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鳶渡の時  作者: 春日戸
第壱話【鳥の声】
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1-2

 発進。滑らかに移動するベンツは、氷の上でも走っているのではないかという錯覚を覚える。

 景色は流れていく。電柱を数えるのがバカらしい距離の間、宮路は沈黙していた。両手を握り、足は早いリズムを刻むように一定に動く。


 トキは横目でその姿を見て、鼻で息を吐く。

「ところで…重体の美登理さんは…、どのような経緯でその状態に?」

 問いに、宮路の動きはピタリと静止する。それから重く口を開く。


「……事故だ」

「それはいつ頃」

「おとといの…昼過ぎに…」

「娘さんは被害者で?」

「…単独だ」

「そうですか」


 それだけを訊くと、トキは口を閉じた。宮路は前を向き、切り出した。


「依頼料は…いくらに…」


 トキは横目でチラリと宮路を見てから、後頭部を一掻きした。

「…鳶渡は信憑性の無いモノですし、成功報酬という形で頂戴することになりますが、まあ、そちらの提示額を聞いてみますかね」


「2千万。またはその倍。それでもダメならその倍は出す」


「それでもダメなら?」

 試すように問いかける。


「倍、出そう」


 しかし、答えは躊躇の一つも無く返ってきた。

「…一億六千万を迷いなく出せるとは…なかなかに出来ることじゃない。いや、まあ、宮路さんが金に困っていないから、というのを考慮するとそうでもないですが」

 トキは素直に感心して言った。


「いくらでも積む覚悟でいる。私は…父親らしいことを美登理に何もしてやれなかった。家族の時間は放って仕事に注ぎこんだ結果というのは承知だ。ただ、今までの私は、金に困らせないことが、大黒柱である父親の役目だと思っていた」

 宮路は噛むように言う。

「だが、そうでもないようだな…」

 何らかの蟠りが見え隠れする物言いに、トキは不信感を抱いた。


「……まあ、娘は愚か嫁さんもいない俺には、少し分かりかねないですけど、時間は隔てなく使わなくては、バランスが取れないのは事実」

「…バランス?」

 宮路が眉を曲げながら鸚鵡返しをすると、トキは含んだ笑みを見せ、指を一本立てた。


「ええ。背負うモノによって必要な間隔というものがあるんですよ。睡眠やら食事やら趣味やら仕事やら家族やら。配分を間違えると忽ちバランスを失い、太い筈の時間の枠から出てしまう。大抵は睡眠が被害を食うんですけど、それは己の時間だ。まだ引き戻しは容易い。でも、仕事や家族はそうは言ってられない。調整が思うように出来ない、下り合いがつかない。枠から外れると、そのまま延々と…と言うのも珍しくない」


 トキの話に、宮路は乾いた表情をさせた。

「…私はそれに該当するんだな」

「ハハ、でも案外、気づけば努力次第でまた軌道に乗っかれるものですよ。今回はその第一歩ですな」

 朗らかに言うトキに、宮路は憔悴した顔をし、自らの手を見つめながら「そうだと…いいんだがな」と囁いた。


 そうすると、ドライバーが「着きました」と一言放った。


 既にベンツは病院の正面玄関のロータリーにまで進入していた。規模の大きな病院のフロントを見て、トキは後頭部を一掻きする。

 バンッとドアが勢いよく閉まる音が響く。宮路は忙しなく自動ドアに駆けて行く。一歩遅れてトキも車から降り、追従する。


 両名はエレベーターに乗り、宮路 美登理が入院している病室、505号室に向かう。宮路は悠長に昇っていくエレベーターすら待ちきれない様子だった。




ガラガラガラ


 宮路は個室である505号室の扉を開いた。中には大きなベッドで生命維持装置に繋げられている人間が居た。まつ毛の長さや輪郭、体格からして女性だ。一般と異なるとすれば、髪がない事。頭部にいくつモノ縫い目があることだ。そして人工呼吸器や循環器、栄養を送る数々のチューブが幾つにも渡り身体に通されている。もしもベッドではなく、分娩台であったならば、その姿はサイボーグでも作っているのではないかと思える。


ピ、ピ、ピ


 静けさしかない室内には、終始、電子音が響いていた。


「…酷い状態だな」

 トキは言った。そして納得する。

 何故、宮路が冷静を装っていたのに何でも無いところで怒ったのか。惜しげもなく大金を積むと言ったのか。それは血縁であり、娘である人物が、このような状態であることが許せないのだ。荒い言い方をすれば、この状態は異質なのだ。正常ではない。本来あるべき人間の姿ではないのだ。


「…耳から…脳がはみ出ていたらしい。損傷が酷く、手のつけようも無いらしい。奇跡的に快復しても、言語や手先は愚か、腕や脚も稼動できないと…」

 現実に、目の前にいる憐れな姿の娘を見据えつつ、宮路は唇を噛み締めた。


――だからこそ、鳶渡を頼った。


 そういう意味が、トキにひしひしと伝わる。


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