風の顔立ちから、垢を少し抜いた、朗らかな印象の男。
「み、宮路さん…?」
トキが動揺を隠せないまま発すると、宮路 博信はギコチないながらも笑って見せた。そして深く、礼儀の良い一礼をする。
「ありがとう」
そうして放たれた慇懃の言葉。トキは面食らった顔をするが、直ぐに後頭部を掻く仕草をした。
「…堅くモノをつくらんで欲しいですが、受け取っておきます」
少々の距離を置いて、気恥ずかしそうにする二人を前に、美登理は柔和に口の端を広げた。
宮路は公園の外に居る活動の方々に挨拶をしにいった。その姿を見つつ、トキは美登理に言う。
「しかし、親父さんがこんな活動に参加するとはなぁ…」
「ダメモトで誘ってみたら、仕事ほっぽいてでも行くって言ってくれてね」
嬉しそうにする美登理。トキの顔は綻んだ。
――家族の時間は放って仕事に注ぎ込んだ結果だとは――
脳裏に浮かぶ後悔の言葉。
それを何としてでも覆そうという宮路の心意気。
「へぇ」
トキはそれだけを言い、後で「できるじゃないか」と、誰にも聞こえぬよう呟いた。
ダラリと落ちている両手と頭、歩く歩幅は半歩半歩と赤子のよう。
絶望とは言えないまでも、愕然とした姿は今にも蹲踞し、亀になってしまいそうであった。
当てもなく彷徨いつづける者は、美登里の玄関を叩いたことで、即妙な考えを打ち出し、悲観に暮れたシズクであった。
「間違いない……トキはあの娘とどこか遠くへランデブーしているのだわ……」
休日ということを考慮し、比較的朝の早い時間帯からトキと美登里の行方が分からぬ状況。導き出されるのは二人でどこかに出掛けていること。そして美登里もトキも金を持っている。
ならば、ケチなことを言わず、遠出をしている公算大。
つまり、愛の旅行劇場が繰り広げられている公算大。
裏を返さずとも、イチャイチャとしている公算大。
シズクは立ち止まり、「ふ……ふふ、ふ」と不気味に笑う。何やら沸々と紫紺色をした気炎が立ち上っていた。
ゾクリと、美登里の背中に悪寒が走った。何事かと辺りを見渡す。しかし変わったことは何もない。 と、その時、途轍もなく美しい女性を見つける。
(うわー…すごく綺麗なOLさん)
素直な感想を抱いている中、トキは美登里が固まっているのに気づき、何だ?と視線を送る。
「ん……。シズクじゃねぇか」
遠目から的確に人物を割り出したトキは、改めて見据え、「何だか只ならぬ気配を出してるな」と呟いた。
「知り合いなの? あんな別嬪さんと」
「別嬪さんって……お前、オヤジみたいだな」
「あんたに言われたかないわよ」
トキは「なはは……」と乾いて笑った後、シズクに近付いていった。
嫉妬心から心が荒れているシズクの状態は悪の塊であった。
(どうしてやろうかしら。あの小娘。助けてもらった上に近くまで来るってことだから、多分にトキの事を気に掛けているのは感じていたけれど、まさかこんな早くに手を打ってくるとは想定外だったわ。ていうかトキもトキだわ。一回りも歳の離れた子に気を許してホイホイと着いていくなんて。いや、待ちなさい。勝手に 決めつけているけれど、美登里さんから誘ったのではなく、トキからだとしたら……くっ、あのロリコン! そんなに若い娘がいいのね! 一緒に居た時間とか関係なく、ただ若いというステータスに魅了されるのね!)
忌々しい!とシズクは拳を握り締めた。
「――…おい、――ク」
悪魔染みた空間が出来つつある頃、聞き慣れた声が侵入してきた。まるで水盤に大きな雫が落ちたように、音は波紋の如くジワリジワリと広がった。
「――…おい、シズク」
「うぇっへい!」
シズクは吃驚し、奇声を発すると「と、トキ!?」と正気に返った。
「な、なんつー声出してんだよ」
あまりにも大きなリアクションに、トキもビクリと背を逸らし、「らしくねーな」と言わざるを得なかった。
シズクは直ぐに顔面筋を固め、ピッと背筋を伸ばし、普段通りを作る。
「ぐ、偶然ね。てっきり何処か遠くへ行っているのかと思っていたわ」
「ん? 遠出するようなこと、言ってたっけか?」
「いえ、美登理さんも居なくなっていたから、二人で何処かへと…」
シズクはそう言うと空咳を2度した。
トキは弧を描いた眉宇を作り、「鳥子なら居るぞ?」と後ろに居る美登理を親指で指した。シズクは目を細めた。
「アレが…美登理さんなの?」
シズクは指された人物を把握するに至ることが出来なかった。何故なら、シズクが知っている美登理は、生命維持装置で命を辛々に繋げている、髪の毛もなく、目も開いていない、今とは全く違う様相の頃のものだからである。
「顔、知らなかったのか」
「女子高校生という事くらいだけど…、何だか芋っぽい娘ね。…ところで、何をしているのかしら」
「ん。清掃活動をやらされてな」
ガサリと手に持つゴミ袋を持ち上げる。それを見て、シズクは愁眉を開いた。最悪の想定が払拭されたのだ。
「そう…なの」
ただの勘違い。考えを急いた憶断。少し頭を冷やせば辿り着ける範疇のこと。この失態は、まるで【判断力】という色の付いた水を澱みの中へ己から流してしまったよう。僻意に及んでしまう自分にシズクは駄目ね。と咎め、律する。
悟りを開こうとする最中に、足音がした。ふいにそちらを見てみると、そこに居たのは宮路 博信であった。
ピシッとシズクが石化した。
白さを取り戻していた内なる内の色合いが、黒い斑点に高速で侵食されていく。尻目に、トキと宮路が親しげに話を始めた。要因は準備運動を完了させ、迷妄を打ち立てる。
(お、おおおお親公認ですってーーーーーッ!?)
あまりの衝撃に、顔がムンクの叫びのように縦に伸びた。
その後、シズクが己に叱咤を入れたのは、5分ほどの奔走を経てからであった。