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鳶渡の時  作者: 春日戸
第肆話【宵の涙】
20/44

4-6

――――――


 過ぎ去った波の後、トキは静かに口を開いた。


「由は、お前に認めてもらうために、生きる」


 宵は頬の痛みを理解するのに、困惑している様子だった。しかし、直ぐに感じ取った。己の行動を止めるために、この男が平手打ちをしたのだと。


「由と、話したのですか?」


 宵は鋭い目つきで問い掛けた。トキは片頬を持ち上げて答える。


「ああ。色々とな」


「私とは話をしない由が、何故、貴方に話をするのですか」


「お前が、由を理解しようとしていないからだ」


「理解するも何も、この子は何もしていないじゃないですか」


 嘲笑交じりに宵は訴える。トキは由に視点を当て、穏当な笑みを浮かべた。


「もっとよく見るんだ。由は、這ってでも前へ進もうとしていただろう」


「此処から、逃げたいだけじゃないんですか」


 納得のいかぬ固定概念から離れない宵に、トキは一瞬だけ残念そうな顔をすると、諭すように言う。


「…本人に、聞いてみろ」


 宵は由をまじまじと見た。

 由は、母親である宵と話をしなかった。すればするほど、虚しくなるからだ。聞き入れてもらえない、無視をされる、それ以前に、口を開くたびに、侮蔑の眼を向けられるのだ。誰もそんな相手に好き好んで話をしたりはしない。

 本当は話をしたい相手。笑い合いたい相手。けれど、片一方がそれを放棄している時点で、成り立たない。それが関係性というもの。

 終始無言を貫いているような我が子に、宵は初めて尋ねる。


「…本当なの…? 由」


 由の頬に、涙が流れた。天を仰いでいた顔は、横を向き、涙の詰まった声が、宵の耳に触れる。


「……認めて、もらい……たい」


「…!」


「お母さん…と……一緒に…お琴…したい…」


「……え?」


 宵は目を見開いた。

 単純な願い。子どもなら誰しもが持つであろう、単純な願い。誰かと何かを共にしたい。その願いは、心持ち一つで、叶えられるはずだった。


「何を…言ってるの?」


 口はおぼついていた。掻き立てられる、衝動があった。

 由の願いを原動力として、宵の記憶の詰まった鍵つきの引き出しを、感情が強引にこじ開けた。

 映るのは、今の自分とは似ても似つかわしい、光陽に照らされた女性と、一人の男の姿であった。

女性の腹中にまだ、赤子が居た時のこと。



ポン…ポン

「どんな子が産まれてくるのかしら」


「きっと、宵に似た、美しい女の子だよ」


「まあ。もしかしたら、孝治さんに似た、格好いい男の子かもしれないわよ」


「ははは。宵は産まれて来るなら、どっちがいいんだ?」


「そうねぇ、どちらかと言えば、…女の子かな。着物の着付けやお琴とか。一緒になってしたいわ。そう言う…孝治さんは?」


「うーん。俺はどっちでもいいかな。元気で力強い子なら、文句ない」


「そうね。それが一番だわ」


 優しい笑みに包まれた、温かい空間。



 そして、


「おぎゃあ! おぎゃあ!」


 分娩室に木霊する泣き声。生きる者が鳴らす、慟哭に似た咆哮。

 早く早くとその赤子を求める、分娩台から手を伸ばす、脂汗を滲ませる女性。

 生まれた我が子を優しく抱えた、直後。

 瞳の奥の光が急速に沈み消えゆく姿。


 夢は沢山あった。山積しすぎて、どれからしようか迷うほど。それが一瞬で打ち砕かれた。泣き叫ぶ、愛しいはずの姿が、憎く思えた。


――何故、産まれてきたの?

――何故、こんな姿なの?

――何故、私たちの愛の形が、こんなにも、不完全なの?


 痛痒な想いは、ただ外見だけで判断した、一方的なもの。愚行とも言える行為。本質的には、互いが求めた通り、女の子で、お琴に興味を持っていて、力強く生きようとする、人間だったのだ。

 そう見ようとしなかったのは、そう見えなかったのは、宵や孝治や家憲。それと周りのせい。

 優しさが与えられなかった由の小柄な身は、本来持っていた輝きをくすませていった。皆のせいを由のせいにし、汚いと罵る愚か者共ばかりが、犇めいていたのだ。


「由の気持ちを本当に分かってやれるのは、俺じゃない。母親である、宵。お前なんだ」


 群集心理が渦巻く中、真っ直ぐと由を見つめ、掻き分けて進んだのが、トキだった。初対面だからこそ、真っ当に、真摯にその人物を見ることが適う眼である。

 そして、トキと言う理解者とも云える者は、由が待ち焦がれた、鉄の仮面を割る弾丸の装填された銃の【引き金】だった。

 ポツリ、ポツリ。鉄の面から流れる涙は、面にヒビ入れ崩れ落ち、内を掻きたて歯や頬を揺らした。宵の涙は、ポタリポタリと畳みに零れた。


 同じ想いを抱いた娘に、この仕打ち――

――私は間違っていた?


 相容れぬ存在と、人の目ばかりを気にして刷り込んで――

――私は、間違っていた?


 人目の付かない場所でさえ、頑なまでに憎み散らして――

――私は…間違っていた…?


 最期はこの手で――

――私は……


 強い悔恨の情が、身を焼くように襲った。揺れた世界の目の前に、一つしかない片手が伸びてきて、涙を掬った。


「お母……さん」


 頬に触れている手のひらを、宵は両手で覆い隠した。


「変われる…かしら………やり直せる…かしら」


 ギュッと瞑った目から、大粒の涙が流れ落ちた。渇いた愛情から滲み出るように、滂沱の雨が、降り注いだ。その雫は、由の涙と接触し、弾けて混ざった。

 トキは下唇を噛み締めて、由の頭を一撫ですると、何かに堪えつつ立ち上がった。


「取るに足らない些細な気遣いで、何でもかんでも変わるもんさ」


 朗らかな笑みの中、その詞を落として、トキは由の部屋から出て行く。途中で由が涙声で「お兄さん」と呼び止めたが、背中越しに手をひらつかせ、そのまま唐櫃家から出て行った。

 聳える大門を前に、「ここも開けりゃいいのにな」と呟いて、小門をくぐった。


 開かぬ扉はいくつもある。

 些細な他の力により、それは糸も容易く開くのだが、それを知る者はあまりに少ない。

 この歴史深い家憲を重んじる唐櫃家は、言うなれば不幸であった。

 教えてくれる者が、今の今まで現れなかったのだから。更に、開けようとする者でなく、頑なに閉じようとする者たちしか、居なかったのだ。

 そんな不幸を一身に当てられ続けた由は、単なる被害者。

 化け物でも何者でもなく、単なる被害者なのだ。


 トキは砂利道を歩きながら、煙草の煙を空に向かって吹きかけた。


「頑張ったな。由」


 煙はすぐに空気と同化し、消えていった。



数日後――


 トキは自室のテレビの前で、固まっていた。

 報道されている内容に、絶句した。世界が揺らいだ。今が現実なのか、夢の中なのか、判らなくなっていた。いや、この心臓や腸を灼かれる感覚は、現実のもの。理解はしているが、単純に逃避したかったのだ。目の前で、耳に入ってくる、情報に。


「今日未明、○○市○○町にある唐櫃邸から二人の遺体が発見されました。親族の確認の下、唐櫃 宵さん(33)と唐櫃 由ちゃん(11)のものと判明しました。宵さんの死因は首を吊った窒息死で、状況からみて自殺したものとみて調査されています。由ちゃんは胸に日本刀が刺され、出血多量が主な原因とみられております。警察の見方では無理心中を図ったものとみて、調査する方針のようです」


 淡々と読まれる報道。

 トキの脳裏に過ぎる言葉。


やり直せるかしら――


「そうじゃ……ねぇだろ……ッ」


 砂を噛むような想いを募らせ、頭は伏すように落ちていった。そして暫くの間、上がることはなかった。


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