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鳶渡の時  作者: 春日戸
第肆話【宵の涙】
18/44

4-4

 探理――


 意識不明や睡眠により、記憶を呼び起こすことの出来ない者に対してだけ用いることの出来る力。過去の記憶を鳶人が探り、鳶螺を通す力。

 トキは目を閉じ、由の過去を覗き見る。とはいえ、大量の情報が一気呵成に流れ込むため、人間の処理能力の限界が訪れるのは早い。特に遡る期間が長ければ長いほど、限界を迎えやすい。


(もっと、もっと前)


 トキの脳内に濁流の如く流れる情報は、おおよそ2年前の記憶。展開される映像はどれも似たり寄ったりで、同じ部屋の情景が大半を占める。見ているだけで精神が病んでしまいそうな悲惨ともいえる記憶の中から、目的に適した時間を選出しなければならない。艱難辛苦を味わうトキの額にジワリと汗が滲む。深く、深く。更に深く、記憶を遡る。


「…………!」


 直後、トキの目が開いた。


「3年と42日前……此処にするか」


 トキは探理に必死で気付いていなかった。背後にある襖が、薄っすらと開いていることに。宵の猜疑心に満ちた目が、中を覗き見ていることに、気づいていなかった。


(……!)


 宵の目が驚愕に開いた。トキの肉体が形を失ったように揺れた。目の前で起きる珍妙な出来事に、固唾を飲まされる。直後、粒子化したトキが由の頭の中へ侵入していく。


(……本物)


 固まっていなかった鳶渡への信憑性が凝固する。


(しかし、使い物にならない)


 宵の眼球は下へ移動し、横たわる由を注視した。


*   *   *   *


 鳶螺の中、トキは迷っていた。繰り広げられ、高速で流れ過ぎてゆく由の記憶を見るか否か。母親である宵の突き放した態度。何の関心も感情もない目を当て続けられる毎日。その中にひっそりと窺がえる、由の死を欲する希求めいた言葉たち。


「……」


 トキの目は自然に伏した。非道ともいえる記憶の絵を視るのが、辛かった。

 迷い込んでいる内に、光が差し込んだ。

 トキは目を閉じた。

 瞼の裏が照らされる。



――――――



 トキが目を開くと、そこは見慣れた光景であった。由の部屋。現実から探理から鳶螺の中で散々見た光景。籠の鳥とはこのことなのだろうと思わされる。

 辺りを見渡そうとするトキの頭が静止した。中央に敷かれている布団に、由の姿がなかった。


「…どこに」


 呟いた次のこと。下を向くと、由が這っていた。あちらこちらに蓬髪し、その必死さを物語っていた。トキはそれを見ても何ら驚かず、口の端を広げた。


「よっ」


 軽快に声を掛けると、由は身体をビクリと動かし、一切の動きを止めた。そして問う。


「何処………か…ら」


 襖の開いた音さえなく、突如として現れた男に、困惑している様子だった。


「その話なら、もちっとまともなところでしよう」


 トキはそういって部屋の奥へと歩いていった。そして中央に敷かれてある布団の側で腰を下ろし、胡坐を掻いた。


「ほら、ここまで来てくれ」


 ポンポンと敷布団を叩いて由を呼ぶ。


「……」


 言われるがまま、由は右手一本で身体の方向を器用に変え、ズルリズルリと遅々とした速度で目標に真っ直ぐ向かっていく。それを眺めながら、トキは言う。


「由、その動きは、母親の宵から止めてくれと言われているよな」


 由の動きがまたもや止まった。よく見れば、右手は震えていた。懼れが生む震えに、苛まれていた。自身の名前はおろか、母親の名前まで知っている男。その者からの禁じの話題。懼れは告げ口というものから蔓延る。

 トキはそんな恐怖に震えるいたいけな由を想う感情を抑え込み、真剣な声で、真っ直ぐ言った。


「それでも、進みたいんだよな」


 畳に伏していた由の顔が、上がった。


「……う……ん」


 そして小さくコクリと頷く。右手は動き出し、トキの方へと身体を運ぶ。その中で、トキは告げる。


「信じられんと思うが、俺は未来から来た者だ」


「み…らい?」


「ああ。お前を、助けたくてな」


 由の中に言葉が落ちたとき、身体は無意識に止まっていた。既に敷布団との距離は、1mもなかったが、疑問が満ち溢れ、それだけに集中してしまっていた。


「未…来の私は……どう…なるの」


 怯えた声。トキは唇を噛んで、告げるべきかどうか寸瞬だけ迷ったが、話すことにする。縫われたような口を、トキは開いた。

「……死を…望む」

 トキと由は目を合わせた。その表情は、互い互いに引けを取らず、痛痒に苛まれたものだった。


「近い…うちに…そうなるって……思ってた」


 ボソリと、由は視線を離さず言った。逆にトキが外したくなった。見つめる表情が、今にも零れてしまいそうで、今にも爆発してしまいそうだった。それでも、涙という雫は、落ちることはなかった。全身を震わせ、耐え忍ぶ由に、トキはそっと手を伸ばし、頭を撫でた。


「由が、這ってでも進む理由、聴かせてくれ」


 由はそこで視線を切った。そしてか細く答える。


「認めて……もらいたい…から」


 重く、悲しい言葉が、小さく、しかしハッキリと木霊する。


「走り回れないけど……進めるって…」


 由はトキを見つめなおした。撫でる手が、動きを止めていた。


「私は…認めて…もらいたい」


 とても些細なこと。

 皆が当たり前のように思うこと。

 そして、多くの者が、偽りながらも与えられていること。

 自分を、認めて欲しい――

 勉学・運動・仕事・容姿・人間性・文章力・音感・会話能力・人間関係。挙げればキリのない程、人は認めて欲しいことが多い。

 由は、たった一つ、認めて欲しかった。それは儚くも、人間なら誰しもが必ず持っていること。意識せずとも認められているはずのもの。


 私は、前に進める、人間だよ――


 這ってでも、どんなに怒られても、否定されても、前に、前へ、進んで行ける。強い子だよ――


 トキの頬に、一筋の涙が流れた。

 由を初めて見た時に抱いた印象。


【どんな逆境であろうと、前へ前へと邁進しようとする、強い心を持った人】


 重なったのだ。自分の思いの丈と、由の思いが。


「認めてもらえるさ。由は、こんなに頑張ってるんだからよ」


 世辞でも、庇いでも、繕いでもなく、トキは本心からそう断言した。


「認めて…もらえる……かな」


「ああ。きっとな。諦めず、頑張ってりゃ。きっとな。由のしたいことだって、出来るさ」

「したいこと……お琴が……弾きたい」


「琴?」


「うん……時々、耳を澄ましたら、聞こえてく…るの……綺麗なお琴の音色が」


 見上げた表情は、とても朗らかだった。このような会話を窘めたことがなかったような、どこか恥ずかしそうな表情であった。

 トキは応えるように、同じ表情を浮かべる。


「出来るようになるさ。人間、やれば何だって出来るんだからよ。足が動かなくても、片手が無くても、テニスやバスケを楽しむ、頼もしい連中もいるんだから」


 由は嬉しそうに聞いていたが、少しずつ、もの悲しく目が伏せられていった。


「…でも、お琴は……無理。弾く手とか…弦を押さえる…手が、必要だから」


 弱音をかき消すように、髪を撫でていたトキの手は、軽くポンと叩いた。


「なら、誰かに頼んで弾いてもらえやいい。押さえてもらえやいい。恥ずかしいことじゃない。人間、誰だって人の手を借りてんだ。由も借りればいい。そしてその恩を、違う形で返せばいい。そうして成り立ってるのが、この世界なんだからよ」


「どう…返せば……いいのかな」


「それは俺が考えることじゃない。由が必死こいて考えるもんだ。大丈夫。生きてりゃ必ず、答えは導き出せる」


「そうだと……いいな」


 由が初めて笑ってみせた。トキの衷心に安堵の息が落ちる。


――――…


 その時、ポツリと音がした。戸襖の外からだ。トキの耳は過敏に拾い上げた。ゆっくりと横を向き、眉を尖らせる。


(…見にいくか)


 強面の顔となったトキを、由は不思議そうに眺めていた。


「どう……したの?」


「……すまんが、ちと行かなきゃならんようになった。また、現行世界で会おう」


「お兄さんと…また…会えるん…だ」


 トキは口の線を広げ、「必ずな」と確言した。

 そして立ち上がり、部屋から静かに出て行った。

 由はもそりと身体を布団につけると、自身の頭を撫でた。とても温かな温度が残っていた。

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