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鳶渡の時  作者: 春日戸
第参話【罪の底】
14/44

3-4

 アパートの前には乗用車のクラウンが止まっていた。加室は運転席に乗り込み、野々垣を後部座席へ搭乗させた。


「……」


 後部座席に座った野々垣は、直ぐに違和感を覚えた。

 車内の装備が一般の其れとは異なっていたからだ。オーディオスペースに納まっている機器のボタンには4秒・8秒や手動、サイレン停止など、見慣れない文字が記されていた。助手席のコンソールボックスにも様々な機器が取り付けられていて、目を引くのは電動カミソリのような形をした機械であった。肘置きのスペースにはマッサージ機のリモコンのようなモノまで設置されている。


「あの…」


 野々垣はそれらに対して質問をした。


「その機器は一体?」


「ああ、俺の趣味でね。最新機器に目がないんだよ」


 加室はそう言うとキーを捻り、エンジンを稼動させた。そして間を空けず、アクセルを踏んだ。

 機器の詳細な説明が一つも為されない加室の応対に、ドクンと、妙な心音が野々垣の内に木霊した。


「あの、どこへ向かうんですか」


「ああ、鳶渡ってのは人目に付いちゃいかんからな。だから人気のない場所に」


「はぁ…そうなんですか」


 野々垣はそう相槌を打ったが、やはり胸の靄が晴れない。加室の答えが質問の回答ではないことが心配の種。この男の癖のようなものなのだろうかと考えを煮るが、付け焼刃の逃避の気がして、さらに靄が深まる。

 どこへと訊いたにも関わらず、曖昧な〝場所〝という答え。過去の改変という稀有な現象をはした金のような10万円で請け負う。一番の難物は、〝扉越しに話を聞いていた〝ということ。


 ――まるで、予め、野々垣がトキの処へ赴くのを、知っていたかのよう。


 覚束なくなった野々垣の心中は次第に荒れ始めた。ぐるぐると、またはくちゃくちゃと腹の中が蠢く感覚が襲う。憂慮に耐えられなくなった精神が、蝕み始める。

 杞憂であれば問題ない。


「あの――」


 そういった思いで開口するが、加室の声に上書きされる。


「野々垣、こういう話を知っているか?」


 見越したような具合の良い時機。

 杞憂であれば、問題ない。


「……」


「罪に、深さがあるって話、知っているか?」


 野々垣は加室の顔が映り込んでいるバックミラーを見た。粗忽な男だと思っていた野々垣は、その顔を見て青ざめた。

 斟酌さなど一切ない、尖鋭な眼。無表情に固まった顔の筋肉。その口から発せられる、重く、聞いているだけで喉が痞えそうな言葉。

 野々垣は、「あ…」と情けなく漏らした。


「犯した罪によって、深さってもんがあるんだ。その中の最下層。解るか?」


 加室は、もう野々垣のことを気にすることを已めていた。


「解らないのか?」


 訊くが、それはもうただの責めであり、答える余地など与えていなかった。


「そうだよな。今のお前には、そんな深さなど見えていないよな」


 野々垣は、頭を横に振った。それは加室の言葉によってではなく、今という現実を否定したいがため。違う、違うと脳が叫ぶ。


「最下層に堕ちるクソな罪ってのはな」


 加室はハンドルを左に切って、縁石の横へと車を着ける。

 やめてくれ、やめてくれと、野々垣の口だけが動く。

 そしてブレーキが踏まれ、天敵が振り向く。

 その者の表情は、先ほど見たトキの激昂の表情と、相違なかった。


「善良な市民を、殺すこと…ッ! 」


 色を成した一声に、野々垣の顔が歪む。


「騙…したな……」


 野々垣は全てを理解させられた。現状が、終わっていることを。

 加室の口元が、悪く伸びてゆく。


「俺が鳶渡使いだというのは、騙していない。ただ、それが副業だってことだ」


「ぼ、僕の口から話したという証拠がない…」


 野々垣はシーツに背面全てを預けるほど、退いていた。逃げたいという本心が起こす行為。現段階で野々垣は逃げる術を幾つも持っている。

 手足の拘束もなく、後部座席という位置。その気になれば、車から降りて走り去ることも出来る。加室に暴行を加えることも出来る。が、両の足は完全に機能停止していた。脳が逃げるという選択肢を排除。ただ居座り、怯えるということを強制する。ある種の放心状態。

 それはこの上なく不利な状況下が起こす、必然であった。抵抗のし甲斐もない、圧倒的な絶望感。それに直面した時、人は動けなくなる。


「そんなもんじゃ逃げれねぇよ」


 加室はコートのポケットから細く小さな機器を取り出した。


「最近はこーいう、録音機ってのがあるらしいんよ」


 野々垣の目が見開いた。


「最初から……!!」


 そう発すると、心身が焼かれるような感覚に見舞われた。胃から胃酸が込み上げ、喉を襲う。手足が異常なまでに震え、抑えが効かなくなっていた。目頭が熱くなり、ボロボロと涙が上着に垂れる。

 暮れ行く者に、加室は変わらず言葉を紡ぐ。


「その通り。お前はハメられていた。最初から、今の今まで、ものの見事に、想定通りに」


 野々垣に救いは無かった。救われるべきではないと、神に告げられたようにさえ思える。因果応報。自らが犯した過ちは、自らに返ってくる。自分だけ救われるなど、在ってはならぬ理。

 トキも加室も其れを重々承知している。それを曲げることは、鳶渡を使う者にとっての、禁忌。しかし縛りはない。当事者の判断によって、この禁忌は簡単に解ける。つまりは、トキや加室の匙加減でどうとでもなり得る事。


「てめぇに同情の余地なんてない。罪を背負わず救われるなんざ、虫が良すぎるんだよ」


 加室が背負うのは、黄金色の旭日章。野々垣が背負うのは、婦女暴行、殺人罪。そして向かうは、冷たい監獄の中。



*   *   *   *



 トキはアパートの前に佇んでいた。息を残す心火の目が見つめる先は、加室たちが去って行ったであろう方角。煙草を取り出し、煙を吐く。

 そんな折りに、後ろから声を掛けられる。


「どしたの? 黄昏ちゃって」


 トキは声を掛けてきた者を肩越しに見据える。


「ああ、ちょっとな」


 トキは美登理を視界にいれ、儚く微笑んだ。美登理は頭を少し傾かせながら、トキの肩に並んだ。


「なんか暗いわね」


「……ちょっとな」


 あしらうような返しに、美登理はそういうことね。と小さな息と共に胸の内に落とした。

 その気遣いに、トキは少し眉を曲げた。てっきり図々しく言及してくると思っていたらしい。

 トキは横目で美登理と視線を交わすと、煙草を一度だけ吹かせた。


「……鳥子はまだ、親父さんのこと、恨んでるのか?」


 唐突な問い掛けに、美登理は目を丸くして静止したが、直ぐに口を開いた。


「……そりゃね」


 そしてトキから視線を切って、地面を見つめる。


「ま、復讐って気はなくなったけどさ、怒りはまだあるよ。例え頭が地面にめり込むくらい土下座されたって、許す気ない」


 そして、またトキを見つめ直し、にこやかな笑顔を作った。


「でも、許さないなりにも、度が過ぎたらダメかなって」


 あの屋上の時と同じ人物に感じられない、明るい美登理の様相。トキは眼を閉じて、口の線を広げた。


「そうだな」


 人の変わり様。それは成長でもある。それを間近で感じ取れるのは、光栄なこと。


「親父さんが仕事を優先する理由、どう思ってる?」


「んー…、ちっさい頃は好きだから。今となっては…私たちのために、なのかなって思うかな」


「……うまくやっていけそうだな」


 トキの意味ありげな物言いに、美登理の眉が曲がる。


「どういう意味よ」


「人を理解するのは難しいことだが、大切なことだ。鳥子はもう、それを疎かにしないだろ」


 そしてトキは後ろを向き、「だから、うまくやっていけるさ」と付け足して、自室へと戻っていった。その姿を呼び止めず、美登理は微笑み、ボソリと呟いた。


「飛ぶ方向、気づかせてくれたのは、あんたよ」



 凡愚であればあるほど、人の心を解ろうとはしない。

 自分勝手に歩き続けるだけ。

 置いて行かれた者たち。踏まれた者たち。蹴飛ばされ、死した者たち。

 その者たちの心を、解ろうとはしない。

 しかし、少しの弾みで心は別の方向へと飛んでいく。その着地点はその者の想いにより様々に変化する。

 野々垣は、解ろうとしない人物。だから解らせる必要があった。

 それは罪を償うべき時間の中で、見出していくしかない。

 罪の底への堕ち道は、無情の心が為してしまう。

 それを変えることが出来るのは、己の意志と他者の心。


 これから野々垣 慶一は、多様な心を味わうだろう。他者からの怒り・悲しみ・憎しみ、そして愛。それらを受け止めた時、野々垣の心はどこへ向かうのか。それは判らない。

 ただ、トキは願った。美登理のように、あって欲しいと。

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